第64話:「まるは宇宙海賊です14:虫食い穴のその先へ」
まず最初に御免なさい。
予告ではこの話が「まるは宇宙海賊です」の最終話となる予定でしたが、
筆力の無さで、1話に収めきれませんでした。
とにかく、ワームからの琥瑠璃救出作戦、大詰め!
(承前)
まるとラスター、二匹の猫は寡黙に、うす暗くうねるように伸びるトンネルを進み続けた。
明かりと言えば壁のところどころにある虹色の光のみ。
無数に分岐するトンネルを、ラスターはなぜか迷いなく先へ先へと進んでいく。
トンネルを作った「ワーム」との繋がりが、彼女に伝えてきているのだろうか。
<どこまで歩き続けるつもりかしら。それに、この複雑なトンネルを迷いもせずに黙々と――>
ラスターはひたすら歩き続けた。
まるは声を掛けることもできず、その後をひたひたと歩いて行った。
洞窟はとにかくとても奇妙だった。
足元は何だか微妙に柔らかい黒く見える物質で出来ていたが、爪は刺さらないし、強く押しても凹む気配はなかった。触って感じる熱も、冷たくも暖かくもない。ところどころにある虹色の光は、壁と一体化していて継ぎ目は無い。およそ触ったことのない材質なのだが、歩いて違和感を感じることもない。
「不思議でない事が不思議」という、奇妙な感覚だった。
そして、よく見ていると、重力の働く方向もてんで出鱈目だった。歩ける場所が洞窟の表面をらせん状にたどる時があったと思えば、真っ直ぐ見ていた穴に向かって飛びあがる必要が有ったり、平たんな道だと思っていたらいきなり下り坂になっていたりした。
<ここは何処なんだろう。既に地球上ではない気もする>
まるはいろんな感想を持ったが、敢えて喋る事は無かった。
ラスターがまともな意見を返すとも思えないし、疑問が何かの解決に役に立つとも思えなかったからだ。
二匹はただ黙々と、暗い洞窟を進んでいった。
§
〈渡会雁金・改2〉の中は緊張に包まれていた。
「阿於芽、船長の位置は把握しているか?」
秋風が心配そうに聞く。
「難しいが何とかやっている。あの二匹、既に地球上には居ない。座標も分からない」
「座標が分からない?」
「ああ、アンカーの手探り感覚で何とか把握できているだけだ。何処に向かっているんだか――」
「さあね。ともかく、アンカーを引っ張って船長を回収できる限界を越しそうになったら、構わず船長を引っ張り戻せよ」
「軽く言ってくれるが、それが出来るのは船長が通常空間につながる場所に居る時だけだよ?」
「つまり、限界を越しそうになったらもう手遅れ、っていう事か?」
「ありていに言えばそういう事になるのかな?――あっくそ!」
「どうした?!」
「言ってる端から済まない。反応をロストした」
「そんな――」
「トラブルが起きた感じではないから、多分無事でいるとは思う。もう二人に賭けるしかないね」
不安そうな「まる」側の人々に比べ、バロンはただ、目を瞑って神妙な顔をしただけだった。
「何だか淡々とした顔をしてらっしゃるね」
阿於芽は皮肉半分の口調でバロンに声を掛けた。バロンは目を閉じたままで応えた。
「ああ、私はラスター様を信じている」
「嘘だな」
「嘘などではない」
「いや、自分でそう思い込もうとしているだけだ」
「何を根拠に世迷言を――」
「一緒にジュメルで行動していた時を思い出したんだ。バロン、お前さんはラスターを信じ切れてはいない」
「そ、そんな事は無いっ!」
バロンは踵を返すと、奥の船室に入って行った。
§
阿於芽が信号をロストした時、まるは飛び降りたラスターと共に、長い縦穴をおちていた。
<私って何だか、いつも走り回った挙句に落ちている気がするんだけど>
やや達観気味にまるは思いつつ、落下していた。
<それにしても、ずいぶん長い時間落下するのね――>
30秒ほど落下し続けたろうか。
眼下には平然と落下し続けるラスターの姿が見える。
落下している最中の猫は割と間抜けな格好をしている。両手両足を踏ん張って、下手くそなムササビのような感じになる。
