追憶、華々しき門出
その後、俺は両親につけられた専属の講師にダンスを教わるわけだが。
「あの、すみません……もう教えることありません」
教え始めた初日に、そう両親に謝るトレーナー。
その言葉にキョトンとする両親だったが、一度二人の前で踊って見せたら、その意味をすっかり理解したようだった。
「しょ、初日で、ここまで完璧に……」
「昔から物覚えが早いとはと思ってたけど……」
そう、俺のダンスは完璧だった。
洗練されたステップに、優雅なターン。
情熱的な印象の中に、どこか淑やかな雰囲気をも孕んだ、貴族同士のダンスパーティーでも中々お目にかかれないような、周囲の誰もがひきつけられるダンス。
しばらく両親は呆然としていたが、無意識のうちにその手を叩いていた。
「すごい、すごいじゃないか! 伊達に毎日、鍛えてるだけあるな!」
「ええ、これならきっと、本番でも大成功よ! ああ、晴れ姿が楽しみ!」
喜ぶ二人を見ていると、これが前世の血塗られた技術だということを忘れそうになる。
俺も無意識のうちに頬が緩む。
その後も暫く、俺は二人からの賛辞をその身に受けていた。
俺のお披露目パーティー、当日。
会場の控室にて、俺は思わぬ強敵に悪戦苦闘していた。
「ほ、本当にこれを着るの……?」
「当り前よ!! このドレスこそ、貴女の魅力を最大限に引き立てるの! ブライト家の人間として、断言できるわ!!」
いつになくハイテンションなルージュがその手に持っているのは、眩く光るかのような純白のドレス。
八歳の女の子が着る分には、まあ、少し背伸びしているんだろうな、と微笑ましく捉えられるだろう。
しかし、外見こそ幼い女の子だが、その中身は、アリアとして生きてきた年数も合わせれば、もう30になる男だ。抵抗するなというのは、あまりに酷ではなかろうか。
どこかギラついた目の母親に思わず怯み、じりじりと壁際に後退する。
それを追うように、ルージュはじりじりと距離を縮めてくる。
やがて観念した俺は、ルージュにされるがままに着付けさせられ、鏡の前に送り出された。
「ほう……」
鏡に映るその姿に、俺は感嘆した。
銀色に輝く、腰まで届きそうな髪と、そのドレスの透き通るような白は、非常によくマッチしていた。
派手さはないが、清廉で無垢な雰囲気に何とも言えない美しさがある。
自分で言うのも何だが、俺は、紛れもなく美少女と呼ばれる類の人種だ。
その美しさ、可愛らしさを最大限まで引き上げていると言えよう。
「ふふん、どう? 完璧でしょ! 自分でも惚れ惚れしちゃう!!」
ルージュはと言うと、俺の姿を見て恍惚の表情を浮かべていた。
状況としては自画自賛なのだが……これは確かに、ルージュの慧眼には恐れ入る。
だが……
(可愛らしい、女児用の服は着慣れたと思っていたが……ドレスはまた、違うな)
何というか、ムズムズする。
感情を隠すのは十八番なため、表情は変えていないが……内心では、今すぐに逃げたかった。
「それでは、本日の主役、アリア=ブライト嬢です!!」
拡声の魔道具を用いて、パーティーの司会がそう宣言すると、会場中から拍手の音が響いてきた。
ついに本番、お披露目の時。
俺は若干ナーバスになりながらも、淑女らしいゆったりとした所作で、壇上に出る。
その瞬間、会場が息をのんだ。
貴族の子女のお披露目会は、特に決まりがあるわけではないが、普通五、六歳の時に行われるのが通例だ。
つまり今回のアリアのお披露目会では、通常よりも多少大人びた雰囲気の少女の登場を、参加者の誰もが考えていた。
しかしその予想は、遥か斜め上に外れることとなる。
所作はもはや淑女そのもの。
その容姿も飛びぬけて良い。将来、社交界の華となることは明らかに思えた。
「皆様、お初にお目にかかります。アリア=ブライト。歳は八つです。どうか、お見知りおきくださいますよう……」
そんな空気を浄化する鈴の音のような声で、アリアは挨拶をし、カーテシーでお辞儀をする。
アリアの一挙手一投足に、見合いに連れてこられた貴族や豪商の息子たちは言わずもがな、大人までも魅了されていた。
(……ツカミは、これで完璧だろうか)
壇上で短いスピーチを終えた俺は、会場の人間の様子を伺う。
眼下に見えるゲストどころか、すぐに話を繋げるべき司会すら黙りこくっている。
__何か、やらかしたか……
そんな考えが頭をよぎった次の瞬間、会場から、ぱちぱちぱちっ、と賛辞の拍手が溢れた。
一先ずうまくいった、とホッとする内心を隠し、一礼をすると、俺はゲストに紛れてのパーティーに繰り出す。
その後はもう、てんやわんやだ。
二人でのダンスを申し込むための人だかりがアリアを中心に環状に広がり、その対応に追われる。
流石に全てを捌くことはできず、適当に手を取った男の子たちと踊った。
アリアのダンスを見た周囲の人間達は、再度感嘆の吐息を漏らす。
八歳でこの域に到達するとは。たゆまぬ努力の賜物に違いない。素晴らしい。
そんな声が、周囲からちらほらと聞こえてくる。
一方、アリアとのダンスにこぎつけた男子たちは、もう夢見心地だ。
当初あった、自分がリードしようという意思はどこへやら。
もう、アリアにされるがままである。
……そんな調子で、俺は三時間ほど踊り倒した。
このパーティーは立食形式で、美味しそうなものが長テーブルに所狭しと並べられていたのだが、結局俺に、それらにありつく暇はなかった。
例によって表情には出していないが……非常に疲れた。今すぐにでもベッドに飛び込みたい気分だ。
そんな折、会場に司会の声が響く。
「それでは皆さん、間もなくお開きでございます。
アリア嬢、最後の一言をお願いいたします」
次の相手の手を取りかけていた俺は、その出しかけた手を引っ込めて、壇上に向かう。
ギリギリのところでチャンスを逃し項垂れるその子は、周囲からの同情を買っていた。
「皆様、本日は私のお披露目会に御出席頂き、感謝いたします。
どうかこれよりも、よろしくお願いいたします。 では……」
満面の笑みでそう言い、再びお辞儀をする。
すると今度は、間髪入れずに、盛大な拍手が会場に響き渡った。
「ふぅ……やっと終わった」
ゲストが帰った後、着替えのために召使が待機していた控室で俺はそうぼやく。
一応誰にも聞かれないよう配慮したが、そのぼやきを咎められる者はいないだろう。
しかしある種、以前の荒行レベルにキツいものがあったが……どこか、楽しいと思ってしまったのは事実だ。
前世の俺にはその余裕がなかっただけで、俺にとって、ダンスとは『好きな事』と呼べるものだったのかもしれない。
「ははっ、私、意外と多趣味だったのかも?」
そんな呟きの真の意味を理解できる者は、アリア一人のみだった。