二十五話 みんなを守る力
譲二さんの体が目も開けていられないほどに、輝きだしたのはそのすぐ後だった。グロウもただならぬ何かを感じ取ったようで、拘束を解こうと更に暴れだした。
小さな太陽がそこにあるかのような輝き。その輝きの中、ひときわ輝く円柱状の光が譲二さんを覆ったと思ったその時……。
大気を揺らすほどの爆発音が俺の鼓膜を刺激した。
激しい爆発音であったのもかかわらず、譲二さんの辺りにだけ地表の砂が舞い散っている。姉ちゃんは何かを掴むように譲二さんのいる方向へ腕を伸ばしてしている。綾乃は何が起こったのかわからない、と言った感じでただ立ち尽くしていた。
譲二さんは自らの命を使い、グロウの息の根を止めたのだ。
そう理解した時、俺の膝は立っているだけの力を失った。地面に崩れ、全身の力が抜けていくようだった。
なぜ? なぜ? という疑問が浮かぶ。譲二さんは命を掛けて、俺だけではなく姉ちゃんと綾乃を救った。こうでもしなければ、みんなグロウに殺されていたのは明白だ。
……でも、こんな……ことが。
爆発の衝撃で舞い散っていた砂埃が、風によりさらわれていく。二つの黒い塊が地面に横たわっているのが見える。
そのうち、一つがもそもそと動いているのがわかった。腕を支えに、体を起こし震える二本の足で立ち上がった。完全に視界が晴れ、そこにいる人影に視線を合わせた。
それはグロウだった。
激しい爆発で、体は黒く焼け焦げ、固そうな皮膚は所々裂けており、中の肉が見えている。体を左右に揺らし、立っているのもままならないといった感じだが生きている。
譲二さんの命を掛けた攻撃でも生きている。
絶望感と焦燥感が沸き起こる。
グロウがゆっくりと、そして確実に姉ちゃんと綾乃に近づいてくる。力を使い果たしてしまったのか、姉ちゃんは譲二さんのいた場所に腕を伸ばしたまま動けないでいる。綾乃も地面に座り込んだままうつろな目をグロウに向けていた。
殺されてしまう。このままでは譲二さんの命も無駄になってしまう。
その時だった。それまで頭の中に響いていた不協和音はなくなり、その代わり耳鳴りのようなものが鳴り響き、突然消えた。体全体を覆っていた熱も引いていき、冷たく澄んだ流水が突然体に流し込まれたような、清涼感に身を震わせる。
俺は結界に手を伸ばした。
それまで、俺を拒んでいた結界は、俺の腕を捉えるとするすると中へ引き込んでいく。腕、肩、体と俺を中に迎え入れていく。ついに俺の体は結界の中へ入っていった。
ああ……。力が覚醒したんだな、と思った。
驚きも困惑も無い。清々しささえ感じていた。大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。これでみんなを守れる。
目的の餌が入ってきたと思ったのか……。グロウが大きく体を仰け反らせ、胸のあたりを上下させた。笑っているのだろうか? 無力なうさぎが入ってきたと思っているのだろうか?
