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航宙船長「まる」  作者: 吉村ことり
海賊船長まる
54/72

第54話「まるは宇宙海賊です06:星を渡る猫たち」

まるに届いた謎の通信。その正体は――。


(承前)


 まるは慌てて周囲を見回した。

 幸いなことに、今は船長室に一人きり。過剰反応を見られずに済んだのは不幸中の幸いだった。

「冗談じゃないわよ。何このメールは……」

 内容は請求書だった。幾つかの図版と代金の表に続いて、文章が有った。

「――貴航宙船の危機に際し、当方の艦艇が関与したことにより事態を有利に展開させ得たのは、先の資料により明らかである。この行為は航宙上の互助の範疇を大きく超える行為であり、これを持って当方は貴航宙船に対して対価の支払いを請求するものである――って」

 紙の資料だったら爪を立てて細片にまで引き裂いていたところだったろう。

<3重ロックの署名は本物だし、吹っかけている値段かと言えばそうでもないし……>

 そもそも、どうやって送りつけて来たのかが大問題だった。ビヨンドドライブ中は移動しているものそのものの中からは連絡が付かない。では、船外からはといえば、やはり状況は似たようなものである。まるたちがビヨンドドライブを解除した時間に、現在位置を把握していなければ、通信を送りつけることはほぼ不可能である。

<考えられる未知のテクノロジーを使わない可能性は3つ>

 まるは船内をセンサースキャンして、乗員及び機械群と、船内で感知される熱源の照合を行う。異常は見つからない。船内に密航者が居て、そこから通信が偽装された可能性を考えたが、それは排除された。

<密航者はない。とすると……>

 もう一つの方法。それは先回りして通信を送っておく方法だ。正規の超空間ゲートを使っていれば、通信を追い越して、まる達の戦闘宙域に先回りすることも不可能ではない。だが、タイミングの調整は難しいし、まる達は数回にわたって航路を変更している。このアイデアは除外だった。

「と、すると」

 あり得ない事だったが、これしか可能性はない。

「船長より秋風君へ。ビヨンドドライブを使って移動している船を検出する方法はある?」

 何やらドタドタと音がした後、暫くの間があった。多分作業中でひどく散らかっているのだろう。

『済みません、取り込んでいたもので。ビヨンドドライブですか? 先ず我々意外にその技術を知っているものがどの程度いるかが不明ですが、おそらくは地球人類にはほぼ居ないのではと思われますので、現状では無理じゃないかと』

「秋風君自身は出来るの?」

『私が、ですか……まあ、方法が無いわけじゃないですね。ただし見つけられるのは痕跡ですし、既に相手が通過した後しか分かりませんよ』

「どういう方法?」

『ビヨンドドライブは航路上のすべての物体を破壊します。それは微細な星間物質ですら例外ではありません。対して空間のヒッグス粒子は……』

「細かい理屈は良いわ、つまりビヨンドドライブで移動すると痕跡が残る、ということね」

『まとめて言えばそういう事ですね』

「じゃあ、私たち以外の船がこの周囲でビヨンドドライブを行った形跡がないか、チェックしてもらえるかしら」

『うちの船以外、ですか? 機密漏えいには気を使っていますので、まず可能性はないと思うのですが……』

「もし別経路で、この技術を持った異星人と接触した勢力があったら、可能性はあるんじゃないかしら」

『わかりました、調査してみます』

「お願いね」

 まるは通信を切ると難しい顔でヘッドセットを外し、顔を洗った。結局は羽賀氏と阿於芽あおめからとはいえ、異星人からの技術だし、別に自分たちの独占技術だとは思っていない。しかし、こんなに早々に使われてしまうと、せっかくのアドバンテージが台無しだと感じていた。

