表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
航宙船長「まる」  作者: 吉村ことり
航宙船団長まる
71/72

第71話「ねこのいどころ大作戦06:それぞれの幕間」

ほとんどエタってんじゃないかという長い時間を空けてしまいましたが、体調不良も少しずつ持ち直し、ぼちぼちと書いていけるようになってきています。

さて、機動兵器大会、今回は幕間となります。

(承前)


 エリス・バローズはコックピットに立ち、目を瞑り、深呼吸をしながら精神を統一していた。


「お嬢様、準備はよろしいでしょうか」


 執事の声が聞こえてきた。残念ながらセバスチャンではない。アルフレッドでもない。

 エリスは目を開るとぐっと奥歯をかみしめ、それから言った。


「ああ、ジョージ。準備出来ているわ、始めて」


 彼女の答えに、ジョージと呼ばれた執事は管制室にOKと伝えた。双子の女性オペレーターが頷くとコンソールを空中に展開し、始動シーケンスを起動した。

 エリスの立つコックピットは中空のほぼ球形の空間で、座席や操縦桿のようなものは存在しなかった。彼女自身非常に薄着、というかほとんど何もつけていない状態に近い。彼女のこの格好は、機体の制御方法に理由があった。


「お嬢様の呼吸14、脈拍55、体温97.97℉(36.65℃)。すべて正常値内です」

「コックピット内にライフフルード充填完了」


 コックピットの球体の壁に無数に空いた穴から、薄青い色の液体が急速に流入してきて、コックピットを満たしていく。やがて彼女は水没状態になった。液体の温度は体温とほぼ同じであり、呼吸可能な酸素が豊富に含まれている。彼女自身何度も経験して、頭では認識もしているのだが、どうにも溺れるという強迫観念が働いて、最初の呼吸は緊張してしまう。

 脈拍が上がる。

 パニックを起こさないように、注意深く呼吸する。

 ボコッ、と、肺に残っていた空気が彼女から排出され、液体を呼吸し始めると、彼女のバイタルは再び安定していった。


「ライフフルードによる呼吸正常、身体機能に異常は認められません」


 オペレータが淡々と報告する。ジョージが頷くと、オペレータは次の作業を開始した。


「神経伝達被膜展開、モーショントレーサーリキャリブレーション開始」


 コックピットの下部から、半透明の触手のようなものが伸びて、彼女の体にまとわりつく。彼女の体を覆った物質は不透明になり、操縦用のスーツを形成していく。

 触手のようなものはナノマシンを含む伝達物質で出来たジェルであり、彼女の体とのリンクを形成する際にナノマシンによる被膜を作り出し、それが彼女の動きを精密にトレースして機体を動かしていくのだ。

 被膜発議に成長して、彼女の体とコックピットをつなぐケーブル状の組織を縦横に張り巡らした。これによって機体に極端な衝撃やGが掛かっても、彼女の体はガードされるようになる。


「神経接続完了、補強バンド形成完了。機体起動シーケンスに移ります」


 双子のオペレータが淡々と状況を伝える。

 エリスは黙ってうなずいたが、内心はそれどころではない。

 体表にナノマシンがスーツを形成する際は、完全に密着しては身動きするのも、体表の汗を集めるシステムを作るのも難しくなるため、一定の空間を保ってスーツを作ろうとする。このため体表との間にナノマシンが微細な柱を立てて、その上に皮膜を形成する。この「体表に柱を立てる」ときに、表皮にチクチクと当たる感覚がある。それは一瞬で何千万という数に達する。

