第50話「まるは宇宙海賊です02:黒の栄光」
遂にというか、とうとう50話です。
でも、「まる」の物語は、まだ折り返しにも到達していません。
これからもゆっくり確実に続けます。お付き合い頂けたら幸いです。
(承前)
鋭角的で攻撃的。そして強力無比で、地球人類の宇宙圏中で瞬間最大速度を誇る船。しかしその力は破壊ではなく、知略謀略によって敵を蹂躙し、積荷を奪取するためにある。それが〈大和通商圏〉直属の独立私掠航宙船〈上喜撰〉だ。今その中心部に位置する球体のブリッジの、猫専用にあつらえられた船長席に四肢を預けるように座っている三毛猫。それがこの船の船長「まる」だ。この船は彼女が船長を務める5番目の船だ。4番目の船は――巨大で強力な船だったが――今修復中だ。
「ラスター、ラスト、ラストラー……」
まるはブツブツと呟いていた。正確には思考がヘッドセットの音声合成回路に漏れていた。
「なんですか?」
たまたまブリッジにスレート端末(所謂タブレットの進化版)で報告書を持ってきていた加藤が呼び掛ける。彼は〈渡会雁金・改〉の専属パイロットになっていて、整備目録を持ってきていた。〈渡会雁金・改〉は全長8mと、見かけでは小型船としても小さい方だが、その実際は空間を折りたたまれた異星人テクノロジーの塊のような船であり、中規模船並みの内部空間と実力を兼ね備えていた。弱冠18歳でこの船を任されることになった加藤は、紆余曲折でまるの弟子の様な位置づけを獲得していた。
「あ、声に出てたのか……ごめんね」
「別に全然かまいませんけど」
まるは、加藤がデスクに置いたスレート端末をマニピュレーショングローブで握り、専用のスロットに差し込む。人間のように手で持ってスレート端末を見るには、猫は非力で小さすぎたからだ。
「例の錆猫が名乗った名前よ」
そう言いながら報告書をそのミドルの目でパパッと眺めた。彼女の眼はヘッドセットにより強化されている。視力は人間でいう処の25.0を超え、2センチの距離で精密な画像として文字を認識できる。一瞬目にしたものは拡張された短期記憶に格納され、解析されながら大脳と、その動きを補佐するチップに翻訳されて届く。
まるに言われて暫く考えていたが、ああ、と、加藤は思い当たった。
「確か、BL、でしたっけ」
「トリプルミーニングどころじゃなく意味を重ね捲ってるのよね、クワッド・ミーニングというか」
「へえ」
「ラスト、RUSTは錆、まあ、錆猫であることを象徴してるのかな」
「はいはい」
「ラストラー、RUSTLERが泥棒。まあ、怪盗的な意味合いを持たせたいのかもね」
「ほうほう」
「そしてラスター、LUSTERは艶とか光沢、そして『栄光』の意味もあるのよ」
「ふむ……」
加藤が考え込んでいると、その髪をぐりぐりと掻き回しながら、今しがた入室してきた薬研医師が笑う。
「ディスプレイの表示方法、なんてのはどうかね」
「薬研さん、いつの生まれですか。それ20世紀のブラウン管のラスターディスプレイ(走査線という画面に縦にびっしり並ぶ横線の部分を光らせることで絵を構成するディスプレイ。テレビなどがこの方式)の事ですよね?」
「21世紀に暫くいたときに手に入れた中古の医療機器のディスプレイがその方式でね。いやあ、調整とか自分でやってたら結構詳しくなった」
その会話を聞きながら、ラファエル副長が苦笑いしながら近づく。
「そこまで意味を重ねて考えたかどうかは、定かじゃないじゃないですか」
「いいや、あいつならこれ位の事やって考えてきてる。あの猫の性格ならね」
ラファエル副長は暫く苦笑いをしていたが、急に真顔になった。
「それにしても、厄介ですよね。証拠を根こそぎ持って行かれてしまった」
「ええ、たぶん彼女は〈欧蘭通商圏〉の何処かに雇われている」
「〈欧蘭〉? あのおとなしい通商圏がですか?」
「断言するわ。この件で得をするのは何処かを考えたらね」
「確かに、そうですが……」
「面倒臭いわよね、地球人類圏って。でも、4つの通商圏がそれぞれ1000光年ずつくらい離れているからパワーバランスが保てていた面もある訳だし、BLみたいに好きに空間をひょこひょこ移動する奴が関わってきたら、とんだチート野郎が敵って事になる」
「厄介な敵です」
「私は、あの子、自分をまきこんだ『ワーム』が死んで、故郷の時間線に帰れなくなって困っているのかも。なんて思って心配してたのよ? とんでもないわ」
「困りましたよねえ」
二人で頭を抱えていると、いきなり黒い仔猫が背後からラファエル副長に飛びつくと、よじよじとその頭に向かって登って行った。
「僕はあいつとはあんまり面識ないんだけどさ。ラファエルもだよね?」
阿於芽は割としれっと言った。
「ちょっと、阿於芽。ラファエル副長は今はあなたの上司よ。その態度はいただけないわ」
まるに言われて、阿於芽はラファエル副長の頭の上から顔を覗き込む。
「これは失礼しました、副長殿」
説得力も何もない。まるは右前脚で目を覆った。阿於芽は平然と話を続ける。
「それで、BLだっけ? 黒猫でもないのにブラックを名乗るとか、頭おかしいんじゃない?」
阿於芽は真っ黒な顔に口をくわっと開け、邪悪な顔をする。
「まあ、考え方は人……猫それぞれでしょ?」
阿於芽はフム、と鼻を鳴らし、開けた口を閉じる前に自分の鼻をペロッと舐めて、舌を少し出したままにした。彼も猫の口で人間の言葉を喋っているわけではなさそうだ。どうやって声を出しているんだろう?