<他の通商圏のフラッグシップを張る巨大艦が、ビヨンドドライブ?>

 事実なら、まる達にとって、嬉しくない事態ではあった。


§


 BL(ブラック・ラスター)の私掠宇宙船〈デンドロバテス〉は、ソフトウェアのインストールをようやく終わらせ、着々と出撃準備を整えていた。

「マム、ご報告が」

 BC001(鼻くそ小僧)がスレート端末を持って現れた。

「あら、BC001。休息中の筈でしょう?」

「マムが働いていらっしゃる煮に、私が休んでいる訳にはいきません」

<可愛いこと言うじゃない。でもこれもプログラムに沿った動きに過ぎないのよね。多分>

「働きたいなら医療部に許可を――」

「肉体的疲労を短時間で収束させるために、医療部でカプセル浴を施術してもらいました。もう働けます」

「勤勉な事ね。宜しい、復帰を許可します」

「有難うございます」

 BC001(鼻くそ小僧)は一礼しながら、BL(ブラック・ラスター)にスレート端末を渡す。

「〈上喜撰〉が第3探知ラインを超えたのね」

「はっ。しかもその後、予定時間になっても、第4探知ラインを超える形跡がありません」

 秋風の予想に反して、BL(ブラック・ラスター)は、ビヨンドドライブで航行する船の探知方法を確立していた。彼らは、〈上喜撰〉出発から遡るほど1週間前から、〈大和通商圏〉から〈欧蘭通商圏〉への航路を推定し、そこに半径10光年に及ぶ、網の目の様な物体破壊探知網を設置し、それを何層も「超空間ゲート」に接続した大規模な探知網を作成していた。〈欧蘭〉の中でも強力な力を持つ〈ロシア星間公国〉の資金力の為せる技であった。亜空間通信の技術的速度限界である光速の2万倍の制限の中でも、最大遅延4時間ほどで2時間おきの情報が分かる仕組みである。結果として〈上喜撰〉は探知網の15分の通知範囲を通過していた為、比較的早く動向を知る事が出来ているのだった。

「ふむ。しばらく何処かに留まっているのか、我々の探知ラインに乗らない、思い切った迂回コースを取ったのか」

「お言葉を返すようですがマム。これまでのコースの直線性を考えると、ここから迂回コースを取る意味が分かりません」

<そうよね。彼らの超光速航法は、ワープナセルを消費するらしい、という事は分かっているわ。無駄遣いして超長距離の迂回コースは設定できない筈だわ>

「第4通知ラインへ今から行っても間に合わないわね……」

「ゲートの開閉タイミングと、現在の整備状況から考えると、190分ほどです」

「掛かり過ぎだわ。恐らくそんなに長時間は留まっていない……〈上喜撰〉の第5探知ラインの通過予想位置までの時間は?」

「それでしたら、整備込みで30分で到達可能です」

「それでギリギリね。直ぐに出発準備を」

「はっ」

 BC001が通信の為にコンソールに向かうと、BL(ブラック・ラスター)はその瞳を縦に細くした。

「今度は逃がさないわよ。まる」


§


『船長。ナセルの交換、及びコースの再設定完了しました。移動再開できます』

 秋風の通信を受けて、まるは船長室での作業を中断した。

「わかったわ、ブリッジに向かいます」

 通信を切ると、書き掛けの書類をフォルダに放り込む。〈連合通商圏〉名義の請求書に対する不服申し立ての書類である。だいたい、〈連合〉だけ、通商圏全体が代表組織で動いているという事実がまだピンとこない。〈大和通商圏〉はそれぞれの国が独立裁量であり、惑星〈星京〉はその各星の首都機能を集約した星というだけだ。各国政府から超越して動いている参事官は政治的な調停役ではあるものの、通商圏全体を一つの国のように扱う組織ではない。〈欧蘭〉の政治の仕組みは〈大和〉に似ていて、やはり通商圏全体を取りまとめる能力には乏しい。〈地球通商圏〉に至っては、中央組織らしいものはまだ完成していない。だが〈連合通商圏〉は、全体が一つの国の様に機能している。いわば地球人類圏最大の大国なのだ。

<自由貿易の通商圏とか言ってるけど、事実上は人類圏随一の帝国よね>

 それでも建前上は80ほどの国から出来ていることになっている。政体の中心になっている国は〈ワシントン独立市国〉と〈ニューヨーク共和国〉、それに〈ブリテン星間王国〉の3国だ。そこに「3国議会」という事実上の統合政府があり、参加各国はその属国という立場をとっている訳だ。

