16.ウェルズリー侯爵家の夜会 前編
夜会当日、エミリアはロペス侯爵家の馬車に乗ってウェルズリー侯爵家へと向かっていた。向かいにはアルバートが腰掛けており、エミリアはその洗練された装いにドキドキする心臓を落ち着けようと足元に視線を落とした。
「緊張してる?」
先ほどから落ち着かない様子のエミリアに、アルバートが声をかける。それだけではないが、緊張していることも事実なので、エミリアはコクリと頷いた。
「久しぶりの夜会なので、粗相をしないか心配で」
「あぁ、エミリアなら大丈夫だ。万が一何かあっても俺の方でもフォローするから安心してほしい」
そう言って微笑むアルバートに礼を言ったエミリアだが、まだその表情は晴れない。アルバートはエミリアの顔を覗き込むと目線を合わせた。
「他になにか?」
絡んだ視線にエミリアの頬が赤らむ。とっさにうつむいたエミリアだったが、ややあってアルバートの問いに答えるためにおずおずと口を開いた。
「周りの目が気になってしまって」
「周りの目?」
「アルバート様のことをお好きな方は多いので、今日私が一緒にいることで色々言われるのではと……」
だんだんと力なく尻すぼみになっていく言葉とは反対に、エミリアの手はギュッとスカートの布地を握りしめた。アルバートはエミリアの言葉に困ったように苦笑した後、せっかくのドレスがしわにならないようにとエミリアの手を取った。
「今日の夜会の主催はウェルズリー侯爵家だから、それほど口さがない人間は呼ばれていないはずだ。それに、何を気にしているのかわからないが、俺が君をエスコートするのは別におかしくない。謙虚なのは君の美徳だが、自信がなさすぎるのは少し問題だな」
そう言ってエミリアの手を離すと、アルバートは傍においてあった鞄から手のひら大の箱を取り出した。
「そんな君に俺からのプレゼントだ。さっそく今日の夜会で使ってほしい」
その言葉に首を傾げたエミリアだったが、目の前で箱の蓋を開けられて息を飲む。
そこにあったのは、一対のサファイアのイヤリングだった。
高価な贈り物にとっさに遠慮の言葉を口にしようとしたエミリアだったが、そんなエミリアの性格などお見通しのアルバートは、彼女が口を開く前に先手を打った。
「君が受け取ってくれないと、このイヤリングは無駄になってしまう。この間のハンカチのお礼だと思って受け取ってほしい」
そう言われてしまっては、受け取るしかない。エミリアは礼を言って今着けているイヤリングを外すとカバンに仕舞い、差し出されたイヤリングを遠慮がちに手に取った。しかし馬車に揺られながらの作業はうまくいかず、なんとか左耳には着けられたものの右耳に着けるのに苦戦してしまう。焦りはじめたところで見かねたアルバートがすっと身を乗り出してエミリアの手からイヤリングを奪い、右耳に手をかけた。
「失礼」
耳元で聞こえた声とアルバートの手の感触に思わずギュッと目をつぶる。カチャカチャと金属同士が触れる音がして耳たぶが重みを感じ、アルバートの指が耳を離れたかと思うと今度は唇に何かが触れる感触があって、エミリアはパッと目を開いた。
「なっ、なっ……!!」
エミリアの唇に触れていたのはアルバートの指だった。すぐ近くにはアルバートの顔があり、エミリアと目が合うとふっと笑って、乗り出していた身を元の位置に戻した。
「俺以外の前で無防備に目を瞑らないように」
「しません! もうアルバート様の前でも瞑りませんから!!」
内心あいた距離にホッとしながら赤い顔で眦をつり上げたエミリアの言葉に、アルバートは心底おかしそうに笑った。すっかり機嫌を損ねたエミリアはアルバートから視線を外すと、その姿を視界に入れないように窓の外の景色に意識を集中させたが、残念ながら顔の赤みは会場に着くまで引かなかった。
アルバート共に会場に足を踏み入れたエミリアは、会場内にいる参加者の目が一斉にこちらに向いたのを感じ、冷や汗をかいた。
(もう帰りたい……!)
