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信長廃嫡  作者: 白紙撤回
終章  聖徳寺
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終章  聖徳寺(1)

 

 

 

「……退屈」

 

 帰蝶は言った。

 聖徳寺境内の草庵である。

 茶室を兼ねているのか小さな炉が設けてあるけど、いまは暖をとるために火を焚いている。

 このごろ上方では茶室自体や出入口を小さく構えるのが流行しているらしい。

 広さ三畳半以下の四つん這いで出入りする茶室って、どんなのだろう。

 この草庵は出入口は普通の引き戸で広さも八畳あって、門徒の有力者を集めて茶会を催したりするのだろう。

 床の間を背にした帰蝶は、袴姿で胡座あぐらを掻き、膝の上に肘を置いて頬杖をついている。

 女子おなごの恥じらいとは無縁である。

 裸でいるわけでも下帯が緩んでいるわけでもないのだから、いいだろうと当人は思っている。

 美濃から尾張までの道中、勝手に輿を下りないことを条件に、帰蝶は小袖に袴という普段着で通すことにした。

 婚礼衣装で輿に乗ったら絶対確実に着崩れると言ったら、母の小見おみの方も、あきらめてくれた。

 いま草庵には帰蝶のほかに、まつたけうめという三人の侍女が控えている。

 帰蝶の父、斎藤山城入道の家来の誰やらの娘たちで、本来それぞれ親につけられた名前があるけど、帰蝶は松、竹、梅と勝手に呼んでいる。

 その中でも年長で、体つきがふっくらとした松に、帰蝶は呼びかけた。

 

「……松」

「はい、なんでしょう」

 

 にっこりとして答える松に、帰蝶も、にっこりとして告げた。

 

「ちょっとアンタ、外にいる尾張方の侍に、うまく色目を使って刀を借りて来てよ」

「色目って」

 

 松は呆れて、

 

「刀なんて借りてどうするんですか。借りるだけなら、福富様とか当家の者から借りればいいでしょうけど」

「辻斬りするのよ、辻斬り。一向宗の坊主や門徒を何人か斬って、尾張方のせいにするの。だから味方の刀は使えないでしょう」

「そんなことしたら婚礼どころじゃなくなっちゃうでしょう」

 

 松が呆れ果て、竹と梅も眉をひそめた。

 

「坊さんなんて殺したら末代までたたられますよ」

「ええ、無間地獄に落とされちゃいます」

 

 竹は細身だけれど、しなやかな身のこなしに色香がある。

 腰は柳のように締まっているのに尻が大きいせいだろう。

 梅は小柄で幼げだけど、笑顔に愛嬌がある。

 井ノ口の居館にいたときは、よく家中の若い侍に話しかけられていた。

 それは松や竹も同じだったけど、ひと目でわかる色気を備えた二人と違い、梅のような娘を好む男たちもいるわけだ。

 帰蝶は、きりりと整った顔立ちである。

 間違いなく美形であった。

 しかし女性的な柔らかさには、いささか欠けている。

 体つきも丸みを帯びず、直線的である。

 腰は締まらず尻は張っておらず、後ろ姿に色香がない。

 それは最初に嫁いだ相手である土岐次郎に、はっきりと言われたことだった。

 だから床をともにしたのは最初の一回きりで、それも実際は未遂に終わった。

 相手がオトコとして役に立たなかったのだ。

 お前に色気がないせいだと逆ギレされたけど。知るか。

 いずれ我が手で土岐次郎を殺してやろうと思っていたら、勝手に流行り病にかかって死んだ。

 そして、それが山城入道による毒殺だという噂が流れた。

 どこの阿呆だ、そんなつまらないことを言い広めたのは。

 父上をおとしめるためのデタラメなら、土岐次郎は山城入道の娘である奥方に呪い殺されたとでも言えばいいのに。

 実際、心の中では呪っていたのだから。

 帰蝶は、ため息をついた。

 

「婚礼なんて中止でいいじゃないの。だいたい当日になって行き先を変更って、尾張方も真面目に和睦する気ないでしょ」

「だからって辻斬りって。どうしてそこまで発想がぶっ飛ぶんですか」

 