「僕が例の虫に捕えられて繭になっている状態だった時、奴にいろいろ愚痴を言われたよ」
「愚痴?」
まるが姿勢を変えずに聞き返す。
「そりゃあ酷かったよ。まさにぐちぐちぐちぐち、っていう感じで。耳がタコになるくらい延々と」
まるは阿於芽の耳から、タコのように無数の触手が伸びる様を想像した。こいつはやりかねないから怖い。
「で、何が言いたいの?」
「その愚痴の内容が、最初は奴――虫の事かな? それの云う事を聞くのはうんざり、とかだったんだけど、だんだん話しているうちに、もっと派手に暴れたい、とか、自分の抱えている黒い衝動を延々と語る感じになってさ」
「いろいろ鬱積しているのかなぁ」
まるは尻尾をくるんと体に巻きつけると四肢をピタッとくっつけて猫正座をした。阿於芽は眉間にしわを寄せて仔猫らしからぬ表情を作る。まあ、元は90歳オーバーの猫又だが。
「もともと性悪なんじゃないの? 姪っ子をあんな目に合せたりとか」
そう、BLは琥瑠璃の叔母である。まるは首をかしげながら考え考え言葉を出した。
「どうかな、あいつは大っ嫌いだけどさ。何というか、完全に憎み切ることは出来ないのよね」
「まるは甘いな」
まるは阿於芽に甘いと言われて、瞳孔を真っ黒に開いて見返した。
「そうかしら?」
阿於芽はラファエル副長の頭を掻き毟った。
「いたたたたたたたたた」
「おっと失礼、ちょっとイライラしたので」
「何よ、私があなたをイライラさせるようなことを言ったとでも?」
「言ったというか、やってるんだ。奴はそんなに甘くないと思う。心の闇が深いのは感じたよ」
まるは左前脚を口に持って行って肉球を噛んだ。錆まる、いや、BLを庇う気などさらさらない。だが、阿於芽の主張はどこか的外れな気がした。
「まあ、その甘さに足元を掬われない様にして欲しいね。我らが船長様」
そういうと、阿於芽はラファエル副長の頭から飛び降りて、戦闘機隊長向けの猫用コンソールをポップアップさせて座った。
<まあ、何でも賛成してくれるわけはないと思ってるけど>
新造船の運用早々になんとなく躓いている気がして、気分に雲が掛かったような感じのまるだった。
§
「約束が違う? 何言ってるの、敵の私掠船から秘密を守ったし、あなたの所の乗員も積荷も守ったわ、何が不満だっていうの?」
さびまること、BLはご機嫌斜めだった。
『船を明け渡して逃げて来ることはないだろう、一隻の私掠船の値段がいくらするか……』
彼女の通信の先に居るのは小太りの恰幅の良い、見るからに西欧系の男性だ。ちなみに、BLとその男はクイーンズイングリッシュで会話していた。
「そんなこと、私が受けた依頼には記されていないわ。秘密を守り、積荷を無事回収してくること。それが条件でしょう? 私は最善を尽くしたわよ」
『しかしね、船を奪われたらそこから足がついてしまうのではないかね?』
「船体部品の情報については、フェイクを仕込んであるわ、簡単に追跡は出来ないはず」
男は苦虫をかみつぶしたような表情で通信先の猫を見た。目にはどうにも小馬鹿にしたような光がある。下等動物を見下げる目だ。
『何れにしろ、穴埋めはして貰おう』
「勿論、損害を出してタダで済ませるつもりはないわ。ただ、敵の船長を甘く見ない事ね。それと、私も。その気になれば通商圏の一つくらい、潰して見せてあげる」
相手の男は、彼女の発言がハッタリなのか、事実なのかを天秤にかけていた。眼前の猫がただの野良猫などではない、正体のわからない相手であるのは確かだ。敵の船の船長も先日大々的にニュースに出てきた、曰く「天才猫」。だが、所詮は猫畜生だろう。猫どもなんか人間のやることに口出しなどせず、裏路地でギャーギャー鳴きながら喧嘩するのがお似合いだ。彼はそう思って顔をしかめたが、通信先の錆猫が首をかしげて顔を覗き込んできたのでドキッとした。まるで見透かされたような感じがしたからだ。そもそも、この猫を雇うようになったきっかけがきっかけだから、余計に不気味だった。
