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26.狼侯爵のお帰り

 最初こそ驚いたものの、エミリアにとって森からロペス侯爵家への道中は概ね楽しく快適なものであった。飛ぶようなスピード感も、慣れてしまえば楽しむ余裕すら出てくる。乾ききっていない衣類をまとった体が冷えてしまうことだけが難点だったが、人間のものよりも高い体温に包まれていることと、エミリアを気遣ったアルバートが時折立ち止まってはまるで親鳥のように全身で温めてくれるので問題はなかった。


 やがてアルバートは森の中にある洞窟の中に入っていく。洞窟の中は真っ暗でエミリアの視界は閉ざされてしまったが、アルバートが迷いなく進んでいくのでそれほど不安は感じなかった。


「真っ暗で何も見えないのですが、アルバート様には見えているのですか?」

「たしかに人間の時より夜目は効くけど、全く光がないから俺も何も見えない。ただ、幼い時からずっと行き来している道だからな。人間の時より色々と効くようになってるから空気の流れも感じられるし、明かりがない状態で入ったのもこれが初めてではないから大丈夫だ」


 疑問を口にすると、アルバートが答えてくれる。その答えに納得すると同時に感心し、その後もエミリアは浮かんだ疑問をアルバートにいくつかぶつけてみた。


 結果、この洞窟はロペス侯爵家の地下に繋がっているが複雑に枝分かれしていて侵入者を惑わせる作りになっていること、アルバートの姿は日の入りと同時に元に戻ること、アルバートの五感は人間の姿の時でも普通の人間よりも敏感なことなどが分かった。


「それじゃあ、あの夜会の日に私とエヴァンス卿が話していたのが聞こえていたのは……」

「嗅覚と聴覚は特に鋭くなってるんだ。人間の姿の時でも、あのくらいの距離なら聞き取れる」

「そうだったんですね…よかった!」

「……どうして?」

「私の声が大きかったのかと思って、気にしていたので……」


 淑女らしからぬ声量で話してしまっていたのかと恥ずかしく思っていたエミリアは、そうではなかったと知ってほっと安堵の息を吐いた。アルバートはそんなエミリアを先ほどよりも少し強い力でぎゅっと抱きしめた。


「……どうしました?」

「いや、君と出会えて本当に良かったと思っただけだ」


 エミリアはその言葉の意味を問おうとしたが、「ほら、もう出口だ」というアルバートの声にさえぎられてしまう。進行方向に顔を向けるとそこには上から差し込む明りに照らされる階段があった。


 階段を上った先にあったのは小さな石造りの一室だった。その部屋には家具一つなく、大小2つの鉄の扉が2人を迎えた。小さい方の扉には取っ手がなく、どうやって開くのかとエミリアは首を傾げる。アルバートは迷わず大きい方の扉の前に立つと、「ちょっとごめん」と断って一旦エミリアを地面へとおろした。

 見た目にも重そうなその扉が果たして開くのかと不安になったエミリアをよそに、アルバートは涼しい顔で両手で取っ手を掴むと力を込めて開けてみせる。


「……力持ちなんですね」


 思わず感心したエミリアにアルバートは苦笑する。


「小さい頃は力加減が出来なくて、いろいろ壊してしまって大変だった。今では使いこなせるようになったけどね」

「そうだったんですね。……それにしてもこの扉、こんなに重かったらアルバート様にしか開けないのでは?」

「万が一、侵入者が入ってきたときに入れないようにわざとそうなってるんだ」

「なるほど……。あれ? でもこの部屋の明かりは誰が……?」

「そっちの小さい扉はこちらからは開かないけど、向こうからなら開くようになってるんだ。たぶん兄さんが俺たちが地下から来ることを見越して点けておいてくれたんだと思う」


 その言葉に、改めてエミリアはアルバートを巻き込んでしまったことをとても申し訳なく思った。エミリアを追って川に飛び込んだという知らせを聞いたロペス侯爵家の人々はどう思っただろうか。とても心配し、最悪の想像もしただろう。きっと今だってすごく心配しながらアルバートの帰宅を待っているに違いない。

 思わず表情を暗くし、考え込んでしまったエミリアの顔をアルバートはひょいと覗き込む。


「どうする? 抱えていこうか?」

「け、結構です!!」


 アルバートに抱えられたままご家族と対面するわけにはいかない。エミリアは顔を赤くしながら部屋の外へ足を踏み出した。扉の外は階段になっており、上りきった先は廊下になっていて、明かりはついているものの人の気配はなく静まり返っていた。


「さて、騎士団とスタイン伯爵家に無事を伝えなくちゃいけないけど、この姿じゃ人に会えないしな……。まずは父さんか兄さんに会わないと……」


 伺うような視線で見つめられ、エミリアは緊張しながらもコクリと頷く。アルバートを巻き込んでしまった後ろめたさから躊躇いはあるものの、一刻も早く無事を伝え、ロペス侯爵家に安心をもたらさなくてはならない。そしてしっかりとアルバートを巻き込んでしまったことへの謝罪を伝えて、婚約を認めてもらえるようお願いしなくては。

