15.狼侯爵からのプレゼント
季節は初夏に差し掛かったある日、一輪の白いバラを手に、エミリアは途方に暮れていた。
アルバートにハンカチを渡したあの日から、さらにアプローチするという言葉の通り、アルバートはエミリアに贈り物とメッセージカードを毎日送ってくるようになった。贈り物は今エミリアが手にしているような花だったり、美味しいと評判のお菓子だったりと色々だ。メッセージには、その日の気候や出来事などと共に「好きだ」とか「会いたい」とか、エミリアへの好意を示す言葉が綴られている。
律儀なエミリアは贈り物が届くごとにお礼のメッセージカードを返していた。一応、届き始めてから3日後に、いたたまれなくなってお礼の言葉と共に「こんなことはしていただかなくても大丈夫です」と書いて送ったものの、プレゼント攻撃が止む気配はない。
どうしようと思いながらもどこか嬉しく思ってしまう自分にため息をついて、エミリアは手にしていたバラを昨日もらったピンクのバラが活けてある花瓶に飾った。
そのまま近くの椅子に腰を下ろし、物思いに耽る。
贈り物と共にあの日からエミリアの頭を悩ませているのは、やはりアルバートが狼男なのではないかという疑念だ。
━━━━「これも大事にさせてもらうよ」
アルバートは「これも」と言った。あの時は近すぎるアルバートとの距離にいっぱいいっぱいで深く考えなかったが、エミリアはアルバートに贈り物をしたことはない。彼に限って言い間違えたということもないだろう。おそらく意図的に、エミリアにヒントを残したのだ。
思い当たるのは、エミリアが襲われた日のことだ。
あの日、エミリアは怪我をした狼男の腕に持っていたハンカチを巻いた。捨てられていなければ狼男の手元にはあのハンカチが残っているはず。狼男がアルバートだとしたら、彼の手元にはエミリアの刺繍が施されたハンカチが2枚あることになる。
(それに、私が襲われた日の夜会にも、その後の満月の夜会━━━━フェルゼンシュタイン卿に絡まれた夜会にも、アルバート様はいらっしゃらなかったわ)
言い伝えによると、狼男は満月の日にその姿を変えるという。もちろんアルバートが毎晩夜会に出席している訳ではないので単なる偶然の可能性も高いのだが、後者に関してはわざわざミハエルにエミリアのことを頼んでいたので、おそらくアルバートの元にも夜会への招待状は届いていたのだろう。つまり、アルバートにはあの夜会に出席できない理由があったのだ。
(それ以前はどうだったかしら……ダメね。いちいち満月かどうかなんて気にしていなかったからわからないわ)
年間を通して満月の夜に必ずアルバートの姿が夜会で見られないのであればある程度の根拠となりそうだが、たった2回では少なすぎる。
(それに、怪我のことだって謎のままだわ)
あの後、アルバートと同じ黒騎士団に所属する兄の友人に会う機会があったので聞いてみたのだが、アルバートがここ数ヶ月で訓練を休んだことはないらしい。怪我をしている様子も全くなかったようで、聞いた時にとても不思議そうな顔をされてしまった。
あの怪我であればおそらく訓練に支障が出たに違いないのにその様子もないとなると、やはりアルバートは狼男ではないのだろうか。
(あー! もう全然わからない!)