 要するに「猛烈にかゆい」のだ。

 そして、それは体の敏感な部分も容赦なく襲うのだ。


「……ぐ……」


 彼女の口から思わず声が漏れる。


「お嬢様、大丈夫ですか」


 ジョージに言われて彼女は赤面しながら答える。まさか足の裏や股間のかゆみに耐えかねたとも言えない。


「ええ、ちょっとまだ不慣れなだけよ」

「左様でございますか。もし何か不具合がありましたら、遠慮なくおっしゃって下さい」

「ありがとう」

「ではエリス様、スーツを起動します」

「わかったわ、やって頂戴」


 スーツの表面がまるで生き物のようにびくっと動いたかと思うと、スーツ内の湿気の循環、空調とともに、各種センサー類とモーショントレース用の微細なジャイロが起動する。


「動作テストに入ります、規定準備運動をお願いします」

「了解」


 エリスは仁王立ちになると腕をがっしりと構え、それを胸の前でクロスした。次に体は前に向いたまま両腕を左側に突き出すとそのまま腕を円弧を描くように動かし、右腕だけを力いっぱい引き戻す。最後に腕を体に引き寄せながら腰を沈め、それからジャンプした。


「挙動チェック完了、マシンとのシンクロ回路を起動します。以後の動作は機動機械の動作を伴いますので、ベース内では激しい動作をお控えください」


 エリスは以前、ここで自分の頬を叩いて気を引き締めようとして、機動機械のメインカメラをその機動機械自身の両手で思いっきりひっぱたいて壊してしまったことを思い出し、かすかに苦笑いした。


「では、ゲートを開けて頂戴」

「承知いたしました。此方でもモニタリングは継続しておりますが、くれぐれも無理のないようお願いいたします」

「心配性ね、じゃあ出るわよ」


 ゲートは堅牢だが非物質であるフォースフィールドで展開されているため、一瞬で開く。残るのはもう一つのゲート、気体は逃さないが密度の高い物体は通り抜けられる、まるの船にも採用されている「選択式フォースフィールド」で形成されたゲートだ。彼女の機体は難なくそのゲートを通り抜けた。


 ゲートを潜り抜けるとそこは虚空。遥か先に星々の光りがある。宇宙は真空なので空気のブレがないから、「星々の光が煌めいている」にはならないのが残念だ。光はただそこにある。星はあまりにも遠く、人間の目には無限遠にあるものと変わりがないため、天空に張り付いた光点でしかない。

 それでも、エリスの拠点のある宙域は銀河円盤からやや外れたところにあるため、今ちょうど彼女の左側に当たる天空は、それこそ満天の星がちりばめられていて、息をのむような光景だった。

 頭部のメインカメラ、胸部のサブカメラや背面の補助カメラなど、複数のカメラで収集された周囲の状態は、全天の視覚情報として再構成されてコックピット全面に映し出される。彼女は生身で宇宙に放り出されたような心細さを感じた。


 エリスは、しばし目を閉じ、その孤独を噛み締めるように唇をぎゅっと引き締めた。


<私はエリス・バローズ。私は負けない。イライジャにも、あの女にも>


 そして目を開くと、空気より重く感じる呼吸可能な液体をぐっと吸い込んで、それからわずかに残った肺の空気とともに吐き出し、体を身構えた。


「デコイを射出してちょうだい。訓練開始よ」

「了解しました、お嬢様。難易度調整はどうしましょう」

「射撃、打撃、行動速度、すべてマックスレベルで、手加減なしでお願い」

「流石にそれだと、現在のお嬢様のスコアでは手強いかと思われますが」

「構わないわ、もう大会当日まで時間が無いのですから、甘えた条件でやっていてもらちが明かない」

「承知致しました、では、手加減なしで」


 エリスが出てきた航宙船の別のゲートから、球形にマニピュレータと機銃を取り付けたような機体が、わらわらと無数に射出されてきた。それはすぐにお椀状に陣形を整えると、彼女の機体を包み込むように部隊を展開してきた。

 エリスが背に手を伸ばすと、仮想の感覚が手に伝わる。グイッと引き抜くと、それは巨大な剣となった。それに同期して彼女の乗った機体も背に装備したブレードを引き抜いて構えた。彼女は体を左右に小刻みに傾けて、期待を不規則にジグザグな軌道を描きながら、敵陣の真ん中に突っ込んでいった。


「お嬢様、この敵の量で中央突破は無謀すぎます」


 執事のジョージは彼女の無謀な行動を(たしな)めたが、エリスは一顧だにせず、表情一つ変えず機体を錐揉みさせながら突っ込むと、的確にターゲットにブレードをヒットさせつつ、空いたもう一方の手にビームガンを装備し、ターゲットをロックオンしながら次々に撃ち落としていった。

