28.家族との再会
コンコン、というノックの音でエミリアは目を覚ました。視界に映ったのは見慣れない天井。数秒の間ぼんやりとそれを眺めていたが、自分がどこにいるのかを思い出し、慌てて「はい!」と返事をして身を起こす。
「エミリア様、おはようございます」
ドアを開けてにこやかにそう挨拶をしたのは、マーサという年嵩の女中だった。昨夜もお世話になった笑顔に、人見知りゆえに少し緊張していたエミリアの頬も自然と緩む。
あの後カサンドラはひとしきり泣いて落ち着くと「疲れているのにごめんなさいね。もう休みましょう」と、女主人の暴走を止められず廊下でオロオロとしていたマーサを室内に招き入れ、エミリアの世話をするように申し付けたのだ。
昔からロペス侯爵家に仕えるマーサは、アルバートとエミリアとの婚約を我が子のことのように喜び、就寝するまでエミリアの世話をしてくれた。話を聞くとどうやらカサンドラが最も頼りにしている女中らしく、そんな存在をエミリアに付けてくれたカサンドラの心遣いにはいくら感謝してもしきれない。
「もっとゆっくりお休みになっていただけたら良かったのですが……」
「両親と兄が来るんですよね。大丈夫です。皆様の心遣いのおかげで、それほど辛くはありませんから」
申し訳なさそうに眉尻を下げたマーサを安心させるように微笑んで見せる。昨夜マーサが施してくれたマッサージのおかげか、多少の痛みはあるものの身体はそれほど辛くない。これなら、おそらく色々なところに説明を果たさねばならない今日という一日をなんとか乗り切れそうだ。
支度をしようとベッドから立ち上がったエミリアだったが、ふとあることに気が付いた。
「あの……私、そういえば着替えがなくて……」
昨晩まで着ていたドレスは一連の誘拐騒動で汚れ、破れてしまった箇所もあったので残念ながら着られる状態ではなかった。今着ているネグリジェにしても、カサンドラに貸してもらったものだ。スタイン伯爵家へエミリアの無事を知らせに行った使者に頼んで着替えを持ってきてもらえば良かったと思ったが、今更思い至ったところでどうにもならない。
「それなら心配ございませんよ。さぁ、持ってきてちょうだい!」
エミリアの心配を吹き飛ばすかのような明るい笑顔で言い切ると、マーサは手を2回打ち鳴らす。するとドアが開き、2人の侍女がサーモンピンクのドレスを持って入ってきた。
目を丸くしたエミリアに、マーサはそのドレスを広げてみせる。
「こちらはアルバート坊ちゃまがエミリア様にプレゼントしようと前々からご用意していたものでございます。どうぞお召しになってください」
そう言うやいなや、3人がかりでエミリアに取り付くと、あっという間に身に着けていたネグリジェを取り去ってしまう。そしてエミリアが思ってもいなかったドレスの登場に目を白黒させている間にコルセットを絞め、気づいたときには着替えが完了していた。ちなみにエミリアの体調に配慮してか、コルセットは普段よりも緩めに締められていて、ドレスもゆったりめのデザインだ。
(は……早業すぎる……)
比較的のんびりしているスタイン伯爵家では体感したことのないスピードに舌を巻く。さすが侯爵家と言ったところだろうか。エミリアが感心している間にみるみる作業は進み、あっという間にすべての支度が完了した。
「お美しゅうございますよ!」
達成感に満ちた表情のマーサに促されて鏡を見ると、そこに映っていたのはいつもとは少し違った雰囲気のエミリアの姿だった。自分には不釣り合いな気がして、いつも侍女のヘレナにはあまり派手派手しくないおとなしめの化粧を施すようにお願いしているのだが、マーサたちが施したのはそれよりもはっきりとした色使いだ。しかし、不思議としっかりとエミリアの顔に馴染んでおり、化粧が濃いという印象はない。
(アルバート様……どう思うかしら……)
とっさに思い浮かべてしまった姿に頬を赤らめたエミリアを、マーサと2人の侍女が微笑ましく思いながら見守っていたその時、再びドアをノックする音が響いた。
「エミリア、入ってもいいかな?」
まさに今思い浮かべたばかりの人物の声に、エミリアの身体が硬直する。ギギギと音がしそうなほどぎこちなく振り向いたエミリアは、小さな声で「……はい」と返事を返した。
小さな声でも人よりも耳の良いアルバートにはしっかりと聞こえたようで、すぐにドアが開き、黒い瞳がエミリアをとらえる。
「おはよう。気分はどうだい?」
昨夜の時間が濃いものだったからだろうか。随分と久しぶりに感じる人型の姿に、エミリアは息を飲んだ。
「エミリア?」
返事が返ってこないことに怪訝そうに首を傾げると、アルバートは近づいてエミリアの顔を覗き込む。間近に迫った黒い瞳に、エミリアは慌てて一歩後ずさった。
「お、おはようございます!」
心臓がドキドキと音を立てている。おそらく、顔も赤くなっているだろう。思わず物陰に逃げ込みたくなったエミリアだが、先ほどのマーサの言葉を思い出し、踏みとどまった。
「あ、あの……ドレス、ありがとうございます」
用意されたドレスはエミリアのサイズにピッタリで、デザインも好みに合うものだった。なによりアルバートが自分のために用意してくれたという事実がなによりも嬉しい。
(……あれ? でもどうして私のサイズをご存知なのかしら?)
