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6.行き遅れ令嬢の葛藤

 

「どういうことですか……」


 呆然とするエミリアに、彼女の父親であるスタイン伯爵━━━━ジョセフ・スタインは、彼自身も受け止めきれていない事実を再度告げた。


「アルバート・ロペス侯爵から、エミリアとの結婚を希望する旨の書状が届いている」


 朝食の席で「話があるから、一度全員書斎に来なさい」と父のジョセフに伝えられたエミリアは、兄のラルクと母のフローリアと共に父の書斎を訪れていた。いつもは常時穏やかに微笑んでいる父が今日に限って難しい顔をしていたので、エミリアは自分が巻き込まれた事件関連で何かがあったのかと思っていたが、告げられたのは予想だにしない事実だった。エミリアのみならず、兄も母も呆然としている。


「昨日の夜会でお前を気に入ったと。できれば、近いうちに挨拶に訪れたい旨も書かれているが……エミリア、なにか心当たりはないかい?」

「た、たしかに昨日はロペス侯爵とお話しし、ダンスも1曲だけですが踊らせて頂きました。でも、お話ししたのは昨日が初めてですし、結婚の申し込みをいただくほどお気に召すようなことは何もなかったと思います」


 気に入られるどころか、エミリアはアルバートに嘘をついた。ボロは出さなかったつもりだが、アルバートと人見知りのエミリアではそもそも対人能力に雲泥の差がある。アルバートは嘘を信じたのではなく、嘘をついていることを分かった上で見逃してくれたのでは、とエミリアは考えていた。


(そうなると今回の件は、狼男について何か知っているかもしれない私を手元に置いておくためだと考えた方が自然だわ)


 昨日のやりとりで諦めたわけではなく、あの場ではエミリアが口を割らないと踏んで別のアプローチ法に変えただけだったのかもしれない。


「先方も、お前が戸惑うであろうことは想定済みのようだ。すぐに婚約というわけではなく、まずは何度か会ってお前と親交を深めたいと言ってきている」

「……え?」

「最終的にはお前の意思を尊重してくれるそうだ」


 それを聞いて、エミリアは混乱する。エミリアを手元に置いておくことが目的なのであれば、結婚を強制してしまえばいい。ロペス侯爵家にはそれだけの力がある。


(どういうつもり……? もし私が断ったらどうなるの?)


 ぐるぐると思考の海に沈み始めたエミリアを引き戻したのは、朗らかな母の声だった。


「エミリア、良かったじゃない」

「お、お母様……」

「結婚するかしないかはひとまず置いておいて、とりあえずお会いしてみたら?昨日だけではまだまだわからないこともあるでしょう?」


 そう言って、安心させるように優しく微笑む。事情を知らないフローリアは、娘が降って湧いた良縁に戸惑っていると思っているのだろう。


「会ってみてダメだったら断ればいいじゃない。先方もそれでいいとおっしゃってくださっているんでしょう?」

「あぁ、そうだよ」

「ね、エミリア。こんな風に貴方の意志を尊重して下さるんですもの。見た目だけじゃなく心も素敵な方に違いないわ。しかもロペス侯爵といえば『狼侯爵』じゃない!オオカミ好きなあなたにピッタリだわ!」


 昔から夢見がちなところがあったフローリアだが、どうやらスイッチが入ってしまったらしい。エミリアの両手をしっかりと握って目を輝かせるフローリアの勢いに圧倒されながら「そうかもしれませんね」と頷いた。そんな妻の様子に苦笑しながらジョセフもエミリアのそばまで来ると、目線を合わせた。


「たしかにお前がロペス侯爵家に嫁ぎ、縁が結べるのであればスタイン伯爵家にとってはこれ以上ない良縁だ。ただ、幸い我が家は政略結婚という手段をとらなくてもやっていける。お前が嫌だというのなら断ろう」

「お父様……」

「一生を左右することだからね。今すぐに結論を出せとは言わないからゆっくり考えなさい」


 そう言って、ぽんと娘の頭を撫でる。

 エミリアは、21歳にもなって頭を撫でられたことに気恥ずかしさを感じたが、同時に父の優しさを感じ、自分の恵まれた環境に感謝しながら「はい」と頷いた。






 その日の午後、エミリアの自室に訪れたのは親友のスカーレットだった。

 室内には侍女のヘレナも控え、客人をもてなしている。


 結局、エミリア1人では抱えきれず、午前中のうちに「近いうちに会いたい」とスカーレットに手紙を書いた。エミリアとしては2〜3日後に会えれば御の字だと思っていたのが、返ってきたのは「じゃあ今日会いましょう!」という予想をはるかに超えた返答だったのだ。

 スカーレットとしても、昨日の夜会の一件もあり、エミリアに色々と聞きたくてうずうずしていたのだろう。エミリアとしても早いうちに越したことはなかったので、了承の返事をして今に至る。


「なんかとんでもないことになってるわね」


 エミリアの話を聞き終えたスカーレットは、胸の中の空気をすべて吐き出すかのように大きく息を吐いた。


「昨日の今日でまさか結婚の申し込みをしてくるなんてね。ロペス侯爵が話しかけてきた瞬間から『これは何かあるな』とは思ったけど……」

「そう?」

「そうよ。だって、相手はあのアルバート・ロペスよ? 彼、令嬢に声を掛けられることはあっても、自分から掛けることは滅多にないじゃない」

「それは……そうだけど」


 たしかに結婚相手として有望だと思われているアルバートは、夜会に出るたびに多くの令嬢から声をかけられていた。ただ、相手に余計な希望を持たせないためか、彼の方から話しかけている姿はあまり見たことがない。数ある縁談も、なぜかすべて断ってしまっていると聞いている。