 いわゆる無双状態だ。


 1分32秒経過。

 射出された100体のデコイはすべて沈黙した。


「お見事です、ですが被弾率も25%を超しています。本番では無数の弱い敵ではなく、強敵一体が相手ですから、この点数では落第点ですな。まず被弾率を5%未満にするのが現在の目標でしょう」


 冷静に彼女の採点をするジョージに、その美しい顔を少し歪ませながら、エリスは額から落ちる汗をぬぐっていた。


「わかっているわ、次、お願いするわ」

「承知致しました」


 再びデコイが射出され、彼女は身構えた。


僭越(せんえつ)ながらアドバイスを。敵は常にあなたを狙ってきます。たとえ不規則なジグザグでも、突っ込んでいくことがわかっていたらある程度予測攻撃をされてしまうでしょう」

「ふむ……、ジョージならどんな方法を考える?」

「わたくしでしたら、敵をいったん引き付けて、それから転身し、敵が追撃のために密集したところを再度狙う。基本的には古典的なヒット・アンド・アウェイの延長線上となる方策を提案いたします」

「それだと殲滅速度が下がってしまうから、敵に此方の行動を分析されるんじゃない?」

「同じ行動パターンを繰り返していればそうなりますな。では、こういう方策はいかがでしょう……」


 ジョージのレクチャーを受けつつ、エリスの戦闘訓練は続いていった。


§


「つまり、どういうこと?」

「残り2戦の予備戦ですが、不戦勝です。我々はこのまま本戦出場になります」

「それはいいから、なんでそうなったかを知りたいのよ」


 まる=マルティナは頭を掻きむしりながらうろうろと、武装貨物航宙船〈コピ・ルアック〉のブリッジを、まるで冬眠から覚めた熊にでもなったように右往左往と歩き回った。

 報告をしているラファエル副長も苦笑を隠せない表情である。


「前回の戦いを見て、予備戦の2戦とも相手が棄権を表明したそうです」

「あの程度の試合で? 嘘でしょ?」

「船長がお相手をされたのは〈漆黒の狼〉ですよね?」

「ええ、そんな名前だったわね」

「彼らは独自に、予備戦以前に模擬大会を開いていて、〈漆黒の狼〉は15戦連続優勝だったそうです」

「へえ。あんな紙みたいな装甲でよくやれたわね」

「うちの武器が強すぎるんです。試合後にレギュレーション違反がないか、幾度となく検査がきたのをお忘れですか?」

「忘れてないわよ、面倒くさい試合だと思ったわ」


 言いながらまるは船長席にポスッとはまり込んだ。

 戦闘を想定しているそれは体のホールド性と、長時間座っていても疲労が出ないことを主眼に作り上げてある。だが、腰を包み込むことで、マルティナの丁度腰に鎮座しているまるの本体、猫の体は少なからず圧迫されてしまう。狭いところに滑り込む猫の性で、窮屈なのは嫌いではないのだが、体を横から締め付けられるのは好ましくない。


「窮屈ねえ、猫用の(またが)るやつのほうが落ち着くわ」

「マルティナの格好であれに(またが)らないでくださいね。下品ですから」

「これ既製品? スタッフが設計したのなら、ちょっと掛け合って修正してもらいたいわ」

「確か船長が買い付けてこられた既製品です」


 やれやれという顔で返事を返すラファエル副長に、まるは記憶をたどってみた。

 猫の姿の時の船長席はオーダーメイドだ。まるの体や、その動きにフィットするように作り上げられている。だが、人型プローブ=マルティナの姿で対応する必要がある、という話を受けて、

 「そんなのにコストを掛けてなんていられないわ」

 と言い放ったまるは、その日のうちに宇宙船のインテリアパーツの店を、神楽コンツェルンの神楽茉莉に紹介してもらい、彼女と二人で買い出しに行った。その結果、ああでもない、こうでもないと話しながら決めてきたのだった。


