時給100000円のアルバイト
繁華街のビルとビルの間に、その広告は貼られていた。
シフト制。食事・休憩付き。時給100000円~。
冗談だと思った。
鳴海は酒の回った頭で馬鹿にするように大笑いした。
「どうしたんだよ、急に」
「いや、これな」
連れの静坂に広告を指さした。
「東京やし、そういうのもあるんちゃうの?」
関西から上京してきた静坂には、東京に関する過剰な信頼があるようだった。
「いやいや、ありえんだろ」
鳴海は手を振って否定した。
馬鹿だなぁ、と背中を小突く。「バカ言うな」と静坂が少しむっとした顔を作る。
「お前、カネ無いって言うてたやろ? 応募してみたら?」
「マジかよ」
「大マジや。今日の飲み代、返してもらわなな」
痛いところを突かれ、鳴海は顔をしかめた。
「分かったよ」
「ほら、見とくからこの番号にかけてみぃや」
「夜だぜ? つながらないだろ」
「ええからええから」
案の定、電話は通じなかった。
「ほらみたことか」
「なんやつまんな」
それきり、その話は終わったと思われた。
翌日の日中、二日酔いの中でインスタントラーメンを食べていると、鳴海の携帯に着信が入った。知らない番号だったが、咄嗟に応答してしまった。
「はい」
「もしもし、昨夜お電話をいただきましたが、弊社の求人に応募いただいたということでよろしかったでしょうか」
「……もしかして、時給十万円の──」
「はい、さようでございます」
鳴海はまさか折り返しが来ると思っておらず、慌てた。
慌てた拍子に麺が気管に入った。ゲホゲホと咽る。
「よろしければ、一度お越しいただけませんか。履歴書も不要です。普段着でお越しください。……いえ、怪しいのは重々承知しておりますが、人手が足りず、猫の手も借りたいほどでして」
「……分かりました」
その日の晩、鳴海は指定された雑居ビルの一階にいた。
旧式のパソコンが数台、机の上に置かれている。
ゴウゴウと鈍い音が聞こえる気がする。足元からか。カーペット敷きの床に目を落とす。
「下は工場になっておりまして。求人もそちらでの勤務となります」
寺戸と名乗った中年の男はにこやかな笑みを絶やさず言った。
「じゃあこの音も」
「はい、工場の機械の音ですね」
条件面で気になる点は無かった。求人広告に書いてある通りだった。
「給与は現金で払ったほうがよろしいですか? 出勤されたときに前払いでお支払いしますよ」
「……ではそれで」
ここに勤めるとはひとことも言わないうちに、なぜか働くことが決まっていた。
流されるままに働くことが決まる。
せっかくなので、の言葉に従い地下の工場に降りる。階段は少し急で、全体的に古さを感じたが、埃は無かった。毎日のように使われていることが察せられた。
「当社はいわゆるごみ処理業者なのですが、扱っているものが主に玩具でして。ここで壊してリサイクルさせていただいています」
塵芥が出るので、と言われマスクとゴーグルを渡される。
扉を開けると、そこは工場のラインそのものだった。
コンベアがあり、その上を品物が流れていく。
ブリキの人形。ソフトビニールの人形。球体関節人形。
「人形ばかりですね」
「はい。当社は人形専門の解体・リサイクル業者です」
寺戸は鳴海を連れて工場の奥に向かった。浮浪者のような見た目の男がひとり、死んだような目でモニターを見つめていた。
「いまは彼のワンオペ状態でして。交代の人員がどうしても必要ですので」
「はあ」
「詳しい話は彼に聞いてください。六車さん」
六車と呼ばれた男は鳴海を一瞥し「六車です」と言った。存外高い声だった。
「鳴海です。よろしくお願いいたします」
「ああ」
「それではよろしくおねがいいたします。ああ、確認なのですが鳴海さんは今日は一時間でよろしいですか? 六車さんの勤務もちょうど終わりますし」
「だ、大丈夫です」
「それでは」
寺戸は工場を去っていった。
機械の稼働音の中、モニターを六車と並んで見つめる。
「仕事内容って」
「ああ、ここに座って、モニターを見るだけです」
六車は愛想悪く答えた。鳴海のほうを見ようともしなかった。とっつきにくいな、そう思った。
「一応異常がないかのライン監視ということになっています」
「簡単そうですね」
六車はじろりと鳴海を見た。鳴海は怯んだ。
「そうですね、簡単と言えば簡単ですね」
「そんなに人が足りなさそうには思えないのですが」
「そうですか」
六車は興味なさそうにモニターに向き直った。
鳴海も手持ち無沙汰になってモニターに目を移した。
旋盤用のドリルが、人形の脳天を貫くところだった。プラスチックの頭が砕け散る。ガラスのような青い目玉がモニターにつながっているカメラのほうに飛んでくる。
「うわっ」
鳴海は思わず呻き声を漏らした。
趣味が悪い。
ブリキの人形はプレス機のようなもので上から圧し潰され、ソフトビニール人形には火がつけられ、球体関節人形はローラーの回転に巻き込まれて砕けてしまった。
「気味悪いだろう」
六車がぽつりと言った。
「これだからみんなやめていくんだ」
