ご利用は、計画的に 前編
出逢いは、ある街の場末の酒場。
「俺らが得た収入の内、7割は君のものだ」
幼い顔をした少年は、そう言って俺に手を差し伸ばしてきた。
当時そこで用心棒を勤めていた俺が、翌朝にはそこを発つと言う情報を掴んで、俺を訪ねて来たと彼は言っていた。
「俺の強さはさっき見て貰った通りだ。君は刀使いで、俺は魔法使い。前衛と後衛ならバランスとしては悪くないだろう」
フードをすっぽり被った少年の面差しは、彼自身の纏う生成のローブよりも遙かに白い。まるで生まれてこの方日を浴びたことがないんじゃないかと思わせる程で、それでも外衣や靴、携えた長い木の杖は使い込んだ跡が見受けられる。まるで、たったひとりで長い旅を終えてきた直後のようだ。
「何、こっちに飛ばされた俺の相方が見つかるまでの契約だ」
俺が彼の外見をまじまじと観察してると、少年は笑った。
酷く、美しい笑顔。
「そう長くないよ、俺達の付き合いは」
そのはずだった。
だから、俺は彼の手を取った。
それが自分の苦労の連続の始まりとも知らず―――
『あんぎゃああああああ!』
迷い込んだ深い森。鬱蒼と草木の茂るそこで、赤い毛皮の化け物が雄叫びをあげる。
「あれ?ここどうやって描くんだっけ」
「ちょっ早く描いちゃって下さいよ!」
怒鳴りながら、毒針の生えた長い尾を斬り払う。そのことで更に鋭い叫び声を放ち、こちらに猛然と襲い掛かってきた――俺に向かってではなく、背後で魔法陣を描いてるジュンさんに。
「っく!」
とっさに縮地法を使い、彼と化け物の間に躍り出る。ちょうどそれは後ろ足で立ち上がり、ジュンさんに前足と鋭い3列の牙で食らい付こうとしている所。しかし俺の方が速かった。刀を振り上げ、袈裟斬りにする。
「あ」
『ぎゃああああああああ!』
大量の血と聞いた中では最も痛々しいなき声をあげながら、その化け物はぐらり、地面に倒れ伏した。…動かない。息を吐いて、ポケットから端布を取り出し、刀の刃についた血を拭う。
「はー……全く、ついてない……」
「本当にねえ、まさかマンティコアも出るなんて。ここあれが出る森なんだね」
「何を他人事みたいに言ってるんですかあんたは!」
「あいたたたた、痛い、痛いってクロ君、君の握力で抓らないで、剣士ってみんな握力強いね……」
血を拭った刀を鞘に収めた俺は、腑抜けた声を出すジュンさんに詰め寄って、フードの下のほっぺを思い切り抓ってやる。すぐに目尻に涙が溜まるのが見えたが、そんなの構うもんか。誰のせいでこうなったんだか。
「そもそもこの前の戦いから逃げ出す時、あんたが転移魔法で『とにかく人のいない所!』なんて言ったから、人はいないけど化け物はばっちりいらっしゃる森に飛んで来ちゃったんでしょうが!」
「いやーこの時間帯は転移魔法使ってる人多いみたいで、混線してここに来ちゃったみたい」
「転移魔法に混線とかあるんですか!?」
「うん、噂によると移動中に紛れ込んできた蠅と体がくっついちゃったって人もいるって」
「そんなのどこに文句つけりゃ、……ああもう、あんたと話してるとこっちが疲れてくる……」
ジュンさんのほっぺから手を放し、額を手で押さえる。疲労がどっと出て来そうだ、まだ油断は出来ないのに。ジュンさんに背中を向け、腰に差した小太刀を鞘から抜く。首だけ向けると、ジュンさんは俺に引っ張られて赤くなったほっぺを押さえながらこちらをきょとんと見ていた。何をぼんやりしてるのか。
「……俺はこっちのマンティコアの骨、回収してます。薬になるから売れるでしょう。あんたはとっととそれ描き上げちゃって下さい、こんな森とっとと出る為にも、今度はまともな所に行ける魔法陣をね!