まるはラスターにずっと声を掛けられずにいたのだが、何も聞かずにただ後をついて行くだけ何には、流石に限界を感じていた。まるは思い切って話すことにした。
「あのさあー!」
まるは叫んだが、風切り音で届いていないかも知れなかった。
「ラスター! 聞こえてるー?! ちょっと!」
すると、半ば振り返りながらラスターが返事をした。
「ちゃんと聞こえている!」
「あんた! この先に何があるか分かってるー?!」
「知らん!」
「はあああーー?!」
「この先に! 何かある事だけしか分からん!」
<無、無計画――>
「これ! 落ちてるけど大丈夫なの?!」
「多分な!」
「何それーーー!」
まるは脚をぎゅっと体に寄せて空気抵抗を少なくすると、ラスターの傍まで降りて行った。
「あんた、ふざけてるんじゃ無いわよ」
「仕方ないだろう、他に手はない。それに到着先で地面に激突するのを防ぐ手立てならいくつかある」
「それって激突の危険もあるって事じゃないの?」
「まあな」
「やれやれ……」
二匹は延々落ち続けた。
§
まるとラスターとの連絡が途絶えてから30分。
阿於芽と秋風は、何とかまる達の現在位置を探る方法は無いかと試行錯誤をしていた。カーチャもそれに加わり、技術屋3人は何やら難しい話を始めていた。
「ナノマシンを散布して――」
「いや、あれは単体での能力では限界がある、やはりある程度のサイズのプローブを――」
「そういうあからさまな手出しをして、もしなんらかのワームの罠が有ったら、中に居る船長たちに危害が――」
バロンはあれ以来客室から出てこない。羽賀はまるで瞑想でもしているかのように目をつむって座席で静かに座っている。
そして、何も出来ずにただ過ごすしかなかった神楽は痺れを切らしかけていた。
「羽賀参事官」
「ここではただの羽賀です」
「では羽賀さん、現状で何か私たちに出来る事は無いんですか」
「技術のお三方が画策されていますが」
「言い直します。私に出来る事は何かありませんか?」
「ありません」
ぐっと言葉を詰まらせる神楽。
「まるさんの事が心配なのですね」
「ええ」
「彼女を信じてあげてください、今はそれ位しかできることはありません」
言われて肩を落としながらフラフラと席に戻る神楽に、ふと何かを思いついたように羽賀は言葉を付け加えた。
「まるさんに対して出来る事はありませんが、あなたにやれる事ならありますよ」
「え……」
「まず深呼吸して落ち着いて、それから周りの様子を見てください」
神楽は言われた通りに深く息を吸って、それから吐いて。辺りを見回した。
3人は忙しく働いている。バロンは客室。羽賀さんは席に座っている。
そして、奥の倉庫には琥瑠璃がいた。
まるとラスターは出かけたきり行方が知れない。
何だかちぐはぐだ。歩調がそろっていない。
そもそも、この世界に皆が来ている最大の動機は琥瑠璃だった。
其々が全力で事に当たる筈だったのだが、皆が勝手に動いていて、統制が取れているとはお世辞にも言えない状態になっている。
いきなり全員で力を合わせるなどというのは無理な話なのは分かっている。
ラスターとバロンは今の今まで敵だったし、カーチャは技術を役立てたい一心で着いて来た門外漢だ。
阿於芽と秋風は現状に対処するので精いっぱいだった。
<静観できているのは私と羽賀さんだけ?>
目下行方の知れないラスターとまるに関してはどうしようもないが、ここに居る他の人と猫の足並みをそろえるくらいは、何とかできるかもしれない。そう決心すると、神楽は給湯スペースに向かった。
給湯スペースは蒸気と風で洗浄する洗浄機と、保存食のディスペンサー、それに水リサイクルシステムに繋がった飲用水供給装置からなっていた。
「ええと……」