グロウはおぼつかない足取りでこちらに歩いてくる。
恐怖はない。
譲二さんが命をかけて俺たちを守ってくれたように、俺も大切な人を守ろう。
俺もゆっくりとグロウに歩み寄った。途中、姉ちゃんと綾乃と目が合うが、二人は驚きと微かな希望を目に宿している。俺はその眼差しを受け止め、グロウと対峙した。
お互い、腕を伸ばせば触れ合う位置。
グロウが俺を引き裂こうと腕を振り上げた。そして下ろす。
あまりにもゆっくりと振り下ろされる腕に少しだけ困惑したが、俺はグロウの脇に自分の腕を差し込み、上に振りぬいた。
何も抵抗を感じずに、グロウの腕は激しく回転しながら上空へ飛んだ。
ふと自分の腕を見ると、黒い両刃の剣のようなものが肩から手先にかけてすっぽりと覆われていた。刀身は黒く透き通っており、ラメを散らしたように輝いている。
ああ……。これだったのか。
忘れもしない。この武器は小さなころの憧れのヒーロー。『アストロレッド』が持っている最強の武器『アストロソード』だ。
懐かしさと、気恥ずかしさで笑みがこぼれてしまう。望んでいた力が、小さな頃決別したはずのヒーローの力だったなんて……。
「ギュエエエエエエエエエエ!」
威嚇とも恐怖ともつかない叫び声が辺りに響き渡る。
俺はグロウに向き直った。グロウが切り取られた腕をものともせずに、今度は反対の腕を俺に振り下ろしてくる。
またしても、俺にめがけて振り下ろされてくる腕は、一呼吸置いても避けられるほど遅いものだった。まるで、自分だけが時間を支配しているような感覚だ。振り下ろされる腕を交わし、グロウの後ろに回り込む。グロウの腰のあたりめがけ、思い切り腕を横に振りぬいた。
グロウの上半身と下半身は切り離され、二つのパーツは地面に崩れ落ちた。グロウは地面に体を横たえたままピクリとも動かない。
「浩介!」
ハッと我に返る。声がした方を振り向くと姉ちゃんと綾乃が信じられないといった表情で俺を見ていた。
「姉ちゃん! 綾乃!」
二人がいる方へ走って行く。二人共怪我こそしていないが、力を使い続けた疲弊からかだるそうに体を横たえている。
綾乃は無理やり笑顔を作り、俺の足にすがりついた。
「力が覚醒したんだね…」
「ああ……。そうみたいだ」
「……終わった……。終わったんだよね」
綾乃が懇願するように言った。俺は後ろを振り返り、グロウを見た。ピクリとも動いていない。
「終わった……はず」
腰から体を両断したんだ。いくらグロウといえど動くわけがない。
「いや。まだだ」
突然、姉ちゃんはグロウに視線を固定したまま、端的に言った。
「グロウは死ぬときには必ず、体を霧のようなものに変えて消滅していく。まだ死んでいないかもしれない」
そんなまさかとは思いつつ、グロウを注視する。すると、グロウの頭がわずかに動いた。腕が切り取られた肩からは、芋虫が地表を求めるように、腕が躙り出てきている。
なんていう執念なんだ。
しかし、あのグロウはすでに虫の息だ。今度こそ……。
そう思い、グロウの方へ走りだそうとすると――突然、地面が起き上がり、俺の進行を阻んだ。見えない力が背中を押している。
不意に起きた、地面が起き上がってくるという出来事に困惑していると、意識の奥から俺を呼ぶ声が聞こえた。
「……介! 浩介! 大丈夫か!」
地面が起き上がってきたのではなかった。俺が地面に倒れていたのだ。
二度と起き上がれないんじゃないかと思うほど、ひどい疲労感。地球がシェイクされているんじゃないかと思うほど激しいめまい。
力を使いすぎたために起こる精神力の枯渇だった。激しい脱力感と闘いながら思った。力が覚醒したばかりの俺が、グロウを圧倒するほどの力を長い時間使えるわけがなかったんだ。
もう少しで……。俺の力が足りないばかりに……。
ふと、頭の中である疑問が沸き起こった。
正義の味方ならピンチの時にはどうするのだろうか? 正義の味方は絶対に諦めない。そりゃあ正義の味方が負けるところなんて誰も見たくはない。正義の味方だったらこんな時は……。
「……姉ちゃん。綾乃……」
俺の側に寄り添っていた、二人は俺の声に肩をピクリとさせた。
「二人の力を俺にくれ……。それでグロウを倒す」
口を開くのも億劫だったが、なんとかそれだけは言えた。
正直、力を分け与えるなんてことができるのかはわからなかった。でももうこれしか思い浮かばなかった。
どの正義の味方も一人で戦っているわけじゃない。仲間……。みんながいるからこそ戦える。どんな強力な力を持つ正義の味方でも一人では強大な敵には立ち向かえないんだ。
