十二話 譲二の誘い
「つーちゃん? 今日は暑かったから汗かいちゃったよね? 久しぶりに一緒にお風呂入りに行こうか?」
綾乃が慰めるように姉ちゃんに話しかけた。
「……う……うん。譲二さん、お風呂借りますね」
ふらふらと立ち上がり、リビングから出る姉ちゃんを心配そうに見つめた。
――精神を食らう異形の怪物『グロウ』。
見るだけで嫌悪してしまう、異様な体躯。その叫び声はまだ俺の耳に残っていた。
危険はないと譲二さんは言っていたものの、やはり心配になる。姉ちゃんたちはなぜあんなものと戦っているのだろうか?
――人々のためになる立派な仕事だ。
ここに来る森のなかで姉ちゃんはそう言った。姉ちゃんらしいといえば聞こえはいい。しかし、あの怪物の姿形を思い出すだけで、背中には冷たいものが走る。
……疑問に思ってしまうのは、俺が臆病者なだけなのだろう。
でも、姉ちゃんと綾乃はいつあの力を手に入れたのだろうか? 生まれた時から持っていた力なのか、それとも何らかの条件があって発動する力なのだろうか。
「譲二さん。あの力って……」
「康介くん! チャンスですよ! あああああの二人が、私を縛り上げないでお風呂に向かいましたよ! あはははは、うかつですね!」
俺の言葉を遮り、譲二さんが俺の肩に勢いよく、手を置いた。目は大きく見開き、口角はグイっと上に上がっている。性犯罪者の表情だ。
「な、な、何ですか?」
「ついに私の夢が叶う時が来たのです!」
譲二さんが俺の肩を激しく揺らした。譲二さんのパワーに対向することができず、俺の首は前後に揺れた。
……と、急に力を緩め、譲二さんは俺の方から手を離し、落ち着きを取り戻した。普段の優しげな表情に戻り、背をピンと張り両手を後ろで組んでいる。
「さて。康介くん、いきなり話は変わるんですが」
状況の変化に俺がついていけなくなっているのをお構いなく譲二さんは話を続けた。
「これは相談というか、お願いでもあるんですが、浩介くんもここで働いてみないですか?」
思い切り話が変わった。いきなりの勧誘に俺は目を白黒させる。
「えっ。ここでですか?」
譲二さんは小さく「ハイ」といい俺の顔を見つめている。
ここで、働くということはあの「グロウ」とか言う奴と戦うのだろうか……。あのおぞましい怪物の体躯が、脳裏をかすめる。
「俺、なんの力もありませんよ」
そうだ。そもそも俺は姉ちゃんたちのような力は持っていない。
「いやいや、違いますよ。グロウと戦うだけが仕事ではありません。なんだかんだ言って色々雑務もあるんですよ」
譲二さんは手を左右に振りそう言った。
「私達と一緒に戦ってくれませんか? 浩介くん。あなたの力が必要です」
なんの力もないけど、あの怪物と戦える。一瞬俺の頭には、地球を侵略せしめようとする、敵から命をかけて戦うヒーローの姿が浮かんだ。子供の頃に幻滅したヒーローの姿が……。
胸の奥がチリチリとする。緊張にも似たこの感触。胃のあたりにふわりと何かが落ちる感覚。それは熱を持って体を熱くする。不快ではない。
無意識に口角が上がった。正義の味方になれる……。
いやいや。なんで高校生にもなって、子供みたいな考えを……。頭では理解しているが、気持ちはどうにも抑えきれない。
「はい。よろしくお願いします。ここで働かせてください!」
思わず語尾に気合が入った。譲二さんは少し驚いた顔をしたが、すぐに表情は戻り、
「はい。こちらからもよろしくお願いします」
優しい笑顔でそう答えた。
「でも、ここで働くためにはひとつの試練をこなさなければいけません」
試練? なんだろう。力はいらないといったよな。
譲二さんは今一度真剣な表情を作り、
「私と一緒に椿さんと、綾乃さんのお風呂を覗きに行きましょう」
?????? なぬ?
「先ほども言いましたが、これはチャンスなのです。一生に一度の大チャンスです」
予想外の言葉に俺の頭はパニックになった。少し間をおき、譲二さんのセリフがようやく頭に染みわたる。本っ当に何言ってるんだこの人。
「イヤイヤ。ダメでしょ? いきなり何を言ってるんですか?」
「二千円」
間髪入れずに譲二さんは金額を表示してきた。
「二千円?」
「はい。二千円です。浩介くんのここで働いた場合の時給です」
ににににに二千円! 二千円の時給なんてアルバイトじゃあ、聞いたことないぞ!
「ただし、先程も言ったとおり、試練をこなさなくてはいけません。私と一緒に協力し風呂を覗くというね!」
二千円という時給に、心が動きそうになる――が金で姉ちゃんと幼なじみを売ることはできない。
「何を馬鹿なこと言ってるんですか? ダメに決まってるでしょ! そんなの!」
俺は言った! 言ってやった。そんな卑劣な行いを金で動かせると思っているのか。
「そうですか……じゃあ」
おそらく値を吊り上げてくるのだろう。そんな手には引っかからない。
「千八百円」
なんか下がった。
「えええええ? なんで下がるんですか?」
「すぐに決断できない人は、社会に出ても通用しませんよ。千六百円」
また下がった。
「あの椿さんのことです。浩介くんが一声かければ、一緒に入る、とかいうに決まってます。それで、浴室のドアを開けた隙間から、私ちょっと覗きますんで。全部見えなくてもいいんです。ぶっちゃけ湯けむりにまみれたシルエットが見えればいいんです。そうすれば私の妄想は限界突破しますから」
アンタの妄想が限界突破したら、裸だけじゃすまないでしょうが。俺は悩んだ。激しく悩んだ。譲二さんの術中にハマってはいけない。この人は卑劣な人だ。人の心の隙間を突くペテン師だ。
「千四百円」
俺はあの姉ちゃんや綾乃と協力して、グロウを倒すという使命を果たすんだ。金じゃない。
「千二百円」
う、う、う、う、う、う! 金じゃないと分かっていても……。
「千円」
「やります!」
…………負けた。自分自身に。
譲二さんはぴょんこぴょんことスキップで、俺の周りを周っている。
「決断はもう少し、早いほうがいいですよ。社会に出たらなおさらです。浩介は得られる報酬を自らの優柔不断な行いで減らしてしまったのですからね」
もっともらしいお説教を受けてはいたが、譲二さんは、相変わらずニヤニヤしながら俺の周りを周っている。姉ちゃんの気持ちが今、分かった。締めあげたい衝動に駆られる。
「さあさあ、善は急げですよ。お風呂場はこちらです」
譲二さんは声を弾ませ、リビングを出て行った。俺はふらふらと譲二さんについていった。