……ところでさっき何か言い掛けてませんでしたか、『あ』って」
「あ、うん、そのことなんだけど、
あ」
「あ?
…………」
さっきと全く同じ言葉(数えてみれば1文字だが)を吐き、ジュンさんが俺の向こうを凝視する。首を傾げて、すぐに俺も彼に倣った。
……絶句するしかない。
マンティコアの顔が、そこかしこから何頭も、顔を覗かせていた。
ジュンさんのやや呆然とした声がする。
「……ねえ、クロ君、クロキ君…マンティコアって群生、しないよね……」
「……繁殖期なんじゃないですか。今卯月だから」
「あ、なるほど、春は恋の季節だから」
『があああああああああ!』
「んなこと言ってる暇あったらとっととそれ描き上げちゃって下さい、もうすぐで完成でしょうがそれっ!」
俺らが気付いたことに気付いたんだろう、真ん前と左右からマンティコアが赤い身を躍らせて襲い掛かってきた。とりあえず真上に飛び上がって木の枝にぶら下がると、両足を引っ掛ける。その間にジュンさんに襲い掛かろうとした1頭の脳天に持ってた小太刀を投げ付けた。命中してそれが倒れていくのを眺めながら刀を抜くと、枝から逆様にぶら下がってた俺に飛び上がってきたマンティコアの首を叩き斬る。そこでようやく枝から降り、俺に向かうかジュンさんに向かうか決めあぐねていたらしいマンティコアの前に立ち塞がる。
……これが残りの1頭ならよかったが、まだ何頭か潜んでる気配がする。振り返らずに、背後で魔法陣を描いてるはずのジュンさんに囁く。
「……ジュンさん、あとどのくらいで描き上がりますか」
「うん、それなんだけどね。困ったなあ…」
ちっとも困った様子のない声で、ジュンさんはあまりにも残酷な事実を告げた。
「魔法陣用の黒炭、切れちゃった。これないと魔法陣描けないんだよねー御免御免、さっきの街で補充しようと思ったらあいつらに見つけられてさー」
「このくそチビ!!」
「あっちょ、チビじゃないよ、ちゃんと174あるし、大体君がでかすぎ」
「んなことのたまってんだったらテメーも戦えジュンイチぃぃぃぃ!」
『あんがぁぁぁぁぁぁ!』
マンティコア達の雄叫びが、その時の俺には哄笑に聞こえた――――。
***
「いらっしゃいませー、お買い上げですか?」
「はい……」
小綺麗な店員の女性が営業スマイルを浮かべる。俺らが体のあちこちに返り血を浴びてるボロボロの姿につっこまないあたり、プロだ。もっともさっきそのあたりをぶらついていたのを捕まえて訊いた村人によれば、この村は近くにマンティコアが出る森がある為に、命辛々逃げてきた俺達みたいな血だらけのパーティーが訪れるのが珍しくないらしいが。
「こちらの魔法陣用黒炭のお徳用袋詰め5kgで宜しいですね?」
「あ、はい」
「それではお値段はこちらに……」
「……ねえ、やっぱ5kg買い過ぎだよ……重いし。さっきのマンティコアの骨はおかげで高く売れたけどさ」
「煩いですね、次あんな事態になったら今度こそ雇い主っつってもあんたのこと叩き斬りますから。それが嫌だったら備えはしときなさい!」
前の街で買い損ねていた魔法陣用黒炭の会計を済ませるジュンさんは唇を尖らせて、後ろに立つ俺を見上げる。不満のありそうな顔をしてるが、それは俺が言いたい。黒炭の入った袋を鞄にしまった彼と一緒に店の出入り口に向かって歩き出しながら言葉を続ける。
「あの場にいたマンティコアは全部倒したし、偶々歩ける距離に人里あったからよかったようなものの……下手したら死んでましたよ」
「そりゃそうだけど……」
渋るジュンさんに、溜息を吐く。この人は忘れてるんだろうか?
