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人たらしの由縁

(あん)ちゃんどうするんだい?」


小竹(こたけ)は兄が歩く後ろを遅れない様に追い(すが)る。


小竹とは小一郎の幼名である。


「さぁ♪」


日吉は一旦止まって、小竹の手を取り、優しく引き寄せてやる。


(あん)ちゃん…」


小竹は兄・日吉のその優しい仕草に想わず嬉しさが込み上げる。自然とその頬を(あか)()めた。


二人は手に手を取り合って暗闇の中を進む。やがて起伏の激しい峠道を上がって行くと、山の頂が観えて来た。


良く良く見るとその山の(いただき)の上には一筋の光が黒点の周りをくるくると(まわ)る様に渦巻いており、それがだんだんと広がりをみせている。


そしてそれがやがて光の輪っかと為って、その先を照らし出す。


「小竹!おいらはあそこに行く♪」


日吉は指先を前方にやって指し示す。


小竹はその指先をなぞる様に観る。けれども、その指の先の物を直視する事は出来なかった。


そこら辺りはまるでキラキラと光り輝いていて、とても眩しくて目を開けてはいられないのだ。


彼は想わず手の甲を両目に充てて光を(さえぎ)る。


するとその瞬間、彼の手をすり抜けた日吉の手は、もう片方の手と共に躍動を始めて、とても軽やかなステップでその光の輪の先にスッと消えたまま、見えなくなってしまった。


小竹は慌てて追い(すが)るが、その光の輪は日吉を吸い込むと、その瞬間、掻き消すように消えてしまった。


「アッ、(あん)ちゃん(゜O゜;…」


そう言った途端、彼は目を覚ます。


彼の脳裏には、優しい兄の笑顔と光の輪に吸い込まれて消えてしまう兄の姿がいつまでも残った。




彼は始終この夢を繰り返し観ては、(うな)される様に目を覚ました。何度も何度も繰り返し、その都度なんとか手を伸ばして、兄の手を握ろうと(もが)くが、それは叶わなかったのだ。


けれども今はその優しい兄が傍に居て、その手を握ろうとすれば何の支障も無く握れる位置にある。彼はそれがとても嬉しい。


そして悪戯(いたずら)っ子の様にはにかみながら、ソッと手を伸ばして、その手を握った。


温かい温もりが伝わって来る。彼はとても幸せな気持ちになり、想わずひとりほくそ笑んだ。


藤吉郎は突然、小一郎が手を握って来たので、想わずたじろぎ、チラっとその視線を弟にくれる。


すると弟は照れながらもとても嬉しそうに繋いだ手を握り込み、その表情は、はにかんで見えた。


「何だ!小一郎♪気色の悪い顔をしおって♪もう子供じゃ無いんだぞ!」


藤吉郎はそう言いながらも、決して嫌では無いらしい。それが証拠に彼もその手を握り込むと、ブラブラと振って、二人はまるで童心に戻ったかの様に、しばらくその気持ちを噛み締めた。


二人の間には、言葉以上に大切な触れ合いの儀式が必要だったのかも知れない。彼らは無口のまま手を握り締めて、元来た街道を戻る。


岡崎宿での上々の首尾に藤吉郎は心が高揚していた。そしてそんな兄の力量を目の当たりにした小一郎は興奮がいつまでも止まなかったのである。


そんな二人の仲睦まじい背中を小次郎は付かず離れず追いながら、優しげな瞳で眺めていた。




さて前述の通り、藤吉郎は岡崎の街で名主や商人達に会い、その協力を取り付ける事に成功したのだが、少し時を遡ってその様子を観ておこうと思う。その仲介を買って出たのが、中村屋吉右衛門その人であった。