一瞬浮かんだ疑問は、エミリアの言葉を聞いたアルバートの嬉しそうな笑みに霧散した。
「そう言ってもらえると用意した甲斐がある。よく似合ってるよ。……きれいだ」
ストレートな褒め言葉に、今まであまり家族以外の男性に褒められた経験がないエミリアの顔がさらに赤くなる。アルバートはそんなエミリアを熱の籠った瞳で見つめると、「さあ、朝食にしようか」とダイニングルームへ案内するために手を取ったのであった。
朝食を終えたエミリアは、客間で家族がやってくるのを待っていた。ロペス侯爵家の人々がこの場にいないのは、エミリアとの再会を家族が気にせず喜べるようにという気遣いだ。
『私たちが居ると気を使うでしょう? 急がなくていいから、落ち着いたら呼んでちょうだい』
朝食の席でカサンドラは優しく微笑んでそう言ってくれた。昨夜会ったばかりのエミリアにもわかるほど、カサンドラは細やかな気遣いのできる女性だ。そんな女性がこれから義理の母になるのだという事が、とても嬉しい。
(アルバート様とのことも、きちんと言わなくちゃ……)
そのことを考えると、少し緊張してしまう。ただでさえ日頃からアルバートに対し好意的だったところにこの度の誘拐事件、両親の中でアルバートの株はうなぎ上りだろう。反対されることはないとわかっていても、それとこれとは別問題だ。
どう切り出そうかとエミリアが思案しているうちに、コンコンとノックの音が響く。「はい」と立ち上がって返事をするとドアが開き、見慣れた顔がエミリアを見て安堵の表情を浮かべた。
「エミリア……!!」
フローリアは娘の名を呼ぶと、駆け寄ってその体をぎゅっと抱きしめた。エミリアも抱きしめ返し、再会の喜びにすすり泣く母の肩口に顔を埋める。
「エミリア……本当に無事で良かった……」
父の声に顔を上げると、そこには瞳を潤ませたジョセフとラルクの姿があった。エミリアが誘拐されたと知らされてから、心配で満足に眠ることも出来なかったのだろう。2人とも顔色が優れず、目元にはうっすらと隈が浮かんでいる。母と父と兄。誘拐されている間、もしかしたら二度と会えないかもしれないと思った3人の姿に、エミリアの目にも涙がにじんだ。
「心配かけて……ごめんなさい」
「お前のせいじゃない。それに家族なんだから、心配するのは当たり前だろう」
その言葉に、ジンと胸が暖かくなる。無事に家族に会えて良かったと思うと同時に、エミリアは改めて助けてくれたアルバートに心から感謝した。
「ロペス侯爵には感謝しなくちゃな。危険を顧みず、エミリアを追って川に飛び込んでくれたんだから」
ラルクも同じことを思ったのだろう。少しかすれた声で噛みしめるように、誰に言うでもなくそう呟いた。その言葉にジョセフが頷き、フローリアがエミリアをより一層強く抱きしめる。
(本当に……アルバート様には助けられてばかりだわ)
少なくとも二度、エミリアはアルバートに命を救われている。もし幼少期にエミリアを助けた狼男もアルバートだったのだとすれば三度だ。感謝してもしきれない。
(恩返ししなきゃ。婚約者として、アルバート様を支えていけるように頑張ろう)
家族との再会を喜びながら、エミリアはそう決意したのであった。
のんびり更新ですみません……(汗)
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本当に本当にありがとうございます!!!!!!




