1 星空列車に乗って
こちらの話は、AKIRA33*さん(@33comic)の素敵なイラストからストーリーを考えさせてもらいました!
たくさんの素敵な挿絵と共に楽しんでもらえたら嬉しいです♡
駅のホームに、一人の少女が降り立った。行き交う人々の多くが地味な色彩の服装をしている中で、服も靴も、そして髪飾りも鮮やかな赤を身に纏う少女の姿はひときわ目を惹き、肩を流れるその美しい金の髪と相まって、彼女の周囲だけほのかに明るく見えるようだ。
大きな茶色いトランクを持った少女は、きょろきょろとあたりを見回しながら、時刻表の前に立つ。時間を確認したり、ホームの奥に目をやったりと、どうやら誰かを待っているようだ。
その時、ぽんと肩を叩かれて少女はきょとんとした様子で振り返った。
「きみ、旅行でここに来たの?この近くに美味しいスイーツのお店があるんだ、良かったら一緒に行かない?」
肩を叩いたのは、少女と似た年頃の若い男。少し軽薄そうには見えるものの、なかなか整った顔立ちをしている。彼もそんな自分の容姿に自信があるのだろう、少女が断るとは夢にも思っていない様子で、微笑みを浮かべながら少女の気を引くように話しかける。
「えっと……」
少女は戸惑ったように淡いピンク色の瞳を揺らす。そんな表情の変化に気づかない様子で、男はにこにこと笑いながら少女のトランクに手を伸ばした。
「ほら、その重たそうなトランク持ってあげるよ」
「や、待って……」
慌てたようにトランクを取られまいと身体をよじろうとした少女の身体を、不意に大きな手が抱き寄せた。
「セチアに触れるな」
それは低く押し殺した声だったけれど、凍りつくほどの怒気をはらんでいる。
黒い外套を羽織ったその男は、見上げるほどの巨漢だった。声と同じくらいに冷え冷えとした表情を浮かべたその顔は美しく整っているものの、左眉の上から頬にかけて縦に走る傷が、男がただ者ではないという印象を与えている。
「……え、あ、じゃあ俺はこれで!またね!」
慌てたように後ずさり、少女――セチアに声をかけていた男はあっという間に走り去ってしまった。
遠ざかるその背中を険しい表情で見送って、その姿が見えなくなってから、男はようやく表情を少しだけ緩めた。
「ノアール!」
嬉しそうに笑顔を浮かべたセチアは、甘えるようにぎゅうっとその大きな身体に抱きついた。
「やはりセチアを一人にすべきではなかった」
ため息をつきながら、ノアールはセチアにカップを差し出す。真っ白なクリームの上にきらきらとした砂糖菓子を乗せたホットショコラを見て、セチアは目を輝かせた。この駅で人気だというこのホットショコラが飲みたいと言ったセチアのために、ノアールがわざわざ買いに行ってくれたのだ。
「ふふ、大丈夫よ。いざとなればキラだっているんだし」
ホットショコラに口をつけながら、セチアは赤いケープの胸元をそっと撫でた。それに反応して、首元から白くもふもふとした小動物がひょこりと顔を出す。
「ね?ちゃんとキラが守ってくれるわよね」
指先で撫でながら笑いかけると、キュウと小さな鳴き声が返事をした。
「ほら、キラもこう言ってるわ」
笑顔で見上げたセチアに、ノアールは渋い表情を崩さない。
「セチアを守るのは、俺の役目だ」
「んもう、キラにまでやきもち妬かないで」
くすくすと笑ったセチアは、ノアールに身体を擦り寄せた。身長差があって、首が痛くなるほどに見上げないと目も合わないけれど、こうして胸元に頬を寄せるのもセチアは結構好きだ。こうすると、ノアールはいつも優しく頭を撫でてくれるから。
甘いホットショコラと、頭を撫でる大きな手のぬくもりをしばらく堪能したあと、セチアは顔を上げた。
「そろそろ行きましょうか」
ホームに滑り込んできた列車を見て、ノアールも黙ってうなずく。
トランクを持って軽やかな足取りで列車へと向かうセチアのあとを、ノアールがまるで従者のように黙ってついていった。
◇
