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5.困惑だらけの夜会

「ええ、もちろんです。ロペス侯爵閣下」


 突然の出来事に呆然としていたエミリアだったが、了承するスカーレットの声ではっと我に返った。慌てて同意の意を示すためにコクリと頷く。


「おや、私のことをご存知だなんて光栄ですね」

「あなたのことを知らない女性はこの会場にはいないと思いますよ。私はリッチ伯爵家のブライアン・リッチの妻、スカーレットです」

「あぁ、あなたがあのブライアン卿の奥方でしたか。今日は彼は?」

「生憎、主人はこう言った場があまり好きではないのです。今日も自室に閉じこもって、本を読みふけっております」

「将来有望な研究者と呼ばれるブライアン卿らしいですね。どうりで夜会の場でお会いしないわけだ」


 スカーレットと笑い合ったアルバートの視線が、今度はエミリアに注がれる。

 エミリアは一歩前に出て、緊張しながらカーテシーをした。


「スタイン伯爵家の長女、エミリアと申します」

「スタイン伯爵には何度かお会いしたことがあります。とても穏やかで、民に対して誠実な方だと感じましたが、こんな美しいお嬢様がいらっしゃるとは知りませんでしたね」


 社交辞令だとはわかっていたが、男性に褒められ慣れていないエミリアは自分の顔が赤くなるのを自覚した。

 しかし、続くスカーレットの発言で今度は青ざめることになる。


「エミリアは私の自慢の友人なのですが、どうにも奥手で未だ良いご縁に恵まれなくて……」

「ス、スカーレット!!」

「閣下には多くのご友人がいらっしゃると聞き及んでおります。もしよいご縁がありましたらご紹介いただけませんか? もちろん閣下ご自身でも大歓迎ですけど」


 その発言に慌てるエミリアを余所に、スカーレットは涼しい顔だ。

 気を悪くしたのでは、と恐る恐るアルバートの顔色を伺ったエミリアだったが、そこに浮かんでいたのはこの状況を面白がるような笑みだった。


「そうですね。私の友人を紹介するのいいですが、まずは…」


 先の言葉が予想できず、エミリアは息を飲む。


「そろそろ曲も変わりますし……。レディ・エミリア、どうかこの私と一曲踊ってはいただけませんか?」


 その瞬間、エミリアは気を失ってしまうのではないか、いや、いっそ失ってしまいたいと心の底から思ったのであった。






 周りの女性たちの刺々しい視線が痛い。「なんであなたが」と、彼女たちの瞳が雄弁に語っていた。

 エミリアにだって、どうして急にアルバートが自分たちに声をかけてきたのか、ダンスを踊ろうなどと言い出したのか、全く見当がつかない。


 アルバートにエスコートされながら、ダンスのために開けられた広間の中央の空間に近づく。そこにはすでに数組の男女が華麗なステップを踏んでいた。エミリアの心臓がバクバクと音を立てる。


(ダンスなんて……人前で踊るのはどのくらいぶりかしら)


 伯爵令嬢らしく常日頃からダンスのレッスンを受けてはいるエミリアだが、人前で踊るのは久しぶりだ。しかも相手がアルバートだなんて、多くの人の注目を浴びるに違いない。万が一失敗してアルバートに恥をかかせてしまったらと最悪の未来を想像して、背中を嫌な汗が伝う。


「行こう」


 曲が終わりを迎え、新たな曲が始まると同時に、スムーズな動作でアルバートはエミリアをダンススペースへと導いた。


(すごく……上手だわ)


 踊り始めてすぐ、エミリアはアルバートのリードの巧みさに驚いた。エミリアの指南役と比べても遜色ない……いや、むしろアルバートの方が上手なのではないだろうか。騎士の剣技とダンスでは大いに違うような気がするが、どうやらアルバートは運動全般が得意らしい。上手なリードに加え、曲がゆったりとしたワルツであったことも幸いした。


 このままなら失敗せずに最後まで行けそうだと思ったその時━━━━


「もっと力を抜いて。大丈夫、間違えてもなんとかするから」


 耳元で囁かれてエミリアの心臓が跳ねた。途端に足を縺れさせ、体制を崩しかけたエミリアの体を軽々と持ち上げると、アルバートはそのままくるりと回転し、まるでエミリアの失敗などなかったかのようにダンスを続行する。


