追憶、気付く愛
「これは、マズい……」
時は少し進み。
俺……アリア=ブライトが二度目の人生を歩み始めてから、およそ七年の月日が経った頃。
現在の世界の情報もあらかた集まったところで、久しぶりに運動をしてみた。
とはいえ、ただの運動ではない。
元々暗殺者として行っていた訓練だ。
そして、驚いた。以前は息をするかのようにできたバク転すら、全くできなくなってしまっていたのだ。
いや、当たり前だ。七年のブランクとかそういうものではなく、単純に体が追い付いていない。
前世の俺の享年は二十二。
それに対し、今はたった七歳の子供だ。しかも女の子。体格が違い過ぎる。
今の俺は、公爵家の娘という、何不自由ない身だ。
殺しに身をやつすしかなかった前世とは違い、運動能力は然程必要ではない……のだが。
やはり暗殺者としてのプライドは残っている。
それに、これから、自分の身を守らなければならない事態が起こらないとは限らない。
俺は、身体を強化する決意を固めたのだった。
両親はさぞ、驚いただろう。今まで本を読んで過ごしていた娘が、いきなり体を鍛え始めたのだから。
俺が本格的に体を鍛え始めてから、一年程が経った。
毎日、屋敷の中庭を走り込み、腹筋・腕立て伏せといった基本的なトレーニング。
さらに、暗殺者としての技を衰えさせぬよう、ナイフを持った想定で素振りをしたり。
そんな、この年頃の女の子としてはあまりにオーバーワークなメニューをこなしたおかげか、なんとか三連続バク転まではこぎつけた。
「はぁ……はぁ……やっとここか……こういうトコ、男だった方が良かったな……」
この一年、俺は毎日のように筋肉痛に見舞われていた。
前世で痛みに耐える訓練をしていたとはいえ、流石にキツかった。
だが、まだまだだ。以前の俺には遠く及ばない。
ふらつく足取りで、今日もいつものメニューをこなそうと中庭に向かうが……
俺の意識は急速に遠のいていった__
「う……ぅ?」
「アリア!? 良かった、目を覚ましたんだな!!」
「良かった……本当に良かった……!!」
俺は、自室のベッドで、両親や召使に囲まれ、目を覚ました。
一瞬状況がよくわからなかったが、周囲の安堵した様子から、自分が倒れてしまったことを悟った。
(クソ……あの程度で倒れるとは、情けな……)
途端、ルージュが俺に抱き着いてきたのだった。
「うわッ!?」
「私たち、ずっと心配してたのよ……? 貴女、明らかに無理してたから。
でも、貴女のやりたいことを邪魔したくなくて、黙ってたの……ごめんね……」
涙を流しながらそう言うルージュを見て、俺はようやく、自身のしでかしたことの大きさに気が付いた。
前世の俺は、親の顔も知らない内にスラムに捨てられた、孤児だった。
スラムの連中は、俺を放逐はせず、最低限だったが、世話をしてくれていた。
しかし、やはりその日暮らしが精いっぱいのスラムの住人だ。俺の容態を深く心配するような聖人はいなかった。
『家族愛』というものを、俺は知らなかったのだ。
それを俺は、転生したことによって知った。
それは身を委ねたくなるほど温かく、尊いものだった。
俺はそんな両親からの愛を一身に受けながらも、まだどこか、孤独だった前世の自分を残していたのだろう。自分などどうなろうが構わない、と無意識に思っていた。
だが、この瞬間、俺は真の意味で『家族愛』を理解したのだ。
胸の奥が、じんと疼き、温かくなる。
両の瞳から、自身の意思に関係なく、二条の涙がこぼれ落ちる。
__そこからはよく、覚えていない。
だが、それはきっと、とても大事で、充実した時間だったのだ。
それから数日休んだ後、俺はトレーニングを再開した。
とはいえ、以前のようなハードさはない。八歳の女の子としては、まだオーバーワークといえる運動量ではあったが、一年の荒行で慣らした身体は、十分に順応できていた。
「アリア……ダンスの練習をしてほしいんだ」
そんなある日、父親・アルスがこんなことを言ってきた。
何でも、俺の、社交界へのお披露目会を近々やるのだという。
言われて、なるほどと納得する。
貴族の子女にとって、社交の場とは戦場なのだ。
他の貴族や、商会の重役といった、やんごとない身分の人間と知り合える機会であり、そこで自身のアピールを成功させれば、色々と有利なのだ。
そして今回は、俺にとっての、初の社交の場。成功させなければならない。
参加した子女どうしの見合いの場という意味合いもあるため、正直言って気乗りはしないが。
父が俺に何かを頼むのは、これが初めてだ。期待に応えないわけにはいくまい。
……話は変わるが。
暗殺者と言うのは、人を殺すだけが特技ではないのだ。
標的をより深く知るための情報収集能力、つまりは人脈。
そして、そういったありとあらゆる情報を漏れなく記憶する頭脳。
さらに、他人から信頼されるための社交術。
そんな職業柄、貴族のパーティーに密かに出席することも多々あった。
もちろん、貴族相手にダンスをしたことも、一度や二度ではない。
俺はアルスの頼みを承諾し、驚かせてやろうと、不敵に微笑んだ__