<だから本来は、精々「3国議会」名義での声明で有る筈なのに、なぜか対外通商圏では〈連合通商圏〉名義を使ってくるのよねえ……>


 色々考えているうちに、まるの乗ったリフトはブリッジに辿り着く。まるはリフトから降りるとブリッジのゲートを通り抜けた。

「船長、お帰りなさい」

 太田が疲れた様子もなく声を掛けてきた。ラファエル副長は人間用の船長席を収納し、副長席に戻る。

「船長がブリッジ不在間の異常、特に認められません」

 ラファエルが報告する。

「ありがとう」

 答えながら、まるは猫用の船長席をポップアップさせてまたがる。

「さて、航行を再開しましょう」

 そういうと、船内全体に向けて通信チャンネルを開く。

「こちら船長。これより1分後、ビヨンドドライブによる航行を再開します。各員は持ち場に戻るように」

 まるはまだ、この先の航宙が大きな波乱含みであることは知らなかった。


§


『こちら船長。之より1分後、ビヨンドドライブによる航行を――』

 まるの通信で、阿於芽あおめは亜空間戦闘艇〈カルーア〉の中で目を覚ました。彼の生命兆候(バイタル)の変化を見て、「思索の杖」が通信を入れてきた。

『起きたか?』

「ああ、『思索の杖』は少しは休んだのかい」

『我々の種族は、この程度の時間の活動では、休む必要を感じない』

「そっか」

<頑丈星人だな>

 阿於芽あおめは声に出さずに感想を思い浮かべた。

阿於芽あおめも』

 「思索の杖」からの返信がそこで一度区切られた。

『半身が超越階梯の生命体だから、休む必要はなかったのではないか?』

 阿於芽あおめは肩をすくめると、少しおどけて答える。

「そう思っていた時期が、僕にもありました」

 そして、はっと気が付いた。

「あれ」

 身体のサイズが違う。いつの間にか仔猫サイズでは無くなっている。同時に、ブリッジから慌てたような連絡が来る。彼らのバイタルサインをモニタリングしていたにゃんたからだ。

阿於芽あおめさん! 身体数値が異常な事になっています! 大丈夫ですか!?』

 彼女の慌て振りに当てられて、阿於芽あおめも一瞬虚を突かれたが、直ぐにニヤニヤ笑いながら通信チャンネルを開いた。勿論、相手向けのニヤニヤ笑いだ。

「こちら〈カルーア〉の阿於芽あおめ。いやあ、船長にお相手して貰ったら、こんなに大きくなっちゃってね」

 にゃんたの金切り声で騒ぐ声が聞こえてきた。だがすぐにまるからの通信に切り替わる。

『阿於芽〈あおめ〉! あんた、なんて破廉恥な言い草を……。どうしたの、あなたの体、成猫のバイタルになってるみたいじゃない』

「ご忠告通りに寝たら、この有様さ。どうやら、猫の体の方を休めた間に、異星人の体の方で都合のいいサイズに再調整してくれたみたいだ」

『……相変わらずあなたの体は出鱈目デタラメね。まあいいわ。機体の設定を、身体に合わせて再調整しておいてね。ビヨンドドライブから出たらいきなり戦闘、なんて可能性も、ない訳じゃないし』

「了解」

<流石はまる、動じないねえ>

 阿於芽あおめは座席のサイズから、調整を開始した。


§


<あーびっくりした、びっくりした、びっくりしたっ!>

 いきなりでかくなった阿於芽あおめに、まるは内心、心臓が踊り出すのではないかというくらい驚いていた。通信では誤魔化したが、隣にいるラファエルにはその心理状態は筒抜けだった。まるの尻尾は、あまりの驚きで、通常の3倍くらいに膨れ上がっていたのだ。

「ぷっ」

 通信が終わるまで我慢していたラファエル副長は、小さく噴き出した。

 猫が赤面する生き物でなくてよかった、と、まるは心底思いながら顔を洗って気分を落ち着けようとした。

「仔猫の彼も可愛かったですけどね」

 言われて、まるは自分がびっくりしている原因に思い当たった。彼女はまだ子を成した事はないのだが、その隠れた母性が、仔猫の阿於芽あおめに反応していたのだ。成猫になった彼に、一足飛びでの「雄」を一瞬なりと感じてしまって、そのギャップに体が反応してしまったのだろう。

