8.狼侯爵はお肉がお好き
「だ、だめだ……!」
エミリアは盛大にため息を吐き、手にしていた本をパタンと閉じる。
目の前に5冊もの本が積み上げられており、そのどれもが歴史書であった。
アルバートの訪問を受けた翌日から、エミリアは日中に王立図書館に通い、ロペス侯爵家のことが載っている歴史書を読みあさっていた。今日で5日目になるが、狼男についてめぼしい情報は手に入っていない。
(それにしてもロペス侯爵家って、やっぱり歴史が長く実績もある家柄なのよね)
狼男の情報が手に入らないかわりに、ロペス侯爵家のことに関してはだいぶ詳しくなった気がする。
建国時に先陣を切って戦い、戦果をあげたことは有名だが、その後もたびたび隣国から攻め入られているのを防いだり、国内の乱の鎮圧に貢献したり、かと思えば民の方に理がある場面では民を守って王を諫めたりと、様々な面で貢献している。
壁掛け時計を見ると、エミリアが図書館に来てからだいぶ時間が経過していた。
これで最後の1冊にしようと、まだ目を通していなかった本を手に取るとパラパラとめくり始める。
(……ん?)
本の中ほどまで進んだところでエミリアの手が止まる。
そこには、功績と共に1人の青年のことが記載されていた。
(この方は……アルバート様の曾お祖父様かしら……?)
もちろん病や戦などで早く亡くなってしまったり、直系が子どもに恵まれず親戚筋から養子をとったりすることもあるので確実ではないが、生年月日が90年ほど前の日付になっているので、年代的には妥当な線だろう。
エミリアはじっくりと記載されている文章に目を通していたが、ある部分に目を引かれ、そこを何度も読み返した。
(へぇ……この方も黒髪に黒い瞳、褐色の肌の持ち主だったのね)
エミリアが目をとめたのは、容姿に関する記述だ。アルバートも黒髪に黒い瞳、褐色……まではいかないかもしれないが、貴族としては珍しく日に焼けた健康的な肌の色をしている。外で訓練をしている騎士だからだと思っていたが、思い返してみれば同じ騎士でも色が白い者もいる。環境ももちろんあるだろうが、血筋だったのかもしれない。
(あれ……? でも……)
アルバートの兄であるヒューゴは標準的な肌の色をしており、髪の色も黒ではなく栗色だ。よくよく思い返してみれば、アルバートの両親である前侯爵夫妻もアルバートのように黒髪ではなく、兄であるヒューゴと同じような肌の色をしていた気がする。
(そうだとしたら、『真の狼侯爵たる資格』っていうのは、アルバート様みたいな容姿を持って生まれることなのかもしれないわね)
自分自身も両親とは違う祖母譲りの髪の色を持って生まれたエミリアは、アルバートが前侯爵の子ではないとは思わなかった。こうして血縁者に彼と似たような容姿の者がいるのであれば、両親ではなくそちらから遺伝したのだろう。むしろ彼女が抱いたのはアルバートに対する親近感だ。自分と違って侯爵子息であるアルバートに面と向かってその出自を問う者はいないと思うが、嫌な思いをしたこともあるのかもしれない。
そこまで考えて本から顔を上げた時、目に飛び込んできた人物にエミリアは悲鳴を上げかけた。
しかし、今自分がいる場所を思い出し、すんでのところで踏みとどまる。
「ど、どうしてここにいらっしゃるのですか」
動揺のあまり、思わず非難めいた口調になってしまう。
いつの間にか目の前に座っていたアルバートはにっこり微笑むとエミリアの問いに答えた。
「伯爵家に聞いたらここにいるって聞いたから。どう? なにかわかった?」
そう言いながら、エミリアが持っていた本をさっと奪うとページに目を通し、ロペス侯爵家の記載を見ると「お、曾祖父さん」と目を細めた。その言葉にエミリアは自分の推測が合っていたことを知り、せっかくならばと少しでも情報を引き出そうとアルバートに向き直る。
「アルバート様は、曾お祖父様に似ていらっしゃるんですね」
「そうらしいな。うちに行けば肖像画もあるけど、見にくる?」
思わず頷きかけて、慌てて首を横に振った。今の段階でロペス侯爵家に行く勇気はエミリアにはない。
エミリアの返事にニヤリと笑いながら「残念」と言うと、アルバートは机の上にある本を積み上げ、それを持って立ち上がった。
「行くぞ」
「え? どこにですか?」
「もう暗くなる。送っていくから片付けて帰ろう」
そう言って背を向けて歩き出したアルバートの背を、エミリアは慌てて追った。
アルバートの手から本を取り戻そうと、声が大きくならないように気をつけながら抵抗を試みる。
「自分で読んだ物ですから、自分で戻します。それにちゃんと時間を決めて迎えに来るように家の者に頼んでありますから」
「迎えは来ないよ」
「へ? ど、どうして……?」
思わず間抜けな声を発したエミリアにニコニコと笑いかけながら、アルバートは言った。
「俺がエミリアを迎えに行って、ついでに夕食も共にしてくると伯爵家に伝えたから」
エミリアは絶句した。つまりそれはアルバートと共に過ごさないと帰宅できないということを意味している。何故了承してしまったのかと、自宅にいる両親を心の中で詰った。
そうこうしている間にあっという間に本が仕舞われていた棚の前まで来たアルバートは、テキパキと本を戻すとエミリアに向き直った。
「さあ、行こうか」
爽やかな笑みを浮かべたアルバートに恨みがましい視線を向けながら、エミリアは観念して「……はい」と頷いたのであった。
(うぅ……悔しいけど美味しい……!!)