「ああ、思い出したわ。あの時、私、猫の姿のまま行ったから、直接座ってないのよ」

「何故マルティナ装備で行かなかったんです?」

「知ってる? マルティナ装備(この格好)の時私がどんな状態で中にいるか」

「腰の部分に腰掛けるような格好で入ってるんでしたっけ?」

「ええ、休憩モードの時は内部が広がって四つ足で横向きになれるけれど、通常は割と疲れる格好をしているのよ」

「連日その恰好をされてたから、疲れがたまっていた、ということですか」

「そういうこと」


 ラファエル副長は、顔を半分しかめつつ、何とか納得した、という表情で何度か頷いていた。

 そして、はっと思い出したようにまる=マルティナに顔を向けた。


「ああ、脱線しちゃいましたね。話を戻しますが、試合後の検査は制度じゃありません」

「そうなの?」

「うちがレギュレーションを満たしつつも、大会で想定している最大火力を軽く10倍以上、上回ってしまったことに原因があるんですよ」

「作れちゃったものは仕方ないわ」

「んー、まあそうなんですが。少しは手を抜かれていた方が、面倒も少なかったかもしれませんね」

「あれでも手を抜いて、様子見をしようとしたのよ。そしたら軽く掃射しただけで紙屑みたいに粉々になっちゃうんですもの、私の方がびっくりしたわ」

「まあ、何というか、スタッフが優秀過ぎるってことなんでしょうかね」

「そうみたいね」


 まる=マルティナも苦笑いを浮かべた。最近、人間の格好をやっている所為か、猫に戻っても苦笑いをしているときがあるんじゃないかと思っているまるであった。


「と、言うことですので、不戦勝により、我々はそのまま本戦に出ます。次の相手はエリス・バローズ譲です」

「ああそうエリスさんね。……ちょっと待って、あのエリスさん?」

「はい、あのエリス譲です」

「初戦から面倒な人に当たるのかぁ、参ったわね」


 既にどうやって手を抜こうか、と、考え始めているまるであった。


§


 阿於芽(あおめ)は自問自答していた。


『僕は誰だ』


 もちろん回答も返事もない。

 感覚的には、猫である自分を自覚している。でもその猫としての体の実態はどこなのか。かの優男がやはり自分の人型プローブであり、その中に存在しているのか、それとも肉体は雲散霧消してしまったのか。

 今の自分は冷たい金属とポリマーのハイブリッドだ。血が通う感覚もない。

 ヒトの10倍、猫である自分の約80倍の背丈があるだけでも、その視覚にはくらくらするのだが、くわえてセンサーによって360度の視野がある。超生命体とのハイブリッドである阿於芽(あおめ)にとっても、その感覚は脳の処理能力を軽く超えている。

 おかげで少し行動しただけで凄く疲れてしまう。


『こんな状態が長く続いたら、神経が参ってしまいそうだ』


 彼の独り言は、機動機械のメンテナンスをしている秋風副長――頼れる技術仲間であり、優秀な補佐であり、そして愚痴を言いつつも彼の相談に乗ってくれる貴重な友人――にもモニターされている。