「い、いつまでもあんなコロコロした格好で船内をうろつかれても困るわ」

「まあ、そうですな。パワフルな彼が帰ってきたことは歓迎しましょう」

 ブリッジに笑いが漏れた。

「さて、サプライズは終わり。太田君、ビヨンドドライブ稼働準備。秋風君と連携宜しく」

「連携完了しています。いつでも発進指示どうぞ」

 太田はすかさず返す。

「では、ビヨンドドライブ再開」

 再び船内のすべての外部センサー類が沈黙し、〈上喜撰〉はビヨンドドライブを開始した。

『こちら秋風。ドライブ開始しました。それと船長、先程の痕跡調査の件ですが、実は妙なものを見付けましたので、ラボまでご足労願えますか』

「ここで確認できないかしら」

『不可能ではないですが、出来ましたら直接見て頂いた方がいいかと』

「分かったわ。ラファエル副長、ブリッジをお願い」

 そういうと、まるは船長席を収納してゲートに向かった。


§


 秋風のいる〈上喜撰〉のラボは、〈コピ・ルアック〉にあるこじんまりとした物よりも数倍大きい、大型の物を扱う設備となっていた。

 まるが到着して目にしたのは、実験台の上に置かれた謎の塊だった。なんというか、3メートルほどの平たくて細長い黒い楕円の半球の様な物体だった。

「なに、これ」

「船殻に張り付いていました。擬装用のフォースフィールドを発生していたので、発見が遅れてしまいましたが、ある種の通信装置の働きを持っていますね」

「ビヨンドドライブで移動する船に通信機をつけて、どうするつもりなのかしら」

「それがですね、こいつが通信するのは、〈上喜撰〉に対してなんです」

 意味するところをまるが察するまで、2秒ほどの間があった。

「……あ」

「船長から依頼されたビヨンドドライブの痕跡は発見できませんでした。船長はおそらく、本船に何処かから送信された通信を読まれたのではないですか」

「ええ。〈連合通商圏〉からの通信を傍受したわ」

「こいつがその発信源です」

 まるは怒りで爪が前脚から飛び出すのを抑えきれずにいた。

「怒らせるような通信でしたか」

「ええ、かなりね」

「でも、それはこの装置の機能のごく一部です」

 そう言いながら、秋風は物体の横に立って、その表面を工具で叩いた。物体はゴゥンゴゥンと響く音を立てる。響く? という事は中に空間がある?

「中空っぽい音ね。爆弾でも入っていたの?」

「爆弾、と言えば言えなくもないですね。解析画像を出します」

 空中に表示された解析ホログラムは、人型の物体を映し出していた。

「げ、死体?」

「バイタルサインは極めて低いですが生きてますね。身長は推定180cm。体表の形が何とか確認できるだけで、体内の事がさっぱりわからないので、性別や年齢は不明です。恐らくある種の低速化フィールドに覆われているのだとだと思われます」

<180cmならガタイの大きい男性じゃないのかしら>

 まるはそう思ったが、敢えて口にはせずに、別のもっと大きな疑問を突っ込んだ。

「戦闘装備の私掠航宙船の船殻。しかも光速の1千万倍の速度で移動しようなんて船に張り付く装置に入るとか、どんな頭のおかしい奴なのよ」

「ご対面します?」

「お願いするわ」

 秋風は装置を開く手順を解析していたようで、いくつかの操作をすると、装置の外壁が切子細工の箱のように外れ始めた。出てきた人物を見て、まるの目は名前通りにまんまるになった。

「よ……吉田さん!?」

 装置から、流石に予想外の人物が出てきたので、ラボは騒然となった。


§


 神楽コンツェルンの吉田執行役員、通称「吉田」氏。低速化フィールドを解除されると、まるで何事もなかったように起き上がると、いつもはダサ……いや、地味な黒づくめの背広を着ているのに、今日に限ってぱりっとした燕尾服えんびふくを見事に着こなし、装置内のシートから立ち上がった。そして身なりを正すと、古臭い眼鏡に内蔵された情報端末に軽く触れて、それから言った。

「思ったより早く回収されたようですな」

 まるはまんまるになった目だけでなく、顎も外よというばかりに口もぽかんと開けている。私掠船の勇猛船長は何処に行ったという感じだった。それでも辛うじて合成音声を絞り出したのは、彼女の根性の為せる技と言えば言えるのだろうか。

