第72話「ねこのいどころ大作戦06:おんなのたたかい」
ご無沙汰しております。
病気治療の投薬の影響でうまく筆が進まず、実にほぼ1年ほど休んでしまいましたが、ようやく「航宙船長「まる」」第72話をお届けさせていただきます。
何とか復調傾向ですし、まだ本来の調子は取り戻せないかもしれませんが、徐々にペースを上げて掲載を続けていく所存です。
まるは「機動兵器トーナメント」本戦へと進もうとしていたが、思わぬ伏兵として、この世界のワイルドカード、或いははジョーカーかもしれない超チート人物、羽賀氏の参戦を知ることになった。そして、阿於芽と謎の人物の関係は? エリス譲とまるの戦いは?
思惑の交差する72話!
(承前)
最悪だ。
まるは頭を抱えていた。
「だって、どう転がっても勝てないでしょ?」
美麗な三毛猫のビロードのような尻尾は、イライラを通り越して、ビタン、ビタンと床を強く打ち付けていた。4つ足をきちんとそろえて冷静さを装おうとしても、尻尾の豊かな感情表現は止めようがないらしい。
〈大和通商圏〉筆頭参事官、羽賀俊樹。
年齢不詳――まるがただの猫として生まれた当時、飼い主であった土岐氏は延命薬物を常用してすでに160歳を数えていたが、その土岐氏は幼い頃から羽賀参事官と親交があったという。今ではまるが100を数える年齢だから、現在の羽賀氏は最低でも260歳よりは上だろう。だが、詳しい経歴はまるも知らなかった。
名前から分かる通り、羽賀氏は人種的には〈大和通商圏〉の過半数を占める「日本人の末裔」だ。本人曰く、若干ゲルマン民族の血も混じっているそうだ。だがそんな些細な事実よりとんでもない「者」が、彼には混じっている。
それは「異星人」と呼ばれるものだった。
21世紀でいうところの異星人とは似て異なる。しいて言うなら、高次階梯の生命体という代物だ。古き良き時代のとあるSF作家の弁を借りるならば、「十分に進化した生命体は、神と見分けがつかない」というやつであった。
地球人類(この場合はまるなどの地球産の知的生命すべてを指す)のはるか先を行く進化の高みに存在する彼らは、死も時間も超越している。一説によれば遥か未来からやってきたとか、脈動を繰り返す宇宙の前の世代からやって来た、等と言われている(宇宙は脈動などしない、という古い地球人類の計測結果は彼らに捻じ曲げられたものであることは500年も昔……23世紀には明らかになっている)。
彼らの力は底が知れない。
銀河から銀河へ一瞬にして移動したり、星を自由に作ったり消したり、時として時間さえ自由に操る能力を持っている。なぜ銀河系などという辺鄙な場所にいるか不思議なくらいの生命体である。まあ、そこには彼らなりの理由があってのことらしい。
それが羽賀氏の半身である。
だが、超越した力を持つ彼らの世界も一枚岩ではなく、群雄割拠の様相であり、割とドロドロした権利関係の綱引きで成り立っているらしいことも分かっている。そこに一定の調和を取ろうという組織の末端に位置するのが、羽賀氏の半身が所属する「銀河第三渦状腕調停組織」であり、どうやら、その組織が今回の機動兵器トーナメントの運営にもかかわっているらしい。
超越生命体が、ちゃちな機動兵器などに何故興味を持っているか。そんなことは分からない。
そして、羽賀氏自体が、そのトーナメントに出場するという。
そもそも大会運営に係る機関に所属する、なおかつ超生命体が、その大会に出るとかチートもいいところである。
「羽賀参事官は、今回どんな立場で出場されるんですか?」
困惑した顔で、ラファエル副長がまるに質問した。190センチはあろうかというイタリア系の偉丈夫な二枚目が、不機嫌そうに尻尾を打ち鳴らす三毛猫を上司と仰ぐ様は滑稽でもあるのだが、ラファエル・チンクアンタ副長自体はそれが自分のもっとも最適なポジションと信じて疑っていない。
「本人に聞いてみないとわからないけど、少なくとも大会運営とは関係ないって話してくれたわ。――どこまで信用していいかわからないけれど」
「となると、何かの団体を代表しているのでしょうか」
「あるいは、彼個人がポケットマネーで、ほんの遊びで参加してるのかもね」
羽賀氏の自宅を訪れた時の経緯を考えると、彼の資産がどれくらいあるのかは考えたくもなかった。たぶん星の一つくらいは買収できてしまうレベルなのではないだろうか。あるいはもっと。
「母港が持てずに喘いでいる私たちとはそもそもが違うんでしょう」
まるはその逆三角の鼻からため息を漏らした。
イタリア人男性は、困ったように笑みを返すと、背筋を正した。
§
彼はまどろんでいた。
自分が何者かはいまだに分からない。
面会に来てくれた金髪の女性と少女は、あれ以来姿を見せていない。自分の縁者だろうか?