六車の言葉には実感がこもっていた。
流れてくる人形のペースはそこまで早くはなかった。一、二分に一体くらいのペースだ。
「なんかやたらリアルな人形が混じってません?」
ワイシャツにスラックス。顔の造形もリアルな男の人形。肌の質感からしてほかの人形とは異なっていた。
「…………」
六車は答えなかった。
重たい沈黙が下りた。
「終わりの時間です」
寺戸が工場に入ってきて、一時間経ったことが知れた。モニター脇の赤いボタンを押す。機械の稼働音が止まった。
「勤務についたら、緑のボタンのほうを押してください。それで機械が動き始めます」
寺戸の言葉には、頷くことしかできなかった。
こんな仕事辞めてしまおう、という踏ん切りはつかなかった。
封筒を貰う。中を確かめると万札が十枚入っていた。しかもピン札だ。
鳴海は目を疑って寺戸と六車を見た。寺戸はニコニコと、六車は無感情にしている。どことなく気味が悪かった。
今日見たことはすぐに忘れてしまおう、そう決めて帰路についた。
「それで、例のバイトはどうしたん?」
酒の席で静坂にからかわれ、鳴海は言葉に詰まった。
「例のバイト?」
「ほら、一か月くらい前に広告を見たやろ?」
静坂は記憶力が良いようだった。
結局、鳴海は怪しいアルバイトを続けていた。
辞めようと思って足を運んでも、気付くとモニターの前にいる。
段々と慣れてきてもいた。
鳴海は自分が思っていたよりも無感動な人間であることに気付かされた。
六車と一緒になるときも、一人だけの時もいた。
「慣れてきました」
そう照れ隠しのように笑うと、六車はひどく悲しい目で俺を見つめてきた。
「そうか」
何も言わず時給を得る。一時間ごとに寺戸がやってきて、万札を直接渡してきた。
受け取った以上は一時間座るのが責務に思えた。そうこうして今日まで、ずるずると、続けてしまっていた。
「へえ、じゃあ羽振りええんやな」
からかうように静坂は笑って、じゃあおごれよ、と言った。
「いいよ」
すっかり二人して酔っぱらって、気も大きくなった。
鳴海がその場の会計を担当して、駅で二人は別れた。
それから数日後。
今日も鳴海は人形を壊す工場で、モニターの前に座っていた。
流れてくる人形は千差万別だった。
アニメキャラクターの小さな塩ビ人形から、ひな人形の三人官女まで。やたらリアルな人形も、半日に一体は流れてきていた。
もはや、不気味と思う感情も消え果ててしまっていた。
「……」
「あっ、六車さん。おはようございます」
出勤してきた六車が黙って鳴海の隣に座る。
二人でぼんやりとモニターを眺める。
どれくらい時間が経っただろう。
「あれっ?」
ときたま流れてくるリアルすぎる造形の人形だ。
その人形は静坂に酷似していた。
「似てんな」
ガバッと六車が鳴海のほうに首を曲げた。
「えっ」
「似てるって、言ったか」
「えっ、はい……」
「誰にだ」
「えっ、友人に」
「……そうか」
六車の異様な反応に、鳴海は少し恐怖を覚えた。
静坂に似た人形は、ローラーの回転に巻き込まれて砕け散った。
「レキシか」
「なんですか?」
「……」
「六車さんっ?」
「……電波が届くかわからないが」
六車はぽつぽつと、紙にインクをしみこませるように言った。
「そいつに連絡を取ってみろ。電話のほうがいい。今すぐにだ」
「えっ、どうしてですか」
「ふんっ。別にお前の勝手だが」
「いえ。どうしてですか、説明してください。理由があって言っているんでしょう?」
「……」
「どうなんですか!?」
六車は発言を後悔しているようだった。
「どうしてですか?」
「……」
「六車さん!」
しばらくの沈黙。
ややあって、おもむろに六車は決心するように息をひとつ吐いた。
「俺はここで、自分の娘に似た人形が壊されるのを見たことがある。当時まだ二歳だった」
「……はい」
「俺と妻と娘で三人、頑張っていかなくちゃいけないってのに、俺はリストラされていて収入がなかった。嫁にも苦労を掛けていたんだと思う。ようやくこの仕事にありついたが、子どもが生まれて以来のまとまった収入だ。朝から晩まで働いたさ」
「……」
「娘に似た人形は、プレス機で圧し潰されていたんだ。頭のところにプレス機が降りて、頭が壊れて、身体は色が変わってな。その時は何とも思わなかったんだ。
家に帰ったら、娘が死んでいた。殺されたんだ。犯人は俺の妻だった。育児ノイローゼってやつか? クッションを顔に押し当てて窒息死させたらしい。狂ったように笑っていたよ。……言いたいこと、分かるだろう?」
六車の窪んだ目が鳴海を捉えていた。
鳴海の背中に冷たい汗が流れた。
「ここで壊される人形は、どっかで死ぬやつらとリンクしている。毎日のようにそういう人形を壊しているのを見てるんだ。知り合いに似た人形を何体も見てきたよ。馬鹿げた話かもしれないけどな。ここでラインを止めることもできず人形が壊れるのを見ている俺の手は、とっくに汚れているんだろうぜ」
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