30.今までとこれから
「ここに座ろうか」
話し合いの後、エミリアとアルバートはロペス家の庭園を共に歩いていた。この後、エミリアは自宅に家族と共に戻り、アルバートは報告のために騎士団に出向かなければならない。その前に2人で話す時間を作った方がいいだろうと両家の家族が気を使ったのだ。
アルバートが指したのは、ロペス家の庭に備え付けられていたベンチだった。ちょうど大人2人が座ってちょうどいいサイズのそれに、アルバートのエスコートに従って腰掛ける。
「大丈夫? 疲れてない?」
「大丈夫です。アルバート様こそ、お疲れではありませんか?」
「俺は平気。普段から鍛えられてるからね」
自分の隣に腰かけたアルバートの顔をじっと見るも、言葉の通りその顔には疲れの色は見受けられない。黒い瞳は上機嫌な色を湛えてエミリアを見つめ返している。
「本当に良かった。君が無事で。そして……」
「そして?」
「俺を受け入れてくれて」
アルバートの言葉にエミリアは小さく笑った。
「最初から、私ならあの姿のアルバート様も受け入れられると思っていたから求婚したのではないのですか?」
「可能性は高いと思っていた。でも、わからないだろう?」
おどけたようにそう口にしたアルバートに、エミリアはほぼ答えを確信している問いをぶつけた。
「やはり、あの晩に私を助けてくれたのはアルバート様だったんですね」
「ああ。ちなみに、子どもの頃に君を助けたのもね」
返ってくると思っていなかった答えまで返されて、エミリアは驚いて大きく目を見開く。アルバートはその反応を心底おかしそうに笑った。
「俺みたいのがそう何匹もいるわけないだろ」
「それは……そうですけど。あの、いつからあの時の子どもが私だとお気づきになったんですか?」
可能性があるとしたら父がエミリアの幼少期の話をしたときだろうか。アルバートにも幼い女の子を助けた記憶が残っていたならば、父の話を聞いて自分の求婚相手がその時の当事者だと気づくのは自然な流れだ。
しかし、アルバートは首を振ってエミリアの予想を否定した。
「ずっと前から知ってたよ」
「え!?」
「狼男の姿を見られたのは、ロペス侯爵家にとって一大事だったからね。すぐに父が調べたんだ。だから名前は覚えていたし、デビュタントの時に見てすぐにあの時の子だって気づいた。君の髪色は特徴的だしね」
そう言ってアルバートはエミリアの月白の髪を撫でた。ゆっくりと手触りを楽しむように触れられて、エミリアの顔が赤くなる。同時に、いつも熱心に手入れをしてくれるヘレナに心から感謝した。
「今でこそ狼男の姿になっても君を傷つけることはないと断言できるけど、あの当時は違った。変身すると姿かたちに引っ張られて性格も直情的になるんだ。俺は自分の力や感情をコントロールできなくて、家族を傷つけないように満月の夜は毎回あの森に行っていた」
「そこに私が逃げ込んだんですね」
アルバートは「そうだ」と頷くと、エミリアの髪から手を放した。黒い瞳が迷うように揺れ、ややあって意を決したように口を開く。
「あの時、結果的には俺は君を助けたけれど、正直に言うとそうしようと思って君たちの前に姿を現したわけじゃなかったんだ」
「え……」
「むしろ逆だった。狼には逃げるものを追う習性がある。俺は君を狩ろうとしたんだ」
ヒュッと、エミリアの喉が音を立てた。アルバートはエミリアの反応を黒い瞳でじっと見つめている。
「怖くなった? やっぱり俺と婚約するのはやめる?」
「……いえ」
その瞳の奥に怯えの色を見出したエミリアは、大きく息を吸って自らを落ち着かせると、アルバートと見つめ合ったまま静かに、しかししっかりと否定の言葉を口にした。
「昔の話……ですよね? 結果的にあなたは私を傷つけなかったし、今のあなたを怖いとは思いません」
