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二十四話 最悪、再び

 オレンジ色に染め上げられた太陽が、深緑色の木々に沈もうとしていた。風が手入れされた芝生を同じ方向に倒している。一斉に俺達の方に倒れている様は、まるで襲い掛かってくる災厄のようにも思えた。


 その時の胸中でこんなにも印象が違うものかと思う。


 普段なら夕暮れのさわやかな風も、今は俺たちを蝕む悪魔の吐息に思えてならない。


 俺たち全員が、グロウの復活を感じたようで、コテージ外の広場に俺と力を持つ三人を遮断する結界を張り、中心に綾乃が張ったグロウを閉じ込めている結界の玉を据えた。


 復活は間近のようで、結界の玉はそれ自身がグロウの心臓であるかのように、激しく鼓動を繰り返していた。


 このまま、グロウが出てこなければいいのに……。とも思ったが、グロウが出現する直前の嫌な感覚が次第に強くなっていく。


 姉ちゃんと綾乃もそれを感じているようで、表情が段々こわばっていくのがわかる。譲二さんは表情を変えず、グロウを封印している玉を睨みつけている。


「浩介。ささっと片付けてやるからな。そこで安心して見ていろ」


 俺は何も返事ができなかった。自分すら守る力がないなんて……。ただ、守ってもらうだけの自分がこんなに歯がゆいなんて思っても見なかった。


「そろそろです」


 譲二さんがよく通る声でそう言うと、それに呼応したように結界の玉の鼓動が早くなる。次第に玉の形状を保てなくなり、アメーバのようにその形を変化させている。


 壊れた笛の音のようなものが頭のなかに鳴り響く。それはどんどん大きくなり、俺の思考力を低下させる。意識まで失ってしまうような不協和音。しかし、情けなく気を失ってしまう訳にはいかない。せめてこの戦いを見届けなくては……。


 脳を食われていくような感覚に耐えながら、グロウを閉じ込めている結界の玉の方を見ると、そこにあったはずのものは消え失せていた。


 目を離さずに見張っていた譲二さんも、顔に困惑の色を浮かべながら空を仰いでいた。


「綾乃さん! 私に力を限界まで注いでください! その後は自分たちにシールドを張ってください!」


 綾乃は返事を返す間もなく、未だかつて無いほどの光を体全体から発光させ、譲二さんに注ごうとした――その時、不意に譲二さんの体がくの字に曲がり、結界の端まで吹き飛ばされた。


 激しい衝撃が結界内を駆け巡る。シールドが間に合ったようで、姉ちゃんと綾乃は衝撃にさらされることなく服にさえ埃一つ無い。


「譲二さん!」


 反射的に叫ぶが、譲二さんの耳には届いていないように思える。


 先制の体当たりをしたグロウは、そのまま足を譲二さんの体に絡みつけ、先日譲二さんの腕を切り落とした、自らの腕を高く振り上げた。


 譲二さんはグロウの振り上げた腕を肩付近で捉え、そのまま左右に引きちぎった。


 それにはさすがのグロウもたまらなかったようで、譲二さんの体に絡めていた足を離し、地面で体液を撒き散らしのたうち回っていた。


 その隙を逃さずに、馬乗りになるとグロウの頭を掴み地面に何度も叩きつけていた。


 そのたびにすさまじい衝撃音が耳をつんざき、砂埃が辺りに飛散する。


 グロウはいつの間にか再生させた腕で譲二さんの頭をわし掴みにし、自らの頭を何度も打ち付けた。


 譲二さんの頭からは鮮血がほとばしり、グロウの顔を濡らした。そのたびにグロウはゲッゲッ、というカエルを潰したような不快な笑いを漏らした。


 しかし、譲二さんの傷を姉ちゃんが癒やす。譲二さんがお返しと言わんばかりにグロウの頭を掴み、頭突きをお見舞いした。


 譲二さんとグロウがお互いの頭をつかみ合う。


「ギュアアアアアアアアアアアアアアアア!」

「アアアアアアアアアアアアアアアアアア!」


 突然の絶叫が鼓膜を震わせた。


 咆哮。お互いに生存を掛けての、命の削り合い。


 譲二さんの体は赤黒く変色し、血管が浮き出ている。体全体からは湯気が立ち上り、人のそれとは思えないほどだった。綾乃が休まずに力を注ぎ込み、限界まで譲二さんの戦闘能力が高められていた。姉ちゃんも譲二さんの体の傷を癒し続けている。この二人が居なければ、譲二さんの命は消し飛んでいることだろう。


 もう俺には何もできない。結界の中で戦う三人の勝利を祈るくらいしかできなかった。結界の中で命を掛ける三人が負ければ、俺の命は簡単にグロウに喰われてしまう。


 ならばせめて、あまりにも小さな俺の命をみんなが戦う結界の中で散らしたかった。


 ――そんな時、俺の体の中に異変が起こった。胸の奥がチリチリと音を立て、熱を発している。それは二つ目の心臓ができたように激しく脈動している。胸に発生した熱は、そのまま体中に広がり、頭の先から爪先まで広がっていった。


 ……この感覚は?


