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懸かれ柴田と米五郎左

さて信長様が去った後に、その場に取り残された重臣たちは口々に不満を洩らしていたが、長秀が低姿勢な態度を崩さず、誠意のこもった説得をすると、ようやく矛を納めた。


そして、一旦おのおの戦支度(いくさじたく)の不備が無き様、それぞれ各々の屋敷に引き上げて、(あるじ)・信長様の号礼を待つ事になった。


評状の場に残っていた柴田勝家は、信長様のやる気の無さに不満を抱えていたものの、誠心誠意、ひたすら頭を下げながら、その場を納める長秀を観ていて、さすがに気が(とが)めたのか、ゆっくりと近づくと、その肩にポンと手を置いて、(ねぎら)いの姿勢を見せた。


「すまぬ…いつもそなたの機転に助けられる。苦労を掛けるな…」


そう言うと勝家は、一呼吸置いてから、真剣な眼差しで長秀の顔を見つめた。そしておもむろに口を開くと、長秀に問う様にこう尋ねた。


「で!正直なところお主はどう見ておるのだ?」


その戸惑いを憶える程の真剣な顔つきの勝家に、長秀はどう対応するべきかしばし想い(わずら)った。しかしながら、こういう時の勝家が一歩も引かない御仁で在るのは、長い付き合いで判り切った事なので、何か納得のいく方向性を与えなければ、この場は収まるまい。


そこで長秀は思い切ってこう応えた。


「どうも殿には何やらお考えが或る様なのです!」


但し、長秀は今のところ、特に殿から何も聞かされていないし、元より殿の考えに心を馳せる程の力量も無い。元々、信長という人は秘密主義であり、自分の考えを(たと)えそれが長秀の様な信用の置ける律儀な腹心で在っても、明かす事など無かった。


それは信長が『人とは必ず裏切る者!』と、どこかで感じていたからで在ろう。母に裏切られ、弟に裏切られ、親類縁者も信用が置けぬという過酷な経験を強いられて来た事が、彼の心の中でねじ曲がり、予防線を敷いていたのかも知れなかった。


それを聞いた勝家は、「ほぅ…」と吐息を尽きながら、(あご)(ひげ)を豪快に、右手でゴシゴシとしごくと、途端にほくそ笑んだ。


「お主…何か知っておるのか?」


そう言いながら、話しの先を(うなが)す。長秀はこちらも小さく息を吐くと、覚悟を決めたという(つら)(がま)えで、語り始めた。


「殿の腹の内を読めぬのは皆様と同様ですが、偶然ある出来事に遭遇した事で、それを深く掘り下げ、さらには想像の翼を羽ばたかせて、結果、ある(ひらめ)きを得ました…」


長秀は一旦、そこで言葉を切ると一息就いた。勝家は、ウンウンと相槌を打ちながら、静かに耳を傾けていたが、俄然(がぜん)興味を()いたらしく、「続けよ!」と長秀に目で(うなが)した。


それを受けた長秀は、『いよいよ後戻りは出来ないな…』と決意を固めると、腹を(くく)って話を続けた。


「実は1ヶ月程前の事に成りますが、たまたま偶然に殿の居室から物音を立てぬように出て来る木下を目撃しました。かなり切羽詰まった青い顔をしており、とにかく急いでいるらしく足早にその場を去りました…」


「…拙者はどうにも気になりまして、気配を消したまま、奴の後を尾行()けたのです。木下は城門を通り抜けて城外に出まして、そのまま足早に上屋敷を抜け、角を曲がって下屋敷に入るなり、急に慌てて駆け出しました…」


引き続き、静かに長秀の話しに耳を傾けていた勝家は、突然、カッと目を見開き、「気取(けど)られたのか?」と(うな)るように()えた。そして顔を真っ赤にしてこちらを(にら)んでいる。


長秀はこれでも勝家に次ぐ次席家老である。けれども長年織田家に(つか)え、長秀よりもかなり年長である百戦錬磨の猛将相手では、やはり分が悪い。相手の気迫に飲まれぬように、心を強く待ち直し先を続けた。


「拙者もあっという間の出来事に、"気取られたか…?"と思いましたが、どうもそうでは無かった様です。木下はまだ織田家では新参者であり、足軽組頭に抜躍されるまでは、殿の草履(ぞうり)取りに過ぎなかった身です…」


「…城内は元より、上屋敷周辺で在ったとしても、見咎(とが)められたり、或いは問題を起こしたりすると、彼にとっては後々迷到だと思ったのでしょう。下屋敷に入りさえすれば、後は奴の庭のようなものですから、先を急いだという事だったようです!」


