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織田上総介と云ふ人

信長様は、密かに放った物見・聞者の報告を逐次受けており、今川義元の軍勢の陣容と数、どの進路を通り、今どの辺りに居るのかはすでに掴んでいた。


そのため予想を遥かに上回る兵力に、まともに攻め掛かれば、『玉砕あるのみ』なのは当然ながら、例え籠城しても勝算が無い事は既に理解している。


唯一勝機が有るとすれば、それは相手にとって思いも寄らぬ方法での、乾坤一滴の奇襲以外には無く、その機会がやって来るのをじっと耐え忍び待っていた。


『猿めがうまく立ち廻っておれば、そろそろだが…』


彼はそう想いながら、無言のままに評定に聴き耳を立てている。


信長様の目の前では、無策のまま議論を戦わせ、激しい口調で、やれ籍城だ、やれ先手必勝の突撃だなどと、互いに何の論拠もなく相手を口撃し合う配下の将たちが居て、とても痛ましく見ていられない。


中には降伏を主張する者もおり、攻戦派や籍城派に裏切り者呼ばわりされるや推し黙ってしまう。


いづれにしても、耳に不快な議論の数々に、信長様は少し苛立っているものの、口を出すのも馬鹿らしいので、聴き流しておられる。


『まだ降伏を主張する者が、この状況下では一番利に適っておる。だが一度主張したにも拘らず、罵声を浴びた程度ですぐ意見を引くところを見るとそこに信念はない。あまつさえ降服論は自己保身であり、主家の事を全く考慮しておらず、いざという時に物の役に立たぬ…』


信長様は『降伏論』を頭の中で(あざけ)り、笑いながら一蹴している。


『そして籍城はこの場合、見た目にも、定石的にも、一番良さそうに思えるのだが、結局の所、それは一時凌ぎに過ぎぬ。確かに義元の目的が西進した後の入京であるのならば、そのまま通り過ぎてくれる可能性も微かに有るやも知れぬが、あやつの目的は、この尾張の肥沃(ひよく)な大地よ…』


『…濃尾平野では年毎に豊作が続いておるゆえ、遠江や騒河等の痩せ細った大地でホトホト困り果てている今川にしてみれば、垂涎(すいぜん)の地に見えている事であろう。西進は間違い無い所だが、本国経営に手を焼いておる義元にしてみれば、是が否でも手に入れて置きたいはず…』


『…そのためには織田が邪魔であり、必ずこの信長の息の根を止めに来るに違いない。それは様々な情報を吟味した上での間違い無き結論なのだ。しかもこの場合、一度籍城してしまえばそれ以降、次の手が打てなくなる。清州城と他城の(くさび)を切られてしまえば、それで(しま)いじゃ!』


信長様は『籠城論』にも手厳しい程の評価を与えた。彼の思考はまだまだ続く。


配下の下らぬ論議に嫌気が差し、やる気が無さそうに、欠伸(あくび)をしながらも頭の中は冴え渡っており、論議の本質を見極めて、絶えず取捨選択を繰り返しながら、その評価を振井(ふるい)に掛けていた。


『先手必勝の攻戦論はまあ良いとして、それには(あらかじ)め、策を論じたり、根廻しをしたり、相手の弱点を突いたり、他国の援軍が見込めたりと、論拠の確証が絶対条件となる…』


『…何しろ、この3つの案の中では、一番莫大な疲害が出るであろうから、皆を納得させられるだけの根拠が無くば誰ひとりとして動く者は居るまい…』


『…だが、此処にいる者共は、只のひとりもそれだけの確証を示せておらず、くだらぬ突撃玉砕論など精査する価値も無い!問題外だな…』


信長様は『やれやれ』という体裁を見せた。


するとお(そば)近くに座っていた重臣・丹波長秀が、座ったままスリスリと擦り寄って来た。信長様は(はた)とそれに気づき、一瞬嫌な顔をしたが、すぐに何事も無かったかの様に引っ込める。


『五郎左は合いも変らず小姓の時の癖が抜けぬな、擦り寄り方が気色悪い…』


五郎左とは丹波長秀の幼名である。彼は今でこそ信長の右腕であり、織田家でも柴田勝家に継ぐNO.2としてその辣腕(らつわん)(ふる)っているが、幼少の頃は、信長の小姓として常に側近くにおり、美少年としても名を馳せていた。


その為かは本人にしか判らぬが、重臣になってからは、軽く見られないために口髭を生やしている。長秀は信長様の耳元に手を添えるや、声を潜めながら呟いた。


「殿、ここは拙者にお任せになり、そろそろ引き上げられませ!どうせ(らち)が明きませぬ…」


信長様はそれを聞くや、ニッコリ笑みを浮かべ、ユックリ頷くや、長秀の肩を軽くポンポンと叩いて立ち上がった。それを目敏(めざと)く見て取った柴田勝家がまた余計な口を挟む。


「殿いったいどちらに?」


彼は信じられないというくらい(いぶか)しげな顔をしながらそう尋ねた。けれども、信長様は平然とした顔でそんな勝家を受け流す。


「気にするな…(かわや)よ!ず~っと我慢しとったでな…うぬ等も適宜(てきぎ)休憩せよ♪腹が減っては戦は出来ぬし、いい発想も決して想い浮かばぬぞ!」


そう応えると、如何(いか)にも寝むそうに欠伸(あくび)をまたぞろやりながら、困惑しながら見ている配下達を尻目に、とっとと引き上げて仕舞われた。


場内にはいつもの(ごと)く『やれやれ又か?』という(あきら)めと(さげす)みが入り交った様などよめきが起きたが、信長様は素知らぬ顔といった呈であった。


その場を収めようと声を掛ける長秀の後姿がその刹那(せつな)思い浮かんだが、『善きに計らえ』と振り返る事も無く、そのまま再び歩き出す。


自室に戻る道すがら、廊下を歩きながら信長様は、 「さすがは五郎左よ!誰よりもこの(ワシ)を良く判っておる。助かったわい♪だが、耳元に熱い吐息を吹きかけるのはやめて欲しい。気色の悪い…」と感謝と嫌悪が入り交ったような顔をされていた。


そして不意に空を見上げると、遠くを見つめる様な仕草をされて、「雨が降ると良いが…」と呟く様に(こぼ)された。


灰色掛かったどん依りとした雲は何かを予感させるが(ごと)くに、その鈍そうな身体を引き()る様に漂いながら、だんだんと流れて行く。

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