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9.満月の夜会

 夜会の会場でエミリアは一人、今日この場に足を運んだことを後悔していた。

 前々から参加すると返事をしてしまっていた夜会とはいえ、体調不良を理由に休んでしまえばよかったと思っても後の祭り━━━━。


(まさかこんなの広まるのが早いだなんて!)


 先日、アルバートと夕食を共にしたことが、エミリアの予想を超える速さで社交界に広まっていたのだ。髪色が特徴的であったことも相まって、あっという間に相手がエミリアであることが特定されてしまったらしく、エミリアはこの会場で多くの令嬢から刺すような視線を受けていた。


(針のむしろとはこのことだわ……)


 そっとため息をついたエミリアは、傍にあった窓から夜空を見上げる。

 そこには満月が煌々と輝いていて、見ていると今の状況の発端となった出来事が頭に浮かんできた。


(あぁ、あの夜からもう1ヶ月も経つのね)


 再び狼男にあった夜も、満月の夜だった。

 あの出来事がなければアルバートが自分に声をかけてくることも、こうして周りの令嬢から睨まれていたたまれない思いをすることもなかったに違いない。


 そういえば、狼男は満月の夜に変身するという。その言い伝えが真実だとしたら、今夜もあの狼男はこの街のどこかにいるんだろうか。

 そうエミリアが物思いにふけっていると、突然頭上から低い男の声が降ってきた。


「お前が、エミリア・スタインか?」


 あまり好意的とは言えないその声にエミリアがハッとして顔を上げると、そこに立っていたのは赤みがかった茶色の髪を持つ、背の高い筋肉質な体つきの男だった。

 男の鋭い目つきに萎縮しながらも、エミリアは「はい」と肯定し、淑女の礼をする。


 男はエミリアを認識していなかったようだが、エミリアは男を認識していた。

 ベルノルト・フェルゼンシュタイン━━━━アルバートと同じく騎士団に所属する、フェルゼンシュタイン侯爵家の跡取りだ。


 エミリアを見下ろすベルノルトの背後には、対照的な2人の男が控えていた。1人はウェーブがかった黒髪を持つ柔和な顔立ちの男で、もう1人は金髪の神経質そうな男。今まで全く関わりのなかったベルノルトが話しかけてきたことにこ

 困惑したエミリアだったが、それだけではなく3人もの男性に囲まれていたことに気づき、身体を固くする。


「ふぅん……お前が」


 そんなエミリアを、ベルノルトは不躾に上から下まで眺めると鼻で笑った。

 追従するように金髪の男が笑い声をあげる。ただ一人、黒髪の男だけはエミリアをみて申し訳なさそうな表情を浮かべていた。


 なんとなく嫌な予感がしたエミリアだったが、残念ながらその予感はすぐに当たることになる。


「まぁいい、俺と踊れ」


 そういってベルノルトは半ば強引に困惑するエミリアの手首を掴むと、ダンスホールの中央へと引っ張っていった。驚きのあまり何も言ないエミリアが助けを求めてあたりを見渡すが、誰一人止めようとするものはいない。


 中央にたどり着くとほぼ同時に曲が変わり、仕方なくエミリアは踊りだしたベルノルトに合わせてステップを踏み始めた。


 しかし、踊り始めてすぐ、エミリアは早く曲が終わるように祈る羽目になる。ベルノルトのダンスは、エミリアの体格を全く考えられていない動きで、体格差のあるエミリアは転ばないように必死についていかなければならなかった。


(アルバート様の時は、こんな感じじゃなかったのに……!)


 思わず、一番最近共に踊った相手であるアルバートと比べてしまう。

 ダンスは踊る相手によってこんなに違うのだと、エミリアはこの時、身をもって実感した。


 どうにか最後まで転ぶことなく踊り終え、ほっとしたエミリアだったが、彼女の苦難はこれだけでは終わらなかった。


「こっちに来い」


 息つく暇もなくベルノルトはエミリアの手を引いて歩き出す。ベルノルトが目指す先がテラスであることに気付き、エミリアはその場にとどまろうと足に力を入れて踏ん張った。アルバートの時と違い、これだけ強引な相手と二人っきりでテラスに出ることに、本能が警鐘を鳴らしていた。