 俺が結界の手をのばそうとした――その時。


 スコップで深く土を掘ったような……そんな音が聞こえた。


 熱でぼやけた視界を結界の中に戻すと……。


 グロウが右腕を天高くあげていた。裂けた口は更に大きく開き、卑しい笑みを浮かべていた。腕を伝う濃く赤い液体は、そのままグロウの体を流れ地面に落ちていった。


 その液体の流れ出る先を見ると、譲二さんがモリに刺された魚のように、体を中に横たえている。


「……! 譲二さんっ!」


 譲二さんはかろうじて意識を保っているようだったが目はうつろだ。グロウは遊び終え、壊れたおもちゃを捨てるように、譲二さんを刺したままの腕を勢いよく横に薙ぎ払った。


 激しく地面に叩きつけられた譲二さんを背に、グロウは姉ちゃんと綾乃の方へ向き直った。


 姉ちゃんは怯えることもなく、譲二さんに癒しの力を与え続けている。綾乃も表情を一切変えず今やるべきことを忘れてはいない。


 怯え、泣き喚いても状況が変わることはないとわかっているのだ。今やるべきことを、命あるかぎり続ける。二人はそのことを十分わかっている。


 グロウがゆっくりと姉ちゃんと綾乃の方へ歩み始めた。しかし、その視線は二人のいる後ろ側……俺を見ている。譲二さんの血で濡れた体を喜びに震わせ、顔は相変わらず身の毛もよだつような笑みを浮かべている。


 姉ちゃんと綾乃はお互いの身を寄せ合い、グロウから俺に向けられる視線を遮断した。グロウの笑みは次第に、怒りのものに変わり目の前の二人に向けられた。


 狩りを邪魔する敵……と認識したのだろうか。グロウは鋭利な爪を持つ腕を横に大きく広げ、体制を低くし、姉ちゃんと綾乃に襲いかかろうとしている。


「姉ちゃん! 綾乃! にげろッ!」


 俺がそう叫んだ、と同時にグロウの体制が更に低くなり地面を蹴った。黒い弾丸のような体が二人に襲いかかる――と思った、数瞬後、グロウは誰かに片腕を取られ、前に行こうとしていた足は虚しく空を捉え、間抜けにそのまま尻もちを着いた。


 譲二さんだ。


 譲二さんの体は、先ほどグロウから受けた傷が一切なくなっていた。ただ、腹部は服の生地が無くなり、グロウの攻撃を受けたのだと思い知らされる。


 しかし、譲二さんの目は未だうつろで、視線が定まっていない。呼吸は浅く荒い。顔は青白いを通り越し、死人のように真っ白になっている。立っているのも辛いのだろうか。グロウを掴んでいる手とは反対側の手で、自分の膝を抱えかろうじて支えているという感じだ。


 ……血を流し過ぎたんだ。


 姉ちゃんは傷は治せても、流れでてしまった血液を再生することはできないのだろう。譲二さんの表情を見ていれば、そのくらいは察しがつく。


 譲二さんはもう限界だ。気力で立っているに過ぎない。


 グロウは怒りのためか、体中を上気させ譲二さんの方に素早く向き直った。


 残った腕で譲二さんを攻撃しようとするが、その手を掴まれる。グロウは一瞬だけ戸惑いの表情を見せた。それを逃さず、譲二さんはグロウの腹に強烈な膝蹴りを叩き込んだ。


 グロウは譲二さんに覆いかぶさるように倒れた。


 譲二さんは素早い動作で、後ろに回り込み、グロウの首に太い腕を回した。プロレスなどでよく見るチョークスリーパーのような形になった。


 形成逆転だ。そのまま締めあげてしまえば……。そう思った時、


「無理ですね。やはり成功法では勝ち目はないです」


 と、リビングで俺たちにお茶を振舞っている時と同じような、抑揚で喋った。


 グロウは舌をだらりと口からだし、体を軽く痙攣させながら、譲二さんに捕らえられている。


 どう見ても、譲二さんが有利に見える。しかし、


「椿さんも、綾乃さんもほとんど力を使い果たしています。私もこう見えて……限界なんですよ」


 譲二さんは誰に言うわけでもなく、かすれ声で空に向かって言葉を発していた。


「私の力は……。攻撃に特化した能力というわけでは無いんですよ」


 その時、グロウの爬虫類を思わせる双眸がゆっくりと開いた。自分の置かれている状況を察したのか、体全体で譲二さんの拘束を解こうともがいている。譲二さんは更に力を入れグロウを抑えようとしているが、表情は苦しそうだ。


「椿さんにも、綾乃さんにも話したことはありませんが……。わたしの能力は自己犠牲……。自分の精神力を爆発させ相手を討ちます。……簡単にいえば、自爆です」


 自爆……。その答えに俺は息を飲んだ。今まで表情を崩さなかった姉ちゃんと綾乃も、表情を崩し、譲二さんを見据えている。


 譲二さんはゆっくりと、姉ちゃんと綾乃に視線を移し、最後に優しい視線を俺に向けた。そして、目を閉じ、顔を上げた。ゆっくりと深呼吸をした後、


「罪を重ねてばかりの人生を送ってきました。でも最後にあなた達の命を助けることができて良かった」


 そして、譲二さんは唇を微かに動かし、誰かの名前をつぶやいたようだった。

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