ふと目を開けると、小太りの男性が部屋の隅の装置をいじっていた。
「ああ、すみません。起こしてしまいましたかね?」
そう話す男性だったが、装置をいじる手を止めるでもなく、視線をこちらにちらりと送ってくるだけで、すまなそうな感じは全然なかった。横たわっていた彼は身を起こすとかぶりを振った。
「構いませんよ。こちらこそいろいろお手数をかけてしまっているのではないですか?」
「お手数、ということは無いですが、あなたが何者かわからないのが一番の難点ですね」
男性の言葉には皮肉っぽい響きは全然なく、淡々と事実を話している風だった。
「全くです。私も自分が何者か知りたい」
「でしたら、少し協力いただけますか。少しは何か分かるかもしれない」
「どうしたら宜しいですか?」
「ああ、そのままでお待ちください。あなたと話したがっている者がいますので」
小太りの男性が装置を操作すると、部屋の中央の空間がざわつく様に揺らぎ、そこに突然何か黒いものが現れた。
黒いものは、一匹の黒猫だった。
猫は青い目をきらりと光らせながら自分の姿をあちこちと確認してくるくる回っていたが、やがて顔を上げると、小太りの男性に〈大和通商圏〉の公用語――日本語で文句を言った。
『うーん。なんか違うなぁ。――ねえ秋風君、本物の僕はもっとスマートだよ』
「そんな事はない。ちゃんと直近の計測データに基づいてるよ」
『そんなもの、データがおかしいんだろ』
「阿於芽、僕が何度もチェックしたデータだ。信用できないのか?」
阿於芽と呼ばれたその黒いものは、部屋の中をたたたっ、っと走ってきて男のそばに来た。そして検分するようにぐるぐると男の周りを歩き回っていた。その神秘的なブルーの目には知性の光が宿っていた。
『こんなプローブ使っていたかなぁ。記憶が曖昧なんだ』
「彼の体内には小さな活動物の反応がある」
『多分それだ、僕の体!』
黒猫は男の膝に飛び乗ると、その顔に頬ずりした。だが、黒猫の体重も頬ずりの感覚も、男には伝わらない。まるで亡霊が飛び乗って来たかのようだった。
男は混乱して聞き返した。
「あ、あの。すみません、この猫は? どうして人の言葉を?」
「ああ、いきなりで申し訳ない。この猫は空間ARで表示された立体映像です。本猫は別のところ、というか、実の所、何処にいるかよく分からなくなっているんですよ」
『そして今は、なんでか知らないけど巨大な機動兵器に意識が固定されているけどね』
「先ほど私にプローブとか何とか……」
「ちょっと話が込み入っているので、順を追って説明した方がいいですね」
秋風と呼ばれた男性は、部屋の隅の空間に向かって手を振った。すると、空間はディスプレイに変わり、黒く塗りつぶされたような人型の映像が映し出された。
「X線、電磁波、重力波測定、核力測定、亜空間干渉波……様々な方法であなたの体内をスキャンしましたが、骨格はおろか、中をのぞき見することすらできませんでした」
「え、それはどういう……」
黒猫は彼をじっと見据えると、こともなげに言った。
『君はね。人間じゃないんだ。むしろ何なのかわからないモノ、といった方が良いかもしれない』
「阿於芽! 直接的すぎる発言は彼を混乱させてしまうから控えるようにとあれほど……」
『秋風こそ慎重すぎるんだ。ぶっちゃけた方がいいよ、だって実際なんだかわからない。生き物ですらない可能性が高いんだから』
そう横柄に言い放つと、男性の足にすり寄った。そして、ゴロゴロとのどを鳴らしながら、言葉をつづった。
『僕は、君が、僕が作った「人型プローブ」が変質した「何か」である可能性が高いと思ってる』
男は困惑しながらも、この黒い塊のいう事にどこか納得を感じていた。
「私は、いったい何なのだろう……」
『それが分かれば苦労はしないね。通常の人型プローブがここまで解析困難な筈はないんだ』
「ふむ……」
『人型プローブっていうのは、人間の中に交じって僕らが活動できるようにするもので、ナノマシンの集合体でできているんだ』
阿於芽はわざと二本足で立って、人のように歩いて見せた。覚えたばかりの立体映像の仕組みを完全に使いこなしている。
