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あの日あの時あの場所で君に会えなかったら、伸一



暇である。時間を持て余している。

何かを習いたいと思っていた。外国語、華道、茶道、習字等、色々考えていた。自信を持って言うが、何れも長続きしないと思える。そうだ、私は飽きっぽいのだ。

私は十代の頃2つの大病をして、身体が余り丈夫な方ではない。そのせいでまともな職にもありつくことが出来なく、しがない接客業を週に3~4日で糊口を凌いでいる。いっそのこと風俗店で働こうかと思った事もあったが、一度面接に行って内容を聞いたらかなりの重労働で私には不向きだと分かったので止めた。風俗業は健康な女性しか働けないと思う。

週の半分しか働かないのは身体に負担が余り掛からないが、いかんせん暇だった。

パチスロを打ちに行ってもいいのだが、一日中打っていると次の日はダウンしてしまう。それ程私は身体が弱かった。

「手話を習いたい」そんな気持ちがふと頭を過った、何故だか分からないが手話出てきた。テレビのニュース等で良くお目にかかるあの手話だ、腕や手を使って言葉を表すジェスチャーの様な物に惹かれる。自分も使えたら楽しそうだと思う。

私は早速手話サークルについて調べた、割と数が多い。住まいの近くにもある。意外と手話を身に付けている人は多いのだろうか、でも実生活で手話を使っている人を見た事は殆んどない、何処に需要があるのだろう。

手話サークルを選ぶに至って、私は耳の不自由な人が多く在籍している事を条件にした、これなら彼等が普段使う身近な手話に触れる事が出来そうだ。

色々調べて、結果A区のHと言う手話サークルが妥当だと思った。このサークルは耳の不自由な人の在籍が半数以上なのだそうだ、木曜日の午後6時から相鉄線の鶴ヶ峰駅の近くの集会所を借りて集まっている様だ。

私は運営している所に連絡を入れる、会費は半年毎に三千円らしい。初心者でも大丈夫かと尋ねると問題ないとの答えをもらった。入会の手続きは現地で行うとの事で、わざわざ入会の為に足を運ぶ手間もなかった。

私は入会したいとの旨を伝え電話を切る、明後日が楽しみだ。

当日、何を着ようか迷ったが先週赤いハイヒールを買ったので、ハイヒールに合わせて赤いスーツを着る事にした。手話は手と腕を使うだろうから長い髪はシニョンに纏めた。

午後5時半を回った頃横浜駅の西口から相鉄線に乗る、鶴ヶ峰は急行で二俣川迄出て一つ手前に戻るのが早いと思ったが時間に余裕があるので各駅停車で行く事にした。相鉄線の各駅停車は怠い、駅と駅の間も大して距離はなくちょこちょこ止まる。バスみたいだ、そう思いながら外の風景を見る。

横浜生まれの横浜育ちの私だが、相鉄線には余り縁がない。自慢じゃないが、数える程しか乗った事がなかった。そのせいで辺りはもう暗くなりつつあったが電車からの風景が新鮮に感じる。

鶴ヶ峰に着いたのは午後6時だ、まだ少し時間がある。駅前のマクドナルドに入ってアイスコーヒーを飲んで煙草を2本吸った。サークルでは煙草は吸えないだろうからここで吸っておこう。

時間の3分前に指定された集会所に着く、もう皆集まっている。私は靴を脱ぎ下駄箱に突っ込むとスリッパを履いて扉を開け中に入った。皆が一斉に私に目を向ける、ちょっと恥ずかしい。

「もしかして、ご連絡頂いた長瀬さんですか?」

ジーパンにトレーナーのラフな格好の私より一回り位上の女性が声を掛けてくれた、多分このサークルの責任者だろうと直感的に思う。

「はい、一昨日連絡致しました長瀬です」

彼女はざっとこのサークルに就いての主旨や理念を説明する、ここは耳の不自由な人が多く謂わば健常者との交流をする場も兼ねているのだそうだ。

「私全くの初心者で何も知らないんですが」

「皆さん最初はそうですよ、心配は要りません」

そう言って暖かく迎えてくれる、優しい人だ。

私はその日が初日だが、まだ入って日の浅い人も何人か見受けられる、そんな初心者には手話の上手い人が中に入って簡単な挨拶や自己紹介の仕方を教えてくれる。教え方も丁寧で分かりやすいが、何分全く何の予備知識もない私には難しい。

