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ある夏の日

作者: うちわ

 随分と夜は過ごしやすい気温になってきた。既に外ではコオロギが鳴き始めており、どうやら本格的な夏は過ぎ去ったらしい。


「今年はそんなに暑くなかったよね」


 台所に立つ母に尋ねると、「なに馬鹿なこといってるの」と言われてしまった。カレーのいい匂いがする。



 一週間振りの休日、暑くて外出するのも億劫だった夏。今日は曇っていて気温も三十度を越えないとテレビでいっていた。


「ちょっと散歩してくる」


 普段は仕事以外ロクに外にも出ない癖に散歩だなんて、言った傍から自分で笑ってしまった。

 行先は、決めていなかったが、昔よく遊んだ小さな公園に着いた。

 幼い頃の曖昧な記憶。

 突然、毎日のように一緒に遊んだ近所の男の子の顔が出てきた。名前はなんと言っただろうか。いつから会っていないのか、今はどこにいるかもわからない。

 彼はいつも虫かごを肩から斜めに引っ掛け、そこには何も入っていない癖になんとも誇らしげに言うのだった。


「僕の虫かごは凄いんだからね! これをこうすると」


 彼の虫かごは彼の言葉通りに七変化をみせる。といっても子どもの考えることは単純で、今考えると対したことのない細工だったのだが、当時の私には彼はどこかの偉い学者よりも輝いて見えていた。虫は嫌いだったけれど、彼の虫かごに虫が入っているところをみたことはなかったので、彼も大して虫を好きだったわけではないのかもしれない。

 


 その日も夏だった。

 いつもなら彼が遊びにくる時間、私は待っていたわけではなかったが、縁側で寝転がってマンガを読んでいた。

 すると、母が小走りで私のところにやってきて、


「〇×くん来てない!?」


 とあまりに大声で言うものだから、私はびっくりしたのを覚えている。何も答えられないでいると、母は急いだ様子で「〇×くんがきたらすぐお母さんを呼んでね」とだけ言ってどこかへ出ていってしまった。

 結局、彼がうちに来ることはなく、そのまま夏が終わってしまった。


 


「じいさんもこんな、いらないもんぎょーさん集めてまた、もう」

 

 病気で亡くなってからかれこれ一年もの間、ずっと手が着けられていなかった祖父の倉庫を祖母が片付けるというので、私は手伝っていた。

 祖父は本を読むのが好きで、今時どこを探しても見つけられないような古い本を沢山持っており、それをいつの間にか引っ張り出しては読んでいた。私の中の祖父は、静かに座って本を読んでいる人という印象しか残っていない、言葉少なで物静かな人だった。

 そんな祖父の倉庫で、見覚えのあるものが見つかった。

 あの時の虫かごだ。彼が持っていた、あの七変化する虫かごだった。


「こんなもん誰が置いとったんかね。じいさんのではなさそうやし」

「私じゃないよ」


 辞典程もある分厚い本を数冊まとめて紐で縛り、持ち上げる。この後庭で燃やすらしい。


「そういえばさ」


 私は疑問を口にする。祖母なら覚えているかもしれない。彼のことを。


「小さい頃さ、近所に私と同じくらいの歳の男の子いなかった?」

「あんたと?」


 祖母は少し考えたあと、はっと顔をあげた。


「ゆうだいくんかね。あの子は可哀想やったなぁ」

「可哀想?」

「そうだーな。結局、寺の池ん中で見つかったし。あんた小さかったから覚えとらんやろうけど」



 家の近くに小さな寺があった。寺には大きな池があって、底無しだから入ったらあかんと言われていた。実際、池から二十メートル程の所に立ち入り禁止のロープと看板が立てられており、一目で危ないことがわかるものだった。

 ある日のこと、彼といつものように公園で遊んでいると、突然雨が降ってきた。彼はやはり変わっていて、屋根のある遊具に避難した私とは反対に雨に濡れるのが嬉しそうに走り回っていた。私が「風邪引くよ」と叫ぶと、急に走り寄ってきて、袋に入れて持っていたハンカチで私の濡れた髪を拭うと、


「寒いならそれあげる」


 と言った。ハンカチのような小さな布で寒さをなんとかできるとも思わないが、当時の私は彼がヒーローにみえた。

 

 にわか雨が上がって帰る時、その寺に彼が入っていった。立ち入り禁止のロープの前に立って池を指さし、彼は言った。


「雨が降ったあとのあの池にはおっきい魚が出るらしい」


 この時の言葉は何故か鮮明に思い出せた。魚がどんな生き物なのかすらよくわかっていない私は、不思議な池に大きなすごい生き物が住んでいると思い込んだのだ。そして、それが恐ろしいものに感じた。

 それから寺の近くを通る時はしばらく怖くて見られなかったのを今でも覚えている。


「そっか、亡くなってたんだね」


 二十年もの時を経て、蘇った記憶と知らされた真実に私はなんとも言えない悲哀を感じた。




 虫かごはあれからずっと私の部屋に置いてある。

 もう幼い頃の記憶の中にしかいない彼は何を見るためにあの池に行ったのだろうか。そして、目当ての物を見つけられたのか。

 もしあの頃に戻れるなら彼の冒険にもっと付き合ってあげたい。

 私の初恋の相手に、限られた時間の中で付き合ってあげたい。そう思った。

宜しく御願いします

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