「吉田……さん、ご無沙汰してますわ」

「これはまる船長。久しくご連絡も致しませんで、不義理申し訳ありませんでした」

 吉田氏は慇懃に挨拶をした後、特に何をするでもなく佇んでいる。

 間。

 間が持たない、間が悪い、間に合う、間に合わせ、間合い、間を外す、間を見計らう。

 話しがまるで弾まない、まるの頭の中で何をどうすればいいか考えていた。

<聞きたいことは一杯あるわ。何でこの人だけが単独行動を? 神楽は? なんで連合の通信を出した機械に潜り込んでたの? 何がどうなってるの??>

「今回はイライジャ・躑躅森(つつじもり)艦長代理様にお願いして、手配して頂きました」

 まるはため息をつきながら応対した。

「イライジャが……。どういう経緯かは気になりますね。それより、これは正規の乗船ではありませんので、密航扱いになりますわよ?」

「それは困りましたね」

 さして困ったようでもなく、悪びれもせずに吉田氏は答える。

「〈大和通商圏〉の国際航宙法では、密航者は拘束することになっています」

 まるも敢えて冷淡に言う。

「そうですね。〈大和〉では」

 まるは強調の意味を考えてはっとした。

 吉田が乗ってきたエリアは、どの通商圏にも属さない。ここは地球人類の法の及ばないエリアなのだ。唯一縛る法があるとすれば乗船約款だが、私掠船である〈上喜撰〉にはそもそもそれがない。

「なるほど、密航を罪に問うことは出来ない。と。しかし〈欧蘭通商圏〉に入ると、〈欧蘭〉の法に従って、船外追放になりますよ?」

「そうですね。この船が正規のルートで通商圏間を移動したなら、の話ですが」

 やられた。

 〈上喜撰〉は、正規ルートで通商圏間を移動していない。つまり、彼を罪に問う根拠がないのだ。

「とにかく、正規乗船でない以上、臨時に貨物室にて身柄をお預かりいたします」

 まるはため息交じりにそう告げたが、吉田は一向に応える様子もなく、胸元に手を差し込んで何か取り出した。

「そう言われることがある、と、社長からも釘を刺され、これを預かっております」

 それは、人間の大人の男性の指先ほどの端末だった。まるのヘッドセットのピックアップに接続可能にできている。まるは受け取ると、ヘッドセットに接続する。目の前に3D録画で神楽の姿が映る。

『まる、あなたが〈欧蘭通商圏〉に不正入圏するって話を、織田さんから聞き出したんだけど』

<いきなり不躾ね>

『吉田にこの映像を託したのは、あなた達の入圏を正規の物にするためよ』

 まるはきょとんとした。神楽コーポレーションはある程度の規模の会社ではある。だが、あの織田氏ですら正当な理由をつけられなかった、通商圏間の不正入圏、というイリーガルを、正当化してしまえるほどの力があるとは思いにくい。神楽にどんな秘策があるのかとまるが首をかしげていると、映像の神楽は事も無げに続けた。

『私、〈ウクライナ星間公国〉の皇女殿下と、元ご学友なの』


§


 〈欧蘭通商圏〉。それは4大通商圏のうち、西欧、北欧出身の諸国を中心として構成された通商圏である。だが、ドイツ、イタリア、英国の3国を始めとして、幾つかの主要な国が他の通商圏に属してしまったため、地球上の国家であった時と比較すると、微妙にバランスを欠いてしまっている。

 政体の中心となっているものは3つ。ひとつ目は政治的中心である〈フランス星間共和国〉、二つ目は〈ロシア星間公国〉、3つ目は宗教的中心〈バチカン教王国〉――。

 だが、〈ウクライナ星間公国〉は、そういうものからは少し外れた特殊な位置に居た。

「船長?」

 にゃんたが首をかしげながら聞いてくる。

「〈欧蘭通商圏〉の国って、『星間~』って名前が付いている時がありますよね」

「ああ、ここの特徴ね」

「特徴、ですか」

「そう、特長」

 そう言うと、まるはブリッジのメイン・スクリーンに各通商圏の国家の分布を示す資料を表示した。

「〈大和〉にしろ〈連合〉にしろ、「国」は星ひとつで収まっている場合が多いんだけど」

「はい、〈関東合衆国〉も〈東海連邦〉も、惑星〈星京〉だけの国ですし」

「ところが、〈欧蘭〉の国は、例えば〈ウクライナ星間公国〉は惑星〈ヌーベル・カピタル〉にも、惑星〈星都〉にも少しずつ土地があるの」

「何だか不便そうですね」

「むしろ、国同士が隣接した土地にある方が色々都合が良い、とか、考えていたりしするらしくて、幾つもの国と国境を土地で接するために、星にまたがって幾つも飛び地の様に存在していたりするのよ」

「面白い考え方ではありますね」

「うん、価値観の違いかしらね。でもこれ、睡眠学習プログラムで教えてなかった?」

「あ……済みません、いくつかの学習プログラム、まだ完了していなくて」

「うーん、にゃんたさん、過去人ですものねえ……」

 そう、前回の件で「にゃんた」、「矢田」の二人を「迷い猫時間線」の21世紀から招き入れることになって、幾つか面白いことが分かっていた。にゃんたや矢田に睡眠学習を施したところ、現代人にはない問題が発生していたのだ。これは、薬研医療部長によれば「睡眠学習性過労」とでも呼部べき症状だそうで、情報のつめこみに脳が追従できず、長時間の頭脳労働と同じような疲弊を引き起こしてしまうらしい。

