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13.伝えてはいけない想い

エミリアは窓辺の近くに腰掛けて、チクチクと刺繍に励んでいた。時折手を止めて、こめかみを揉んだり首を回したりしては作業に戻ることを繰り返す。

悩んだ結果、アルバートに送るハンカチは薄い空色の布を選んだ。モチーフ自体は刺しなれたものなので、完成まではそれほどかからない。次に会うときには渡せることだろう。


(渡すときには、狼男のことは生涯誰にも言うつもりはないって伝えなくちゃいけないわね)


そう考えて、エミリアの手の動きが鈍った。伝えたところで、アルバートがエミリアの言葉を信用するかどうかはわからない。監視の目から逃れようとしているのではと、余計な疑いを持たれる可能性もある。1回だけではなく、根気強く何度も伝える必要があるかもしれない。


(そして、もし信じてもらえたら……)


アルバートとエミリアの縁はそこで切れる。

エミリアが狼男のことを口外する可能性がないことが証明できれば、アルバートはエミリアに構う必要がなくなる。もともと関わりなどなかった2人だ。今のように会話をすることもなくなってしまうだろう。


(そして、アルバート様はお似合いの美しい令嬢と結婚する)


自分とは似ても似つかない美女と連れ沿うアルバートの姿を想像し、エミリアの心が悲鳴をあげる。それでも、そうすることが正しいのだと自分を奮い立たせ、再度意識を手元に集中させようとしたその時、コンコンと扉をノックする音の後に、聞きなれた侍女の声がした。


「お嬢様、失礼します」

「どうぞ」


エミリアが入室を許可すると、入ってきたのは大きさの異なる2つの長方形の木の箱を抱えたヘレナだった。


「どうしたの?」

「クリス・エヴァンズ様からお嬢様にお届け物です。メッセージカードも届いております」


名前を聞いて首を傾げたエミリアだったが、メッセージカードを受け取り、書かれている内容に目を通すと、先日図書館で再会した黒髪の優しげな青年に思い至った。ワインを送ると言っていたが、どうやら本当に送ってくれたらしい。

ヘレナに開封してもらうと、大きい方の箱にはメッセージ通りワインが入っていた。エミリアも口にしたことのあるもので、国内でも多くの貴族が好んでいる銘柄だ。

もうひとつの箱に入っていたのは、ワインよりも一回り小さな瓶だった。箱の中にカードが入っていて、手に取って読むとこちらはどうやらワインではなくベリージュースのようだ。試作品なので、今度会ったときに感想を聞かせてほしい旨も記載されていた。


「ちょうどいいわ。そろそろスコーンも焼きあがる頃でしょうし、お母さまと飲みましょう」


そう言って立ち上がると、作りかけのハンカチをテーブルの上に置いてエミリアは自室を後にした。だいぶ肩も凝ってきたところだったので丁度いい。その後ろを心得たようにヘレナが付き従う。


タイミングのよいことに、刺繍に取り掛かる前にエミリアはヘレナと共にスコーンを作っており、料理長に頼んで焼いてもらっていたところだった。貴族の令嬢で料理をする者はあまりいないが、エミリアは料理好きな祖母と一緒に小さい頃お菓子づくりをしていた影響か、今でも時折こうして自ら腕を振るうことがあるのだ。


厨房に顔を出すとちょうど料理長がスコーンの仕上がり具合をチェックしているところだったので、エミリアは今から母と共にそれを食べる旨を告げ、ヘレナに支度をお願いすると今度は母の部屋へと足を運んだ。


「お母様、エミリアです。失礼します」


ノックをすると返事があったので名を告げて入ると、室内の椅子に腰掛けていたフローリアは、持っていた本を傍らにあったテーブルに置いてエミリアを見た。


「スコーンは焼けたの? もう食べられる?」

「ええ。それと、この間知り合ったエヴァンズ卿からワインとベリージュースをいただきました。ワインはまた後日味わうとして、今日のスコーンのお供はベリージュースにしましょう」


エミリアの言葉に、フローリアの瞳が輝く。エミリアの料理好きになったのは、作るお菓子を喜んで食べてくれる母の存在が大きい。今日も朝食の席でエミリアがスコーンを作ることを伝えると、とても嬉しそうに「それは楽しみね」と言ってくれたのだ。


そして、もともと食べることが好きな母は、エミリアのスコーンだけではなくエヴァンズ卿の名前にも嬉しそうに反応した。


「美味しそうな組み合わせね。ワインが有名なエヴァンズ伯爵領だけれど、その他の食べ物も美味しいと有名なのよね」

「そうなのですか?」

「ええ。だからきっといただいたベリージュースも美味しいわね」


そう言って嬉しそうに微笑むと、ウキウキした様子で立ち上がり、エミリアがヘレナに準備を頼んだテラスへと向かう。エミリアは、どこか子供っぽさの消えない母の姿に苦笑いしながら、後をついていったのだった。