アルバートがエミリアを連れてきたのは、ハンバーグやステーキなどの肉料理をメインに扱う貴族の間でも美味しいと評判のお店だった。エミリアも気になっていたお店だが、生来の出不精のせいで実際に足を運んだのは初めてだ。
ハンバーグを口に運び、思わず頬を緩めたエミリアを見て、アルバートが嬉しそうに微笑む。
見られていたことに気づいたエミリアは、顔を赤らめると緩んだ表情筋を慌てて引き締め、誤魔化すようにもう一口、ハンバーグを口に運んだ。
「そういえば伯爵から君について興味深い話を聞いた」
アルバートの言葉に、ピタリとエミリアが硬直する。そして、一体何を聞いたのかと恐る恐るアルバートを伺いながら口の中のものをしっかりと飲み込み、問いかけた。
「何を?」
「君が小さい時に、狼男に助けられたことを」
思わず心の中でジョセフに「なんで言ってしまうの!」と非難の言葉を浴びせてしまったが、これは口止めしていなかった自分に非があると思い直す。
エミリアが狼男に助けられたことは、家族だけではなく、伯爵家で働く者であれば知らない者はいないエピソードだ。特に隠してもいないので、父や母と親しい友人もほとんどが知っている。あの事件が起きたのがロペス侯爵家の領地内だったこともあり、父がアルバートにその話をしてしまうのは少し考えれば予測できたことだった。
「もう10年以上前の話です。お父様ったら子どもの頃の勘違いを人に話すなんてひどい……!」
内心冷や汗をかきながら、表面上は涼しい顔で答える。ただでさえ先日の事件のことで興味を持たれて今のような状態になっているのだ。これ以上いたずらにアルバートの興味を煽る情報を与えたくはない。
「勘違い……ね」
「えぇ、熊かなにかを見間違えたのでは、と周りから散々言われました」
「確かに周りはそう言うだろう。でも君は本当に見たんじゃないのか?」
じっとエミリアを観察するように見るアルバートの言葉を、エミリアは微笑みながら否定する。
「いいえ。この間も申し上げましたが、狼男なんているはずありません。子供のころって、よくただの影が恐ろしいお化けに見えたりするでしょう? あの時は私も気が動転していましたし、ちょうど前日に、乳母から『狼男と月の女神』の童話を読み聞かせてもらったばかりだったので、思い込んでしまったみたいです」
「へぇ。一番美味しそうな君を食べずにおいていくなんて、随分良心的な熊だったんだな」
「私たちが縄張りに入ってしまったから怒っただけで、きっとお腹は空いていなかったんでしょうね」
「それにしてもここのハンバーグ、とても美味しいですね!」とエミリアは無理やり話の流れをぶった切った。
明らかに不自然だったが、これ以上の嘘は思い浮かばない。アルバートからさらに追求されるかと思ったが、予想に反して彼は「そうだな。さすが評判になるだけのことはある」と言うと、一口ハンバーグを口に運んだ。
その後、しばしお互いもくもくと食事を口に運んでいた2人だったが、先ほどの話を蒸し返されないように、さらに話題をそらそうとエミリアの口をついて出たのは前々から思っていた疑問だった。
「……狼侯爵と呼ばれるからには、やはり一番好きなのはお肉ですか」
それを聞いたアルバートは、目を見開き、ポカンと口と口を開けてエミリアを見た。
今まで見たことのないアルバートの表情にエミリアはたじろぐ。
やがてアルバートは「くっ」と口から声にならない息を漏らすと、耐えきれないと言った様子で笑い始めた。
「くっ……くくっ……あははははは!」
突然大笑いし始めたアルバートに慌てたのはエミリアの方だ。「なにがおかしいんですか!」と責めると、アルバートは涙目になりながら、エミリアに謝罪した。
「い、いや、失礼……! たしかに肉は好きだがっ……! あははははは!」
謝ってはいるものの、その間も笑い続けるアルバート。確かに安直すぎる質問だという自覚はあったが、そこまで笑われるとは思っていなかった。
また、会話をする度にこちらのペースを乱されてばかりだったので、逆にアルバートの予想を外してペースを乱したいと思っていたのは事実だが、これはエミリアの理想とはだいぶ違う。
(そんなに笑わなくてもいいじゃない……!)
憮然とした表情で、行き場のない感情をやりすごすために、ハンバーグを切り分けて口に運ぶエミリア。それをみてさらに笑ってしまったアルバートが普段通りの様子を取り戻したのは、エミリアがまだ半分ほど残っていたハンバーグを全て胃袋に納めたあとだった。
「いやほんとごめん。笑いすぎた」
「もうしりません!」
すっかりヘソを曲げたエミリアに謝り続ける侯爵の姿に、周囲の客は垂れた耳と尻尾の幻覚を見たとか見なかったとか。