2話
弟が戦地へ向かって、今日で三年が経つ。
突如として始まったスペースインベーダーによる侵略。その戦争に、弟のタカシが徴兵に選ばれた。
日本は当時、戦争に参加しないと表明したが、インベーダーとの生存競争の前では綺麗事を言ってられず、かと言って考え無しに兵士を戦地へ送っては、国民からの糾弾は避けられない為、日本は選抜による徴兵制度という物を採用した。
平たく言えば、千人の無能を送るより、国が誇る優秀な兵士を一人送る、というやり方。
どういう基準で選ばれるか分からないが、国が定めた基準で選出する事によって、本来なら何十万人と参加しなければならない所を、百人程度の徴兵に抑え込んだ。
日本は最前線から遠く離れ、兵士の輩出も少ない国。
他の国から見れば、相当恵まれている。
国によっては、国自体が滅んでいる所もあるのだから。
それを考えれば、私達は幸運なんだろう。
実際、そう思っていた。
弟に招集がかかるまでは。
弟が徴兵に選ばれた時、私は耳を疑った。
まさか自分の身内に、徴兵がかかるなんて思ってもみなかった。
だって弟は、成績も普通で、姉の目から見ても平凡な男の子。ただただ優しいだけが特徴の、私の大切な弟。
現実を受け入れられなかった。
離れ離れになる事を恐れ、大声で泣き叫び、絶対に離れたくないと両親に懇願した、あの日。
連れて行こうとする役人を殺してでも止めようとした私に向かって、「俺は大丈夫だから……行ってきます」と告げられた、あの日。
弟が居なくなった部屋で、虚無感に襲われながら延々と泣き続けた、あの日。
あの日から、私は立ち直ることが出来ていない。
弟が戦死すれば、家族の元へ知らせが入る。
それを聞いた私は、毎日、毎日、その知らせが来ない事を祈った。
朝、郵便が届き、軍からの知らせがないか一番に確認する。
日中、速達で知らせが来ないか震えながら祈る。
私が安心できるのは、一日の配達が終わる夜の九時。
その時間になって、弟が今日も生きていると初めて実感出来る。
死を確認する毎日。
頭がおかしくなりそうだった。
そんな生活を繰り返す内に、私は徐々に郵便物を見るのが怖くなっていく。
死の知らせが届いていたら……その恐怖に耐えられなくなり始めた。
もしかしたら今日、訃報が届くかもしれない。
中学に入学したばかりの、まだまだ小さい弟が、遠い異国で、たった一人で死んだと。
怖かった。
想像したくなかった。
死んでいると、思いたくなかった。
死んでいると、考えることすら辛かった。
愛する人を亡くすことに、私は心底怯えていた。
────────────
今日も一人、弟の部屋で、弟との思い出に浸っているとピンポンとチャイムの鳴る音がした。
普段ならチャイムが鳴った所で無視するが、今日のお客さんは相当しつこいようで、何度も何度もチャイムを鳴らし続けた。
ピンポンピンポン繰り返す音に、一抹の不安を覚えた私は、確認のために玄関へ向かった。
「誰も出てこないんですけどぉ〜」
「お前鳴らしすぎだろ……壊れるからヤメろって」
「アタシの国じゃ、これくらい鳴らすのが礼儀なんだけどねぇ〜」
「は? お前の国ヤベェな……カルチャーショックだわ」
「嘘に決まってるじゃん。ホント素直だなぁ〜」
「へへ。よせやい」
「真に受けんなよぉ〜。褒めてねぇよぉ〜」
若い男女の話し声が、玄関越しに聞こえてくる。
昔の友人だろうか。
常識の無さに怒りが込み上げ、玄関の扉を開けて怒鳴りつけようと─────
思考が止まった。
「あ…………姉さん久しぶり。何とか生きて戻ってきたよ」
目を疑った。
夢を見ているのかと錯覚した。
「姉さん? だ、大丈夫?」
優しく微笑む、素朴な少年。
背が伸びて声変わりしているが、間違いなく私の弟がそこに居た。
「ぁ…………あ…………」
息が上手く吸えない。
思考が上手く働かない。
「ぁ……ぁぁ……タ……タッ………」
掠れた声が漏れる。声にならない。
自然と涙が溢れ、止める事が出来ない。
私に出来る事なんて、たった一つしかなかった。
「タ……タ゛ッ゛君゛……タ゛ッ゛く゛……ぁぁ………ぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…………」
玄関から飛び出し、思い切り弟を抱きしめる。
強く、強く抱きしめる。
夢にまで見た、私の弟。
もう二度と会えないと、何度も諦めかけ、何度も諦められないと泣き続けた、私の弟。
会えたんだ……。
私は神に、心から感謝した。
「ね、姉さん……く、苦しいっす……ぎ、ギブ……」
「ぉ……おぉ〜……あのタカスィが苦しんでる……」
苦しむ弟を無視して、私は強く抱きしめ続けた。
体温に触れ、肌に触れ、匂いに触れ、弟が生きて戻って来たことを実感する。
どさくさに紛れ、唇にキスをした。勢い余って頬を舐めてやった。耳たぶもついでにしゃぶった。
昔と変わらない感触に、虚無感で包まれた胸が癒される。
もう離さない。
渡さない。
私の弟を。絶対に。誰にも。