阿於芽(あおめ)、何なら通常行動時には感覚に制限が付くように調整しようか?』


 彼の提案は確かに魅力があったが、別の問題をはらんでいるので却下した。


『いや、止めておく。この視野があるから周囲のものや人を傷つけずにいられるんだ。死角が出来たら周りのものを片っ端から壊してしまいそうで怖い』

『それはそうだが、始終動き回っているわけでもあるまい?』

『待機中はそもそも感覚のカットができる。問題はないさ』

『ふむう、まあ、船長がそういうならそういう事にしておきましょうか』

『なんだか不服そうじゃないか』

『ええまあ、ちょっと技術者としての興味をそそられてはいますからね。船長が今どんな感覚を感じているかとか、興味が尽きませんよ』

<なるほど、確かに彼の興味は分かる。それにしては自分はそこにはあまり感銘を受けていないな。何故だろう?>


 阿於芽(あおめ)は秋風副長の科学的興味を暫く考えていて、思い当たることがあった。


『そもそもさ』

『?』

『僕は猫だ』

『まあ、そうですね、時々忘れてしまいますが』

『その猫の僕が、人間の姿である人型プローブを利用すると、劇的な感覚の差があるんだぜ?』

『……ああ、その時点で、すでに機動機械に乗っているようなものなのか』

『そういうこと。ちょっとバージョンアップした程度にしか感じないよ』

『じゃあ私は、いっそ猫になってみたいですね』

『それは面白い提案だね、秋風君』


 しばらくの沈黙の後、二人は笑いあった。


『とにかく、疲れたら休止モードに入って感覚を絞り込むさ。変な調整はしない』

『オーケイ、船長』

『それより、いくつか調整してほしいことがあるんだ、協力してくれるかな』

『何なりと』


 二人のメカオタクが、またいろいろとその趣味を炸裂させる話を開始した。


§


 男は、自分の体をしげしげと眺め、それから鏡の中の自分を覗き込んで、首をかしげていた。

 隣の部屋では、それをモニターしているカーチャの姿。

 と、ドアのロックに入室を求めるコールが入った。


『カーチャ、ちょっといいかしら』

「あ、まる船長。どうぞ」


 まるはマルティナの姿で入室してきた。


「で、彼の様子は?」

「特に変化はないですね。自分の姿に見覚えがなくて始終あの感じ。のどの渇きや空腹はちゃんと感じるようで、時折据え付けたディスペンサーを操作しては水を飲んだり、食事をして、排せつもしています」

「排泄物のチェックは?」

「それなんですけど、通常の人間の排泄物とは異なりますね」


 カーチャはスレート端末をまるに手渡す。

 端末の情報をざっと一瞥して、まるは顔をしかめた。


「塩分その他の消費量が少ないわね、人間のそれじゃないわ」

「ええ、酵素処理されていて、一見排便に見えますが、ほぼ無菌で臭気はありません」

「糞尿ではない、と」

「そうですね、若干糞尿の成分がありますが、それはおそらく中にいる生命体のものを処理したものでしょう」

「中にいる生命体、か。成分比率からの推定では生命体の大きさは4~10キログラム、と」

「やはり、人型プローブで間違いないと思います。中の生命体はかの黒猫ちゃんですね」

「それはほぼ予想通りとして」


 モニターから彼の行動をしばし観察してから、まるは続きを口にした。


「あの『彼』のアイデンティティはどこから来ているのかしら」

「そこが一番の謎ですよねえ。明らかに阿於芽(あおめ)さんとは別の人格ですし」

「人型プローブが知性を獲得している可能性は?」

「ありません、というか出来ません」

「ふむ」

「まる船長は、その『マルティナ』が勝手に動いた経験がおありです?」

「――ないわ」

「人型プローブはあくまでプローブ=探査装置であって、一種のマニピュレータ(遠隔操作装置)です。操作者がいない限り自発的に動くようにはできていなんです」

「となると、何らかの知性体に接続してしまっている、という事かしらねえ」

「その可能性が一番高いですね、そもそも中の阿於芽(あおめ)さんの意識がプローブではなくて機動機械に接続していることから考えて、亜空間チャンネルを使った接続システムのようなものが動作している可能性があるんです」

