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25.狼侯爵の正体

 変化が起きたのは突然だった。


 アルバートは突如くの字に背中を折り曲げると、頭を抱え、ぎゅっと目を閉じ歯を食いしばる。思わず駆け寄ろうとしたエミリアだったが、直前のアルバートとのやり取りを思い出し、その場に踏みとどまった。そして、どうしたらいいかわからずに彷徨わせた視線の先にあった金色の輝きにハッとする。


(……満月!!)


 空に悠然と輝く満月に、エミリアはアルバートの様子が急変した理由を察した。


 エミリアの推測通りアルバートが狼男であれば、満月の今夜、彼は狼男に姿を変える。おそらく、彼が人間でいられる時間のタイムリミットを迎えたのだ。アルバートの直前の不可解な様子も、そうだとすれば納得がいく。


(狼男になった姿を実際に見られたら、私が嫌悪感を抱くかもしれないと不安になったのね……)


 アルバートの瞳に見え隠れした『怯え』の理由に思い至り、エミリアは胸が締め付けられるような痛みを覚えた。


 エミリアがアルバートの正体に気づいていることを、彼は知っている。しかし、実際に変化した姿を見られるのはまた話しが違うのだろう。例えそれが二度狼男として遭遇しているエミリアが相手だったとしても、改めて正体を明かすことは相手に否定される恐怖を伴うに違いない。


(アルバートさまとの約束は、『次の次の満月の日』だったわ)


 次の満月────つまり今日に予定が入っていたというわけではないだろう。おそらくその1か月間の猶予は、彼が心の準備をするために必要な時間だったのだ。


 エミリアの目の前で、アルバートの姿はみるみるうちに変わっていった。体はミシミシと音を立てて大きくなり、滑らかだった肌は灰色の毛に覆われていく。纏っていた衣服は大きくなっていく身体に耐え切れずに音を立てて裂け、重力に従って地面に落ちていった。痛いのか苦しいのか、いまや人間ではあり得ない形となった口元からは唸るような声が漏れていた。


 ────それからどれだけの時間が経っただろう。聞こえ続けていた唸り声が唐突に止んだ。


 エミリアが見つめる先には、完全な狼男に姿を変えたアルバートの姿があった。ゆっくりと頭を抱えていた腕を下すと、灰色の双眸が先ほど見たものと同じ怯えの色を湛えてエミリアを見つめていた。


 その瞳を見た途端、考えるよりも先にエミリアは動いていた。真っ直ぐにアルバートに駆け寄ると、その胸に飛び込み、大きくなった身体にしがみつく。


「アルバート様…!!」


 触れた瞬間にアルバートの身体がこわばったのを感じ、自分が彼のことを恐れていないことが伝わるように、名を呼んで抱きしめる腕にぎゅっと力を込めた。


 変化したアルバートの姿を恐ろしいとは微塵も思わない。なぜならエミリアにとってその姿は、幼いころ────そして成長してからも自分を救ってくれたヒーローの姿だったからだ。


 アルバートは予想だにしなかったエミリアの行動に戸惑い、しばらくは直立したまま抱きしめられていたが、しばらくしておずおずと口を開いた。


「エミリア……」


 発した声は、いつになく弱々しい。


「俺が恐ろしくない?」

「いいえ」

「気持ち悪いとは……」

「まったく思いません」


 アルバートの言葉をきっぱりと否定し、エミリアは顔を上げて自分を見下ろすアルバートと目を合わせた。


「好きです。いつものあなたも、この姿のあなたも」


 その言葉に、アルバートの目が見開かれ、ぴったりと伏せられていた耳がピンと立ち上がった。その様子がなんだか可愛くて、エミリアは思わず笑ってしまう。そしてゆっくりと身体を離すと、改めて向かい合った。


「アルバート・ロペス侯爵閣下。婚約のお話、謹んでお受けいたします」


 しっかりとアルバートと目を合わせた後、淑女の礼を執る。アルバートが息を飲んだ気配を頭上で感じ、ややあって毛むくじゃらの腕がおそるおそるといった様子でエミリアを抱きしめた。


「エミリア……!!」


 聞き慣れた声に名を呼ばれ、返事の代わりに腕を回して抱きしめ返すとフサフサとした体毛越しに人間のものよりも高い体温を感じた。そのまましばらく黙って抱きしめ合う2人の姿を、満月が煌々と照らしていた。