ディスペンサーのコンソールで目録を調べて、目的のものを人間4人分と、猫2匹分選び出した。人間向けはフリーズドライのチューブ入り紅茶、猫向けは猫用パック入りのフリーズドライミルクだ。それぞれに適温のお湯を入れて、それからトレーでそれらを持ち帰り、「パン! パン!」と手を叩くと、声を掛けた。
「はいはーい!」
全員の視線が神楽を向く。
「休憩を入れましょう、その方が効率上がりますわよ?」
神楽はにっこりと笑って、それから客室に引っ込んでいるバロンを引っ張り出しに向かった。
§
<いい加減、身体が痛い――>
落ち始めてどれくらいになるか、ヘッドセットの機能で見ると、40分を少し回った程であった。
<落下しているなら、加速してどんどん風が強くなってくるはずだけど、落ち始めて暫く経ってから風圧は一定なのよね>
つまりそれは、彼女ら二匹がいる縦穴は、ある種の制御されたリフトであるということの証明でもあった。風の感じからして秒速40m以上の速度で移動しているのは間違いない。つまりはだいたい100kmほど進んだという事だ。
ただしそれは、空気が制止している場合の話。
まるがその概算を話すと、ラスターは高笑いした。
「馬鹿かお前は」
「何よ、体感だから多少外れているとは思うけど」
「周辺の空気が動いてないと決めつけている段階で変なのだよ。横の壁の相対速度を検出できるか?」
言われてまるはヘッドセットを調節し、壁の通過速度を図った。
「――秒速200~400km――」
「そらみろ」
「でも、それなら周囲の空気も私たちに近い速度で動いてることになるし、壁との摩擦で熱が発生するし――」
「通常空間の物理法則で考えるからそうなるんだ。我々は循環する空気のカプセルに入ってカプセルごと強制移動されている。ちなみに速度は400kmじゃない。スケール感が違うんだ。穴の直径を1kmほどあると仮定して再計測して見ろ」
「1キ……」
まるは壁までの距離を精々10mも無いと思っていた。スケール感は距離の反比例に比例する。つまり、壁までのまるの距離を、移動速度に掛けなければいけない。
「秒速10~20万キロメートル……って、そんな馬鹿な」
「亜光速だよな」
「だってそうなると光の速度の関係とかで――」
「だから、物理法則で考えるなと」
「だいたい、このトンネル自体が物理法則に従っていると、誰が保証するんだい?」
まるは計算のさじを投げた。言われてみればその通りだ。ここでは、物理法則なんてあってないようなものなのだ。
「あなたの考えを聞きたいわ、ラスター」
「ここはおそらく奴らの本当の『巣』に繋がる時空回廊の一つだろう」
「巣に行ったら例のワームがうじゃうじゃいるとか――」
「それは無いな。奴らは繁殖時以外、単体で行動する。餌となる事象特異点には限りがあるからな」
「じゃ、巣は何のためにあるのかしら」
「それは――そろそろ到着だ、細かい話は後にしようか」
「待ってよ、一番肝心な話じゃ――」
まるは言いかけて、周囲の光景に絶句した。
§
一行は黙ってお茶を飲んで(猫2匹はパックを開けて中の暖かいミルクを飲んで)いた。
「とにかく、出掛けている2匹は信じるしかないと思うんだけど」
神楽が口を開く。
「同感だ」
バロンが同意する。
「しかし、我々は打てる手を――」
「まるがそれを頼んで行ったかしら、まるが望んでいたのは何?」
技術屋2人と1匹は何か言おうとしたが、言葉が見つからなかった。
「神楽さんに同意です。今は琥瑠璃さんと、人造ワームの状態モニタリングが大事でしょう」
言われて、技術屋たちはしばらく無言だったが、ゆっくりと頷いた。口火を切ったのはカーチャだった。
「では、私はあの繭――琥瑠璃さんでしたかしら、それの精査を始めましょう」
秋風が続ける。
「よし、じゃあ僕は人造ワームをやる。阿於芽は――」
「琥瑠璃と人造ワームの間に、何らかの干渉現象が無いかチェックしているよ」
羽賀はゆっくり頷くと、残った一人と一匹に言った。
「あなた方は出掛けた二人からの信号が何か来ないかチェックを、私も何か異常がないかチェックしてみます」