 そうエミリアが決意をしたその時、廊下の向こうからバタバタという足音と共に、アルバートの名を呼ぶ声が近づいてきた。


「アルバート!! 帰ってきたのか!?」


 廊下の角から姿を現したのは、エミリアも夜会で何度かその姿を見たことのあるアルバートの兄━━━━ヒューゴ・ロペスだった。

 ヒューゴは焦げ茶色の髪に柔和そうな顔立ちの青年だ。少しガッチリしている騎士らしい体格のアルバートよりも背が高く線が細い印象があるが、剣の腕は確かなのだと人の噂で聞いたことがある。人当たりの柔らかい彼は、ロペス侯爵家の跡取りの座こそ弟に譲ったものの、王太子付きの近衛として弟に負けず劣らず将来を有望視されている人物だった。


「良かった! エミリア嬢も無事だったんだな!!」


 ヒューゴは2人の側までたどり着くと、ほっとした表情を浮かべた。そしてアルバートの横に並ぶエミリアを見て、瞳を潤ませる。突然のヒューゴの登場と彼の反応にエミリアが戸惑っていると、ハッとしたように居住まいを正し、その顔に人好きのする笑みを浮かべた。


「夜会の場で何度かお見かけしていますが、こうしてご挨拶するのは初めてですね。アルバートの兄のヒューゴ・ロペスです」


 廊下の明かりに照らされたヒューゴの表情は、夜会の場で見るものよりも柔らかく見えた。その表情からはエミリアへの負の感情は伺えず、むしろ友好的に見える。そのことに少し安堵しながらも、エミリアは先ほどしたばかりの決意を実行に移すため、一歩前へ進み出た。


「スタイン伯爵家の長女のエミリアと申します。あの……この度は、このようなことにアルバート様を巻き込んでしまい、ロペス侯爵家の皆様にもご心配をおかけしてしまい申し訳ありません」

「ああ! いいんですよ、そんなことは。被害者である貴方が謝ることはなにもありません。もとよりアルバートがどうにかなるとは私たちは思っておりませんし……。貴方が無事で本当に良かった」

「でも……私の所為でアルバート様は川に飛び込むことに……」

「そこで貴方を助けようとしないような弟ならば、私も両親もぶん殴ってますよ。とはいえ、この姿の弟を殴ったら痛手をくらうのは私達の拳の方でしょうけどね」


 そう言ってヒューゴはおどけたような表情を浮かべてみせる。どうやら本当にエミリアに対しては責める気持ちは無く、心配してくれていたようだ。ほぼ初対面にも関わらずこちらが気に病まないような物言いをしてくれたヒューゴの心遣いをありがたく思う。


「アルバート。父さんは書斎にいるから顔見せてやれ。母さんにもお前が帰ってきたことは伝えておく」

「ああ、わかった」

「スタイン伯爵家と騎士団にも知らせが必要だろ。そっちも手配しといてやるよ」

「ありがとう兄さん、頼んだよ」


 テンポよく進められる兄弟のやりとりからは、2人の仲の良さが伺えた。次男であるアルバートが家督を継いだことで2人の不仲を邪推するような噂もあるが、今のエミリアにはそれらが全くの嘘だとわかる。ヒューゴにとってアルバートはかわいい弟で、アルバートにとってヒューゴは気心の知れた信頼できる兄なのだろう。


「兄さん」


 会話を終え、手配のためにその場を去ろうとした兄をアルバートは呼び止めた。その声音の真剣さに、足を止めて振り返ったヒューゴは怪訝そうな表情を浮かべる。アルバートそばにいたエミリアを抱き寄せると、兄の目をしっかりと見て口を開いた。


「この後父さんと母さんにも話をするけど、エミリアが婚約を受け入れてくれた。この事件が落ち着いたら正式に話を進めるつもりでいる」


 その言葉にヒューゴは目を見開き、それから何度かエミリアとアルバートの間に視線を彷徨わせると、ややあってから噛みしめるように「そうか……」と呟いた。そして、潤んだ双眸でエミリアに向き合う。


「エミリア嬢」

「はい」

「ありがとう」


 そう言って、ヒューゴはその顔をくしゃくしゃにして泣き笑いの表情を浮かべる。


「この姿のアルバートを受け入れてくれる令嬢が居るという事実が、今日1日の心配なんて吹き飛ぶくらいロペス侯爵家にとっては喜ばしいことなんだ。不安に思うようなことは何もないから両親にも気にせず会ってやってほしい」


 感極まったような様子につられて、「はい」というエミリアの返事はひどく掠れたものになってしまった。しかし、ヒューゴの耳にはしっかりと届いたらしい。満足そうに何度も頷くと、「じゃあ、知らせに行ってくるな」とその場から駆け出して行った。


「まったく……」


 その背を見送りながら、アルバートは照れ臭そうに頭をカリカリと掻いた。今は体毛で覆われていてわからないが、きっと人間の姿であったならその顔は赤くなっていたであろう。その姿が可愛らしくて思わずエミリアが笑うと、アルバートは誤魔化すように「行くか」と言って、父の待つ書斎へ向けて歩き出したのであった。




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