車窓を流れる景色は、紺碧の空。個室の窓は大きくて、時折ちらりと輝く小さな流れ星が、まるで列車と競争するかのように空を走っては消えるのがよく見える。
飽きもせず窓の外をずっと眺めていたセチアは、ふと窓から視線を外すと向かいの席に座るノアールを振り返った。
黙って本を読んでいる彼の表情は険しくて、微かに眉間に皺まで寄っている。そんな不機嫌そうな顔は彼の通常だけど、何かに気づいたセチアは軽く眉を顰めると立ち上がり、ノアールの前に立った。
「ノアール」
セチアの声に、ノアールが本から視線を上げる。彼が座っていてなお、少し見上げないと目は合わないけれど、まるで目を合わせたくないとでもいうように微妙に顔を背けられて、セチアは靴音高く更に距離を詰めた。
「ノアール、こっちを見て」
きっぱりとしたセチアの言葉に、ノアールがため息をついて視線を向ける。こちらを見つめる右目は透き通った青空の色。そして傷のある左目は、色を失った黒い色をしている。
そっと手を伸ばして、額にかかる青みがかった黒髪を指先ではらい、左目の傷跡に触れたセチアは怒ったようにノアールを見上げた。
「熱をもってるわ。いつから?」
「大したことはない、放っておけばそのうち治まる」
煩わしそうに首を振るノアールに、セチアは腰に手を当てて頬を膨らませた。
「どうしていつも我慢するの。あなたがいなくなったら、私はどうなるの。守ってくれると言ったのは嘘なの?」
「それは……」
きまり悪そうに視線を逸らすノアールの頬に触れて、セチアはその顔をのぞき込む。
「少しでも酷くなったらすぐに言って。お願いだから、……私を一人にしないで」
少し震えた語尾に、ノアールは小さく息をのんだ。
「すまない、セチア。これからは、すぐに言う」
「うん。そうして」
うなずいたセチアは、胸元を撫でてキラを呼び出す。キュ、と小さく鳴いて白いコウモリがケープの下から飛び出してきた。ぱたぱたと確かめるように部屋の中を一周したあと、キラはセチアの指先に止まった。
「キラ、お願い」
そっと囁いたセチアの言葉に応えるようにもう一度鳴いたキラは、今度はノアールの頭の上に止まった。キラの頭の上にある小さな角が淡く光り、その柔らかな光はノアールの傷跡へと流れていく。
やがて光が傷跡に溶け込むように消え、セチアはそっとノアールの左目に手を伸ばした。
「うん、ちゃんと浄化されたみたい」
指先で傷跡を撫で、熱をもっていたのが治まっているのを確認して、セチアは安心したように小さく息を吐いた。
「ありがとう、セチア、キラ」
ノアールの言葉に、キュ!と得意げに鳴いたキラは、セチアがポケットから取り出した小さな赤い果実をひとつ食べると、満足したようにケープの中へと戻っていった。
ふうっとため息をついて座席に腰を下ろしたセチアは、窓枠に顎を乗せるようにして車窓の風景をまた黙って見つめる。吐息で窓がほんの少しだけ、白く曇った。
「ねぇ、ノアール」
指先で曇った窓を拭いながらつぶやいたセチアの声に、ノアールは読んでいた本から顔を上げる。軽く首をかしげてみせながら、セチアはノアールをじっと見上げた。
「少し寒いわ」
セチアはケープを羽織ったままだし、個室内は適温に保たれている。顔色も良く体調が悪いわけでもないことはノアールも分かっているようで、小さな苦笑がその顔に浮かぶ。
「おいで」
それでも優しくそう言ってくれるノアールの腕の中に、セチアは笑顔で勢いよく飛び込んだ。驚いたキラの鳴き声が一瞬響いたものの、いつものことなので退散するようにキラは向かいの座席の上へと移動する。
頭を撫でる手のぬくもりに目を細めながら、セチアはノアールのシャツの襟元を飾るチェーンを指先で弄んだ。冬の月のような冷たい銀色は、彼によく似合う。
「ねぇ、ずっとそばにいてね。私を守ってね、ノアール」
「もちろんだ。この命をかけてでも守るよ、セチア」
重々しくうなずいた言葉に、セチアは顔を上げると眉を顰めて首を振った。
「それはだめよ。あなたの命と引き換えに守られることを、私は望まない。一緒に生きてくれなきゃだめ」