俺との旅の目的を。
「死んだら、逢えないでしょう。
あんたがわざわざ大陸の西側から、山とか谷とかを幾つも越えてこんな東の辺境まで遙々たったひとりで旅をしてきて、俺に偽名を使ってだまくらかして契約させてまで捜し求めてるっていう、あんたのパートナーと」
ジュンさんのパートナーは拳銃使いだったと言う。同時に2丁操る2丁拳銃…と言うより幾つもの様々な種類の拳銃を同時に使いこなす他を圧倒する驚異的な技術は細そうな外見とは裏腹の見事なものだと、ずっと大陸の東側にいた俺でも名前を訊いたことがある程。
その人物がジュンさんの捜し求めている者だと知ったのは、彼と契約を結んでからのこと。「聖属性のガンマンの相方」としか言ってなかったし、特にそれ以上深く追及しなかった俺にも非がある。
名前を訊いてたら、即行で断ってたろうから。
店を出て向かいにある衣装屋に入る為に舗道を横断する。おずおずと指を合わせながらジュンさんが見上げてきた。
「……偽名使ったの、まだ怒ってる? いまだに俺のことそっちの名前で呼ぶし……」
「別にそう言う訳じゃないです。俺があんたでもそうしましたし……向こうであんたも予言者だか預言者だったかに言われたんでしょう?
『刀使いの男と旅をすれば必ず失せものと出逢える。
また、その男も自らの失せものを見つけるだろう』って。
俺にもさがしものはありますし、俺も前日に店に来た陰陽師に言われたばっかだったから驚きましたよ」
「『西から来た白い魔法使いの少年と旅をすれば失せものと出逢える。また、少年も失せものを見つけるだろう』、だっけ?」
そこで一旦会話が跡切れる。お互いに自分の新しい服を物色し始めたからだ。新しい服と言っても着ていた上着が駄目になったくらいだからジュンさんも俺も選ぶのに大して時間は掛からないだろう。
俺の予想は当たり、数分後にはジュンさんがそれまで着てたのと同じ白い生成の長いローブを持ってくる。やっぱり頭をすっぽり覆えるフードがついたもので、俺もこれまでのと同じような黒いジャケット。レジまで持って行くと、さっきと同じように会計を済ませる。今度の店員は男だったが、やっぱりアイテムショップの時と似たような営業スマイル。商品を受け取った彼が「袋は要りますか?」と尋ねて来る。
「あ、袋要りません、タグを切って下さい。……あんたまたそれですか」
「別に黒いローブでもいいんだけど、あいつが遠くから俺見てわかんないと困るでしょ。そう言うクロ君だって同じようなジャケットじゃん。君はどうなのさ」
「気に入ってるんだから構わないでしょう。さ、道具補充したし、宿取りに行きますか」
「……あのさ、クロ君。さっきの話の続きみたいな感じだけど」
「はい」
ジャケットを羽織りながら店の出口に向かえば、同じようにローブを羽織るジュンさんが、自分のフードの端を掴みながら見上げてくる。見下ろせば、赤い双眸が俺を真っ直ぐに見つめていた。
「君のさがしものって、一体何?」
(君は自分のことを俺よりも話さないから)
――目を、逸らす。
刀の鐔を持ち上げた。
「……一緒に旅してりゃ、いつかあんたも見ることあります、よっ!」
刀を抜き、振り下ろされてきた両手剣を受け止める。火花が目の前で散った。
「わっ!?」
「――相変わらずの反射速度と腕力だな、クロキと言ったか」
ぎちぎちぎち、目の前で鍔迫り合い。身の丈程もある両手剣は、本来なら見た目に反して軽く作られているはずだ。それなのに今俺が刀で受け止めてるそれは、明らかに見た目通りの重さだ。ただでさえ長時間振り回すのには体力が必要とされるそれを、先程この男は俺に躍り掛かる時に片手でそれを持っていた。
向かう男は酷く真剣な顔をしている。だから、俺は笑顔を作った。
「あなたには敵いませんよ、オスヴァルト・マグダレーナさん!」
剣を弾く音が響く。それが戦闘開始の合図。
俺は笑っていた。嗤っていたんだ。好敵手を目の前にして。
常に付きまとっている不安も、強い相手と戦っていれば忘れられた。
それでも今は、さっきのジュンさんの言葉が胸に小さく刺さってる。
話さないんじゃない。
話すことが、ないんだ。
話せないんだ。
Next...