先輩社員はクリスちゃん。年齢は見なかったことにしたほうが良い。
夕方。
「はじめましてぇ! クラリッサ・アルトです」
ここに来る前の天使がケーキとかの甘さの脂肪と糖で出来た声をしていたが、目の前にいる女の声は砂糖菓子のような甘ったるさだった。純粋な糖分だけで出来たあまったるさだ。
「はじめまして、伊達宗弥です。先に挨拶をするべきでした。申し訳ございません」
待ち合わせ場所のカフェの前でクラリッサはすでに待っていた。声をかけようかと思ったら、先に声をかけられたのだった。紹介者特有の、黒い衣装に身を包んでいる。上は襟のつまった黒い服に、スカートは本来プリーツスカートのようなものになるのだが、クラリッサだけ黒いフリルのついたスカートを履いていた。
こっちにきて面談をしていたあの女が、クラリッサを紹介してくれたのだった。事前にプロフィールには簡単に目を通しており、大まかな実績とプロフィールは知っていた。
経歴をみる限り、元は冒険者のクレリックであったがパーティーの解散に伴って引退。クレリックとして優秀であったため引退を惜しむ声は多かった。以後、紹介者に転職、目立って大きな仕事をやっているわけではないが、堅実な仕事ぶりと新米冒険者の育成または、新米紹介者育成において長年に渡って功績があり、一定の評価を得ている。
「いえいえ、分かりやすい格好をされていらっしゃいましたので、私が気がつくのが早かっただけですよ。中でお話をしましょう」
「はい」
カフェに入るとクラリッサが先を歩いてスタッフに話しかけた。
「奥の部屋借りても大丈夫ですか?」
「今は空いているので、使ってください」
「ありがとうございます」
ペコリと頭を下げるクラリッサ。
そのまま、スタッフの前を通ってテーブル席を素通りして、奥にある扉の前に来た。扉を開けると、通路があってそこにいくつかの個室があった。クラリッサは一番手前側に空きを見つけるとすぐさまその場所に入っていった。
クラリッサが先に座るのを見届けてから、宗弥は席に座った。
「えーと、早速ですが私のことはクリスちゃんって呼んでください」
「クリスちゃん……ですか? それは先輩に向かって言うには少し勇気がいるというか、そもそも」
確認しているかぎり三十歳の宗弥とクリスちゃんの年齢は同じだ。
「クリスちゃんって呼んでくださいね」
笑顔のままクラリッサは言った。
笑いながらにして、目の奥は一ミリも笑っておらず、およそ人を威嚇する笑みであった。
「はい、クリスちゃん」
従順に従うことにした。
「はーい、それが正解です」
クラリッサは微笑んだ。穏やかな笑顔であった。
呼び名を強要されたが、別段無理やり呼ばせているというよりかは、どちらかといえばそちらの方が自然なぐらいだ。
むしろ自分が、クラリッサのプロフィールや、経歴を下調べをしていなければ、喜んで「はい、クリスちゃん!」と呼んでいた。
肌の質感は年齢よりも半分下でも行けるレベルで、碧眼の瞳は瞳は大きくて、鼻はそこまで高くは無いが整った形をしている。赤茶色の長い髪は、まとめずにそのまま降ろしていて、あどけなさを強調している。
上目遣いでお願いをするようなことをすれば大抵の相手は従うだろうなとは思った。よーしおじさん何でも買っちゃうぞ!
「合法ロリビジネス……」
「? なんですか?」
「すいませんふと、頭をよぎったもので。お美しいと言っていたとお考えください」
「あ、ありがとうございます」
クラリッサも宗弥があまり良いことを言っていないことをわかっているのか、戸惑っている様子だった。
「あなたをわたしの徒弟にする訳だけれども、それについての概要を簡単に説明するわ。とりあえず私の仕事を手伝いながら、クエストへの同行をお願いする予定です」
「具体的には何を?」
「それについてはこちらから指示をするね。これを渡すように指示されていたんですよ」
よいしょ、と言いながらスーツケースのような箱をテーブルの上に置いた。明けると、制服のようなものが一式折りたたまれて入っていた。
「明日からの仕事着です。これと契約金と、寮の部屋の鍵は鞄のポケットの中に入っています」
「おお、これはこれは、わざわざありがとうございます」
「明日は八時にギルドに来てください」
「はい、了解しました。よろしくお願いします」
それから、雇用契約についての説明がクラリッサの甘ったるい声で説明された。
勤務は週五日勤務、休みが二日が基本的となっているが、それはあくまで研修期間のみ。それ以降は自分のペースで働いて良い。ただし、クエストに同行することによって何日かがかりの仕事になることもあれば危険も伴うことがあるので、クエストに同行する、しないは各員の自由とされている。
ともあれ、一緒に仕事をしながら少しづつ覚えていきましょう。期間は二ヶ月間。
スーツケースのようなものを受け取ると、クラリッサに案内されるがままにギルドに働いている紹介者が寝泊まりしている寮に案内された。
簡素な部屋だった。キッチンは無くてベッドが一つだけある。清潔だが何も無い部屋だった。
試しにスーツケースを置いて制服に袖を通してみる。やけにごわついていて、あまり着心地はよくは無いがそこまで動きにくくない。
人に悪い印象を与えない、無難な格好というのは万国共通で黒色を採用するのだろうかということをぼんやりと考えてしまった。
新しい仕事が明日から始まる。電車に飛び降りなければ、あっちの世界で同じようなことをしていたので、無駄にスケールが大きくなってしまったような気がした。