『だからX線程度では内部を見ることはできない偽装を施しているけど、所詮はナノマシンで出来た機械だから、もうちょっと細かい検査をすると内部はすぐに判定できるし、表皮を掻き取ればナノマシンが分離できる』
「当然、私にもそういうテストはしたんですよね?」
『ああ、でも君は内部を観察することも出来なければ、表皮のサンプルを取ると、それは人の身体組織と寸分変わらないように見えるんだ』
「手が込んでますね」
『ああ。しかもそれを君自身が知らないとか、僕も秋風も、他の連中もお手上げさ』
男は腕を組んでしばらく考えていた。
「わかりました、僕自身ももっと協力したいです」
『そうか、じゃあさっそく解剖を――』
即座にとんでもない反応をした阿於芽を秋風が慌てて制止した。
「いや、だから意思を持った存在にそれはまずいでしょう」
『だって、こいつの腹の中には僕の体があるかもしれないんだよ。いや、ほぼ間違いなく存在するね』
「そうかもしれないですが、まず彼が何者かわからないと――」
「私は構いません」
言い争いを始めた二人に、男は淡々と話した。
「僕も自分が何か知りたい。解剖とか言っても、殺すの前提ではないでしょう」
『死んでしまう危険性はある。君が何者で、何を依り代にしているかは全く分かっていないんだから』
「それでも、何もわからないままでご迷惑をかけているよりマシです」
『ふむ――だそうだよ、秋風君』
秋風は頭を振って、両手を上に半分ほどあげて何か言おうとしたが、しばらく目を瞑って、それからがっかりしたように手を下ろした。
「わかりました。その代わり安全策はいくつか講じます。彼自身だけでなく、周囲に危険性が及ぶ可能性もありますから」
『オーケイ、じゃあさっそく準備にかかろうか』
§
阿於芽が楽しいお医者さんごっこを始めようとしていた同時刻、マルティナ=まるは面倒くさい事態と対峙していた。
「船長宛で電子メールが届いています」
通信氏のにゃんた(おかしな名前だが日本人の女性である。いまの名前は、かつて居た世界でネットで彼女が固定ハンドルとして使っていたニックネームに由来している。紆余曲折で別の世界線の21世紀からやって来た)が、困惑した顔でスレート端末を持ってきた。
航宙船相手に電子メールを出す行為は、あまり現実的とは言えない。なぜなら、同じ星系内に相手の航宙船が居なければ例えば光速の2万倍の速度の亜空間通信ですら届くのに数か月を要する場合もあるし、時間的優位性がろくに無いから電子メールというシステム自体が衰退している。
まるはといえば、人型プローブのマルティナ装備のまま、喉の渇きを癒すために水を飲んでいた。マルティナが飲食したものは猫に有害なものを人型プローブがフィルタリングして、まるに非経口的に摂取させる仕組みになっている。ただ、水など直接摂取できるものは、中のまるが経口で受け取ることもできる。舌で掬い取るのではなく、子猫が母乳を飲む感じでチューブを舌で包み込んで飲むので、皿なども不要で、普通はこぼす心配もない。
「これ鍵付きメールよね。こんなもの送られてもカギを知らなきゃ解錠できないじゃない」
「ですよね……」
「誰よこんな馬鹿なメール寄こしたのは」
「はい、エリス・バロウズと署名が――」
マルティナ=まるは思いっきりむせた。まるが装着しているマルティナ=人型プローブもむせたが、まる本猫も水を派手にプローブ内部にぶちまけた。本来、プローブ内部の汚れは迅速にナノマシンが分解吸収するため、水をぶちまけた程度では大したことは無いのだが、まるはずぶ濡れになった不快感からプローブを解除した。
マルティナ装備が溶けるように消えると、情けなく水浸しになった三毛猫の姿が現れた。
慌ててラファエル副長がタオルを持って駆け寄る。こんな状況でタオルを即座に用意できる所は有能を通り越してある種の芸だともいえた。
ラファエル副長にタオルで拭われながら、まるは猫の低いうなり声とと共に、ヘッドセットから困惑の声を出した。
「エリス嬢が、私に今更何の用事があるのよ」
「バロウズ氏といえば、確か船長の対戦相手ですね」
「ええ、直前に変なやり取りをして、八百長を疑われて失格になんかなりたくはないわ」
「では、通信をお断りしましょうか」
「そうねえ、いま私猫の格好だし、第一暗号の鍵がないから読めないし」