「初耳だわ」

「おそらくは、阿於芽(あおめ)さんが一人で実験をして、何らかのミスがあった、という事なんでしょうね」

「当人はその件については?」

「何も覚えていないらしいです。おそらく、前後の記憶に関して、何らかの記憶障害が起きている可能性がありますね」

「面倒ねえ……」

「そうですねえ」

「――彼と面談できる?」

「いいですけど、どうにも要領を得ない感じですよ」

「まあ、話すだけ話してみるわ」


 カーチャはドアロックを操作すると、まるを隣室へのゲートに促した。

 促されるまま、まる=マルティナは『彼』のいる部屋に入った。


「お加減はいかがですか?」


 自分でも間抜けな質問だと思いつつ、まるは尋ねた。

 男は立ち上がると、歩み寄ってきて恥ずかしそうに笑い、それから頭を掻きながら応えた。


「ああ、先日はどうも……。体調は多分問題ないです。ただ、未だに混乱していて……」

「あまり無理をなさらないように、じっくりと思いだして行かれれば良いかと思います」

「僕の素性とか、何か手掛かりは見つかりましたでしょうか」


 まる=マルティナは残念そうに目をつぶって被りを振りながら応えた。


「残念ながら、芳しい結果はまだ」


 男はがっくりとするとベッドに座り、顔を両手で覆った。

 やはり、彼の人格は阿於芽(あおめ)とは別人だ。まるは実感した。


<――彼はいったい誰なのだろう>


 どこかにあるコンピュータに阿於芽(あおめ)が作った仮想人格だろうか。

 だが、まるたちの船にかつて存在したコンピュータである(いや、最近はまた出戻りしているのだが)、FERIS(フェリス)の実現にさえ、かなり巨大なマシンのリソースと、多くの経験の蓄積が必要だったのだ。いかに超生命体の混じった阿於芽(あおめ)とはいえ、自発思考をするコンピュータプログラムをそうホイホイ作れるとも思い難い。

 ではどこかの誰かに偶然接続したのか。

 そういう偶然が起きる可能性もまた、非常に小さいだろう。

 まあ、とんでもなく小さな偶然ですら実現してしまう「事象特異点」としてのファクターがまる自身にあるらしいから、完全に否定はできない。

 面倒な話だ。


 こういう面倒なことの原因を探る方法は、実のところ、まるの手の内に存在している。

 次元時空航行エンジンを搭載した、異星人テクノロジーによる小型艇〈渡会(わたらい)雁金(かりがね)改2〉による時間遡行を行う方法だ。

 原因の起きるだろう時間まで時間航行し、阿於芽(あおめ)に気づかれないように彼の行動をチェックすればいい。そこで事象に手を出して、時間改変を行うこともできるが、時間改変を行った場合はペナルティが伴う。極端な改変を行おうとすると、時間旅行をモニターしている歴史改変度数探知装置(History modified frequency detection device=ヒモフレディ)が、改変そのものをキャンセルしてしまう。それでなくても、ペナルティは次元時空航行エンジンを数週間~数か月間使えなくなってしまうなど、非常に大きな代償となる。現状の歴史が致命的な結果を招いていない限りは、不干渉が最善策なのだ。

 幸いにして、現状はペナルティの蓄積は解消している。だが……。


<問題は、阿於芽(あおめ)に気付かれずにモニタリングすることが、ほぼ不可能なことなのよね>


 阿於芽(あおめ)は、もともとは普通の猫であった。だが彼は超生命体と融合してしまい、人語を理解したり、超空間に「アンカー」を植えておいて距離を無視して移動したり逆にものを引き寄せたりすることができるという、「超生物」に進化していた。まあ、だからこその今回の事件な気もするのだが、彼の感覚は普通のネコのそれではない為、騙すことは至難の業なのだ。


<超生物には超生物、で、羽賀さんの力を借りたいところよね……>


 阿於芽(あおめ)を超生物にしてしまった張本人であり、〈大和通商圏〉の筆頭参事官であり、上位階梯生命体による〈銀河第三渦状腕調停組織〉のエージェントである、人と超生命体の融合体である人物。それが羽賀氏。まるは心の中で彼の事を「ワイルドカード」と呼んで多少の畏怖を持って受け入れていた。

 ワイルドカードといえば、例えて言うならジョーカーだ。

 使うといい場合もあるが、最悪の手になる可能性もある。

 羽賀参事官も全く同じだ。

 手の内で振り回されるのが落ち、という場合も多々ある。

 なにしろ〈渡会(わたらい)雁金(かりがね)改2〉の提供者がそもそも羽賀参事官である。今頼ってしまったら、どんな事態が起きるか予想もつかない。


<でも、こういう事態の時は、一番力になる可能性が高いのよねえ……>


 まるは、くらくらするような眩暈(めまい)を感じながら、気の向かない体を無理に動かし、コンソールから羽賀氏のコール先を探した。

 ここは〈大和通商圏〉ではない。亜空間通信でも数か月を要する距離だ。通常考えられる最短の通信手段である超空間ゲートを通じた書簡でさえ、片道2時間、早くても4時間ほどかかる。