勝家は、いつの間にか無意識な力みから前傾みになっていた半身を起こすと、「先を続けてくれ!」と言った。


「木下はそのまま城下町の御用商人・伊藤屋の店先に行き、中に声を掛けました…」


伊藤屋と言うのは、清州の御城下で手広く商いを営んでいる商家であり、その現当主は名前を伊藤(いとう)惣十郎(そうじゅうろう)と言った。伊藤屋とは屋号であるが、彼の名字からその名を採っている。


「すると、中から1人の若者が出て来て、木下と然も親しげに話しをしております。その様子からかなり近しい間柄と推察致しました…」


「…やがて奥から主人の惣十郎が顔を出し、木下に笑顔を振り撒きながら頭を下げて挨拶しています。木下は懐中より書状を取り出し、惣十郎にそれを差し出し、渡す時にこう申しておりました…」


『殿より直々の御達しである。此れは大事な事ゆえ(ゆめ)々…(おろそ)かにするで無いぞ。必ず期日までに書状に書き記された物資を揃える事を肝に命じて欲しい。もしも、その方の手に余るものがあれば、津島(つしま)に相談せよ。津島が、角屋に繋ぎを取ってくれようとの仰せである』


「…とそう伝え終わると、"よろしく頼む"と頭を下げておりました。伊藤屋は、”受け賜わりました”と答えると、左右を見回して用心しながら、店の奥に引っ込みました。その惣十郎の背中に声を掛ける様に、最後に木下は"急用で小一郎をしばらく借りるぞ!"と言って、その店の若者を伴うと、直ぐに再び、駆け出しました…」


ここまで一気に(まく)し立てる様に話を続けて来た長秀は、一旦息を整え直すために、ひと呼吸置いた。そして再び話しを続けた。


「木下はそのまま下屋敷の自宅に戻るや、しばらく奥方と話し込んでおりましたが、小一郎と申す若者と目の前に取り急ぎ出された湯漬けをかっ込むやすぐに外に出て参りました。かなり慌てておる様子で、出掛けの際に奥方に再び話し掛けておりましたが、それが済むと途端にまた駆け出しました…」


『於ね、では行って参る…殿よりの直々の御達し、ゆえ、目的を達するまでは戻れぬ。お前は、利家殿の奥方様と力を合わせて生き抜くのじゃ。決して死んでは成らぬ。儂も死なぬ。必ずお前の元に戻って参るぞ。此れが終われば、儂もいよいよ足軽大将に昇進よ!そうなれば、大手を奮って、晴れて祝言を挙げようぞ!待っておれ♪』


「…駆け出したまま止まる事なく、どんどん進んで行くため、さすがの拙者も、疲れておりましたが、まだまだ若輩者共には負けませぬ。そのまま食い下がり、追尾して行き、ついには尾張を抜けて、三河に入る頃には日が落ちました…」


「…今更ですが、その頃に為ってようやく誰にも伝える事なく、追い駆けて来た事に気がつきましたが、時既に遅し…と言う奴ですな!実際、奴の事よりも少々自分の周辺が騒がしくなってはいまいかと、冷々ものでした…」


するとそこでやおら勝家が口を(はさ)んだ。


「ほぉ~成る程…それでひとつ謎が解けた。確かに1ヶ月程前だ♪儂はそなたの家をを訪ねた事が在った。ところがお主は不在で、御夫人も全く行方を知らないと云う…」


「…奥方は出仕したまま戻らぬゆえ、今日は何か重要な案件で泊りの御用向きがあるのだと思っていたそうだ。お陰でコチラが変に勘ぐられて、しどろもどろになり焦ったわ…」


「…その場は儂の感違いで済ませて退散して来たが、そういう事で行方不明になっていたとは思わなかった。儂はまたお主が外に(めかけ)でも作って、浮き名を流しておるのかと…(あい)や済まぬ!」


そう言って勝家は然も申し訳無さそうに謝りながらも、悦に入っている。長秀はそれを聞くと苦笑いするほか無く、自嘲気味に呟いた。


「拙者は一途な朴訥者(ぼくとつもの)でござる…」


彼にしてみれば憤懣やる方無い。


勝家はそんな彼の様子を目の当たりにして、不味いと思った様だ。珍しく素直に詫びた。そして再び先を促す。


長秀は軽く(こぶし)を握った右手を口許に持って行き、ゴホンと一回 ()き込むと話しを続けた。


「けっきょくその日ふたりは岡崎宿に泊まり、駆け続けたせいか、かなり疲労しておる様子でした。そんな訳で早速食事を運ばせると夢中になって食らいつき、その後風呂で汗を流すとすぐに寝ました…」

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