セチアの真剣な眼差しに、ノアールは小さくうなずいた。大きな手が、そっと慈しむように頭を撫でる。
「ずっと、セチアと一緒にいると約束するよ」
その答えに満足して、セチアは笑顔になるとノアールに向かって右手の小指を差し出した。
「約束ね」
うなずいて同じように右手を出したノアールの小指に、セチアの細い指が絡む。確認するように数度上下させたあと、二人の指はそっと離れた。
◇
かたんかたんと微かな音を響かせながら、列車は夜の闇の中を走り続ける。
膝の上を枕にして眠るセチアを起こさないように気をつけながら、ノアールはそっと柔らかな金の髪を撫でた。両耳の横を彩る星のような形をした赤い髪飾りは、彼女の名前にちなんだ植物のデザインで、以前にノアールが贈ったものだ。他にもたくさんの髪飾りを持っているのに、こうして毎日身につけてくれることが、嬉しくてたまらない。顔にも、口にも出したことはないけれど。
彼女に自覚はないだろうけど、こうしてセチアに触れるだけで、ノアールはいつだって癒されている。
とある事情により呪いを受けた左目は色を失って、少しずつノアールの身体を蝕んでいた。傷跡を気味悪がられてまわりには誰もいなくなったし、身体はだんだんと重たく動かなくなっていく。いずれこのまま一人寂しく死ぬのだろうと半ば諦めていたところに出会ったのが、セチアとキラだった。
浄化の力を持つキラは、所謂聖獣と呼ばれる存在。そんなキラをまるで愛玩動物のように可愛がるセチアに、ノアールは最初、酷く驚いた。だって、聖獣といえば目にすることさえ稀な、ほとんどお伽話のような存在だったから。
だけど、彼女の願いに応えてキラはノアールの傷跡を浄化してくれた。恐らくまだ幼獣であるキラの力では、呪いの全てを浄化するには足りなかったけれど、それでも驚くほどに身体は楽になった。
そして聖獣を手懐け、呪いを視ることのできるセチアは、癒しの力を持っている。ただ、彼女の力は望んで使えるものではなくて、触れた相手に無意識に施される。その力を求めてセチアを狙う者は多く、キラと出会うまでは幾度となく攫われそうになっていたという。
垂れ流し状態の癒しの力を止めるためには、蠍火の魔女と呼ばれる人物に会って、その力を封印してもらう必要がある。
そして、ノアールの呪いを解くことのできる唯一の存在も、蠍火の魔女だ。
どこにいるのかも、その風貌すら謎に包まれた存在。だけど、セチアもノアールも、蠍火の魔女を探している。
二人の旅の目的は一致しており、ノアールはキラに定期的に呪いの浄化をしてもらう代わりに、セチアを守ると約束している。もっとも、聖獣に愛されたセチアは、ノアールが守らなくてもキラの力によって、邪悪な思いを抱く者は近づけないのだけど。
だから、ノアールの役目はセチアに近づく虫を排除することがほとんどだ。必要以上に凄んで追い払ってしまうのは、個人的な事情によるものだけど、きっとセチアは気づいていない。
明るく慕ってくれるのは嬉しいものの、セチアがノアールに向ける信頼した眼差しは、ほとんど兄に向けるようなもので、ほんの少しだけ複雑な気持ちだ。
――いつか、蠍火の魔女に会えて、この呪いが解けたなら。
その時は、胸に秘めたこの想いを伝えようと決めている。その日までノアールは、セチアに群がる虫を追い払いながら、一番そばで、彼女を守り続ける。
◇
すうすうと気持ちよさそうに眠るセチアの頬をそっと指先でつつくと、ふにゃりと表情が緩んだ。無防備に眠るその身体を抱き寄せて、口づけのひとつでも落としてやろうかと一瞬思うけれど、彼女の信頼を失うわけにはいかない。
次の目的地に着くまでは、まだ時間がある。この小さな頭を膝枕できるだけでも充分だと自分を納得させて、ノアールは読みかけの本を開いた。内容なんて、全然頭に入ってこないけれど。
紺碧の空の中、星の海を縫うように列車は進む。
まだ少しだけ邪な思いと戦うノアールを笑うかのように、窓の外を流れ星が光って消えた。