10.狼侯爵の謝罪
アルバートから花と共にメッセージカードが届いたのは、ベルノルトに絡まれた夜会の翌日だった。
どうやらミハエルは、あの後すぐにアルバートに夜会で起こった出来事を伝えてくれたらしい。メッセージカードには、エミリアを心配し、できれば近日中に伯爵家を訪れて顔を合わせたい旨が記されていた。
エミリアは少し悩んだ後、自室の机から便箋を取り出し、了承の返事を書くとヘレナを呼び、手紙を出すように頼んだ。
ヘレナの背中を見送って、エミリアは花瓶に生けられた花のそばに移動する。
アルバートが送った花束はピンクを基調に作られており、メインになっているのはピンクのバラだ。顔を寄せればバラのいい香りが鼻孔をつき、エミリアは思わず顔をほころばせた。しかし、すぐに送り主である青年のことが頭に浮かび、笑みを引っ込める。
「あなたの送り主は何を考えているのかしらね」
指先でつんと一輪のバラをつつくと、バラはまるで「知らない」とでも言いたげに揺れた。
アルバートが伯爵家を訪れたのは、それからさらに2日後のことだった。
父も母も不在の伯爵家の応接間で、ドアを少し開けた状態でアルバートと向かい合う。玄関で出迎えてからというものアルバートは始終申し訳なさそうな顔をしており、いつもの快活そうな雰囲気が今日は影を潜めていた。
「そんな顔をなさらないでください」
耐えかねて、エミリアはそう口にした。アルバートのエミリアに対する行動がきっかけではあるものの、別に彼自身に何かされたわけではない。むしろアルバートはエミリアが不愉快な思いをすることを予期して、ミハエルにエミリアのことを頼んでいてくれた。
エミリアの知っているアルバートは、その明るさで周囲の人を引き付ける、侯爵でありながらどこか人懐こい男だ。そんな男のしょげかえった大型犬のような姿など、いつまでも見ていたいものではない。
「フェルゼンシュタイン卿との関係に巻き込まれたことについての謝罪は受け取りました。私はべつにアルバート様の所為だとは思っていませんので、これ以上の謝罪はして頂かなくても大丈夫です」
正直に言えばアルバートの所為だと思う気持ちが全くないわけではないが、エミリアには感情にまかせてそれを本人にぶつける気はない。アルバートはエミリアの言葉を受け、目を閉じて逡巡してから口を開いた。
「君の寛大な心に感謝する。そして、巻き込んでおいて申し訳ないが、お願いしたいことがあるんだ」
「……なんでしょう?」
「君からしたらとても理不尽な要求に聞こえるだろうけど、しばらくは俺がいない夜会への出席は控えてほしい」
その要求は、エミリアにとっては予測していたものだった。
今までと同じ頻度で夜会に参加すれば、間違いなくどこかでベルノルトと再び会うことになるだろう。この間の夜会で彼がこちらに関わってくる気を失っていればいいが、そうではなかった場合、厄介なことになる可能性が高い。
「まだ君に結婚を受け入れてもらっていない男がこんな要求をするのは筋違いだとはわかっている。でも何かあってからでは遅いんだ。侯爵家を継ぐ立場のベルノルトがあれ以上の行いをするとも思いたくないが、絶対にないと言い切れない。参加したい夜会を教えてもらえれば、なるべく予定を合わせるから……」
頼む、と苦悩にみちた表情で頭を下げたアルバートを見て、エミリアは静かに口を開いた。
「……しばらくの間、出席するのは必要最低限の社交の場だけにしようと思っています」
エミリアの言葉に、アルバートがハッと顔を上げた。
「女性同士の茶会ではなく、男性も参加するような場であれば、父か兄に同行を頼みます。……もしどちらも参加できないようであれば、アルバート様にエスコートをお願いします」
それでいいでしょうか、と聞いたエミリアにアルバートはほっとしたように頷いた。