全員が頷くと、それぞれの持ち場について作業を開始した。
§
まるには最初、スケール感が掴めなかった。
「あり得ないわよ、これ」
だが、ラスターは目を瞑って納得していた。
彼女らの目の前に写っていた惑星サイズにも見えるものの正体を知った時、まるはショックを受けた。まるとラスターの前に広がる光景は、〈渡会雁金・改2〉の格納庫の様子だったのだのだ。
「なるほどな、今のワーム、いや、ワームの芽胞とでもいうべき物がどこにあるか考えれば、行き先は見当がついたわけだ」
それにしても、常軌を逸した光景で、最初見たとき、まるは暫くは何を見ているのかすらわからなかった。だがやがて、それが惑星サイズにも見えるカーチャの頭だと知った時は、自分が正気を失ったのではないかと思ったほどであった。
彼女らは、琥瑠璃の繭の中に出て来ていたのだった。
「私たちのサイズってどれ位かしら」
「バクテリアよりちょっと大きい位じゃないかね?」
「通信を送ったら届くかしら?」
「無理だな、我々はワームの回廊を抜けた段階で通常の物質ではなくなっているし、おそらくは次元的な位相もずれているだろう」
「そう言えば、何で呼吸できているのかと思ったんだけど――」
「お前も私も、通常物質を使っては呼吸などしていないのさ。我々は何らかの力で生かされている」
「ワームに歓迎されているの? あなたがいるから?」
「そういう訳では無かろう。恐らくは別の何かを生かすための措置で、我々はそのおこぼれに預かっているんだろうさ」
「おまけで生かされている、って事か」
「特にお前はな」
ラスターに突っ込まれてまるは不服そうな顔をした。だが、とても重要な疑問が湧いたので、気持ちを押し殺して尋ねた。
「これ、元に戻るには、あの穴に入る必要があるのかしら?」
「無理だ、もう穴は見つからない」
「じゃあ、どーすんのよこれ」
「良いから少し黙っていてくれ、これからやる事がある」
<んもう――>
外からは不透明で中を伺えなかった琥瑠璃の「繭」だが、中からは外が見える。そもそも、まるは物質の状態が外部とは違うので、光子が見えること自体が不思議なのだが、恐らく琥瑠璃の繭の外殻を抜ける段階で何かが起きているのだろう。
外には、スケール感のおかしい神楽と阿於芽の姿が見えた。近づいてくる顔面は、まるで惑星表面に接近しているような感じだ。
「茉莉の顔、こうやってみると吹き出物とか結構あるのね、まるでクレーターみたい――」
「それ、本人に言うなよ」
ラスターは、繭の中の琥瑠璃を検分していた。
「抜け殻になっている……」
「え……」
「大丈夫だ。恐らく本体は別にある」
よく見ると、巨大な琥瑠璃の体は半透明になっていて、中が透けて見えていた。
「見えるか、まる。琥瑠璃の脳の先にあたる部分」
「――あれは、知性化用のチップじゃない」
「もっとよく見ろ」
「えー……」
まるは周囲に浮かんでいるチリの様なものを蹴って、琥瑠璃の体に近付いて行った。
「おいまる、そんなに不用意に近づくんじゃない」
「だってよく見えないんですもん」
まるは琥瑠璃の巨大な身体の奥にある、知性化用の頭脳拡張チップを凝視した。
「猫の肉眼ではかなり近づかないと無理かね」
「今ヘッドセットを調節してるのよ」
まるのヘッドセットは高精度カメラの映像を装着者、つまりまるの網膜上にレーザー描画して再構成することで、通常の猫の視力の数十倍の能力を獲得させる。まるは今その解像度を限度いっぱいまで上げていた。
「あれは……琥瑠璃?!」
「ああ、この巨大な琥瑠璃は『ワーム』がその体を再構築するために作り出しているダミーに過ぎないのさ。本体は我々と同じ時空であの場所にある」
「まさか、今までがずっとそうだったとか」
「可能性はある。とにかく、本物の琥瑠璃の所に行こう」
「でも、一つ問題があるわね」
「なんだ?」
「私たちのスケールだと、あそこまで数キロはあるって事よ」
「それは私に任せてもらおうか、行くぞ」