 だが、彼は筆頭参事官であるため、ある特殊な通信手段を保持していた。地球人類圏の参事官特権で作ったものか、はたまた異星人テクノロジーのインフラなのかは分からない。


<非常時の連絡に使ってください、か。今はまさに非常時だと思うし、大丈夫よね>


 まるは〈大和通商圏〉への〈連合通商圏〉領事館へのホットライン通信へのアクセス許可コードを入力した。通信回線が確保されると、オペレータが応答した。これ自体がそもそも特権回線なのだが、それでも通信範囲は〈連合通商圏〉の一部に限られる。

 まるが使おうとしているのは、〈大和通商圏〉そのものへの即時通信だった。距離にして言えば一千光年以上の距離であり、即時通信網などは、表向きは存在しないことになっている。そう、表向きは。


『〈大和通商圏〉独立通商船団社主、まる、様ですね。確認が取れました。本日のご用件は――』

「羽賀筆頭参事官専用の極超速度特殊回線への接続許可を、申請コードは今送信しました」

『しばらくお待ちください』


 あくまで冷静に対処するオペレータだったが、人間以上の感覚を持つまるには、オペレータの緊張と動揺が見て取れた。猫の感覚は伊達ではない。


『お待たせしました。誠に申し訳ありません、羽賀筆頭参事官は連絡範囲外です』


 この返事にはまるの方が動揺した。


「どういう事です?」

『筆頭参事官はどの通商圏にもおられません。つまり通信可能な地球人類圏にはおられません』


 つまりは人類未踏エリアにいる、という事だろうか。半分異星人の彼ならありうる話ではある。


『あ、ちょっとお待ちください』


 オペレータと職員らでざわついた対応が始まった。


<何をやっているのかしら――>


 数十秒、そのまま通信は放置されていた。昔の通信であれば<そのまましばらくお待ちください>とか、安っぽい音楽が流れるとかの対処がなされていたシーンだろう。


『お待たせしました。筆頭参事官との連絡が回復しました。お繋ぎします』

「あら」


 こんなに早く連絡が回復するということは、人類未踏エリアにいた、というわけではなさそうである。通信画面がざっと乱れたかと思うと、やや薄眼で、一見すると若い外見の飄々(ひょうひょう)とした感じの人物が映し出された。

 もちろん、外見では年齢は分からない。まるの元飼い主の土岐氏によれば、羽賀氏は160歳は軽く超える年齢の筈だ。


『これはまるさん、お久しぶりですね』


 腐れ縁でよく絡んでいるから、久しぶりと言ってもひと月と時間が空いているわけではない。


「不躾で申し訳ないんですけれど、協力して頂きたいことが有ってご連絡差し上げました」

『ほう?』

「うちの阿於芽(あおめ)をご存知ですね?」

『よく知っていますよ』


 それはそうだろう、彼は「感染」を引き起こした責任上、しばらく阿於芽(あおめ)の飼い主だった人なのだ。

 まるは経緯を説明した。


『なるほど、事情は分かりました』

「では何とかお力を――」

『大変心苦しいのですが、それは出来かねる様です』

「難しいお願いだとはわかっていますが――」

『ああ、いえいえ、手段そのものは幸いにして持ち合わせているのですよ、ただ――』

「?」


 羽賀氏にしては妙に奥歯にものが挟まったような表現に、まるは当惑した。


『すみません、大会規定で、私はお力を貸せないんですよ』

「大会規定? ……え?」

『ですから、機動兵器トーナメントです』

「まさか、運営にかかわっておられるとか」

『あ、運営は別です。私は選手の方でして』


 まるは一瞬呆けたが、意味するところを理解して目が点になった。


「はぁ?」

『ですから、私もその大会にエントリーしているのですよ』


 窮地を抜け出す藁だと思っていたものが、実は大蛇だったようだ。


(続く)


何とかペースを上げていきたいところですね。

ホンと読んでいる方には申し訳ない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