天使考課「お前の来世どうする?」
「あー、もしもし? そろそろ起きて下さいよー」
まどろみの中聞こえてきたのは甘ったるい女の声だった。目を開けて、ぼんやりした意識の中でここはどういうところで誰がいるのかを宗弥は確かめる。
宗弥は、薄暗い灰色の部屋の中にいた。真ん中には簡素なテーブルと椅子、他には何もない。取調室のようだと思った。
目の前にいた女に二の腕のあたりをつかまれて、揺さぶられていた。女は、陶磁器のように白い肌をしていて、透き通るような金色の髪と、ルビーのような瞳をしていた。白い絹のドレスのようなものを着て、白い羽衣を纏っていた。ドレスは胸元が大きく開いており、胸の谷間が見える。目に力はなく、口元も優しいというよりかだらしなく開いていて、口元の黒子がその印象を強調させた。
いくら何でもエッチ過ぎる。宗弥が抱いた第一印象はこの一言に集約された。
酔っ払って、前後不覚になったままそういうお店に来たのだろうと思った。
「はい、すいません 何か?」
宗弥は女の手を払って、背筋を伸ばす、自然と距離が出来て女も同じように背筋を立てる。
「やっと起きてくれた。ずっと起こしてたんだからね」
この業界では、そこそこ稼ぐいいこび方だと宗弥は思った。変わったコンセプトだし、接待で面白がる人もいるだろう。
「すいません、よく前後のこと覚えてなくて、とりあえず今の段階でのお会計を……」
宗弥がそう言うと、女は笑顔のまま固まった。数秒固まった後、眉間にしわを寄せて歯を剥いて、テーブルを思い切り叩いた。
「あーー! またこれよ!」
「これって、何のことですか?」
唐突の豹変に怯えながら宗弥は聞いた。
「あんたもあたしのこと安い商売女と思ったのね!」
「落ち着いてください、あなたは誰でここはどこですか?」
目の前の女の激昂ぷりに宗弥は何が起こったのか混乱した。
「はー、はー、あなたは落ち着いているのね。いいでしょう、何があったか教えてあげましょう」
女は肩で息をしながらそう言った。
「あたしの名前はガイダンス。まあ、そっちの世界では天使とか言われることもあるみたいね」
「はあ、天使さま……」
それにしたって格好がえっちすぎるだろうとは思った。
「まず、第一にあなたは死にました。電車にはねられて死にました」
「やっぱり僕ってば死んでたんですね」
あまり笑う気にもなれなかったし、驚くこともなかった。仕事が辛くて気がついたら電車が目の前にあって、撥ねられて死んだ。おわり。
「あんまりびっくりしたり、怖がったりしないのね。あなたが住んでいた日本は平和だったと聞くけれども」
「そうですね。あまりびっくりもしないんです。死んだほうがマシかもしれないって思って、勢いで死んでしまいましたから」
「あんまりそこに同情するつもりもないんですけど、これからどうします? っていうのがあたしからの質問です」
「あー、そういう、今季何しますか、何を以てあなたは次にアピールしますか? みたいなそういう考課みたいなやつですか?」
面談室に人事のやつと二人っきりでこれからを話す。今回は死んだ時に、天使と二人っきりでこれからを話す。
「さ、さあ良くわかりませんが、あなたとあたしが話すことはそれに近いこと。本来であれば、今回生きた記録をもとに来世について話し合うの……」
「なんでしょう?」
「あなたは、やり直したいと言ってたわね?」
「確かに言いました」
電車が迫っている時に宗弥は確かに、やり直したいと口走ったことを覚えている。
まだ何も手に入れていないまま、このまま終わってしまうことが悔しく思えたからだ。
「……これ、本来は不注意で死んでしまった人若い人に向けたルートなの」
何をそんなにもったいつけて言うのだろうと宗弥は疑問に思った。
「はい」
「もし、やり直しを希望するのなら、今のあなたの記憶を持った状態で異世界にいきます。そこである一定の功績を出すと現実世界に、あの電車に飛び込む前の状態に戻れるの」