そう会話していると、さらに追加の通信が入った。にゃんたが慌てて遠隔コンソールで確認する。
「噂をすれば影、ですね。バロウズ女史から秘匿通信です」
「だから、鍵がないのにそんなものポンポン送り付けてこられても――」
「えーと、それなんですが、キーはまる船長、というか、マルティナの声紋パターンのようです」
まるはむっとした。
<パーティーの時に録音してたのね>
「わかったわ、ちょっと待って」
まるは再び人型プローブ「マルティナ」を装着した。
「ええと、指定の文章を読み上げるのね。『ぼうやだからさ』なにこれ?」
「通信回線つながります」
変な文章を読み上げたとたんに、ブリッジの通信用ホロビューアに女性が浮かび上がった。
女性はエリス・バロウズその人だったが、その表情は険しく曇っていた。居丈高に勝利の大見得を切るために通信してきたとか、手加減をお願いするためにとか、そういう雰囲気ではない。まあ、そのどちらでも、まるは即座に通信を切っていただろう。
「対戦前に当事者同士でお話しするのは八百長を疑われる行為ですわ。李下に冠を正さず、という言葉をご存じ?」
あえてまるは、冷ややかに応じた。
『非常事態ですのでそういった儀礼は廃しております』
「非常事態?」
『そちらは2戦、不戦勝されていますわね?』
「ええ、どちらも先の戦いを見て棄権されたそうで――」
『ああ、やはりそういう情報で伝わっていますか』
彼女はやはり、という風に目を閉じると、さっとコンソールに手を振るようなジェスチャーをして、自らのホログラムの側面にスライドを映し出した。
それは、無残に破壊された機動兵器を撮影したものだった。情報の解像度の粗さから、惑星間距離に匹敵するほどの遠距離を経て撮影されたものだと思われた。同様に破壊された別のスライドもいくつか立て続けに表示された。
『この映像は、こちらで入手した情報です』
「どういうこと……」
『対戦者となり得る相手の情報はなるべく入手するように心がけておりますわ、これはその際たまたま撮影できたものです』
「そうじゃなくて、この映像って何?」
『このうち2件、これとこれが、あなたの対戦予定だったお相手さんですわ』
「何よ……じゃあ、ビビって逃げたのじゃなくて――」
『ええ、出場すべき機体を失ったから、棄権せざるを得なくなったのです』
まるはため息をついた。
<まったくもう……大会と名の付くイベントに出ようとする度に、何だか変な謀略が渦巻いてる気がするわ。スポーツマンシップとかはどこへ行ったのかしら>
エリスは曇った表情のままで続けた。
『この大会のあちこちでこういう不穏な破壊活動が行われているようですね。うちは私設軍が警備を行っておりますが、万が一、対戦前に貴女に倒れて貰っては困ると思いましたの』
「ご心配痛み入りますわ。生憎とこちらは〈大和通商兼〉随一の武装貨物船と、重装備の私掠宇宙船ですから、多少の敵くらいは物の数に入りません」
そう答えながらも、まるは人型プローブの中で尻尾を不機嫌に叩きつけていた。
<おかしいわね。何らかの妨害や破壊活動が来ているなら、たとえ軽微でも当然報告書が上がってきている筈だけど、〈コピ・ルアック〉にも〈上喜撰〉にも船内ログにはそれらしいものは無かったわ>
エリスは少々意外そうな顔をした。
『そうですか……うちの私設軍はすでに十数回交戦を繰り返しているようです。幸いどれも大事に至るものではないですが、念のため、と思いまして』
<ふうむ? 私は狙われずにエリス嬢の所だけに来ている。しかも大事に至るような攻撃ではない。か。賊の目的は何かしら?>
「ご忠告ありがとうございます。対戦も近いですから、お互い無事でお会いできるのを楽しみにしておりますわ」
心と裏腹な返答を人型プローブで返しつつ、まるはコンソールを操作して、大会の裏で暗躍している不穏な事件の調査依頼を、羽賀氏にしたためていた。
返答は即座に来た。
『その件は了解しています。まるさんの所には確かにそれらしい妨害者が向かった形跡はありませんね』
「羽賀さんが何かしてくれたわけではないのね」
『ええ。今は不正な同盟と取られそうな行動は慎む時ですから』
「エリス嬢の陣営以外に以外現状狙われている所はわかります?」
