追憶、初めての街並み
そんな、大成功を収めたお披露目会から、また一年後。
転生して九年経った頃。
あまりに遅い気づきが訪れる。
「俺、ほとんど街に出たことないな……」
そう、俺ことアリアは生まれてこの方、ほとんど外の世界を見ずに育ってきている。
情報収集は父親の書斎に山ほどある書物で事足りたし、それが終わってからも、中庭や室内でのトレーニングに時間を費やした。
そのトレーニングをこの一年続け、それなりに満足のいく動きができるようになり、次に何をしようかと思っていたら気づいた、その事実。
一人で街に出てみたい。
その申し出に、両親は喜び、快く承諾してくれた。
「アリア、気を付けるのよ? 知らない人にはついて行かない、あまり遠くに行かない、お金は使っても良いけど、使い過ぎちゃダメ。分かった?」
ルージュがそんな警告を出かける前のアリアにするが、彼女も内心では、ここまで口酸っぱく言う必要はないと思っていた。アリアは聡明な娘だと分かっていたから。
「うん、分かってる。行ってきます!」
元気よく返事をし、いつもより可愛らしく上品な外用の服に身を包み、俺は街に出る。
ここは、イーリアス王国の中心都市のひとつ、オストリー。
ブライト公爵家が治める、国の中でも人口の多い商業都市だ。
屋敷の近所を歩くだけでも、様々な屋台や店舗が立ち並んでいるのが見える。
「イーリアスは……そういえば、本格的に訪れたことはなかったか?」
俺が小国のスラム出身なのはご存じの通りだが、エズランという小国が、周囲の小国__俺の故郷も含む__を吸収してできたのが、現在のエズラン連合国だ。
俺はそのエズランの代表として、魔王討伐の任に就き、二年間各地を旅してきたが、ここイーリアスを訪れたのは、ジオやエリスといった仲間と顔を合わせるために訪れたのが最初で最後だ。
「思えば、こうしてゆっくり街を歩くというのも……初めてかもしれないな」
確かに、前世では様々な街を訪れたが、ゆっくりとはできなかった。長く滞在しても一週間足らずだ。
まあ、魔王討伐と言う急務があったため、それも仕方ない事だったのだが、今思えばもったいないことをしていたのかもしれない。
街の風景を楽しみながら歩いていると、いつの間にやら本格的な商店街に入っていた。
そこでは、屋台で売られている色とりどりな食品が目についた。
果物を専門に扱っているらしい屋台にふらりと立ち寄り、その商品をまじまじと見る。
(ふむ、品質は良さそうだ……ん?)
その商品の中に、まだ熟れていないかのような色をしたリンゴを見つける。一つの品種として成立しているらしく、そういったリンゴが、籠いっぱいに入っていた。
(未熟リンゴ……こんなに沢山。そういえば、数年前、栽培法が確立されたのだったか)
未熟リンゴ、正式名称ブルーグリーン。その見た目とは裏腹に、甘みが強く、栄養素も豊富な品種だ。
俺の生前は、別品種のリンゴの栽培中に稀にその身を生らせる希少種だったのだが……
このようなものを見ると、時の流れというものを感じさせられる。
「子供がそんなに果物を見つめて、どうしたんだ?」
そんな俺を冷やかしとでも思ったのか、屋台の店主が話しかけてくる。
今の俺は、どう見ても、良いところのお嬢様だ。そう思われたのも納得がいく。
「すみません、店主さん。ブルーグリーンが珍しく、つい」
「ああ、それか……まだ単価は高いがな……」
「それはそうでしょうね。まともに市場に流通し始めて、まだ日が浅いでしょうから。あ、お一つ頂きます。おいくらでしたか」
「買うんだ……銅貨三枚だよ」
「なるほど、通常品種の三倍。これは確かに」
俺は腰に下げた巾着から銀貨一枚を取り出し、店主に渡した。
「お釣りは結構です。ご迷惑をかけてしまったようですし……それでは」
「え……お、おう」
愛想よく笑いかけ、戸惑う店主をよそに俺はリンゴを齧りながらその場を離れた。
「ああ、甘いな……しかしこれが、毒とはな」
俺はそんな独り言を漏らす。
実はこのブルーグリーン、人体に有害な毒が含まれている。
もちろん、果実にはない。中に入っている黒い種にだ。
もし誤って飲み込めば、即効性のある神経毒が全身を襲う。
毒に慣らした前世の俺ならば、さして問題もなかったのだが、今飲み込めば、最悪死に至る。
こんな劇物が普通に市販されているというのは少しゾッとするが、通常のリンゴの種にも微弱ながら毒素はあり、それは周知の事実だ。わざわざ種を食うバカは居ない。
そんな激ヤバな種をしばらく舌の上で転がし、僅かばかりのスリルを味わった後、口元を隠すように覆った手に吐き出す。
そこらに捨てて、野良猫や野鳥にでも死なれたら後味も悪いので、しばらく悩んだ後、スカートについているポケットにその種を入れ、再び街の散策を開始した。
その日は結局、日が落ち始める時間まで、商店街で時間を潰した。
子供の少し世間話をするだけで店の大人たちは感心し、数人とは既にそこそこ親しくなった。
この辺りは、前世で身体能力の次に鍛えたコミュニケーション能力の高さの賜物だ。
「まあ、今日はここまでかな」
綺麗にオレンジ色に染まる空を見上げながら、そう呟く。なかなか充実した一日だったのではないだろうか。
予定より長引いてしまったため、急いで屋敷に帰らねばと思い、人通りの少ない、狭い路地を通る近道を帰り道に選択する。
そして、次の瞬間。
___がっ!
俺は、後頭部に激しい衝撃を受け、その場に倒れた__