「ほら、なんとかなった」


 その言葉に揶揄われたのだと悟り、思わず非難がましい視線を向けてしまうとアルバートはくつくつと笑った。エミリアは恥ずかしさや照れ臭さのあまり口を開きかけたものの、結局何も言えず、とにかくこれ以上失敗を重ねないために踊りに集中することにした。


 その後は、アルバートは先ほどのようないたずらをすることなく、巧みにエミリアをリードし続けた。

 踊り続けるうちにこの状況に慣れてきたエミリアだったが、余裕が出てくると今度はアルバートと触れ合っている手や腕が気になって仕方がなくなってきた。アルバートの手はエミリアのものよりも大きく、騎士らしくゴツゴツとしている。手を添えている腕も、しっかりと鍛え抜かれており、自分のものとは明らかに違う固い感触が布越しに伝わってくる。


(ダ、ダンスに集中しなきゃ……)


 意識しないようにしようとすればするほど気になってしまい、頭が沸騰しそうになったエミリアは、曲が終わると同時に心の中で胸をなでおろした。


「少し風にあたろうか」


 そんなエミリアの胸中を知ってか知らずか、そう言ってアルバートは今度はエミリアをテラスの方へと誘う。

 ついていって良いものか戸惑いながらスカーレットがいる場所に視線をやると、彼女は母親と同じぐらいの年頃の貴婦人と談笑をしていた。


「残念ながら君の親友は取り込み中みたいだ。私としてはまだ少し君と話をしたいと思っている。ここでも良いけど、それでは君が落ち着かないだろう?決して嫌がるようなことはしないと誓うから、少し付き合ってくれないか?」


 スカーレットという名の逃げ道を失い、エミリアは困惑しながらも頷いた。確かに、ここで他の令嬢の視線を浴びながら彼と話し続ける勇気はエミリアにはない。アルバートが自分になにかするとも思えないので、彼に従うのが最良の道だと思えた。


 テラスに出ると、夜風が頬を撫でた。それほど激しい曲ではなかったが、久しぶりの運動に体は火照っていたらしく、とても気持ちよく感じる。


「どうやら、君をとても混乱させてしまっているようだね」


 そう言ったアルバートの言葉に、今更ながらダンスを踊る前と後で彼の口調が変わっていることに気付いた。スカーレットと話していた時は確かに貴族の紳士然とした態度だったのに、この短い間に敬語ではなくなっていることに少し戸惑う。

 アルバートはエミリアの戸惑いを目敏く見抜くと、眉尻を下げて悲しげな表情を浮かべた。


「この話し方は嫌?」

「い、いえ。ただ、色々と急だったので少し驚いてしまって」

「そう。君さえよければ、この話し方を続けさせてほしい。かしこまった話し方は疲れるんだ」


 そう言って今度は先ほどとは打って変わって茶目っ気たっぷりに微笑んでみせる。

 つられて笑ってしまい、エミリアはふと「狼侯爵」の他に彼が呼ばれている「人たらし」という異名を思い出し、納得した。

 明るく陽気な性格のアルバートは多くの人好かれていて、その人柄は言葉を交わしたことのないエミリアにも伝わっているほどだ。アルバートと話したことがある知人は、「初対面で立場も向こうが上なので最初は緊張していたはずなのに、気づけば冗談を交し合っていた」と不思議そうに口にしていた。人見知りのエミリアとしては、彼の社交性は羨ましいばかりだ。


 しばしの間笑い合っていたアルバートとエミリアだったが、ふと、アルバートが真面目な表情を浮かべたことにより、和やかな空気が変わった。


「ところで、先日の事件はとんだ災難だったね」


 唐突な話題転換に一瞬虚をつかれたものの、すぐに誘拐されかけたことを言われているのだと思い至る。あの時駆けつけたのは自警団だったが、今王国で最も警戒されている薬の使用者が引き起こした事件ということで、騎士団の方にも報告は上がっていることだろう。騎士団である程度の地位にいるアルバートであれば、事件の当事者がエミリアであることを知っていてもおかしくない。