「ちっ、大人しく言うことを聞け!」


 エミリアの抵抗に苛立たし気に舌打ちをしたベルノルトは、周囲に聞こえない程度の声量で毒づくと、さらに強引にエミリアの手首をひいた。

 恐ろしさのあまり震えあがったエミリアだったが、その瞬間、涼し気な声が割って入った。


「何をしているのかな? フェルゼンシュタイン卿」


 振り向いた先にいたのは、ミハエル・ブランドン━━━━未来の宰相と称されるブランドン公爵家の次期公爵だった。

 突然現れた邪魔者を威圧しようと口を開いたベルノルトも、自分より高い爵位の家に生まれた青年を前に言いかけた言葉を飲み込む。


 ミハエルは、そんなアルベルトをじっと見ながら口を開いた。


「レディを強引に連れ出そうとするのは感心しないね。ましてや相手への純粋な好意ではなく、他の男への対抗心で声をかけるなんてとても失礼だと思うよ」


 優しげな口調ではあるものの、内容は無作法なベルノルトへの非難だ。

 女性的とも表される優しげな顔立ちに浮かべられているのは微笑みのはずなのに、どこか相手に物言わせぬ迫力があり、エミリアの背筋に冷たいものが走った。


「い、いえ。私は強引に言い寄ってなどおりません、ブランドン卿。エミリア嬢と共に楽しくお話をするために場所を移そうとしていただけです。そうでしょう、エミリア嬢」


 慌てた様子で、ベルノルトはそう言うとエミリアに視線を合わせた。その視線に圧力を感じ、たじろいだエミリアを見てミハエルは眉をひそめる。


「あなたにそう言われてエミリア嬢が否と言えるとでも? 立場や状況を考えて拒否できない相手にそう言った質問をするのは、とても紳士的な態度とは言えないね」


 瞬間、ベルノルトの顔が赤らんだ。言い返そうとして、ミハエルだけではなく周りの人々からも冷たい視線を向けられていることに気づき、たじろぐ。結局、ベルノルトは悔しげに顔を歪めると掴んでいたエミリアの手を乱暴に離し、「失礼する!」と大声で言い捨て、足早にその場を去っていった。


 呆然とその背中を見送っていたエミリアだったが、ハッと我に返るとミハエルに対し頭を下げた。


「助けて頂きありがとうございました」

「いや、礼には及ばないよ。むしろアルバートのやつには、遅いと叱られそうなくらいだ」


 そう言って、ミハエルは困ったように笑った。


「本当はもっと早くに着くはずだったんだけど、仕事が長引いてしまってね。会場に着いたところで、あの黒髪の彼に君がベルノルトに絡まれていると伝えられたんだ」


 そういってミハエルが少し離れた場所を示すと、さきほどベルノルトと一緒にいた黒髪の青年が友人らしき人物と談笑しているのが見えた。どうやら彼は、エミリアがダンスを踊っている間にベルノルトを止められそうな人間を探しに行ってくれていたらしい。

 エミリアが視線を向けたタイミングで、丁度こちらを見た彼とパチリと目が合う。ほっとした顔で軽く会釈をされたので、エミリアも感謝の気持ちを込めて会釈を返した。


 ミハエルに視線を戻すと、彼は苦笑いしながら、なぜエミリアがベルノルトに絡まれたのかを教えてくれた。


「フェルゼンシュタイン卿は決して無能な人間ではないんだけどね。昔から比較されることが多かった所為か、アルバートが絡むと正常な判断力を失うんだ。それでも昔はもうちょっとまともだったんだけど、アルバートが爵位を継いでからはさらにひどくなってしまって、白騎士団の団長も手を焼いているみたいだよ」


 騎士団は大きく2つに分けられている。アルバートの所属する黒騎士団と、ベルノルトが所属する白騎士団だ。

 ミハエル曰く、侯爵家の出で年齢も同じ2人は、騎士団に所属した当初から比べられることが多く、しかもあらゆる面でベルノルトはアルバートに及ばなかったそうだ。

 普通は次男であるアルバートが爵位を継ぐことはないので、将来的に爵位を継ぐ自分の方が優位だと思うことでプライドを保ってきたのに、それが覆されてしまい、ベルノルトはなけなしの余裕を失ってしまったのだという。


「今回の件も、アルバートが好意を寄せている君が自分になびけば、アルバートに不愉快な思いをさせられるとでも思ったんだろう。巻き込まれて災難だったね」

「……そうだったんですね」

「アルバートに会った時に、しっかり報告しておくといい。もちろん、私の方からも伝えておくけどね」


 ミハエルの言葉にエミリアは「はい」と頷いた。とはいえ、次にアルバートに会う予定は特に今の所ないのだが。


 その後、ミハエルはエミリアに帰宅を促し、また絡まれるといけないからと馬車のところまで送ってくれた。馬車に乗り込むと緊張が解けたのか、エミリアは急激に体が重くなるのを感じて座席に沈み込んだ。


(ブランドン卿は、きっとアルバート様に頼まれたのね)


 馬車の窓から満月を見上げながら、エミリアは今日の夜会にいなかった黒髪の青年のことを思う。

 そうでなければ、彼があそこまで自分を気遣う理由がない。今日の夜会に参加することは、先日アルバートと食事を共にした時に伝えていた。彼は、今日の夜会に自分が来られないから、参加する友人のミハエルにエミリアのことを頼んだのだろう。


 ベルノルトとの確執に巻き込まれて散々な目に会ったはずなのに、アルバートが自分のことを気にかけてくれていたことを嬉しいと思う自分の心を自覚して、エミリアはそっとため息をついたのだった。



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