「でも、彼が私に声をかけてきたのは、目的があってのことだわ」

「あなたが狼男を見たって思ってるから?」

「そ、そうよ」


 さすがに狼男に会ったことを言うわけにはいかず、スカーレットには「助けてくれたのは本当に旅人だったのに、何故か嘘だと疑われている」と説明してある。

 スカーレットはしばしの間思案した後、「でも私にはそれだけとは思えないけどなぁ」と呟いた。


「どういうこと?」

「彼があなたを見る目、すごく優しかったもの。自分に対して嘘ついてると思ってる人間を見る目じゃなかったわ」

「だって……それは周りに人もいるし、あからさまに表に出すわけにいかないからでしょ」

「そうかしら?」

「そうよ!」


 エミリアは力強く断定した。そもそもこちらが一方的に見ていただけで、アルバートはあの事件のことを知るまでエミリアの存在自体知らなかったに違いない。自分はアルバートにとって「狼男の情報を知っているかもしれない女」であって、それ以上でもそれ以下でもないのだ。

 エミリアの言葉に不満そうな表情を浮かべたスカーレットだったが、これ以上言っても仕方がないと思ったのか話題を変え、先ほどから思っていたことを口にした。


「でも、向こうが自分のことを好きで結婚を申し込んできたんじゃなくて、何か怪しい事情がありそうだと思うなら断っちゃえばいいじゃないの。何を悩んでるのよ」

「う……」


 痛いところを突かれ、エミリアは言葉に詰まる。彼女だって分かっているのだ。相手の「エミリアの意思を尊重する」と言う言葉が本当であれば、断ってしまえばあっけなく元の日常に戻れることに。

 相手がアルバート・ロペス以外の誰かであったなら、エミリアは迷うことなくそうしていただろう。


「ほら、私ってもう『行き遅れ』じゃない」

「友人に対してその言葉は使いたくないけど……。まぁ、そうね」

「いつまでもこうしてこの家にいるわけにはいかないとは思っているのよ。政略結婚なんて貴族として生まれたからには当たり前だってのもわかってる。」

「……えぇ」

「……いつかお嫁に行かなくちゃいけないなら、ロペス侯爵みたいな人がいいと思っていたわ。狼男の件がなければ、一も二もなく喜んだと思う。スタイン伯爵家にとっても、またとない良縁だもの」


 そこまで言って、エミリアは目頭が熱くなるのを感じた。

 次いで、堰を切ったように言葉が溢れだす。


「でも、今は私が彼にとって有益な情報を持っていると思われているから妻にと望まれているけど、そうではなくなってしまったら? もしくは、彼が私が思っていたような人じゃなくて、私から情報を得るためにひどい仕打ちをしたら? 」

「……エミリア」

「彼を好きになってしまったからこそ、ひどく辛くなるわ。それが、とても怖いの」


 ぽたりと、こぼれ落ちた雫がスカートに染みを作った。


「怖いのに、彼の隣にいたいと思ってしまう自分もいて……もう、どうしたらいいかわからないの」


 俯いて涙をこぼすエミリアに、ヘレナがハンカチを差し、スカーレットもそっと肩に手を添える。

 しばらくはすすり泣く声だけが部屋の中に響いていたが、やがてそれも止み、エミリアは「ごめんなさい」と、ハンカチで目元を拭い、泣いてしまったことを小さく謝った。

 目元が赤くなってしまったエミリアの顔を、スカーレットが覗き込む。


「エミリア、わからないなら確かめればいいのよ」

「……確かめる?」

「幸い、向こうだって『今すぐに結婚!』って言ってるわけじゃないんでしょ。あなたのお母さんの言う通り会ってみて、見極めればいいわ。彼があなたにとって敵になるのか、味方になるのか」


 エミリアの目が大きく見開かれる。スカーレットはにっこりと笑い、言葉を重ねた。


「もちろん、あなただけじゃ心配だから、私の目も貸すわ。私だけじゃなくヘレナも。そうでしょ?」

「もちろんです、お嬢様」

「何かあったら言いなさい。一緒に考えてあげるから。私たちだけじゃなく、あなたのお兄様も、お父様もお母様もそう思ってるわよ。そりゃあ、狼男の件を話したらご家族の方は心配して反対されるだろうから相談できないかもしれないけど、ロペス侯爵があなたを大事にしてくれてるかどうかは、言わなくったってきちんと見てくれるはずよ。あなたは1人じゃないの」


「現に今日だってこうして私がここにいるじゃない」と、スカーレットはおどけて片目をつぶって見せる。それを見て、思わずエミリアの顔に笑みが浮かんだ。


(そうね……。さっきお父様がおっしゃった通り、今すぐ決めなくてもいいのよ。そして悩んだら相談すればいい。真実を全て話せなくても、私にはみんながいるんだわ。)


 先ほどまで感じていた暗くて重苦しい感情は影を潜め、目の前が開けたように明るくなる。


「スカーレット」

「何?」

「あなたっていい女ね」


 エミリアの言葉にスカーレットは「今さら気づいたの?」と、淑女らしからぬ顔でニヤリと笑い、先ほどと一転して部屋の中には笑い声が満ちた。






 帰宅するスカーレットを見送ると、エミリアはその足で父の書斎へ向かった。

 ドアをノックするとすぐに入室を許可する父の声が返ってくる。


「失礼します」と言ってドアを開けると、事務机に向かい難しい顔をしていたジョセフが顔を上げた。


「どうするか決まったかい?」

「はい」


 アルバート・ロペスがあの狼男にとって、そしてエミリアにとって敵か味方かは現状ではわからない。

 それを見極めるために、エミリアは自身が出した答えを告げた。


「ロペス侯爵閣下と、お会いしてみようと思います」

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