5 呪いを解くために
まっすぐに指さされて、セチアは目を見開いて硬直することしかできない。そんなセチアを庇うように、ノアールがさっと前に出た。
「俺の呪いに彼女は関係ない」
「あら、決めるのはあたしよ。あなたたち、あたしの姉に会ったでしょう?」
「姉?」
訝しげに眉を顰めるノアールを見て蠍火の魔女はくすくすと笑い、くるりと回りながら腰かけていた星からふわりと降りてくる。するとその姿は以前に駅のホームで出会った老婆に変わった。
息をのむ2人の前でもう一度くるりと回ると、その姿はまた妖艶な美女へと戻る。
「双子の姉と違って、あたしがこの若さを保てている理由を知ってる?」
ゆっくりと降りてきた魔女は、瞬きする間にセチアのすぐ目の前にいた。血のように赤い爪をした指先が、つうっとセチアの頬を撫でる。
「そう、あなたみたいに若くて可愛い子の生き血を、……ってやぁね、冗談だってば」
ノアールに腕を掴まれて、蠍火の魔女が顔をしかめる。彼の腕はぶるぶると震えるほどに力が入っているのに、魔女はそれをあっさりと振り払った。はずみでノアールが少しよろめいて、信じられないといった表情を浮かべる。
「セチアに手を出すなら、呪いは解いてもらう必要はない」
それでもすぐに体勢を立て直したノアールは、セチアを守るように背に庇うと蠍火の魔女をにらみつけた。それを見て、彼女は楽しそうに笑い出す。
「あらぁ、素敵。愛ね。でも、呪いを解かなければもうすぐあなたは死ぬわよ。お嬢ちゃんを泣かせることになるわ」
「セチアを差し出してまで、生きたいとは思わない。……行こう、セチア」
拒絶するように魔女に背を向けて立ち去ろうとしたノアールの腕に、セチアは思わず縋りついた。
「待ってノアール。呪いを解いてもらって。今この機会を逃したら、きっともう蠍火の魔女には二度と会えないわ。今までノアールにはたくさん守ってもらったから、今度は私がノアールを助ける番よ」
「セチア」
止めようとするノアールの手を振り切って、セチアは蠍火の魔女の方に向き直った。魔女は面白がるような表情でこちらを見つめている。
「私は何を差し出せばいいの?この命?それとも血?」
微かに震えながらもまっすぐに魔女を見つめるセチアの肩に、まるで慰めるようにキラが止まった。そして、今にも飛びかかりそうなノアールを牽制するように鋭く鳴く。
まだ幼獣とはいえ聖獣であるキラの気配に圧倒されて、ノアールは凍りついたように足を止める。
「そうね、何をいただこうかしら。その綺麗な長い髪も素敵だし、可愛いピンク色の瞳もいいわね」
魔女の手がセチアの髪を撫で、頬を滑る。小さく震えながら、それでも動こうとしないのを見て蠍火の魔女はくすりと笑い、そっとセチアの額に触れた。
「……っ」
びくりと大きく身体を跳ねさせたセチアを見て、ノアールが真っ青な顔で駆け寄ってくる。ふらりと傾いだ身体を抱きとめて、セチアが固く目を閉じているのを確認した瞬間、ノアールの表情が怒りに染まった。
「セチアに……何をした」
震える声で低く問うたノアールに、蠍火の魔女はため息をついて肩をすくめる。
「あなたの呪いを解くための、対価をもらっただけよ。心配しなくてもちょっと気を失ってるだけだわ。いらっしゃい、お嬢ちゃんを少し休ませないと」
「対価って、何を……」
さっさと歩き出していた魔女は、ノアールを振り返ると唇に指先を当てて妖艶な笑みを浮かべた。
「……これよ」
握りしめていた左手を開くと、中からきらきらと輝く宝石のようなものがあらわれた。淡い緑色をしたそれは、まるで生きているかのようにゆらゆらと動いて見える。
「それは、」
「このお嬢ちゃんが持っていた、癒しの力よ。うまく制御ができなくてずっと垂れ流しになってたでしょう。貴重な力ではあるけど、この子には不要なものだと思うから、あたしがもらったの」
「癒しの、力」
セチアが、自身の癒しの力を疎ましく思っていることも、その力を封印してもらうために蠍火の魔女を探していたことも知っているノアールは、小さく息をのんだ。
すでにさっさと前を向いて歩き出している魔女の後ろ姿を見つめ、腕の中のセチアを見つめたあと、ノアールはゆっくりと歩き出した。
◇
蠍火の魔女に案内されたのは、彼女の棲み家だった。
もっと怪しげな場所なのかと思いきや、案外こざっぱりとした綺麗な家で、ノアールはまだ若干の警戒心を残してあたりを見回す。
すぐそばのソファに寝かせたセチアは、まだ目を覚さないものの顔色は悪くないし、キラがずっとそばに寄り添っているので大丈夫だろう。
小さくため息をつくと、ノアールは目の前に座る蠍火の魔女を見つめた。
「飲まないの?冷めるわよ」
コーヒーだと言って出された飲み物は、何故か濃い緑色をしていて飲む気になれないので、ノアールは曖昧にうなずくと姿勢を正した。
「俺の呪いは……解いてもらえる、ということで良いのだろうか」
ノアールの言葉に、蠍火の魔女はにっこり笑ってコーヒー(?)を飲み干した。
「もちろん。対価をもらったんだもの、仕事はちゃんとするわ」
そう言って、魔女はノアールの傷跡に手を伸ばす。彼女が触れた瞬間、傷跡が痛いほどに熱くなって思わず小さな声が漏れた。
「この傷――というか、呪い。赤いナイフでやられなかった?柄の部分が蠍の尻尾みたいに少し曲がっているやつ」
魔女の言葉に、ノアールは一瞬身体をびくりと震わせた。思い出したくもない、この呪いを受けた時のこと。誰も知らないはずのナイフの詳細を語られて、思わず言葉を失ってしまう。
「……やっぱり」
ノアールの反応を見て、彼女も何かを確信したらしい。どこか切ないような、困ったような表情で、少しだけ笑みを浮かべた。
「あのナイフは、かつてあたしが作ったものなのよ。だから……間接的とはいえ、あたしが貴方に呪いをかけたも同然よね」