思考に行き詰まり、大声をあげたい衝動にかられたエミリアだったが、コンコンと部屋のドアをノックする音で我に返った。
「何?」
「旦那様がお呼びです。応接間に来るようにとおっしゃっていました」
「わかったわ」
返ってきたのはヘレナの声で、エミリアは思考を中断して、椅子から立ち上がると父の待つ応接間へ向かった。
応接間で父から手渡されたのは、ウェルズリー侯爵家からの夜会の招待状だった。
昔から付き合いのある侯爵家の名前にエミリアは大体の事情を察した。フェルゼンシュタイン卿の一件があってから夜会への出席を控えているエミリアだが、父であるジョセフもその理由は承知している。しかし今後のことを考えると全ての夜会を断る訳にもいかない。お世話になっているところには顔を出さなければならないし、このウェルズリー侯爵家はそのうちの一つだった。
「先方から是非エミリアに来て欲しいと言われてね。幸い、フェルゼンシュタイン卿の一件もご存知だからそこは考慮してくださるそうだ」
ウェルズリー侯爵夫人のことはエミリアも知っている。穏やかな人柄で、今エミリアを夜会に呼びたがっているのも、興味本位ではなく昔から付き合いのある伯爵家の令嬢を気遣ってのことだろう。
この夜会であればそれほど嫌な思いはしないだろう。そう思ったエミリアは了承の意を伝えるために口を開いた。
「わかりました。それではお父様かお兄様にエスコートをお願いできますか?」
「あぁ、それなんだが……」
「私がエスコートしましょう」
突如背後から聞こえた声にエミリアの全身が硬直する。ギギギと音がしそうな動きで振り返ったエミリアの目に映ったのは、応接間の入り口に立つアルバートの姿だった。
彼はジョセフに向けて一礼するとエミリアのそばまで来て、ジョセフが勧めた椅子に腰掛けた。
「ご連絡、ありがとうございます。エミリア嬢は私が責任を持ってエスコートさせて頂きます」
アルバートの言葉にどういうことだと父を見るとさっと目をそらされた。その態度から、どうやらエミリアからエスコートを頼むことはないと見越されて、アルバートに先手を打たれたらしいと察する。次いで抗議の意を込めた目線をアルバートに送ったエミリアだったが、にっこりと微笑み返されて毒気を抜かれた。
こほん、とジョセフが咳払いをする音が応接間に響く。
「それでは侯爵、お忙しい中申し訳ありませんが娘をよろしくお願いします」
「元はと言えば私のせいでエミリア嬢には窮屈な思いをさせてしまっているのですから、このくらいのことはさせてください。むしろ私としては彼女と過ごす時間ができて嬉しく思っております」
アルバートの娘への好意を隠さない言葉に、今度は父であるジョセフがたじろいだ。目線を泳がせたジョセフは「じゃあ、私はこれで」とそそくさと立ち上がる。
(ま、待ってお父様!!)
2人っきりにしないで、というエミリアの願いも虚しく、ジョセフはそのまま応接間を後にしてしまった。残されたエミリアは、アルバートと2人っきりである状況と、これからの夜会のことを考えてがっくりと項垂れる。
「君をエスコートするのは初めてだな。楽しみだ」
そんなエミリアの心情を察しているだろうに、アルバートは嬉しそうにそう口にした。エミリアからしてみれば、現在流れている噂を肯定するようで胃が痛いのだが、父が了承してしまった以上もう覆せない。ため息をひとつ吐くと、諦めてアルバートへ向き直った。
「よろしくお願いします。そして、あの……プレゼントありがとうございました。でも、お返事にも書きましたが、ご負担でしょうし、申し訳ないので毎日送って頂かなくても……」
「嬉しくなかった?」
「い、いえ! そういう訳では!」
悲しげに見つめられ、とっさに否定するとアルバートはニヤリと笑った。その表情に、先ほどの悲しげな顔は意図的なものなのだと気づいたが、もう遅い。
「俺が好きで勝手にやってることだから気にせず受け取って。さらにアプローチするって言っただろ。まぁ、目的は君に喜んでもらうだけじゃないけど」
「え?」
後半の言葉の意味がわからず聞き返したエミリアに、アルバートは「なんでもないよ」と笑った。
「それより今度の夜会のことだけど……」
そしてエミリアに追求する間を与えずに、アルバートは話題をウェルズリー侯爵家の夜会のことへ移す。気にはなったもののアルバートのペースに乗せられて話題を蒸し返すこともできず、エミリアは彼が帰る頃には自分が疑問に思ったこと自体すっかり忘れてしまっていた。
後日エミリアは、ヘレナから「毎日エミリアへのプレゼントが届くので、屋敷の女中の中で『健気なアルバート様を応援する会』ができている」という報告を受けて、頭を抱える羽目になるのであった。
侯爵、外堀を埋め始める。