藤吉郎には逆らえぬ。否、こいつには何か不思議な雰囲気を感じる。そう想っていた吉右衛門にとっては、何の躊躇(ためら)いも無く、御安い御用だったのである。


こういった場合、商人の中には堅実さを好み用心する者と、冒険心に富み大きな賭けに出る者とに別れるのだろうが、吉右衛門は幸いな事に冒険心に富む賭けを好んだ。


しかも彼にとっては、今回の場合然したる賭け事では無かった。勿論、今川義元の力は強大であり、その影響力も尋常なくデカいが、彼はこの世の中の流れは既に朽ち果てた古式に乗っ取った路線では生き残っていけないと踏んでいたのである。


それが証拠に、足利幕府の権威は既に失墜しており、全国にその根を張りつつある権力者達は、幕府の権威を逆に利用しながら、上手く立ち回ってやろうとする手練れの輩が跋扈(ばっこ)している。


そしてまだ弱小ながらも織田信長という男の目を見た時に、彼特有の勘が働いていた。その信長がやはり自分が違いを見抜いた藤吉郎の才を見抜き使っていると知った時に、彼の腹はもう決まっていたと言って良い。


彼が進んで彼らの意図に従ったのはそういう意味合いが在ったのである。そして藤吉郎は彼らの逃げ道すらも用意してくれているのだ。協力しない手は在るまい。


どちらに転んでも利になり、彼らの身は安全である。確かに多少の危険は伴うが、大儲けに繋がる話だ。楽に稼げる訳は無いのである。


藤吉郎の作戦を聞いた時に、吉右衛門は直ぐにこれは上手く行くと踏んだ。成る程…上手い事を考える者だと感心したのである。


だから説得もしやすかったし、吉右衛門はほぼ全員を密かに集めるだけで済んだ。これで一番手柄に成るのだから、やらない手は無かったのだった。


藤吉郎は岡崎の街で密かに(つど)った者共を目の前にしてこう(のたま)った。


「わしが信長様の全権を託された木下藤吉郎じゃ♪この名前を覚えておくと、損は無いぞ!何しろわしは信長様の覚えめでたき男じゃからな!皆、将来を考えるならば、このわしに従え♪大いに稼がせてやる…」


「…義元は確かに今は強大じゃが、それは本人だけじゃ♪配下の者共はてんで始末に負えぬ阿呆揃いよ…全く話しにも成らん!先日、義元は家督を事も在ろうに御公家さんの真似事しか出来ぬ息子に譲ったそうな…」


「…和歌と蹴鞠(けまり)しか能の無い男に大事な家督を譲るとは、義元の権威もいよいよ黄昏時(たそがれどき)を迎えたと謂えるじゃろう。地に堕ちたも同然という事よ!そこでここからが我らの提案だ…」


「…一度しか言わぬから、耳の穴をかっぽじってよ~く聞け!今からお前さんらはこのわしに従って貰う。なぁに、そんなに大層な事をさせるつもりは無い。お前さんらは、何か指示があるまでは今まで通りの生活をしておれば宜しい…」


「…挨拶に来いとか、献金をせよとか特別な事はせんで良い。今の所はな!但し進んで従う者や是非にも献金したいと望む者はその限りでは無いがな、ハッハッハ!あらかじめ言っておくが、この協力は周りの者には伏せておいても良い…」


「…その方がいざとなったら、お前さんらも逃げやすかろう♪わざわざこちらで逃げ道まで用意してやるのだ♪協力のし甲斐も在るというものだろう。さて…ここからが本題である。お前さんらにやって貰う事は、大した事ではない…」


「…足留めじゃな♪わしの命が在ったら、酒や肴を用意して、義元の接待に赴いて貰う。それだけじゃ♪簡単で在ろうが?接待の仕方など今さら教えんでも、お前さんらの方が手馴れておろうが!せいぜい媚を売ってくれれば良いのじゃ…」


「…こちらの望みは取り敢えずそれだけ!時間と場所の指定は追って沙汰する。お前さんらはそれを待って、目的地に時間通りに辿り着き、義元を接待して時間を稼ぐ!以上である…」