そんな中私は周囲の視線を感じていた、チラチラと何人か時々私を見ている様だ、頭にゴミでも着いているのか。

「何か着いてますか?」

指導してくれている男性に聞いた。

「え?何がですか?」

「さっきから何方か見られているみたいで、もしかしてゴミ着いてたりします?」

「あ〜成る程、それは長瀬さん、でしたか?長瀬さんの服装が目立つんですよ」

そう言われて周囲を見渡す、皆、ラフな服装だ。スーツ姿の仕事帰りのサラリーマン風の人もいるが皆基本的にはラフな格好だ。私は短いスカートの真っ赤なスーツにこれまた真っ赤なマニキュア、大き目なネックレスとブレスレット、粒の大きいサファイアの指輪と言う格好をしている。確かに目立つ、と言うか浮いている。

「皆普段着だからね、でも気にしなくて大丈夫」

彼はニッコリ微笑んだが私は恥ずかしかった。

サークル活動が終わると、アフターと称して時間のある者は集まってお茶を飲みながら世間話をする。その中でも手話で会話がなされるので早く上達したかった私はアフターに参加する事にした。

場所はその時によって違うのだが、その日は駅前のマクドナルド、さっき行った所だ。皆それぞれに席に着く、4人掛けのテーブルに腰を掛ける、目の前には耳の不自由な福井さんと言う人とさっき指導してくれた男が座った。右隣には主婦の堀口さんが座る、年の頃は40代前半と言った処か、気のいいおばさんだ。

煙草を吸っても大丈夫かを周りに聞くと、福井さんも堀口さんも嗜む様で、皆で煙草を吸った。指導の男は吸わないのだそうだ。

福井さんが私の肩を叩いた、伝えたい事がある様だ。しかし私は全然分からない、戸惑っていると男が通訳をしてくれた。

「キレイな人ですね、と言ってます」

私は覚えたてのありがとうと手話で答えた、嬉しかった。

「俺で良ければ個人的に教えてあげます」

と男が申し出た。堀口さんがからかう。

「美人だもんね〜シンちゃんもやっぱり男の子だね」

アフターの後それぞれの帰路に着こうとしていると、男は私に声を掛けて来た。

「時間あったら教えますが、どうですか?」

答えは勿論イエスだ、手話は難しいが面白く早く沢山の手話を覚えたい。

彼のライトエースで近くの深夜迄営業しているファミリーレストランに向かう、午後9時の店内は空いていた。

「改めて、俺、斉藤伸一と言います、宜しく」

「長瀬です、こちらこそ宜しくお願いします」

そうか、確かさっきもサークルで自己紹介し合っていたが斉藤って言うのか、失念していた。覚える事が多くて人の名前を覚える暇がなかった、すまない。

「大体伸ちゃんって呼ばれてるから、それでいいです」

彼はペコリと頭を下げた。

「私は美葉、美しい葉っぱと書きます、好きに呼んで下さい」

それから少しの間お互いの事を話した、同い年だった。

「サークルに来る時は別にキッチリした服装じゃなくても平気だよ」

そうだ、今日も皆ラフな格好で集まっていたのを思い出す。しかし私はジーパンやジャージ等は持っていなかった、革のパンツなら何本かある。

「初心者なら指文字を先ず一通り覚えておくといいかも知れない」

伸一は指で五十音を表す、サークルでも少しやったが全然覚えていない。

「え〜っと、こう?」

「あ」を手で表す。

「そうじゃないよ、こうだよ、これが、あ」

握り方が少し違う、成る程、「あ」はこうするのかと彼の真似をする。

「そうそう、そんな感じ」

彼は傍らのメニューを取ると適当にページを開き、フルーツパフェを指差した。食べたい訳ではない。

「例えばこれ、指文字だとこうなる」

彼はフルーツパフェを指文字にするが、早過ぎて一度では分からない。私は何度も繰り返して貰いようやくフルーツパフェを指文字で表現する事が出来た。覚える事は楽しい。その後指文字の五十音を少し教えて貰った。

「俺で良ければ何時でも教えるから、少しずつ覚えればいいと思う」

「そもそも、一気には無理です」

「今度、本とかビデオがあるから貸すよ」

有難い申し出だ、ここは是非ともお願いしたい。

遅くなったので、伸一は送ると言ってくれたので近くのコンビニ迄送って貰う事にした、車中彼は殆んど喋らない。機嫌が悪い訳ではなく無口なのだ。一時間程でコンビニに着いた。

「じゃあまた来週」

「今日はありがとう、また宜しくね」

彼はライトエースを発車させた、コンビニで雑誌と飲み物とスナック菓子を買って私は部屋に帰って指文字を練習しようとしたら、指がつった。痛かった。(続)

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