「えぇ。でも、幸い怪我もしませんでしたから」

「それは何よりだ。年頃のご令嬢に何かあってはいけないからね」

「助けてくださった旅人の方には感謝しなくてはなりませんね」


 そういって微笑みを浮かべたエミリアだったが、相対するアルバートが笑いもせずにじっと自分を見つめていることに気付き、笑みを引っ込めた。


「旅人……ね。どうやら、君を襲った男たちは『狼男に襲われた』と言っているみたいだけど」


 探るような視線にヒヤリ、と背筋が冷たくなる。同時に、なぜアルバートが自分に声をかけてきたのかエミリアは悟った。


(狼男のことを、探りに来たんだわ)


 狼男なんて荒唐無稽だと自警団の者たちは襲撃者の男たちの証言よりもエミリアの証言を信じてくれたが、アルバートは違ったようだ。エミリアが嘘を言っている可能性に思い至ったからこそ、こうして接触してきたのだろう。


(どうしよう……)


 彼があの狼男にとって味方なのか敵なのかわからない以上、迂闊なことは言えない。思考をフル回転させ、エミリアは必死に慣れない嘘を紡ぎ出した。


「……そうみたいですね。薬の所為で幻覚でも見たのでしょう」

「4人揃って同じ幻覚を?」

「薬のことはよくわかりませんが……1人が『狼男がいる』と言い出したので他の者もそう思い込んだのではありませんか?」

「……なるほど。そういうこともあるかもしれないな」

「えぇ。私を助けてくださったのは間違いなく人間でした。私は薬など口にしていませんもの。見間違えるはずがありません」


 表面上は平静を装いながら言い切って、アルバートの様子を伺う。これ以上追求されたらどうしようかと身構えたが、しばしの沈黙の後にアルバートが口にしたのはエミリアを問い詰める言葉ではなかった。


「私の異名は知ってるかい?」

「『狼侯爵』……ですよね」

「あぁ。君も聞いたことがあるかもしれないがロペス家の祖先は狼男だと言われている。私としては、今回の件はすごく気になってね。疑うようなことを言ってすまなかった」


 そう言ってアルバートはエミリアに対して頭を下げた。慌てたのはエミリアの方だ。嘘をついた罪悪感から「謝らないでください」と慌ててやめるように促すと、顔をあげたアルバートはほっとしたように微笑んだ。


「あまり長くいると冷えてしまうな。もう戻ろうか」

「はい」


 たしかにダンスの熱は冷め、身体も冷え始めている。

 エミリアはアルバートの言葉に素直に頷くと、連れ立ってテラスを後にした。


 スカーレットの元に戻ると、アルバートはスカーレットには友人を借りた礼を、エミリアにはダンスに付き合ってもらった礼を告げ、いつものように友人たちの輪に入っていった。

 スカーレットからは質問攻めを受けたが、「例の事件のことで心配をしてもらった」とだけ説明した。納得はしていないようだったが、エミリアがよほど疲れているように見えたのだろう。心優しい友人はそれ以上の追求は控え、エミリアにもう帰るように勧めてくれた。






(それほど長く一緒にいたわけじゃないのに、ものすごい疲労感だわ)


 来た時よりも随分と重く感じるようになった身体を背もたれに預けながら、エミリアは帰りの馬車の窓から夜空を見上げた。


(悪い人じゃないと思うんだけど……)


 一緒にいた時のアルバートの様子を思い返す。長い間見つめ続けた結果、ほのかに彼に対して憧れを抱いていた身としては、彼が狼男に害をなす存在だとは思いたくなかった。正直に言えばよかっただろうか、という考えが一瞬頭をよぎり、慌てて首を振ってその考えを打ち消す。


(ううん。彼が何を考えているかなんて私には分からないもの。これでよかったのよ)


 いくら思いを寄せる相手とは言え、恩人である狼男に害をなす可能性がある以上、その存在を伝えるわけにはいかない。そう改めて自分に言い聞かせ、これ以上、今日の出来事について考えるのをやめた。


(気持ちを切り替えなきゃ。きっともう二度と話すこともないんだから)


 しかし、そんなエミリアの予想に反し、翌朝彼女にもたらされたのは「アルバート・ロペス侯爵からエミリアに結婚の申し込みがあった」という知らせだった。

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