「…後は今まで通りじゃ♪生活もそのまま、せいぜい商いに精を出すと良い!先程も言ったが、露ほどにも裏切った感を出さぬが良かろう!逃げ道を自分で塞ぐ事は無い。それで大金が転がり込むし、悪い話では無いと想うが、如何で在ろう?」


彼の言葉は至極、流暢で在り、その言葉には力があった。誤解無き様に記すが別に大声を張り上げた訳では無い。但し、その言葉の端々には有無を言わせぬ迫力が感じられたのである。


彼は単なる足軽組頭で在り、取って付けた様な奉行職も担っては居たが、それ程の大物では無い。けれども、その所作はそんな軽い小物の者では無かった。


信長の全権を委任されている事も無論彼の言葉の重みには加味されたで在ろうが、ある種の自信と説得力がそこには存在したのだと謂えよう。


吉右衛門にそれと無く旨味を聴かされていた者共も、いざ自分達が矢面に立つ事が知らされると、臆病風に吹かれる者もいた。だから腰が引けてしまう男達も出て来て、座はガヤガヤと相談する言葉に包まれた。


「静粛に!」


吉右衛門のその言葉に皆、少し恨めしそうな顔をしている。けれども吉右衛門も到って冷静にそれを受け流すと、藤吉郎の方を振り向き彼らの代弁をする様に聞き役に回った。


「木下殿!戦場(いくさば)に赴くとなると、皆さすがに命の危険を感じるもの…何か手立ては御座るまいか?」


吉右衛門は然も皆の心を理解して、代表して問う姿勢を示しているが、これはあらかじめ想定内の事であり、既にその対応の仕方も相談済みである。


藤吉郎もその程度の人間心理には長けていたので、その答えもあらかじめ用意していた。


「皆、何を恐れる事がある?お前さんらは、義元殿に()びを売りに行くのじゃ。相手が恐しい、命の保証がいる、という今の面持ちのままで、腰が引けているくらいが調度良い…」


「…むしろ自信満々にやり過ぎると却って勘ぐられよう。そのままの気持ちで臨み、恐ければ正直に怖いと言えば良いのだ。相手はその方が信ずるで在ろう♪それにだ、義元はご機嫌に成りこそすれ、お前さんらを殺すつもりは無かろうよ、心配無い!」


そう言って安心させた。


その上でこう付け加えたのである。


「今ここで義元に媚びを売っておけば、お主らは義元が勝っても安泰よ。悪くなかろう?さらに信長様が勝利した(あかつき)には、お主らは勲功一等じゃて!わしからも良く言ってやるから、莫大な褒美は間違い無しじゃ…」


「…わしはこう見えて、物覚えは良い方でな!皆、顔は覚えたゆえ、今後何かあったらすぐわしに言ってこい。必ず力になってやるぞ!どうじゃやりたくなってうずうずして来たで在ろう?」


そう言って皆の顔を見渡した。


安心させている様に見せながら、『顔は覚えた』とサラッと(のたま)う。


此れは、ある意味『裏切ったら判っておるな!』と軽く脅されている様にも感じるのだから、聞いている方も堪らない。


どうせ事ここに到っては、最早やる他なく、商人も名主連中も仕方なく腹を決めた。


こうして皆、藤吉郎の御膳建てに乗る事にしたのである。吉右衛門もしてやったりとほくそ笑む。


然も気遣う様に、言わぬが花と宣う所も上手の極みである。ここで裏切ったら只では済まさぬ!と言わずに、伏せておいた方がお前達が逃げ易いと言う所には老獪さすら感じる。


恨みを残さず、脅迫もせず、相手を思いやる素振りすらも見せるその姿勢は、既にこの頃から培われていた様であった。


岡崎の仕掛けは上々に済み、やがて花開く事に成る。藤吉郎の陰の暗躍は遂ぞ表に出る事は無かったが、信長の心をガッチりと掴む事には繋がった事だろう。小一郎の心を鷲掴みにする事にも繋がったのである。

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