自分の身体が人ではないものに変化することを受け入れるのにどのぐらいの苦悩を伴ったのか、エミリアには想像もつかない。その当時エミリアを害そうとしたのは、彼の意志ではなく当時の彼には抑えきれなかった本能によるもので、今の彼は変身しても理性を保つことが出来ている。それはとてもすごいことだ。もし自分が同じ立場におかれたらと思うと、今のアルバートのようになれるとは微塵も思えない。
「あの時、どうして君を傷つけずにいられたのか、実は自分でもわからないんだ。それまでの俺はあの姿になると自分の本能を抑えきれずにいて、心でやめなければと思っていても無理だった。でも、あの時、あの瞬間に君と目が合って、本当に突然、自分を取り戻すことが出来たんだ」
「そうだったんですね……」
「もっとも、まだ自分の身体の扱い方がわかっていなくて、君を襲っている奴らを追い払おうとして、やりすぎて君を怯えさせてしまったけどね」
その時のことを思い出したのか、アルバートは苦笑した。
「君のことはあれからずっと気になっていた。話しかけようと思ったこともあったけど、僕の正体を知らなくてもロペス家にまつわる伝説は有名だから……。話しかけることであの時のことを思い出させてしまうんじゃないかと思ったら出来なかった」
「そんなにずっと気にしてくださっていたんですね」
「あぁ。だから、たまたま君が友人と話しているときに狼が好きだと口にしているのを聞いたときはホッとしたんだ」
話していた相手はスカーレットだろうか。さすがにエミリアも自分の狼好きが社交界では受け入れがたい嗜好だということは自覚していたので、打ち明けていた相手はそう多くはない。大きな声で話していたつもりはないが、人よりも耳が良いアルバートには聞こえてしまっていたのだろう。
「ん……?」
そこまで考えてエミリアは思い至った。聞こえていたのはそれだけではないのではないか、と。
「あ、あの……!!」
「何?」
「ほ、他に何か聞こえちゃってたりとか……」
「あぁ、君が俺のことを気にしていたこと?」
エミリアは真っ赤になってパクパクと口を開いては閉じることを繰り返した。アルバートはそんなエミリアの反応がおかしかったのか、声を立てて笑った。
「ごめん。盗み聞きするつもりはなかったんだけど、聞こえてしまったんだ。でもほっとしたよ。トラウマになるどころか、逆に狼好きになってるなんて思ってもみなかったからさ」
エミリアの責めるような視線などものともせず、アルバートは笑いながらそう口にした。しばらくじっと口を引き結んだままアルバートを見つめていたエミリアだったが、ややあって小さく諦めるようにため息をついた。
スカーレットには、狼好きとして狼侯爵であるアルバートに興味を持っていることは伝えていたけれど、好意を抱いていたところまでは伝えていない。勘のいい彼女のことだから、もしかしたら気づいていたかもしれないけれど、アルバートの耳に届く範囲で直接的な言葉を口にしていないなら許容範囲内だろう。
「そして、そんな君ならロペス家の秘密を知ったとしても、もしかしたら受け入れてくれるんじゃないかと思ったんだ。俺の結婚は、ロペス家にとっては結構大きな問題だったから……。でもまずは盗み聞きだけじゃなく、直接話して君の人柄を知ろうと思っていたところに……」
「私が襲われる事件が起きたんですね」
「そうだ。あの時も、実はとても迷ったんだ。確実に君や君を襲っていた奴らにあの姿を見られることになるし、夜とはいえ他の誰かに目撃されないとも限らない。あの姿じゃ近くの人間を呼ぶこともできないから、間に合わないのを覚悟のうえで侯爵家に戻って誰かを向かわせるしかないかと思ったんだが……君が危害を加えられそうになっているのを見て、気がついたら飛び出していた」
そして、そのおかげでエミリアは助かったのだ。アルバートの言葉を聞きながら、その時の記憶を振り返ってエミリアは、ふと重要なことに思い至った。
