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17.ウェルズリー侯爵家の夜会 後編

 踊り終えたエミリアとアルバートがパートナーを変えて踊り続ける人々の合間をぬって抜け出すと、ちょうどその先にいた老齢の紳士がアルバートに声をかけた。

 申し訳なさそうにこちらを見たアルバートに微笑んで頷いてみせると、エミリアは紳士に一礼してそっとそばを離れた。まだ年若いアルバートにとって、社交の場はこれから自身の力となる人脈を作る大事な場だ。邪魔するわけにはいかない。


 どこで話が終わるのを待っていようかと居場所を探してあたりを見回したエミリアの視界に、いつか見た黒髪の青年の姿が映ったのはその時だった。


「あっ……!」


 そう声を上げたのはどちらだっただろうか。お互い驚いた表情のまま見つめあったものの、しばらくして黒髪の青年━━━━クリスはにっこりと微笑みを浮かべるとエミリアの元まで歩み寄ってきた。


「こんばんは、来ていたんですね。お一人ですか?」

「いえ……」


 思わず言葉を濁したエミリアの視線の先を追って、「ああ、彼とご一緒でしたか」とクリスは納得したように頷いた。そして、老紳士と話し込むアルバートと1人でいるエミリアを見ておおよその事情を察したのだろう。


「彼のお話が終わるまで、よろしければ少しお話ししませんか?」


 そう言ってエミリアを誘った。エミリアとしても特に断る理由はない。アルバートの視界に入る範囲にいれば問題ないかと判断し、人々の邪魔にならないようにクリスと共に壁際に移動する。

 移動しながら、先日受け取った彼からの贈り物のことを思い出し、壁際にたどり着くと礼を告げるために口を開いた。


「この間はおいしいワインとジュースをありがとうございました」

「……ああ! 喜んでくれたならよかったです。本当に飲んでくれたんですね」


 エミリアの言葉にクリスは目を見開いてしばし固まった後、ほっとした表情を浮かべた。その不可解な反応にエミリアは首をかしげる。


「そのつもりで送って下さったのではなかったのですか?」

「いやいや、あの、知り合った経緯が経緯だったので、警戒されて飲んでもらえないんじゃないかと思ってました」

「そんなことは考えもしませんでしたよ」


 確かにこれがベルノルトから贈られたものであれば、何かあるのかと警戒して口にはしなかったかもしれないが、相手はクリスだ。自分を助けようとしてくれた相手を疑う理由はエミリアにはない。きちんと飲んだことを証明しようと飲んだ時のことを思い出し、感想を告げる。


「とても美味しかったです。一緒に飲んだ母も喜んでいました。ただ、ジュースの方は今まで飲んだことのあるものと違って、少し不思議な味でした」

「あぁ、何種類かのベリーを混ぜてあるんです。中には、隣国から取り寄せて栽培を始めたばかりでまだうちの国では流通していない種類のものもあるので、初めて飲むと不思議な味に感じるかもしれませんね」


 材料を思い浮かべているのか、クリスは顎に手を当てて考え込むような仕草をした。かと思うとパッとエミリアを見ていたずらっぽく微笑む。


「それにしても、ロペス侯爵があなたに夢中だという噂は本当のようですね」


 また「噂」だ。予想していたことではあるが、やはり社交界ではエミリアとアルバートに関して様々な憶測が飛び交っているらしい。先ほどのウェルズリー侯爵夫人といいクリスといい、今のところ直接耳にしているのは悪意のある噂ではないのがまだ救いだ。


「いえ、あの、ただ縁があってエスコートしていただいているだけで……」

「とてもそうとは思えませんよ。だってそれ、ロペス侯爵からの贈り物でしょう?」


 そう言ってクリスが指したのはエミリアの耳を彩るサファイアのイヤリングだった。先ほどアルバートからもらったばかりで誰にもそのことを告げていないのに何故バレているのかとエミリアはひどく慌てた。


「ど、どうしてわかったのですか?」

「わかりますよ。だって青色はロペス侯爵家の紋章の色じゃないですか。彼、さわやかそうに見えて意外と独占欲が強いタイプなんですね」


 クリスの言葉に、エミリアは今まで以上に強くイヤリングの存在を意識してしまう。本当にアルバートがそういう意図でプレゼントしたのかは不明だが、周りにそう思われているのだと思うと居たたまれない。


「エミリア」


 その時、背後からアルバートに声をかけられてエミリアの肩が跳ねた。クリスもまさかすぐ近くに当人がいるとは思わなかったのか、気まずげに目を泳がせる。

 エミリアが振り返ると、そんな2人に訝しげな目を向けるアルバートと目があった。


「彼は?」


 問いかける声には、人当たりがいいと評判の彼にしては珍しく不機嫌さが滲んでいた。


「あ、ええっと……ちょっとした知り合いです」


 ここでまたベルノルトの名前を出せばややこしいことになると判断し、エミリアは大幅に省略したクリスの説明を口にした。クリスも同じように思ったのだろう。余計なことは口にせずに居住まいを正し、アルバートに自己紹介をした。


「初めまして。クリス・エヴァンズと申します」

「アルバート・ロペスです」

「存じ上げております。お会いできて光栄です」


 サッと手を差し出したクリスの手をアルバートが取り、握手を交わす。室内の空気が変わったのはまさにその瞬間だった。


「きゃあああああ!」


 突如上がった悲鳴に、その場にいた全員が会場の入り口を見た。即座にアルバートが硬直したエミリアの肩に腕を回して引き寄せる。


「離して! 離してよ!!」


 入り口付近では、先ほど悲鳴をあげたと思われる女性に、貴族然とした格好の男が掴みかかっていた。口論が暴力に発展したのかと思ったエミリアだったが、どうも様子がおかしい。男は何かを怒鳴っているようだが、口から出た音は意味を成さず、支離滅裂な音を吐き出していた。周りにいる人たちもその尋常ではない様子に圧倒され、女性を助けることもできずにおろおろと狼狽えるばかりだ。


 ややあって、警備の兵士たちが駆けつける。騒動の原因が侵入者ではなく招待客の1人であったはずの男であることに困惑した様子を見せたものの、騒ぎに気付いて駆けつけたウェルズリー侯爵の指示を受けて2人がかりで取り押さえ、女性から引き離す。


「お騒がせして申し訳ありません」


 なおも喚き続ける男を、取り押さえた兵士が遅れて駆けつけた兵士と協力してダンスホールの外へと連行するのを見送って、ウェルズリー侯爵はその場にいる招待客に今の騒動を詫びた。侯爵夫人は被害にあった女性の元に寄り添い、ダンスホールを後にする。そこでようやく静まり返っていた場にざわざわとした喧騒が戻り始めた。


 なんとか事態が収束したことにほっと安堵したエミリアがアルバートを見ると、彼はまだ険しい顔で男が連行された方を見ていた。


「アルバート様」


 声をかけるのを躊躇ったエミリアだったが、いつまでも抱き寄せられたままではいられないとアルバートの名を呼ぶ。アルバートはハッとするとエミリアの肩から手を離した。


「これじゃあ、もう今夜はお開きですね」


 残念そうにクリスがそう呟き、その言葉に同意してエミリアは頷く。とてもじゃないが、引き続きダンスを楽しもうという気にはなれない。


━━━━もう聞こえなくなったはずの、先ほど連行された男のうなるような声が耳について離れなかった。

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