『確認できているだけで2つあります。イライジャ・躑躅森氏の所属する部隊と、私の所です』
「羽賀さんの所も?」
『ええ、現状では狙われていないまるさんの方が、特殊なケースである可能性が高いと言えるでしょう』
<私、何かしたかしら?>
まるが頭を抱えていると、「外」の通信で、少しイラついたエリス嬢の咳払いが聞こえた。
<しまった。羽賀さんとの通信に気を取られ過ぎていたわ。彼女とも話している最中だった>
「ごめんなさい、いろいろと可能性について考えを巡らせてしまって」
『いきなり魂が抜けたように無表情になって黙ってしまったから、通信回線の異常かと思いましたわ』
「とにかく、今回の件留意させていただきます。ご連絡ありがとうございました」
『大切な対戦相手に不戦敗で逃げられては面白くありませんから』
「そうですね、お互い無事に相見えましょう――」
そういってから、まるは、ふと気になったことを聞き返した。
「――気になったのですが、通信の最初の音声信号の文言。あれ、何です?」
暫く妙な沈黙があった。
『趣味ですわ』
少し赤面しながら、エリス譲は答えた。まるは、阿於芽や秋風の言動から、この大会に出ている人間の「属性」という奴が何となく分かりかけていたが、彼女もその例外に漏れないことを悟った。
<このオタクども……>
呆れながら通信を切った後、まるはむすっと考え込んでしまった。これだけの騒ぎの中、自分が狙われていない理由に、嫌な予感を感じていたのだ。
§
航宙船団は、謎の敵の襲撃を受けていた。
襲撃は突然かつ的確だった。亜空間を通常空間から正確に把握する方法はない。亜空間は通常空間と重なり合うように存在する場合もあるが、必ずしもそうとは限らないから、ソナーのような方法では周囲に存在する脅威を完全に探知する事は、こと「現状の地球人類に限って言えば」出来ないのだ。
そして敵は探知をかいくぐって、船団を包み込むように無数の小型機で覆い、強襲をかけてきた。
「指令、明らかに敵の狙いは輸送船です」
「うう、なぜ奴らは我々の輸送船を的確に探し出しているのだ」
「最近、機動兵器大会の関係者が狙われているという情報がありましたが、それでしょうか」
「間違いなかろう。とにかく兵器だけは死守するんだ。輸送船を緊急ワープさせよう」
だが、明らかに敵の方が一枚上手のようだった。小型機で目標の航宙船の周辺にワープシェルのまま潜伏する戦法。ワープシェルが周辺空間にあると新たなワープシェルを作ることができない事を利用して、敵のワープを阻害する戦い方だ。そう、かつてのまるのように。
「輸送船、ワープできません! 周辺宙域にワープシェルに包まれた小型艇が無数に散開しています。このままでは敵の思うつぼです!」
「敵の攻撃のダメージは?!」
「軽微ですが、とても執拗です! まるでネズミをとらえた猫が、獲物を嬲るように――」
そう、一気にとどめを刺すような攻撃ではなく、手足を封じ込めるように、小型機やあえて小出力のビーム兵器などによる威嚇交じりの攻撃が繰り返されていた。
そして、攻撃を繰り返す小型機の後方に座して悠々と構える、敵の母船と思しき船のブリッジに、彼女は居た。
「そうそう、絶対に殺さないようにね。私は優しいのだから」
そう言いながら残忍な笑いを浮かべたのは、白くなまめかしい肌の東洋系の女性だった。
アイカラーはダークブラウン。髪は黒いストレートだが、一筋ずつ赤と白のアクセントカラーが入っていて、ポニーテールにまとめてある。着ている漆黒の衣装は明らかに戦闘服だが、あちこち露出が大きく開いている。深紅の口紅といい、艶めかしいアイシャドウといい、大昔のパルプSF誌の悪役のようだ。つまり、限りなくえっちな感じであった。
そばに控えている副官と思しき単発の男性はぴっちりした軍服を着こんでおり、女性にきびきびとした礼を捧げると、周辺の船員に細かく指揮を出していた。
女は物思いに沈むと、唇をかんだ。胸中には、忘れられない屈辱があった。
<私はあの女が悔しがる様、ただそれだけが見たいだけ>