 どのくらい抱き合っていただろうか。先に抱擁を解いたのはアルバートの方だった。


「ずっとここにいる訳にもいかないな。そろそろ帰るか」


 夜空を見上げ、苦笑まじりにそう口にする。エミリアは離れた体温を名残惜しく思いながらも、その言葉に首を傾げた。


「それはそうですが……その……元に戻るまではここにいた方がいいのでは?」

「俺はそれでも大丈夫だが、君はそうもいかないだろ。夜は冷える。服だって完全に乾いてないんだから早く帰って着替えないと風邪をひいてしまうよ」

「でも、もし誰かに見られたら……」

「大丈夫。俺みたいなのが家の中に引きこもらないで済むように、ロペス侯爵家には人目につかないように町の外に出られる抜け道があるんだ」


 心配するエミリアに、アルバートはいたずらっぽくニヤリと笑ってみせる。その笑みは姿形が変わっていてもどこかアルバートらしさを感じさせるものだった。


「ひとまずその道を通って侯爵家まで戻ろう。戻ったらスタイン伯爵家にも使いをやって君のご家族を安心させてあげなくては」


 アルバートの言葉にエミリアはコクリと頷いた。きっと今頃両親はたいそう気を揉んでいることだろう。拐われる直前まで一緒にいた御者や護衛のトーマスが無事かどうかも気になる。


 拐われる直前に聞いた悲鳴を思い出して不安そうな顔を浮かべたエミリアを安心させるように、アルバートは毛むくじゃらの手でエミリアの両手を包み込むと腰を落として目線を合わせた。


「落ち着いたら、正式に婚約を結ぼう。悪いけど、さっきの言葉は取り消しはできないからな。頼むから哀れな狼男の純情を弄ばないでくれよ」


 わざらしい芝居掛かった口調で告げられて、思わずエミリアは吹き出した。しかし、すぐにあることに気づき、青ざめる。


「あの……誘拐された身である私が、果たしてアルバート様の婚約者として認められるのでしょうか……」


 先ほどは勢いもあって自分から婚約を受けるなどと口にしてしまったが、そもそも誘拐された事でアルバートの婚約者たる資格を失っているのではないか。アルバートが良いと言っても周りは認めないだろうし、口さがない他人は色々と言ってくるだろう。この度の事件でエミリアの純潔が汚されることはなかったが、それを証明し、世間に周知することはとても難しい。


 しかし、そんなエミリアの懸念をアルバートはキッパリとした口調で否定した。


「確かに君が誘拐された事実を隠し通すことは難しいだろう。色々と言われることもあるかもしれない。でも、僕の家族が君をどうこう言うことはないから、そこに関しては安心してほしい。この姿のアルバート・ロペスを受け入れることができる令嬢を、ロペス侯爵家が逃がすわけがない」


 それを聞いて、エミリアの肩の力が抜ける。社交界であれこれと言われることも嫌だが、何より恐れていたのはアルバートの家族に受け入れてもらえなくなることだ。もちろんアルバートの言うことと実際のロペス侯爵家の人々の反応が違う可能性がないとは言い切れないが、今はその言葉を信じる事にした。


「じゃあ行こうか」


 エミリアが安心したのを見て、アルバートは立ち上がる。そして「ちょっと待ってて」と言い残すと焚き火のところまで行き、土をかけてその火を消した。森の中を照らしていた明かりが消え、空の星がより一層輝いて見える。幸い満月が明るく照らしてくれるおかげでアルバートの姿を見失うほど暗くはない。そのことにホッとしながらエミリアはじっとその場で待っていた。


「おまたせ」


 しばらくして、火が完全に消えたことと忘れ物がないかを確認したアルバートがエミリアの元に戻ってきた。そして「ちょっとごめんね」と言うとおもむろにエミリアを抱え上げる。


「え!? ちょっ……アルバート様!?」


 突然の行動に慌てたエミリアは抗議の眼差しを向ける。アルバートはそんなエミリアの様子に苦笑したものの、おろすことはせずにむしろしっかりとその身体を抱え込んだ。


「ごめんごめん。でも絶対にこの方が早いから。しっかり掴まってて」


 言うや否や、エミリアがその言葉の意味を理解する前にアルバートは走り出した。その瞬間、静寂が満ちる森にエミリアの「ひゃあ!!!」と言う悲鳴が響きわたったのであった。





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