ふわりと、暖かく柔らかい二つの手が、俺の背中に置かれた。優しく、安心できる手だ。俺はこの手に守られてきた。子供の頃からずっとだ。今度は俺が守らなくちゃいけない。俺には今その力があるんだ。
背中に置かれた手から、じんわりと温かい力が全身に注がれていくのがわかる。全身を蝕んでいた疲労感が緩和していく感じがした。気力が戻り、俺はゆっくりと立ち上がった。
姉ちゃんと綾乃は、かすかに残った最後の力を俺に注いでくれたのだろう。二人とも、地面に膝を落とし立ち上がれない。
「浩介。これが最後だ。思い切りやってこい」
「行って……。浩介」
その言葉を受け取り、俺はグロウの方へ視線を向けた。再生しかかっていた腕は、ほぼ元の形を取り戻している。下半身が無いグロウは、腕の力だけで俺たちの方へにじり寄ってきていた。
俺は『アストロソード』を振り上げた。図らずも、それが『アストロレッド』が敵のボスを倒すときのポーズと同じだった。笑みが溢れる。
姉ちゃんと、綾乃からもらった最後の力を振り絞り、地面を蹴る。世界の時間がゆっくり流れていくのを感じた。
グロウは俺を見据え、俺もグロウを見つめ返した。グロウの鋭利な爪が俺の頭をかすめる。髪の毛がいくらかグロウの爪に掠め取られていった。
グロウの前で一度、急停止し股下にアストロソードを滑りこませた。そのまま、地面を思い切り蹴り、腕を上空へ一気に振りぬいた。
水を切ったような感覚……。というのが正しいのかもしれない。抵抗なく振り抜かれたアストロソードは、グロウの体を股下から真一文字切り裂くと、同時に剣先から砂がさらさらと流れるように消滅していった。
これでもうなんの力も残されてはいない。
半分に切り裂かれたグロウは、そのまま綺麗に左右へ分かれていった。
暫くの間、切り裂かれた皮膚から覗く肉は、ヒクヒクと蠢いていたが、次第に空気の抜けた風船のように、黒い蒸気を発生させ、集まり雲のようなものを生成させていった。
通常のグロウよりも何倍も大きい雲を作っていった。あまりにも禍々しい黒雲だったため、そこからグロウが出現するのではないかと背筋を凍らせたが、一筋の風が吹き黒雲を散らしていった。
あれほど畏怖した悪魔は、その姿を散らしていく。そこに何もなくなるまでわずか数秒だったが、俺には永遠に感じられた。
グロウはチリひとつ残さずに、その姿を消滅させた。ぽかんと上空を見つめたまま、その現実が頭に浸透するまでには時間がかかった。
その時、背中に強い衝撃があり、俺は前のめりに地面に突っ伏した。
「浩介! 浩介!」
姉ちゃんがものすごい勢いで、俺に抱きついていた。
「ね……姉ちゃん。ちょっと……」
俺の名前を連呼しながら、顔をグリグリと背中に押し付けている。羽交い締めにされているので全く動けない。
うつ伏せで起き上がれない俺の前に、綾乃が来てしゃがみこんだ。目尻にいっぱいの涙を溜めている。それを指で救い上げながら、
「カッコ良かったよ! 浩介……」
と満面の笑みで言った。
「うん……。姉ちゃんと綾乃を守ることができた。でも……」
俺は顔を横に向けた。
視線の先には、譲二さんが横たわっている。自らの命を犠牲にして俺たちを守ろうとした譲二さんが……。
譲二さんが命を掛けてくれなければ、俺はグロウを倒せなかっただろう。
視界がぼやける。涙が溢れこぼれ落ちた。
「でも……。俺は譲二さんを助けることはできなかった……」
そう言うと、姉ちゃんは背中から降り、俺の手を譲二さんのところへ引っ張っていった。
「譲二さん……」
譲二さんは仰向けに倒れていた。体が焼け焦げ、見るも無残な姿だった。
顔は傷ひとつ無い綺麗なもので、それだけが救いだった。よく見ると、焼け焦げているのは服で、所々露出している筋骨隆々な肌は傷もなく、綺麗なままだった……。
……って傷ひとつ無い?
まさかと思い、姉ちゃんの顔を見ると、今まで見たことが無いくらいのドヤ顔で俺を見ていた。
「私はすべてを癒し倒す、正義の魔法少女だぞ? 自爆の瞬間にこの変態の傷を癒やすことなどわけはない」
そうか……。自爆をした瞬間、譲二さんに腕を伸ばしていたのはそのためだったのか。
綾乃もそのことを知らなかったのか、口に手を当て、ポロポロと大粒の涙をこぼしている。
「姉ちゃん……。どんなチート能力だよ……」
「お前に言われたくはないな。グロウはお前の力に手も足も出ていなかったぞ。お前の方がチートだ」
「俺だって大変だったんだから……」
みんな無事だった……。そう思ったら急に全身の力が抜け、視界が狭まっていった。ゆっくりと体が倒れていくのを感じながら、意識が遠のいていくのが分かった。