女は目を閉じてくるりと踵を返すと、ブリッジの奥の座り心地のよさそうなソファに腰を下ろし、足を組んだ。一見すると贅沢なだけに見えるソファだが、弱いフォースフィールドで座っている人物をサポートする仕組みを備えた、戦闘艦にふさわしい機能的なものだった。
「さあ、もっと弄んで差し上げなさい」
猫のように丸めた手の上に頬を乗せたまま、再び残忍な笑みを浮かべつつ、女は命令を下した。
§
駆け足になるのをぐっと堪えながら、まるは船長室から、航宙船〈コピ・ルアック〉の2重構造のブリッジの上部構造=指令ブリッジに向かっていた。
小走りに走る三毛猫の尻尾はふさふさに膨れ上がっている。警戒心の表れだった。
羽賀氏から数十秒前に到着したホットライン通信は「今まさに機動兵器を狙われている船団がいる」という情報を伝えてきた。
しかも知り合いだ。
「出発の準備は?」
到着したまるは、状況を確認しながら言った。太田一等航宙士が忙しく作業しながら答える。
「現在救援に向かうために、超超光速度航法のコース計算中。間もなく緊急ドライブに入ります」
ラファエル・チンクアンタ副長はまるに耳打ちした。
「エリス嬢に伝えなくてよろしいのですか? 今の距離なら亜空間通信でほぼリアルタイムで通信できるでしょう」
「現場は0.7光年先なのよ? 亜空間通信でも救難信号の到着は18分掛かるわ」
「だからこそ先に状況を知ってる私たちから……」
「オーバーテクノロジーを使う知り合いがたまたま居たから即時連絡が入った、とでも伝えるの? 羽賀氏みたいな知り合いをどう説明するのよ」
「しかし、このまま救援に行ってもむしろ李下に冠を正さずの例えではないかと」
「救援が間に合えばどうとでも言い訳はつくわ。超超光速度航法があればそれが可能じゃない」
そう、高速の2万倍の速度とはいえ、亜空間通信で18分かけて0.7光年先から救難信号が届いてから、高々光速の1000倍しか出ないワープ航法で救援が駆けつけても、6時間半という時間が経ち、機動兵器は破壊され、賊は逃げ果せてしまう。
だが、まる達だけが持っている、光速の一千万倍の速度が出せる超超光速度航法なら、救援が可能なのだ。
超超光速度航法は、まるが乗り越えてきた事件の副産物のようなもので、異星人のオーバーテクノロジーの一つだ。通常のワープ航法の実質的な上限が光速の2万倍前後であるのに対して、超超光速度航法は光速の1千万倍に達する。とんでもない高速度なのだが、大欠点として、ワープ航法が航路上のものに不干渉なのに対し、超超光速度航法は航路上のすべてのものを破壊しつくす。なおかつ、独自技術のため、フライトプラン等を申請することもできない。ある種の脱法的手段なのである。だからもし、航路上に生命体や重要な施設資産などがあった場合、ほぼ敗訴確実な訴訟の嵐を覚悟しなくてはならない。だから、どんな迂回路であっても、何かに衝突する可能性のほとんどない経路を計算して航行する必要があるのだ。(ほとんど、というのは亜空間経路でも探知不能な遠距離を飛ぶから、予測できない事態は存在しうる、ということではある。現在のところ事故は起きていないが……)
また、もう一つの問題がある。
超超光速度航行は、ワープエンジン・ナセルを消耗的に使い切ってしまう。2本ずつ使っても、ナセルを4本持つ〈コピ・ルアック〉では2回しか使うことができないし、使ったら最後、長期のメンテナンスを余儀なくされるのだった。カートリッジ式ナセルを搭載したまるの2つ目の船である武装私掠航宙船〈上喜撰〉ならば、連続使用が可能ではあるのだが、残念ながら現在〈上喜撰〉は事件を抱え込んでいるため、自由に動くことが出来ないのだった。
「船長、超超光速度航法の準備が整いました。目標到達まで8秒です」
直線コースで2秒の距離なのだから、盛大な迂回コースになったようだ。
まるは猫用の船長席に跨り、正面を見据えて言った。
「ドライブ始動」
まるの指示により、太田航宙士がコンソールを操作すると、超超光速度航法が発動し、外界と遮断される暗黒の8秒が過ぎ去っていった。
(続く)
またも微妙なところで話が次回に進んでしまいました。
次回、いよいよエリスとまるの戦い!
そして謎の男性と阿於芽の関係が明らかに!
襲撃者の目的と正体は!
様々な出来事が明らかになる次回!
鶴首してお待ちください。




