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伸一悲しみのインド料理店




その日は少し蒸し暑かった。ゴールデンウィーク明けの初めての土曜日、私は柄にもなく少々緊張していると同時にワクワクとした気持ちになりながら何度も時計を見ていた。

この間伸一にCoCo壱番屋でご馳走になったお礼として、私は銀座のAというインド料理の店を予約したのだ。

待ち合わせは午後4時に八重洲のFというホテルの喫茶室を指定した。ここは私のお気に入りの場所だ、落ち着いた雰囲気で差し支えなかったら何時間でも居座りたい位だ。ただ、今日は違う。伸一との待ち合わせだ。入り口から真っ直ぐに喫茶室に向かう、まだ約束の時間には30分程早かったがアイスコーヒーが飲みたかった。

いつも通り喫茶室は空いている、係の人に待ち合わせであると告げると窓際の席に通された。

私はアイスコーヒーを注文すると、さも待ってはいませんよとばかりにバッグから文庫本を取り出し読み始めたが内容が頭に入って来なかったので煙草に火を点けた。煙を思い切り吸い込み少し噎せて目の前のアイスコーヒーをがぶ飲みしたらグラスが直ぐに空になり2杯目を注文した。

ふと入り口を見ると伸一が立っていた。私は小さく手を振ってジェスチャーでこっちだと示した。

「早いね」

「私が誘ったからね、それより何飲む?」

彼は少し思案気に首をひねった後、同じ物でいいと言った。

「来てくれてありがとう」

「いやいやいや、こちらこそ嬉しいな」

彼は辺りを見回し、ため息を吐く。

「こういう所良く来るの?」

「ここね私のお気に入り」

「なんか凄いね」

「単なる喫茶店だよ、落ち着くし本も読める」

インド料理店の予約は午後5時半だ。私達はきっかり30分前に喫茶室を出ると、銀座方向へと歩き出した。

「コーヒーご馳走様」

「今日はこの間のお礼だから、いいんだよ、それよりこれから行く所は何処でしょう?」

「そうそう、俺聞いてないから分からないんだけど」

「ヒント伸さんの好物」

彼の瞳はみるみる輝いた。こんな使い古されたフレーズがピッタリとばかりに本当にみるみる輝いたのだ。道中彼は「マジかぁ」を連発し、猫に鰹節をばら蒔いた様に浮き足だっているのが分かった。その様子を私は目を細めて楽しんでいる、きっと喜んで貰えるに違いないとその時はそう思った。

店に着くと私は自分の名前を告げ、席に通される。店の中はスパイスの匂いが溢れていた。

「いい匂いだねぇ」

「伸さんの好きな匂いでしょ?」

「う〜ん、いい匂い」

ウェイターがメニューを持って来る。私はメニューを広げ、まずは飲み物を注文しようと彼に伝えた。

「カレー屋さんじゃないの?」

彼は聞き取れるギリギリの声の大きさで呟く。

「そうだよ、インド料理屋さんだよ」

「……………何頼めばいいの?」

「取り敢えず飲み物頼んで乾杯」

私はインドビールとラッシーを注文すると、彼を見つめる、彼の顔には戸惑いが深く表れているのが分かった。飲み物が運ばれて来る迄に迷ったが、私はこの「インド宮廷料理のコース」を食べようと彼に提案をすると彼は黙って頷いた。

「伸さん、乾杯」

「お、おう」

グラスを合わせると彼はインドビールを半分位飲んだ。

「これはビールなの?」

「インドのビールだね、私は飲めないから色からするとエールに近いかもね」

「ミイちゃんのは?」

「これはラッシーって言うヨーグルトドリンクだよ、インドはっても北の方だけど酪農も盛んだから乳製品は良く飲み食いするね」

「なんかミイちゃんは色々知ってるね、行った事あるの?」

「インド?あぁ、少しなら回ったよ」

私は以前訪れた事のあるインドの話をした。伸一は言葉少なく時々相槌を打ちながらビールを飲んだ。

その内に料理が次々と運ばれて来る。彼は驚き、戸惑うのが良く分かった。

タンドリーチキン、シシカバブ、等テーブルに置かれる度に私はその料理について説明をした。

「美味しいね」

彼はそう言って次々と皿をあけていくが、そこにはCoCo壱番屋で私に見せたいきいきとした表情は伺えなかった。内心、失敗に終わったと思った。私は彼を喜ばせたかったのに酷く傷付けてしまったのかも知れないと早くも後悔し始めていた。

