二話 姉ちゃんと魔法少女
朝食を終え、食器を流しにぶち込む。食事を作る時よりも、片づける時の方が面倒臭いと感じるのはなぜだろうか。
とりあえず食器は水に付けておくだけにしておき、再びソファに転がる。
時計の針は八時を指していた。そう言えば綾乃が来るんだったな。
綾乃は俺の家の隣に住む同い年の幼馴染で、物心つく前から一緒に遊んだりしているので、家族みたいな存在だ。
特に姉ちゃんとは仲が良く、頻繁に一緒に出かけたりしている。どうやら姉ちゃんと一緒のアルバイトをしているらしく、そういう時は仕事前に家に来て姉ちゃんと会っている。
たぶん今日もそうなのだろう。
姉ちゃんと綾乃がどんなアルバイトをやっているのかは詳しくは知らないが、姉ちゃんいわく、
「世の中の役に立つ仕事だ」と話している。
姉ちゃんの事だ、さぞや立派で世間に貢献している仕事なのだろう。
ちなみに綾乃と俺は同じ高校に通っている。生徒の自立心を養うという校風なので、しっかりと許可をもらえばアルバイトも行うことができる。
だらだらと高校生活の貴重な夏休みを消化していないで、俺もアルバイトでもやってみようか。そういや新しいパソコンがほしかったんだ。
足を振り上げ、その反動でソファから起き上がる。
最近、冷たいものを食べすぎているせいか腹の調子が悪い。
トイレに行こうと居間のドアを開けたところで……。
来客を告げるインターホンが鳴ると同時に、玄関のドアが開き綾乃が入ってきた。
「よっ!」
綾乃はニコっと笑顔を作り、右手を上げ挨拶をしてきた。
薄ピンクのTシャツとジーンズというラフな出で立ちだ。
腰くらいまであるつやのある黒髪。目鼻立ちが整った顔だとは思うのだが、絶世の美女……というわけではないと思う。クラスで三番目くらいにはかわいいと思う。
ただ、いつも凛としている姉ちゃんとは違い、コロコロと変わる表情を見ていると少しだけ安心する。花にたとえると姉は蘭。綾乃はそうだなあ……。ひまわり?
「入っていいかな? つーちゃんいる?」
綾乃は二つ上の姉ちゃんのことを「つーちゃん」というアダ名で読んでいる。小さい頃からの呼び名だ。
というより入っていいもなにも、もう入っているじゃないか。
綾乃はいつもこんな感じだ。十年以上お互いの家を行き来していれば遠慮なんてすることはない。一応インターホンは鳴らすが、後は勝手に入ってくる。
俺は別にそれを嫌だと思ったことは無い。昔からこんな感じだからな。まぁ、俺は最近こいつの家には行かなくなったが。
「ああ……。姉ちゃんなら二階にいるよ」
幼馴染とはいえ、綾乃と仲がいいのは姉ちゃんだ。小学生の頃までは一緒に遊んだりもしていたが、お互い中学に上がる頃には、あまり遊ばなくなった。
仲が悪くなったとか、そう言うのではなく同性の友達と遊ぶことが多くなってきたのだ。恋愛ゲームによくある展開で、幼馴染が朝起こしに来てくれたり、宿題を見せてもらい、試験前には苦手強化を教えてもらったり、小さな道を挟んで二階にある真向かいの部屋の窓から行き来できたりということは一切ない。そもそも家は二軒隣だ。
とにかく、そういう年頃の男子が想像するイベントは一切、起こったことは無い。多分これからもないんだろうなぁ。
「んじゃあ、お邪魔するねー」
綾乃は大きな紙袋を後ろ手に持ち、軽快な足取りで二階へ続く階段を上って行った。
「……さてと」
トイレを済ませ、二階にある自分の部屋に戻る。特に今日は何も用事が無いので部屋で一日中ゴロゴロするか。
マンガを手に取り、ベッドに倒れ込んだ。流し読みをしていると隣の姉ちゃんの部屋から音楽と声が聞こえてくる。
壁を一枚隔てているので、はっきりとは聞こえないのだがアップテンポでなんだかノリの良い曲調だ。女性アイドルの歌かな?
あまり姉ちゃんの趣味の音楽ではないな。……となると綾乃の趣味か。
そんなことを考えていると、不意に携帯電話が鳴り響いた。ベッドに寝転がったまま腕を伸ばし電話を取る。
「もしもし」
電話は母からだった。
「あ! 浩介? よかったー。電話出てくれて」
電話口の母は、嬉しそうな声を出す。
「なに? どうかした?」
「お姉ちゃんの携帯に電話したんだけどね。何度コールしても出ないから。今お姉ちゃん家に居るの?」
「……ああ。いるけど。」
「ごめん、ちょっとお姉ちゃんに電話代わってくれる?」
「……へーい」
自分の部屋を出て、姉ちゃんの部屋の前に行くと先ほど聞こえた音楽がより鮮明に聞こえる。なんだかやたら可愛らしい声の歌手だな。やっぱりアイドルの歌かな?
……さてと。母からの電話を姉ちゃんに取次がないといけないな。しかし、なかなか女性の部屋に入っていくのは気が引ける。しかも今は綾乃も一緒だ。普段はあんな感じの姉ちゃんではあるが、綾乃と一緒に男子禁制のガールズトークを繰り広げているかもしれない。
とりあえず、ノックをしてみるが。……返事はない。
うーん。いきなり入って行くのもなぁ。
もう一度ノックをしてみるがやはり返事はない。部屋の中で音楽が大音量で響いている。まったく聞こえてないみたいだ。
「姉ちゃん! 入るぞ!」
返事はなかったが、突入してみることにした。まさか中で裸踊りをしているわけではあるまい。
俺は少しだけドアを開けた。
柑橘系の匂いが鼻孔をくすぐる。あまり女性の部屋には入った経験は無いので、こういう匂いがするものかと思った。部屋の外まで聞こえていた音楽は、その正体をさらけ出し俺に疑問符を投げかける。
これは? 以前どこかで聞いたことが……。どこだったかな?
とにかく今は、母からの電話を姉に取り次がないと。ドアを開け、中に入る。
「姉ちゃん。母さんから電話――」
………………………………ん…………誰だ…………?
俺の知らない人が、姉ちゃんの部屋にいる。背中をこちらに向けているので、誰なのかがわからない。
その知らない人は、ピンク色のフリルとレースがこれでもかと付いた服に、ペチコートをたくさん詰め込んだバルーンスカートを履いている。いわゆるあれだ魔法少女だ。魔法少女が姉ちゃんの部屋にいる。
流れている音楽が間奏に入ったのだろうか。その瞬間、その魔法少女は大きく声をあげた。
「よーし! いっくよー!」
どこに行くのだろうか。俺には今ここで何が起こっているのか理解ができない。
「夢と希望が降り注ぐ! 絆の力で勇気いっぱい! みんなの平和は私が守る!」
その魔法少女はくるっとターンしこちらを向いた。そして――。
「元気満タン! ピュアピンク!」
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……………………………………
……………………………
……………………ピンク?
………………
…………
……その魔法少女は姉ちゃんだった。