ラスターは爪で空間を丸くなぞると、ゲートを開いた。
「視認できた先には移動できるのさ」
まるは肩をすくめると、ラスターのあとに続いた。
§
まる達の変化については、時空が微妙にずれている為なのか、カーチャの装置では探知は出来なかった。しかし、琥瑠璃自身への探知には変化があった。
「阿於芽、いいかしら?」
「何でしょうか、お姫様」
「カーチャで良い。この変化を見てくれぬか?」
「どれどれ――。ほほぅ、ちょっと待ってくれ、こっちのグラフと重ねてみよう」
阿於芽が出してきたグラフは、まる達の行動のモニタリング結果である。
「ふむ、相関関係があるな」
「どうした?」
秋風もやって来てグラフを見る。
「これは……ちょっとまってくれ」
そういうと彼は足早に、船体の奥に走って行った。
「なに、どうなっているの?」
神楽は言いながら近づいてきて、モニタに映し出されているグラフを見る」
「これ何?」
「こっちがまる船長たちをロストまで追跡した際に検出したエネルギー。こっちが琥瑠璃の繭が発している輻射」
「一致してるわね」
「そう、つまり何らかの方法でまる船長たちは琥瑠璃の繭に干渉しているんだ」
「信号をロストした後に、琥瑠璃側にすごく活発な反応が出てるわね」
「そう、そこが問題なんだ。何らかの方法でより強く干渉してる」
「可能性としてはいくつか考えられるんだがね」
秋風は何やら装置を抱えて戻ってきた。
「いくつかって?」
「1つ、船長たちは洞窟から琥瑠璃にアクセスすることに成功した。
2つ、船長たちの干渉を発見した何者かが、船長たちを排除して防壁を強化した。
3つ、船長たちは琥瑠璃に直接干渉することに成功した。
と、こんなもんかな。まだまだ可能性はあるんだが」
「2はぞっとしないわね」
阿於芽は尻尾をくるっと丸くして答えた。
「恐らく2は無いと思う。なぜなら受信した波長からは争っている感じの部分が無いからね。1もまる達の不思議な失踪を考えると除外できるだろう。3が可能性としては一番高いかね」
「そうなると、おそらく二人がいるところは、ここだ」
秋風は琥瑠璃の繭の入ったカプセルをコンコンと叩いた。
「だが問題がある。今の船長たちの状態がまるで分らない事だ。そこでこいつの出番だ」
秋風が机に置いた機械は何やら怪しいランプ類が付いた、恐ろしくアナクロ臭のする代物ではあった。
「ヒモフレディの解析中に偶然、多次元間の通信に使えそうな現象が起きてね、それをヒントに作り上げたんだ」
「何ですの、これ? 古い通信機みたい」
「おおう、カーチャ殿下。流石鋭い。でも少し違うんです」
そう言いながら、秋風は琥瑠璃の繭を設置しているコンソールのパネルを開くと、アナクロな機械を接続していった。
「これは相転移時空モニター。ワームの性質を見て着想して、ちょっと作りかけていたんです。さて、これをこうして、ここをこうして、と。よし」
超柔軟性光ケーブルの接続を終えると、秋風はおもむろにアナクロ装置のスイッチを入れた。
と、装置のモニターには突然、半透明の猫の姿が映し出された。
「うわっ、なんだこれ!」
秋風はのけぞったが、阿於芽はきっちりと凝視していた。
「これ――琥瑠璃だ」
「ううわわうわ……ってえっ?」
「このガラスの彫像みたいな猫さん、ですか?」
カーチャが興味津々でモニターを除く。
「良く分からないけど、結晶化してる――」
阿於芽の判定を聞いて秋風はすぐに我に返ると、映像の解析を始めた。
「これは物質じゃないな。一種の偽物質ともいえるが――おや?」
「どうした?」
「よく見てくれ。ここにみえる微少な粒」
「確かに、他とは違う感じがするね。秋風、ここを拡大できる?」
「今やってるが――急造品だから、精度が足りない」
2人の会話を聞いて、カーチャは髪留めを外すと、飾りの宝石を弄って、そこから何かを取り出した。
「ちょっと宜しいかしら」
そういうと、飾りから取り出した何かを相転移時空モニターの上に置く。
