3 焦る気持ち
本日、朝に2話も投稿しています。
「……あの人が、蠍火の魔女だと思ったんだが」
少し悔しそうなノアールの声に、セチアは顔を上げる。
「でも、近しい人なのかもしれないわね。よく知ってるような口ぶりだったし。キラ、蠍火の魔女はどこにいるの?」
問いかけると、キラは小さく鳴いたあと、セチアのケープの中に潜り込んでしまった。何度声をかけても出てこないので、セチアは諦めて小さくため息をつく。
「今はまだ時期じゃない、ってことかしら」
「そうなのかもしれないな」
うなずいて宿へ向かおうと歩き出したノアールを追いかけながら、セチアはこぼれ落ちそうになるため息を堪えた。
セチアのことはともかく、ノアールの呪いは早く解きたいのに。キラの力で定期的に浄化はしているけれど、決して消えることのない呪いがいつまた広がるかも分からない。だけどキラが教えてくれないということは、まだ大丈夫ということなのだろうか。
ケープの中で眠るキラをそっと撫でて、セチアはノアールの大きな背中を見つめた。
◇
その後、キラは一向に蠍火の魔女の居場所を教えてくれる気配がないし、情報収集をしても有力な手がかりは見つからない。
月日ばかりがどんどん経っていく状況に、セチアはため息をつく回数が増えた。
「ねぇ、キラ。いつになったら蠍火の魔女の居場所を教えてくれるの?あてもなく旅を続けるのも、結構しんどいものなのよ。長生きのキラとは違って、人間の寿命は案外短いってこと、分かってる?」
膝の上で微睡むキラを撫でつつ、セチアはため息と共に愚痴っぽい言葉を吐き出す。出会った頃よりひと回りは大きくなったキラは、片目を開けて確認するようにセチアを見たあと、また目を閉じてしまう。
やっぱり教えてくれるつもりはないようで、焦燥感ばかりが募っていく。
「セチア、焦っても仕方ないことだ。キラにも、何か考えがあるんだろう」
向かいの席に座ったノアールの言葉に、キラがその通りとでも言いたげに一度鳴く。
「分かってるけど……、それでもやっぱり心配なの」
ノアールのことが、と続けようとした言葉は、口の中で消える。このところ、キラの力で呪いを浄化する頻度が上がっていることに彼は気づいていないのだろうか。
もしかしたら、ノアールに残された時間は少ないのかもしれない。
セチアは、震える手をぎゅっと握りしめた。
◇
今日も列車は、星の海を進む。窓の外を走っては消える流れ星を10数えたところで、セチアは大きなため息をついて窓ガラスにこつりと額をぶつけた。
「どうした、セチア」
向いに座っていたノアールが、読んでいた本から顔を上げる。昨日キラに浄化してもらったはずの左目の傷が、すでに微かな熱を持っているのを見て、セチアは唇を噛んだ。もうこれ以上、待つことはできない。
ノアールの問いかけには答えずに、セチアはケープを脱いだ。内側で眠っていたキラが驚いたように飛び出してくるのを両手で捕まえて、目を合わせるように顔の前に近づける。
「ねぇ、キラ。お願いだから蠍火の魔女の居場所を教えて。もうこれ以上は待てないの」
真剣な声で頼んでいるのに、キラは反抗するようにぷいと顔を背けてしまう。それを見て、セチアは頬を膨らませた。
「それならもう、キラにはご飯あげないから!」
セチアの言葉に、キラも怒ったような強い声で鳴く。
ここで引くわけにはいかないとにらみ合っていると、ノアールがため息をついて間に割って入ってきた。
「喧嘩をするな」
「だって!」
セチアの声に被さるように、キラも抗議するように鳴く。
「……だって、心配なの。浄化の頻度がどんどん上がってるのよ。もしも呪いを抑えられなくなったら、ノアールはどうなるの。私を置いていったり……、しないで」
震える声と共に、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。
さすがに涙に驚いたのか、慰めるように頬に擦り寄ってこようとしたキラを振り払い、セチアは膝に顔を埋めてしゃくりあげた。
小さく息をついて、ノアールがセチアの頭をぽんぽんと撫でる。そのぬくもりを失うかもしれないことが恐ろしくて、離れたくないという気持ちを込めてセチアはノアールに抱きついた。
しっかりと抱きとめてくれる優しくて強い腕の中で、セチアは泣きじゃくる。
こんなに泣くなんてまるで小さな子供のようだと思いながらも、涙はあとからあとからあふれて止まらない。
「セチアを置いてどこかに行くなんて、絶対にない」
耳元で囁かれた低く優しい声。だけどその言葉を信じるには不安があって、セチアはうなずきながらもまた涙をこぼした。
◇
泣き疲れて、いつの間にか眠っていたらしい。
腫れて重たくなった目を開けるとノアールの服が目の前にあって、ずっと抱きついた状態でいたことに気づく。
「……っ」
守るように抱きしめられた腕に、あたたかな体温。
普段からよくこうしてノアールには抱きついていたはずなのに、妙に気恥ずかしくてセチアは思わずぎこちなく距離を取ろうと身体を離す。
「セチア、起きたか」
ノアールが顔をのぞき込み、小さく笑って腫れた目蓋に触れる。少し冷たいその指先が触れた瞬間、セチアはびくりと身体を震わせた。
「……どうした?」
「な、何でもない!ご、ごめんね、何か子供みたいだね、泣き疲れて寝ちゃうとか」
あわあわとノアールの腕の中から抜け出して、セチアは赤くなった頬を隠すように窓の方に顔を向けた。
ぼんやりと窓に映った顔は、泣きすぎたせいで酷い有様だ。
小さく唸ったセチアは、窓の外を見るふりをして窓枠に寄りかかった。ガラス越しに忍び込んでくるひんやりとした空気が、少しでも腫れた目を冷やしてくれたらいいなと思いながら。