何種類ものカレーとナン、サフランライスが運ばれて来る。もしかしたら、このカレーで喜んでくれるかもと一縷の望みを託す。

「これは何?」

伸一は大きなナンを指す。

「ナンだよ」

「だから何?」

「ナンだってば!」

「え〜っとだから何って聞いてるの!!」

「だからナンだってば〜〜!!」

すまない私の言葉が足りなかった。それはナンと言う名前のパンだ。

「この黄色いご飯みたいなのは?」

「サフランで炊いたインディカ種のお米だよ」

彼は美味しいを繰り返しながら全てのカレーを平らげ、食後のチャイを飲んだが、矢張CoCo壱番屋でのキラキラした彼を見付ける事は出来なかった。

私達は店を出ると早々に家路につく事にした。

「ミイちゃん、ありがとう凄く美味しかったよ、俺ああいうインド料理屋?って言うのかな?初めてで緊張しちゃったけど凄い料理だね」

彼は私に気を遣ってそう言ってくれているのは明白だ、何故なら緊張しながら食べる飯など絶対に美味い筈がない。私だったらとてつもなく苦痛だ。

帰りの京浜東北線の中で私迄が無口になってしまった。

「家まで送るよ」

伸一も桜木町で降りる。私達はだらだらと続く坂を登った。

「伸さん」

「うん?何?」

「ハッキリ言って欲しいんだけど、今日のカレー美味しくなかったよね?」

彼はギクリと足を止めた。

「そんなことない、絶対そんなことないよ美味しかったよ、凄いと思った、こんな料理があるんだって俺ビックリしたよ、本当凄かった」

私達は坂の途中の小さな公園でブランコに座る。無言の時が静かに流れた。

私は彼の心中を探ろうとする。彼は無言のまま俯いているが、多分それは緊張から解かれた放心の様に見えた。

「俺酔い醒ましのコーヒー買って来るよ、ブラックでいいよね?」

彼はポケットの中の小銭を探しながら、50m先の自販機に走り、私はその間も伸一の今日の心持ちを彼になったつもりで反芻する。私は多分知らず知らずの内に彼を傷付けているんだろうと思えた。

彼はコーヒー2本を持ちながらブランコに座り直し、1本の蓋を開けて私に手渡す。

「ミイちゃん、誤解してるかも知れないけどね、今日は俺嬉しかったよ、ミイちゃんが俺の為に招待してくれて滅茶苦茶嬉しいよ」

彼は缶コーヒーを一気に飲み干した。

「ただ、俺のカレーってあんなに綺麗でも高級でもないんだよ、給食とかお袋の飯とかもっと身近って言うのかな?近寄り難くないんだ」

そう彼は言った。

「ミイちゃんには本当感謝してる、俺ならああいう店はまず行かないから貴重な体験だと思う、あんな体験は俺じゃ出来ないからね、でも同時になんとなく悔しいよ」

「悔しい?何で?」

「ミイちゃんは俺と同い年でしょ?片方はカレーはCoCo壱止まりでもう片方は銀座のインド料理屋って凄く差があるよ」

彼は私と自分の様々な格差を語った。私にとっては目から鱗の話だ、矢張私は知らぬまま彼を傷付けているのだと強く感じた。

「俺にとってのカレーはねもっと安くて、安心できるモノなんだよ」

彼はとても悲しそうに呟いた。その横顔は、見ているだけで息が詰まり切なくなる様な表情だった。

「そっか………ゴメン」

「ミイちゃんのせいじゃないよ俺が物知らないだけだよ、今夜は楽しかったよ本当だよ、なんか俺の方こそゴメンよ気ぃ遣わせちゃったね」

私はその場にいるのが辛くなり、そのまま部屋に帰った。そして、少し泣いた。(続)




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