基本的に夜会に出席しても壁際の花となっていたエミリアは、これほど多くの視線を集めることに慣れていない。先ほど腹を立てていたのも忘れて思わずアルバートを見ると、彼は微笑んでエミリアの手を引いて歩き出した。
幸いなことにウェルズリー侯爵夫妻の姿はすぐに見つかった。同時に向こうもこちらに気づいたようで、夫人の顔がパッと華やいだのを見て、エミリアも頬を緩めた。
「久しぶりね、エミリア。会いたかったわ」
「ご無沙汰しております」
「ロペス侯爵も、よく来てくださいました」
「いえ、こちらこそ。侯爵、本日はお招きいただきありがとうございます」
口々に歓迎の言葉を口にする夫妻に、エミリアとアルバートも礼を返す。ウェルズリー侯爵夫妻とは、それこそエミリアが物心着く前からの付き合いだ。父のジョセフとウェルズリー侯爵は若い頃からの友人同士で、お互いが成人して家督を継いでからも、時折家族ぐるみで交流が続いている間柄なのだ。侯爵夫人も小さな頃からエミリアを可愛がってくれていたので、エミリアにとっては社交界の中では数少ない一緒にいて安心できる相手だった。
侯爵夫人はにっこりと微笑むと、次いでアルバートに視線を向けた。
「ロペス侯爵も久しぶりね。すっかりご立派になられて。夜会にご出席されるたびに、多くのご令嬢の視線を集めているとお聞きしてますよ」
「勘弁してください」
そのやりとりに、侯爵夫人と交流があったのはアルバートも同じなのだとエミリアは悟る。そして次の瞬間、エミリアとアルバートを交互に見た侯爵夫人の瞳が好奇心に煌いた。
「それにしても、あの噂は本当だったのね」
「噂とは?」
「ロペス侯爵とスタイン伯爵家の令嬢の熱愛疑惑よ」
思わず悲鳴をあげそうになったエミリアだったが、既のところで耐えた。夫である侯爵が「おいおい」と宥めるものの、夫人は興味津々といった様子でアルバートとエミリアを見つめている。そんな夫人の様子にアルバートは苦笑して、口を開いた。
「残念ながら、真実ではありませんよ。私がエミリア嬢に惚れているのは事実ですがね」
その言葉が予想外だったのか、夫人は「あら」と目を見開いた。
「あなたが片想いだなんて! そんなこともあるのね」
「ええ。なので今は誠心誠意彼女に振り向いてもらえるようにアピールしているところです」
アルバートの言葉に、夫人は明るい笑い声をたてた。居たたまれなくなったエミリアが視線を泳がせると、夫人の横にいる侯爵と目が合い、申し訳なさそうに頭を下げられる。
「それにしても、誰にも心を動かさなかった貴方が見初めた相手がエミリアだなんてね。なかなかお相手を決めないからどうなる事かと思ったけど、見る目があって安心したわ。エミリアも、この際だから思う存分振り回しておやりなさい」
そう言っていたずらっぽく片目を瞑ると、「楽しんでいってね」と言い残して、次の客人に挨拶するために侯爵夫妻は2人の元を離れていった。
「相変わらずだな、あの人も」
ボソリと、エミリアにしか聞こえない声量でアルバートが呟いた。嵐のような勢いに押されっぱなしだったエミリアもその言葉には同意せざるを得ず、コクリと頷く。無邪気で強引で、どこか憎めない。昔からエミリアが知るウェルズリー侯爵夫人は、変わらず今も健在のようだった。
侯爵夫妻への挨拶を終えてからは会場内にいる知り合いと挨拶を交わしていたアルバートとエミリアだったが、そのうちに一曲目のカドリールが流れ始め、ダンスホールの中央で今夜の主催者であるウェルズリー侯爵夫妻が踊り始めた。その後、客人たちが次々に加わってステップを踏み、色とりどりのドレスがクルクルとダンスホールを舞う。
「俺たちも踊ろうか」
エミリアも例外ではなく、アルバートにそう促されると緊張しながらもコクリと頷き、踊る人々の中に加わったのであった。
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