 やれやれと首を振る松に、帰蝶は首をかしげてみせる。

 

「我が家の宗旨が法華宗だから? 一向宗は敵? みたいな?」

「みたいな? ノリで斬られるほうは、たまったもんじゃないですよ。まあ冗談で言ってるんでしょうけど笑えませんけど」

「半分以上、本気だけど? 婚礼を中止にできるならアリだと思ってるけど?」

 

 真顔で言う帰蝶に、竹が呆れて苦笑いした。

 

「そんなに御輿入れがイヤなのですか?」

「激烈イヤ」

 

 帰蝶は、きっぱりと言った。

 

「だって相手の三郎って噂だけでも、女装趣味があるけどそれがめちゃくちゃ綺麗とか? 出歩くときに瓢箪いくつも腰にぶら下げて顔はカッコイイのに格好悪いとか? 領主の跡取りがそこまで噂で言われてるって、当人はガチてヤバいヤツでしょ関わっちゃいけない系の」

 

 すると梅が、

 

「綺麗なら女裝趣味があってもいいじゃないですか。むしろ、めちゃくちゃ見てみたいです」

「じゃあ、アンタに譲るわ。梅アンタが輿入れしなさいよ」

「いいんですか? 本当に、わたしが三郎様をもらっちゃいますよ? ……って、そんなワケにいかないじゃないですか」

 

 梅は、ぱたぱたと手を振り、

 

「帰蝶様は、あきらめて御輿入れしてくださいよ。それが美濃のみんなのためなんですから」

「あーあ、土岐次郎が死んだ時点で尼になっておくんだった。アイツには何の未練もないけど、むしろアタシが呪い殺したいくらいだったけど」

 

 帰蝶は足を投げ出して座り直す。

 かわたらにあった脇息きょうそくに、また頬杖をついて、

 

「……ったく、こんなトコロでいつまで待たせるのさ。マジで尾張方は和睦する気ないでしょ絶対。ケチのついた婚礼なんて中止しよ、中止」

「……申し上げます」

 

 茶室の外から呼びかけられた。

 福富平太郎の声である。

 

「ただいま尾張方より申し入れがあり、新郎、織田三郎様が当地へ向かっておりますゆえ、到着次第、この場にて婚礼の儀を執り行いたいとのよしにございます」

「はあっ?」

 

 帰蝶は立ち上がり、つかつかと出入口へ行って、がらりと戸を開けた。

 平太郎が外で片膝をついて控えている。

 見た目だけなら帰蝶の好みだ。

 しかしこの男、国許くにもと許嫁いいなずけがいたのである。

 帰蝶に付けられて尾張へ赴くことになり、その相手とは破談になったというけど、松に似て豊満で色っぽい娘だったらしい。

 なんだか悔しいから、いつも無茶振りをしてイジメてやることにしているけど。

 

「この場で婚礼って、何で?」

「されば尾張方の申すところでは、家中の障りは無事に解決いたしましたゆえ、姫様をこれ以上お待たせするのは忍びないと」

「いや、いまさらもう中止でいいでしょ中止で。平太郎だって、さっきデカい声でブチキレてたじゃん。あの勢いで美濃に帰っちゃえばよかったのよ」

「声を荒らげましたことは申し訳もございませぬ。されど我が美濃と尾張との和睦は家臣領民の切なる願いにございまする。されば、それがしが尾張方の不誠実をとがめましたのも、ひとえに織田三郎様と姫様との婚礼が無事に行われることを望んでのこと」

 

 平太郎は言い抜けようとする。

 いや絶対、あの場では破談になってもいいつもりでキレてただろう。

 平手とかいうジジイが、いったん聖徳寺に寄るという妥協案を出さなければ、無事に和睦はナシになって美濃に帰れただろうに。

 いや無事じゃ済まなかったかもしれないか。

 無理やり末森とやらに連れて行きたい尾張方とケンカになっていたとすれば。

 帰蝶は言った。

 

「そのみんなの願いのために、アタシ一人に犠牲になれって考え方は、よくないと思うけど?」

いさぎよくなされ。武家の姫として生まれたからには、それが天命にござる」

 