「これは?」
見ると、小さな蜘蛛のようなマシン。
「微細物構築機械」
髪留めの端をつまんでピーっと伸ばすと、薄膜コンソールが出てくる。
「さて、どこを修正すれば精度を上げられますの?」
§
ラスターとまるは琥瑠璃の本来の体の場所に到達していた。琥瑠璃は、何か巨大な卵状の物から複雑に伸びた繊維状の物で作られた網の中にとらわれている。
「この琥瑠璃って……」
「ああ、本来の年齢の琥瑠璃だ。お前の所で過剰に成長して見えていたのは、ワームが作り出していた虚像だった、という事だな」
「事件直後から成長していない、ということ?」
「いや、ワームの作りだした環境下でも成長はしていたはず。丁度2ヶ月くらいになりそうだな」
「でもここからどうやって出したらいいのか――」
琥瑠璃は周囲を網のような組織で覆われている。
「引き剥がしていい物かしら」
「いや、多分拙い。この網目が琥瑠璃の生命を維持する働きを担っている筈だ」
「そこの卵みたいなやつが、寄生しつつ生命を維持する、ってことか」
「そうだ。私の持つ知識では、琥瑠璃をここから分離する方策は一つ。そこの卵状になっているワームに番を与えることだ」
「それで人造ワーム、という事ね。でもどうするの、私達では人造ワームを扱えないわ」
「馬鹿かお前は。私に何が出来るか思い出して見ろ」
「――あ」
そう、ラスターは一度視認した場所にならゲートを開ける事が出来る。
「これでここと通常空間を行き来できるようになったわけさ」
§
「出来ましたわ」
カーチャがマシンを使って改修した装置は、精度が数千倍になっていた。
「では写すよ」
秋風が先程のごみに見えた部分を映し出す。
「何も無い」
「移動してしまったのでしょうか」
「この中の状態がどうなっているのかは皆目わからないが、そう簡単にものが移動できる状態なのかどうか――」
秋風とカーチャが頭をかしげているとき、阿於芽はふと気になって尋ねた。
「ちょっと待ってくれ、これリニアに表示解像度を下げられるかな?」
「ええ、出来ますわよ」
カーチャは解像度を少しずつ落としていった。
「んー……、あった!」
「琥瑠璃の脳の下の部分か……」
「じゃ、拡大しますわね」
ズームしていくと、そこには3匹の猫の姿が有った。
「いた! 船長!」
「ラスター様と……この仔猫は?」
「これは……ワームを倒す直前の琥瑠璃じゃないか」
阿於芽が指摘すると、秋風は更に別の事に気が付いた。
「ん? ラスターが何かしているな」
「ゲートを開けているんだ。多分二人が帰って来るぞ」
2匹がゲートの中に消えたと思った次の瞬間、彼ら3人の背後から声がした。
「すぐに帰れるんだったら最初から言ってよね」
「何故自明の事をわざわざ説明せねばならんのだ」
「説明されなきゃわからない事だってあ――あら、みんなただいま」
「船長!」
「ラスター様!」
彼らは再び合流した。
§
作戦会議は難航した。
「だから、琥瑠璃を連れ帰る役目は危険すぎるって言ってるのよ!」
「私以外にあそこから帰還できるものは居ない!」
「阿於芽はどうなの?!」
「残念ながら、あそこにはアンカーが届かない。羽賀さんは?」
「現状では私も手詰まりです。調停機構に聞けば対策は出てくると思いますが――」
ラスターは話にならない、という風に鼻を鳴らしてから言った。
「そのエイリアンには可能かもしれんが、ここから一度元の時空間に戻ってお伺いを立てて、それからその対策について検討して――時間が掛かりすぎる。琥瑠璃の安全が保証できるかどうかわからない」
「それには同意します。まるさん、ラスター氏に任せるしかないでしょう」
「むう、じゃあ私も」
「これ以上役立たずについてこられても迷惑だ。お前はここで現場の指揮を取って居ろ」
「何よ役立たずって――」
「事実を言ったまでだ」
まるとラスターがいつまでも鍔迫り合いをしているので、阿於芽とバロンが仲裁に入った。