「そういえば、ロペス侯爵とは最近どうなの?」


フローリアから無邪気な爆弾が投下されたのは、お互いスコーンを一つずつ食べ終わり、エミリアが二つ目に手を伸ばし、口に運んだところだった。反射的にむせかけたエミリアだったがなんとかこらえ、口に含んだスコーンを嚥下する。喉に残る違和感をベリージュースで流し込むと、口を開いた。


「どう、と言われましても……」

「もう何回か2人でお会いしているじゃない。何か進展はあった?」


進展はあったが、おそらくフローリアが想像しているようなものではないので、エミリアはどう答えようか悩む。瞳を泳がせた娘を見てフローリアはさらに畳み掛けた。


「ロペス侯爵は好みじゃなかった?」

「いえ、あの、そういうわけでは……」

「そうよね。あなた、彼のこと求婚される前から好きだったものね」


まさか母に見抜かれていると思っていなかったエミリアは目を見開き、みるみるうちに顔を赤くした。ついヘレナを見てしまったが、唯一エミリアの思いを知る侍女は慌てたように首を横に振って否定する。


「以前あなたと一緒に参加した夜会に、ロペス侯爵も出席なさっていたでしょう? あの時、あなたが彼を見ている目を見てそう思ったの」


動揺するエミリアに、フローリアは笑って種明かしをした。表に出したつもりはなかったが、どうやら見抜かれていたらしい。少女のような言動が目立つ母だが、時折思いもよらぬ鋭さを発揮することを忘れていたエミリアは心の中で呻いた。


「それでどうするの? お受けするの?」

「……そのお話ですが、おそらくなくなるかと思います」


無邪気な母の問いに、エミリアは苦虫を噛み潰したような顔で答える。両親が娘の結婚を願っていることは知っているが、無駄な期待を抱かせてがっかりさせるのは忍びない。


「あら、どうして? 会ってみたら幻滅してしまったの?」

「そういう訳ではありません。ただ、やはり私には過ぎた相手だと思います。私には特出した魅力もありませんし、数回会ったことで彼にもそれは伝わったかと……」

「あなたではなく、彼があなたに幻滅したと?」

「ええっと……まぁ、そんな感じです」


全てを説明することができないエミリアは、必死に頭を回転させながら言葉をひねり出す。大方間違ってはいないと思う。エミリアには狼男の件以外にアルバートをそばに引き止めておけるものを何も持っていないのだから。


自分の魅力のなさを再確認して落ち込んだエミリアに、フローリアは声をかけた。


「エミリア」


顔を上げると、静かな眼差しと目があった。


「あなたが自分に自信がないのは昔からだけど、あなたが思っているほどあなたは魅力のない人間じゃないわ」

「お母様」

「何があってロペス侯爵があなたに幻滅したと思っているのか知らないけど、ただの思い込みかもしれないわよ。この間公園からあなたを送り届けてくださった時にもお会いしたけど、少なくても私の目にはロペス侯爵があなたに幻滅しているようには見えなかったわ。好きなんでしょう? そう伝えてみればいいじゃないの」


フローリアの言葉にエミリアの目に熱いものがこみ上げる。もし本当にアルバートがエミリアを好きになって求婚してきたのであれば、伝えることができただろう。でもそうではないのだ。


「だめ……なんです」


告白なんて、そんなことをしたら、アルバートを困らせてしまうだけだ。彼をこれ以上煩わせるわけにはいかない。

室内に、しばしの間沈黙が満ちた。フローリアもヘレナも、じっとエミリアを見つめていた。その2人の視線を感じながら、エミリアは深く息を吐いて心を落ち着かせ、口を開いた。


「すみません。自室に下がってもいいでしょうか。色々考えたくて」


俯いたまま、震える声でそういったエミリアにフローリアは「いいわよ」と許可をだす。

エミリアは立ち上がり頭を下げると、フローリアに背を向けて足早にその場を退出した。とにかく今は、1人になって頭の中を整理したかった。


そんな主の姿を、心配そうに見送るのは侍女のヘレナだ。アルバートと関わるようになってからというもの、エミリアは前よりも考え込む時間が増えた。気を許している侍女として自分には他の人間よりも多くのことを話してくれているとは思うが、それでも全てではない。今追いかけていっても、きっと彼女の憂いを晴らすことはできないのだろうと思うと、ヘレナにはそれがとても歯がゆく感じた。


「ヘレナ」


名前を呼ばれて振り返ったヘレナの目に映ったのは、困ったように微笑むフローリアの姿だった。


「私の見立てではね、ロペス侯爵はあの子を逃がさないと思うわ」


そう告げられて、ヘレナは瞠目した。そして、主が少しでも心穏やかに過ごせるようにと祈ったのであった。



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