 上辺うわべだけでも帰蝶に同情するフリをすることもなく、平太郎は、バッサリと切り捨てた。

 帰蝶は頭を抱え、

 

「あーっ、マジで尼になっとくんだった。政略結婚なんて人権侵害過ぎるでしょ」

「畏れながら、土岐次郎様が亡くなられました折に姫様は申されてございましたな」

 

 こほんと咳払いすると、平太郎は帰蝶の口調を真似てみせた。

 

「……これで結婚は終わりにしたいけど、土岐次郎に未練があって尼になったと思われるのはムカつくから、あきらめて実家に帰るしぃ⤴」

 

 こほんと、また咳払いして、平太郎は素の口調に戻った。

 

「……御自分で選ばれた道にござる」

「いや、『しぃ⤴』とか語尾上げたところまで真似すんな。自分の莫迦っぽさに気づかされたわ」

 

 帰蝶は仏頂面をして


「じゃあ、あきらめて婚礼はするけどさ。三郎がこっちに来るってんなら、途中で相手の様子を覗き見できる場所をどこか用意しなさいよ」

「覗いてどうなさる。気に入らないから、やっぱり婚礼中止というのは無しにしていただきますぞ」

 

 平太郎が、じぃーっと見据えてくるので、帰蝶は澄ました顔を取り繕って、こほんと一つ咳払いした。


「……実は、輿入れに当たって父上から懐剣かいけんを授かりました。三代兼定さんだい かねさだ、一尺三寸」

「その長さでは懐に収まりませんな。短刀を超えてござるぞ」

「だって最初は父上、無銘のオモチャみたいなの渡そうとするんだもん」

 

 澄まし顔は続かず、帰蝶は口をとがらせて腕組みをする。

 

「ケチらないで和泉守いずみのかみを寄越せと言ったら、輿入れに持たせる懐剣は新しく鍛えるのが習わしとか言うのよ。だったら現役の兼定……疋定ひきさだ? その人にアタシの注文通りにガチ気合いを入れて打たせろって父上に言って、出来上がったのがアレ。ちょっと調子に乗った大きさで頼んじゃって、アタシの細腕には重かったから輿の中に置きっぱにしてるけど」

「兼定が泣いておりますな。それでその懐に収まりきらぬ懐剣がどうなされました」

「うん、そう。父上のお指図でね」

 

 こほんと、また咳払いして、帰蝶は真顔になり、父の山城入道を真似ているつもりか声音を低くして、言った。

 

「……家来どもの、たっての望みで尾張との和議となったが、帰蝶ひとりに我慢を強いてつらい思いをさせることを父は望まぬ。されば婿となる三郎の人物を見定めて、もし帰蝶が生涯の伴侶とするに値せぬ、うつけ者と思えばその懐剣で命を奪い、美濃へ戻って参れ」

「まことに殿がそう申されたか」

 

 平太郎に念を押されて、帰蝶は視線を逸らしながらうなずく。

 

「……いや、うん。そんな感じのことを言われた、みたいな?」

「では、もしも三郎様が器量に秀でた者でござったときは、生涯をともになされるのですな?」

 

 重ねて念を押され、帰蝶は、また声音を低くして言った。

 

「……婿の三郎に存分の器量があったなれば、この美濃の敵として災いをなす前に、その懐剣で命を奪い、美濃へ戻って参れ」

「いずれであれ素直に御台所をお務めなさるおつもりはござらぬのか」

 

 平太郎は、やれやれと首を振る。

 

「よろしゅうござる。三郎様の御到着前に、そのまことの御姿を確かめたいと申されるなれば、手配りいたしましょう」

「え、いいの?」

 

 あっさりと承知されて目を丸くする帰蝶に、平太郎は渋い顔でうなずいた。

 

「その代わり婚礼の儀では神妙になされ。あきらめて婚礼なさると、姫様御自身が申されたのですからな」

「うん、婚礼についてはあきらめた」

 

 こくっと素直な様子でうなずいた帰蝶だけど、すぐに、にまっと笑ってみせた。

 

「なるべく早く結婚生活を破綻させて美濃に帰るけど。どうせバツが一つついてるんだし、バツ二になっても同じでしょ、そのまま尼になっちゃえば」

 

 

 


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