「まる、ちょっと落ち着け」
「ラスター様、あのような猫にむきになっても仕方ありません」
雌猫2匹はまだ多少ヒートアップしていたが、ぐっとこらえて言葉を切った。その合間を見て、バロンは口火を切った。
「ラスター様、補佐に私を連れて行ってください」
「許可できない、お前も役立たずだ」
「役立た――」
バロンは尻尾を垂れて落ち込んだ。
「ちょっとラスター、バロン君もあなたの事を思って言っているんじゃないの?」
「門外漢は黙って居て頂けるかな、まる」
「なんですって!」
「どうどう」
「どうどう」
2匹の雌猫を宥めながら、事態の進展がないので、阿於芽は人間に助けを求めてみた。
「なあ秋風、あの装置、逆方向には作用しないのか? モニタリングじゃなくて、向こうに信号を送るような」
「難しいな、内側から出る時空間の位相のずれた信号は再生できても、逆がどうなっているかは――」
「あら、内側から外は見えていたわよ」
「船長、本当ですか?」
「ええ、どういう仕組かは知らないけれど」
「もしそれが本当なら、僕がこの装置と同期すれば、アンカーを有効にできるかもしれない――」
「不確かすぎる。それにもうそろそろタイムリミットだろう」
その時丁度、話に参加せずに何かごそごそと作業していたカーチャが顔を上げた。
「よし、出来ましたわ。阿於芽さん、これでよろしいかしら?」
カーチャは阿於芽に例の蜘蛛状ロボットを一体手渡した。
「なんだこれ?」
「あなたのアンカーを発生している部位にこれを近づけてみてくださいな」
「ん、こうかな」
阿於芽は前足から触手状組織を伸ばしてロボットに近付けた。その途端「にゅっ」っと触手の先が吸い込まれるように動いたかと思うと、モニターで見えている繭の中の空間に飛び出た。
「うわっ」
「通せるものの大きさは限られますが、直ぐに猫さん程度のものでしたら通れるようにできますわよ」
「ほう……ラスター、命綱が出来たようだな」
「……ふんっ」
どうやら、琥瑠璃救出作戦の準備が完了したようだった。
§
「まず阿於芽がこの人造ワームを触手で取り込んで、ラスターの開けたゲートから『向こう側』に押し込む」
秋風は簡単に描いた図でブリーフィングをしていた。
「次に、ラスターとバロンがゲートを通って『向こう側』に行って、ワームを人造ワームに引き寄せる」
まるはラスターを見たが、表情一つ変えていない。ラスターは阿於芽とバロンの説得で、バロンを連れていくことを不承不承了解して以降、ずっとこの調子なのだ。
「ラスターさん、バロン氏は助手として志願したんですから――」
「もうその件は済んでいる、先に話しを進めろ」
「――わかりました。ワームが人造ワームに興味を持ち、番を開始するかが要なのですが、それについてはラスターさんが方策を持っているという事を信じます。番が始まると、ワームは琥瑠璃さんを解放するはず、と」
図で仔猫を咥えて走るラスターとバロンが描かれている。
「ラスターさんたちは琥瑠璃を連れて逃げる、この際、ラスターさんの能力は消えかけている可能性があるので、阿於芽さんがアンカーで3匹を『こちら側』に引っ張り上げる。能力が消えるってどういう事ですか?」
ラスターは答えない。秋風は咳払いをし、気を取り直して先を続ける。
「番を開始したワームと人造ワームが合体・巨大化する直後を見計らって、まるさんは人造ワームの自爆コードを実行する。自爆直前に羽賀さんがワームたちを遙か彼方に飛ばす。という段取りです」
まるは納得がいっていない。
「ラスターの手順に不明なところが多すぎるわ」
「信用できないなら、手を引いても良いんだぞ」
「……琥瑠璃の為の作戦、嘘をつくとは思えないわね」
「なら任せることだな」
まるは心中複雑だった。
「では、作戦開始と行こうか、諸君?」
ラスターは例のチェシャ猫の笑いを浮かべた。
(続く)
いよいよ琥瑠璃救出へ、そして……。
次回こそ、「海賊」編、終了します!