「そうだ、腕……。怪我してたじゃないですか! 大丈夫だったんですか?」
「ああ。狼男の体質なのか、俺は人よりも怪我が治るのが早くてね。夜会で最初に君に話しかけた時にはもう完全に治っていたよ」
「そうだったんですね、良かった……」
エミリアは心から安堵してほっと息を吐いた。同時に、アルバートの動きに怪我をしている様子が感じられなかったことにも納得できた。
アルバートは真剣な面持ちでエミリアの手を取るとぎゅっとその手を握り込む。
「あの姿で再び君の前に出て……今度こそ怯えさせてしまったと思ったのに、君は俺に手当てをしてくれただろう? 俺がどんなに嬉しかったか、君には想像もつかないだろうな。怪我の痛みも忘れて、家に帰ってすぐに両親に君に婚約を申し込む許可をもらおうとして「喜ばしい話だけどまずは怪我の治療をしろ」と怒られたよ」
両親に叱られてうなだれる狼男姿のアルバートを想像して、エミリアは笑った。そして、握られていた手を片方だけ引き抜くと、アルバートの手に添えて今度はエミリアの方から握り返す。手の平に伝わってくる、自分よりも高い体温を感じながら、小さい頃からずっと抱いていた思いを言葉に乗せた。
「アルバート様、私、ずっとあの時のお礼が言いたかったんです。あなたがあの時助けてくれなかったら、どうなっていたか……。本当にありがとうございました」
「エミリア……」
「あの時だけじゃなくて、今回のことも含めると3回も貴方は私の命を救ってくれました。私に出来ることなんてあまりないけど、それでもずっと貴方を怖がらずに好きでいることはできると思うんです」
過去のロペス家のことは、エミリアは知らない。ただ、おそらくアルバートのように狼男に変身する体質を持ったもの全てが幸せな結婚生活を送ることができたわけではないのだと思う。だからこそ、アルバートも自分の結婚に対して危惧を居たのだろう。であれば、現状令嬢として特段優れたところのない自分がアルバートのために出来ることはただひとつ。
「ずっと、一緒に居させてください。大好きな貴方と一緒に。そして、貴方の血を継ぐ子供たちを貴方と一緒に愛させて下さい」
アルバートの血を継ぐ子どもは、もしかしたらアルバートの体質も継ぐかもしれない。でも、それはエミリアにとってなんの問題にもならない。間違いなく愛せる自信がある。
アルバートは、エミリアの言葉を聞いて、天を仰いだ。ぎゅっと瞑った瞼に、じんわりと涙がにじむ。しばらくしてからエミリアと向かい合った瞳は赤みを帯びて潤んでた。
「なんか色々俺が言わなくちゃいけないこと、先に言われた気がする」
「……駄目でしたか?」
「いや、いいよ。でも、俺からも言わせてほしい」
そういってアルバートは握っていた手を引き寄せると、そのままエミリアを抱きしめた。
「君が好きだ。俺の方こそ、ずっと一緒に居させてほしい。君も、君との間に生まれる子も、愛すると誓うよ」
エミリアの目にも、涙が浮かんだ。腕に力を込め、自分よりも大きな体をぎゅっと抱きしめ返す。
「はい、喜んで」
答えた声は喜びに震えていた。そのまま2人は、中々戻ってこないことを案じたお互いの家族が呼びにくるまで、その場で抱き合い続けていたのであった。
<第1章 ー終ー>
これにて、第1章が終了でございます。
連載開始から8ヶ月以上お付き合いいただきましてありがとうございます!
後半、めちゃくちゃスローペースになってしまい、申し訳なかったです。
まだ色々回収できていない伏線は、2章で回収予定です。
ストーリーは大まかに考えてはあるのですが、考えついた時から時間も経ってしまって、色々修正したい部分もあるので、一回練り直してから始めます。
ここまで読んでくださった皆様、そこからさらにブックマークや評価をしてくださった皆様、本当にありがとうございます。
どうぞ引き続き、お付き合いいただければ幸いです。




