21.約束
「また巻き込んでしまって……ごめん」
2人を見送った後、エミリアはシュンと項垂れたアルバートから謝罪を受けていた。
「気にしないでください。アルバート様の所為ではありませんから」
今日ベルノルトに出会ってしまったのは全くの偶然だし、彼が突っかかってくるのはアルバートの所為ではない。確かに不愉快な思いはしたものの、アルバートはエミリアを守ろうと前に出てくれた。それだけで、エミリアには十分だった。
これ以上気にしないように微笑んでみせたエミリアだったが、アルバートの表情は晴れない。気持ちを切り替えさせようと、エミリアにしてはやや強引にアルバートの袖を引いた。
「ほら、行きたかったお店もすぐそこですし、もう行きましょう?」
そう言って少し先にある雑貨店を指差す。アルバートはエミリアの意図を察したのだろう。「そうだな」と言うと自然な動作でエミリアの手を取った。
動揺したのはエミリアの方だ。重わず硬直してしまい、歩き出そうとしたアルバートが動かないエミリアを不審に思い振り返る。赤くなった顔を見られないようにサッと俯いたエミリアだったが、その反応で伝わってしまったようだ。くつくつと笑うと、アルバートはエミリアの顔を覗き込む。
「行こう。お詫びに何かプレゼントさせて欲しい」
「……はい」
俯いたままのエミリアの返事を聞くと、アルバートはエミリアの手を握ったまま歩き出す。ちらりとエミリアが盗み見た横顔は、先ほどとは打って変わってとても機嫌が良さそうだった。
帰りの馬車の中で、エミリアはアルバートに買ってもらったオルゴールが入った箱を抱えていた。
「気に入ってもらえて嬉しいよ」
向かいに座るアルバートは、満足そうに微笑んでいる。少し気恥ずかしさを感じてエミリアは箱をぎゅっと抱え直した。
エミリアが大好きな『狼男と月の女神』はこの国では知らない人がいないほど有名な話なので、昔から戯曲としても上演されている。このオルゴールのネジを回すと流れ出すのは、その戯曲の中で狼男が月の女神に歌う愛の歌で、エミリアが最も好きな曲だ。
音色をきいてすぐにこのオルゴールが気に入ったエミリアだったが、なんだかアルバートの愛まで強請っている様で買ってもらうことに抵抗を感じ、欲しい気持ちを押し殺して別のものを買ってもらおうとした。しかし、アルバートはエミリアの気持ちを正確に見抜き、自分が送りたいからと言いくるめ、あっという間にオルゴールを購入してしまったのだ。
(私ってそんなにわかりやすいかしら……)
アルバートと話すようになったのはほんの数ヶ月前からだというのに、なんだかすっかり扱い方を心得られてしまったような気がする。エミリアにはアルバートが何を考えているかよくわからないのに、なんだか悔しい。
「エミリア」
俯いて少し口を尖らせていたエミリアの名を、アルバートが優しく呼ぶ。
「この間、君が行きたいと言った夜空がきれいに見える場所のことだけど……」
その言葉に、エミリアは弾かれたようにアルバートを見た。アルバートもじっとエミリアを見ていた。
「一緒に行こう。次の満月は無理だけど、その次の満月の日に」
ガタンガタンという車輪の音がやけに大きく聞こえる。アルバートの言葉の意味をゆっくりと咀嚼してエミリアは口を開いた。
「……いいんですか?」
「いいよ」
「本当に?」
「あぁ」
アルバートは穏やかに微笑んでいる。オルゴールの箱をぎゅっと抱きしめて、エミリアも微笑んだ。
「楽しみに、しています」
その後、スタイン伯爵家に着くまで2人の間に会話はなかった。しかしエミリアの胸は幸福な気持ちでいっぱいだった。アルバートもそうであればいいと、心の底からそう願った。
夜もすっかり更け、湯浴みも済ませて後は寝るばかりとなったエミリアは、枕元のランプの明かりのみが灯った自室で馬車の中で交わしたアルバートとの会話を反芻していた。