もともとエミリアは好き好んで夜会に出席していたわけではない。結婚相手を探す必要があったのでやむを得ず参加していたのだ。アルバートとの噂が流れてしまった今、行ったところで望んでいた成果が得られるとは思えないので、参加する意味はほとんどない。
それにベルノルトのこと以外にも懸念はある。令嬢たちの目線だ。先日の夜会では鋭い目線を送られるだけで済んでいたが、そのうち行動的な令嬢は何かしらのアクションを起こしてくるだろう。口頭で嫌味を言われるくらいで済むならいいが、もっと悪質な嫌がらせをされないとも限らない。
その状態で、毎回夜会にアルバートと共に参加していたら、火に油を注ぐばかりだ。アルバートとエミリアが両想いの婚約者同士であるならば、そういった嫌がらせも耐えてみせようと思えただろう。しかし、現状はそうではない。これまでの交流から、アルバートにエミリアや狼男を害する気はないのかもしれないとは思っているものの、確証はないままだ。エミリアにとって、アルバートは未だ真意の見えない相手だった。
(今こうして私の前に見せている姿だって、演技かもしれないもの……)
そう思うとチクリと胸が痛んだ。その痛みに気付かないふりをして、エミリアはわざと明るい声を出した。
「それにしても、アルバート様にもうまく付き合えないお相手がいらっしゃるんですね」
これ以上の謝罪はいらないというエミリアの意図が伝わったのだろう。アルバートは苦笑して答えた。
「全員に好かれる人なんて存在しないさ。俺のことを嫌いな人もいれば、反対に俺にだって嫌いな奴はいる」
「フェルゼンシュタイン卿のことはお嫌いなのですか?」
「……今回のことで嫌いになったな」
エミリアは、少し驚いて目を見開く。つまり、今までは嫌ってはいなかったということだ。エミリアにまで絡むくらいなら、当人であるアルバートはもっと嫌な思いをしているだろうに。
「ベルノルトのことを気の毒だと思う気持ちがないわけではない。フェルゼンシュタイン侯爵は厳しい方で、話を聞く限り息子を褒めるようなことはしたことがないようだ。努力しても努力しても認められず、他人と比較されてばかりいれば、それはさぞ辛いだろう」
「それは、そうでしょうね」
「でもだからと言って他人に迷惑をかけていいわけじゃない。俺に突っかかってくるだけならいいが、彼は関係のないエミリアを巻き込んだ。それは許されないことだ」
冷静に見えるが、少し感情的になっているのだろうか。「君」でもなく「エミリア嬢」でもなく「エミリア」と呼ばれたことに気づき、エミリアの心に動揺が走った。
(い、今はこんなことにドキドキしてる場合じゃないのに……!)
急に視線を泳がせたエミリアの態度を不審に思い、アルバートは訝しげにエミリアを見つめる。しかしすぐに原因に気づき、しまったとでもいうように口元を片手で押さえた。
「すまない。つい……」
エミリアは心の中で叫んだ。彼はもしかして自分がいないところでは、「エミリア」と呼び捨てにしていたということだろうか。
アルバートはエミリアの態度を拒絶ととったのか、悲しげな顔でエミリアを見つめる。
「嫌だったか……?」
弱々しい「クゥン」という鳴き声が聞こえた気がした。エミリアの脳裏に、待ての姿勢のまま、その場にはもう戻らない飼い主を待つ大きな犬の姿が浮かぶ。心臓がぎゅっと締め付けられるような感覚に、息を飲んだ。
その一方で、アルバートが初めて伯爵家を訪れた時も、この表情を浮かべられて、結局彼の希望通りことが運んだことを思い出す。
あの時のように流されてなるものか。
アルバートには見えない位置にある手をぎゅっと握って口を開いた。
「す、好きなようにお呼びになってください!」
この瞬間、エミリアは自分がアルバートの悲しげな表情に異様に弱いことを悟ったのであった。
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