「なら、それで」
「待って! まだ話していないことがいくつかあって……」
急に天使の歯切れが悪くなった。
何か、都合が悪いか、関心を引きたいのかこの選択肢を選んで欲しく無いのか。どれかだろう。
「まず、このルートはあくまでティーンエイジャー向きのルートであなたのような方が選ぶことはないわ。また、テストされた前例が無いので、かなりのリスクがつきまとうことになるの。実際何が起こるか分からないし、帰って来れる保証は無いの。一生をそこで終える可能性だってありえるのよ?」
宗弥は考えてみる。生まれてからのこの半生というのを考えてみる。
生まれて、普通に学生をやって、普通に就職をして、それなりに頑張った末に特に結婚して子供がいるわけでもなく、仕事で大きなことをしたでもなく、なんの理由もなく死んだ。理由はただ、疲れて判断を誤っただけだ。
「質問だけど、異世界転生を選んで死んだ場合はどうなりますか?」
「観測データが無いのであまりはっきりとは言えないけれども、今回みたいなやり方で死んだ場合はあなたの魂が消滅して輪廻から外される可能性だってありうるし、まともな死に方をしなかったら生まれ変わる時にグレードが下がってしまう可能性だってあるのよ」
「でも、それって僕には良く分からないことだし、普通にチャンスだと思うんだけど、僕は一体どれぐらいの階梯にいるのですか?」
「予定では後三回で輪廻転生の輪から抜けて神に近い存在になれるわ」
なるほど、これは考課だった。今どの程度にいるのかということが今ここの部屋にいる限りは宗弥に思い出すことができた。虫から生まれて、畜生として生きて、人になってなんども繰り返し、そうして人としてのステージとしてはまあまあいいところに来たのだろう。サラリーマン的な階級で言えば課長ぐらい。確かに何かをかけるということでは、すこしためらい始める階梯だろうとは思った。
「僕が転生をしてやり直すことのリスクってどれくらい?」
「まず基本的に異世界転生者は過大なノルマを達成するために、ある程度の優遇処置がなされます。まあつまり元々低かった才能をブーストし、かつ自信を持たせることで頑張ってもらうんだけど今回この状態で行くと特に何も優遇は無いみたい。理由はあなたがある程度成熟した大人だから。だから、本来あるものが無い状態での転生になるからあまりお勧めは出来ないのよね」
「確かに言っていることは分かる」
「期間はこれといって決まっていないのだけれども、ここで結構な功績を出しても元の輪廻に戻ればそこまで大きなポイントにもならないし、あまりお勧めは出来ないと思うのよ」
確かに言っていることは理解できた。
元々の予算の五分の一で仕事をしても、苦労の割りにリターンが少ないという内容だ。こういうものをよくよく「やり甲斐」とか言って放り込む上司はたくさんいたなと思い返す。
「けど、僕はそっちでやり直したい」
「なんで?」
不快感をあらわにしながら天使が聞いた。
「僕の願いがやり直しだからだ。今この体で、得たことを何も生かせないまま死んだことが悔しい。だからやり直したい」
「そう、それなら良いんだけど、後悔しても知らないわよ?」
「君の説明は完璧だったと思うよ。僕が馬鹿だったと思うことだね」
「そうね、その通りだわ」
呆れかえって、力が緩んだ笑顔が天使から出ていた。
「あのね、あなた達の成長が私たちのノルマでもあるの、マイナスになるリスクが大きいものは基本的に説明したく無いし無視して欲しかったんだけど……」
「じゃあ、あなたのために頑張る、それで良い?」
「そうね、そう言ってくれるなら」
気がつけば天使の手の中にはカナヅチが握られていた。宗弥の頭に向けてフルスイングされるカナヅチ。
そこで、意識は唐突に白ばんで、やがて途絶えていった。
なんでカナヅチ……?