14.ハンカチと決意
ハンカチが完成したその日のうちに、エミリアはアルバートへ手紙を書いた。書き終わった手紙を託した際、フローリアとのやりとりを見ていたヘレナは物言いたげな視線でエミリアを見たが、固く口元を引き結ぶ主人の姿に、結局は何も言わずに指示に従った。
アルバートからはすぐに了承する旨の返事が届いた。
そして今、エミリアはアルバートが初めて訪ねてきた時に案内した庭で彼と向かい合っている。
「どうぞ。以前お約束したものです」
エミリアが差し出した空色のハンカチを、「ありがとう」と言ってアルバートは受け取った。エミリアが刺したオオカミのモチーフを指で撫で、その横に刺繍された自分のイニシャルを見つけると、とても嬉しそうに目を細める。しばらくそのままハンカチを見つめていたアルバートだったが、ふと苦笑いを浮かべると視線をエミリアへと向けた。
「ところで、君は何をそんなに思い詰めた顔をしているのかな」
その言葉に、エミリアの体が硬直する。どうやらエミリアがいつもと違う気持ちでアルバートと対峙していたことはすっかり見透かされていたらしい。しばし逡巡したエミリアだったが、遅かれ早かれ口にしなければならないことだと覚悟して、アルバートの顔を真正面から見据えた。
「アルバート様、お話があります」
「何? できれば俺の望む話だと嬉しいんだけど」
真剣な口調のエミリアに対し、アルバートの返答は少しおどけた口調だった。黒い瞳はこれからエミリアが何を言い出すのかと興味深そうな光を帯びている。
今日だけはいつものようにアルバートのペースに乗せられるわけにはいかない。気を引き締めてエミリアは口を開いた。
「結婚相手に私を望んでくださったこと……とても光栄ではありますがお断りさせてください」
「理由は?」
じっとエミリアを見つめるアルバートに返すのは、刺繍をしながらずっと考えていた回答だ。早速手にじんわりと汗をかいてきたが、あくまで平静を装う。
「まず第一に、私ではロペス侯爵家の女主人は務まりません。アルバート様には、もっとふさわしいお相手がたくさんいらっしゃると思います」
「そんなことはない。俺は君がふさわしいと思っている」
アルバートは穏やかな表情のまま、エミリアの言葉を否定した。その表情にも口調にも、焦りや怒り、悲しみはうかがえない。彼にとって予想していた言葉だったのかもしれない。
対するエミリアも、今言った理由でアルバートが引き下がるとは思っていなかった。次の理由を述べるために、拳をぎゅっと握って口を開く。
「私はあまり言葉が上手くありませんので、単刀直入に申し上げます。アルバート様が私を妻にと望んでいるのは、私を好きだからではなく、ロペス侯爵家にとって口外されては困ることを私が知っていると思っていらっしゃるからでしょう?」
アルバートの表情は変わらない。ただ、静かにエミリアを見つめている。
「最初に申し上げた通り、私は狼男など見ておりません。この先何度、どなたに聞かれても同じようにお答えします」
例えそれが血を分けた家族でも、自分より身分が上の貴族でも、エミリアが狼男のことを口外することはない。そう信じてもらいたくて、エミリアはしぼんでしまいそうになる気持ちを奮い立たせる。
「だから━━━━」
声が震えそうになるのを必死に抑えて、エミリアはアルバートの瞳をしっかりと見た。
「アルバート様が私と結婚する必要はありません。どうか、私のことなど気にせず、心より愛する方と一緒になってください」
「嫌だ」
決死の思いで紡いだ言葉に間髪入れずに返され、ピタリとエミリアが硬直した。状況が飲み込めず、頭の中で何度もアルバートの言葉がリフレインする。そんなエミリアに向けてアルバートは一歩踏み出し、互いの距離を縮めた。
「0点だな」
「え?」
「君が考えている俺が君に求婚した理由。確かにあの夜会で声をかけたのは、おそらく君が考えている通りの理由だ。でも俺はもう、君があれこれ言いふらすとは思っていない」
「でしたら、なぜ……」
「君が好きだから」
あまりにもストレートな言葉に、エミリアはたじろいだ。そんなはずがないと首を横に振ってアルバートの言葉を否定する。
「う、嘘です!!」
「嘘じゃない」
「信じられません!」
アルバートがまた一歩エミリアに近付く。反射的に後退したエミリアだったが、すぐ後ろには植木が並んでおり、下がることができたのは一歩だけだった。幸いアルバートはそれ以上近づいてくることはなかったが、エミリアはその瞳にいつものアルバートにはない切なさを感じてさらに動揺する。
「どうしたら信じてくれるのかな……。それに、君はさっき俺にふさわしい人はもっと他にいると言ったけど、俺はそうは思わない。確かにロペス侯爵の妻としてふさわしい人間は他にもいるだろうけど、アルバート・ロペスの妻が務まるのは、俺が知る限り君だけだよ」
何を言っているのかわからない。エミリアの知るアルバートはいつだって夜会で令嬢たちの熱い視線を集めていた。彼が望めば喜んで妻になる女性はたくさんいるはずだ。エミリアでなければ務まらないなんて、そんなはずはない。
「というわけで、却下」
「え、あの……」
「君の言う理由が、俺の納得いくものではなかったので」
ここ数日考えに考え抜いて、決死の思いで口にした思いをあっさり打ち砕かれ、エミリアは半泣きになった。
「わ、私は! アルバート様のためを思って!」
「俺のためだって言うなら、さっさと頷いて結婚してくれるのが一番なんだけど」
そう言ってアルバートは拗ねたように唇を尖らせた。どうやらエミリアがアルバートの言葉を信じていないことが不満らしいが、エミリアからしたら信じられるわけもない。非難を込めて涙目で見返すと、アルバートは嘆息してガシガシと頭をかいた。
「今までひかれると思って遠慮してたのが仇になったな。今のままじゃ信じてもらえないようだから、信じてもらえるようにこれからはさらに君にアプローチさせてもらうよ」
その言葉に、エミリアの瞳に溜まりかけていた涙が引っ込んだ。瞬時に赤くなってしまった顔を慌てて俯いて隠す。
エミリアの中で、嘘だとアルバートの言葉を否定する自分とどこかで信じたいと思ってしまう自分が同時に現れて互いを牽制し合っていた。
何も言えなくなってしまったエミリアに対し、アルバートはさらに一歩距離を詰めた。エミリアの肩に手を多くと、耳元に顔を寄せて囁く。
「今日はここまでにしよう。改めて、ハンカチをありがとう。これも大事にさせてもらうよ」
アルバートの言葉にわずかに違和感を覚えたエミリアだったが、その違和感は近すぎる距離によって起きた動揺にあっという間に押し流されてどこかへ行ってしまった。
顔だけではなく首筋まで真っ赤に染めたエミリアを見てアルバートは満足そうな笑みを浮かべると、「じゃあ戻ろうか」と彼女を解放したのであった。
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ちなみにアルバートが納得するエミリアの答えは「あなたが嫌い」なんですが、もちろんエミリアにそんな嘘がつけるはずもありません。