 にゃんたは少しさびしそうな顔をした。

「ええ……、薬研先生から、子供のころから睡眠学習に慣れ親しんでいる現代人と、年齢を重ねて初めて体験する過去人の違いじゃないか、って」

「まあ、事情が事情だから、そこは気に病むことはないわ、私こそ御免なさい」

「いえいえいえ、船長に謝って頂くようなことではありませんし」

 猫が声を出して笑う生き物だったら、まるは大仰に笑っていたかもしれない。

「とにかく、そういうこと。それにしてもねえ――」

 まるは別の資料をコンソールに呼び出していた。

「〈ウクライナ星間公国〉第一皇女殿下と茉莉、ねえ」

 映し出された皇女殿下は、なんというか、人形のような美しさというのだろうか。そういう感じを放っていた。到着後、吉田と一緒に彼女に謁見することになっている。表向きを神楽からの使者の護送、ということにして、非正規入圏を正当化しようという、神楽女史の提案だった。


「そうそう、船長。その件でも私びっくりしたんですけど」

「神楽女史の事?」

「あの方の事はよく分からないんですけど、ウクライナが「公国」になっているという事で……」

「ああ、21世紀だと色んな政体の中で揉まれているような国だったわね」

 にゃんたは空を仰いでいろいろ思い出そうとしていた。

「私が知っている歴史だと、ウクライナって、チェルノブイリ原発、っていう原発の事故で有名になった〈ソビエト連邦〉の一部。で、ソ連崩壊で、確か大統領制の独立国になったような……」

「ええ、こっちの歴史もそこは同じよ。2025年くらいまでの間に色々とロシアと資本主義国の間で小競り合いが有ったりも同じ。再びウクライナが公国になったのは、西暦2153年に、ヨーロッパ事変が起きるころ位だった筈……」

「船長」

 ラファエル副長が苦笑いをしながら割って入った。

「ん?」

「歴史のお勉強されているところを申し訳ありません。続きはにゃんたさんに後で睡眠学習でやって頂くことにして――」

「あ、そろそろビヨンドドライブから一度通常空間に戻る時間ね」

 かくして、歴史のお勉強は中断され、航宙私掠船の航行任務が再開された。


§


 そして、通常空間に戻った〈上喜撰〉を待ち伏せる者が居た。

「敵航宙私掠船〈上喜撰〉、予測ポイントプラス2光秒の位置に実体化しました」

 ブリッジにBC001(鼻くそ小僧)の報告が響く。

「よし、攻撃隊発進。〈デンドロバテス〉の各砲門も敵に照準、一斉掃射せよ!」

 ブラックラスターは船長席からその半身を乗り出しながら指令を出した。

 そして、〈上喜撰〉は容赦ない攻撃に晒された。


§


 突然の激しい揺れと衝撃が、〈上喜撰〉のクルーを襲った。

「緊急事態、本船は攻撃を受けています。自動的に戦闘用フォースフィールドが展開されました」

 シャブランのやや機械的な声が響く。

「被害状況は!?」

「拡散次元転移砲小破、ワープナセル2機損壊。重核子砲3門損壊。ビヨンドドライブ不能です」

 まるは頭を抱えた。

 ラボからの通信が入る。

『こちら秋風、どうやら敵は巨大な探査網を張って、我々の出現予測ポイントを割り出していたようです』

「損害は修復できる?」

『破壊されたワープナセルは取り替えたばかりの物です。取り替えて再開は出来ますが、予定宙域に到達するためには残りの交換用ナセルでは航続距離が絶対的に足りなくなります』

 まるはぐっと牙をかみしめて考えた。

「とにかく反撃開始。私も〈川根焙じ・改2〉で出るわ」

 まるはそういうとブリッジのゲートから飛び出し、リフトに向かった。

<まだ方法はある。でもその前に、とにかく敵を何とかしなきゃ>


(続く)

突然の戦闘、まるは無事に〈欧蘭通商圏〉に到達できるのか。

織田氏の積荷は無事に受け取れるのか?

(というか本来これが目的なんだけど、既に手段と目的が入れ替わっている感じが……)

待て次回。


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