満月の夜にエミリアと会ってくれると彼は言った。彼がエミリアの推測通り狼男であるのならば、それは彼がエミリアと秘密を共有する決断を下してくれたことを意味している。
(問題は、お父様やお兄様をどう説得するかよね……)
いくら求婚を受け入れるつもりとはいえ、婚約すら済ましていないエミリアがアルバートと2人で夜に人気のない場所へでかけるのは貴族の令嬢として相応しい振る舞いではない。かといって家族に黙って行くことは不可能だ。父と兄を説得し、送り出してもらわなくてはならない。
(せっかくアルバート様が了承してくださったんだもの。どうにかして説得しなくちゃ)
心の中で決意を固めたエミリアは、月を見るために窓に近寄っていった。先日のコウモリの姿が思い浮かんで少し躊躇したものの、滅多にあることではないと自分に言い聞かせてカーテンを開く。窓の外にコウモリの姿はなく、夜空には後数日で満月を迎えるであろう月が煌々と浮かんでいた。
(アルバート様が約束してくださった満月までは、あと1ヶ月ちょっとね……)
おそらくその日まで毎日こうして月を見て指折り数えてしまうであろう自分の姿が容易に想像できて、エミリアは苦笑する。
しばらく月を眺め、今日はもう休もうとカーテンに手をかけたその時、庭の塀のすぐそばにある茂みが揺れた。エミリアがハッとして茂みを凝視すると、そこから現れたのはなんと灰色の毛並みのオオカミだった。
思わずエミリアは窓に触れるか触れないかのところまで顔を近づけて、食い入るようにその姿を凝視する。
(どう見てもオオカミだわ……! でもどうしてこんなところに!?)
オオカミを見ることができたことは嬉しいが、ここは王都だ。オオカミの生息地となりそうな森や草原からはだいぶ距離がある。夜も更けているとはいえ出歩いている人がいないわけではないので、万が一見つかれば大騒ぎになるだろう。お腹を空かしてこんなところまで来てしまったのであれば、人を襲ってしまうかもしれない。
(どうしよう……。この時間だから大丈夫だとは思うけど、使用人たちに庭に出ないように伝えた方がいいかしら……?)
そうエミリアが考えていると、自分を見つめる視線に気がついたのだろう。オオカミがエミリアのいる窓を見上げた。オオカミとエミリアの視線が合う。そのまま十数秒見つめ合うと、オオカミはゆらりと尻尾を揺らし、塀を飛び越えてエミリアの視界から姿を消した。
エミリアはカーテンを閉め、ベッドに腰掛けると大きく息を吐いた。コウモリを見た時の様な嫌なざわつきはなく、不思議と気持ちは落ち着いていた。ベッドサイドに置いていた今日買ってもらったばかりのオルゴールを手に取り、ネジを回す。優しい音を奏で始めたオルゴールを元の位置に戻すと、明かりを消し、布団に潜り込んでアルバートから贈られたぬいぐるみを抱きしめ、その音色に耳を傾けながら目を閉じた。
塀の外へ出ていったのだ。もう屋敷の者が出くわしてしまう心配もないだろう。エミリアはそう考えて、オオカミを見たことは屋敷の誰にも言わずにおこうと決めた。唯一心配なのは馬だが、なぜか大丈夫だという確信があった。ほんの少し目があっただけであのオオカミに対してどこか信頼に近いものを感じてしまっている自分に気付き、笑みをこぼす。
(オオカミを見て、アルバート様に似てるから大丈夫だと思ってしまうなんて、本当に重症だわ)
どことなくあなたに似ているオオカミを見たのだと伝えたら、彼はどんな顔をするだろう。アルバートの反応に想像を膨らませながら、エミリアは眠りの淵に落ちていったのだった。
前回更新から間が空いてしまってすみません……!!
一応、仕事のバタバタがひと段落したので、これからはまた小説書く時間がある程度確保できると思います。