BLはある日ふらりと現れた。いずこからともなく船に湧き出たかと思うと、わずか30分で駆逐艦クラスの装備の私掠船一隻を掌握し、人の言葉で「責任者とお話しできるかしら?」とか言ってきたのだ。そんな馬鹿なことがあるか、と、その船を攻撃しようとした一個船隊15隻が、今度はわずか15分で行動不能にされた。その上で、BLは交渉を持ち掛けてきたのだ。その内容は、どこで嗅ぎ付けてきたのか、ひそかに進行していた〈欧蘭通商圏〉の私掠船による計画に、自分を一枚かませろというものだった。当然、そんな話においそれといきなり現れたなんだかわからない存在を使えるはずもない。〈欧蘭〉の船隊は話を否定し、更なる抵抗を試みようとした。だが、100隻近くいた彼の配下の秘密戦隊が残らず悲鳴を上げるまで、30分とはかからなかったのである。彼は渋々猫と会見を開き、その実力を認めて、契約を結ぶこととなった。
たかが小さな秘密行動部隊が占拠された事件、ではなかった。対話の時間を含めても、わずか80分で100隻の船隊が、たった一匹の猫に、まるで生殺しの様にいいように蹂躙されたのだ。そして、その猫をして、「強力な敵がやってくる」と言わしめたのが……〈大和通商圏〉の天才猫「まる」だった。
『ご不満のようね?』
BLにそう言われて、男は無理やり作り笑いをした。
「とんでもない。ちょっと持病の腰痛が出たものでね」
余計な突っ込みをされて、腹の内を探られても面白くない事だけは確かだった。
§
地球人類の勢力圏はおよそ直径6000光年の球状の宇宙空間に、ぽつん、ぽつんと希薄に分布していた。希薄な理由としては
1:先住知的生命体のいる星には居住出来かなったし、地球人類はひどく後発だったこと。
2:地球人類の生存要件を満たす星か、そういう星に改造可能な星がある太陽系が限られていたこと。
3:そして、人類が実質上の保護観察状態にあること。
が大きな理由となっていた。
この理由の中でも特異なのが保護観察、ということなのだが、その原因――〈全圏大戦〉と呼ばれる大戦争は、地球人類にとって黒歴史以外の何物でもなかった。24世紀に起きたその戦争のきっかけは、技術的暴走だった。所謂技術的特異点という奴である。
技術的特異点、それは従来の人間の力による技術進歩を、人間を超えるものが代行するようになり、技術的進歩速度が爆発的に向上することで、未来予測が不可能になる時点のことを言う。21世紀半ばにも、人工知能の進化により、人類を滅ぼしかねない技術的特異点が発生する、という予測が有ったが、それは、全てを刷新するような技術的進歩には、インスピレーションと偶然という不確定要素が大きく関与する、という事実を軽視した予測であり、人間のインスピレーションというものについての研究は、この時点でまだまだ不足していた。結果として出現した人工知能自体が、あまりに不完全なものであったから、特異点、という考え方自体が廃れて行ってしまった。
むしろ、偶然の結果により21世紀末に作り出されたワープシェルとその研究から派生したワープエンジン、亜空間通信などによって、人類の生存権が急激に広がる可能性を受けて、人類の未来は予測困難になった。技術爆発が確定的になったのは、人間の学習方法を根底から作り変えた、完全で高速な睡眠学習の実用化と、人間のみならず、哺乳類の寿命を100倍~1000倍ほどに引き上げる〈延命薬物〉の発明と一般化、そして何より、異星人たちとの接触が有った。
人類が星々への切符を手に入れて旅立った世界には、先人となる異星人が溢れていたのだ。
ただ、異星人の華やかな社交の舞台に地球人類が颯爽とデビュー。という訳には行かなかった。多くの異星人たちは地球人類より上位の階梯へと進化を進めていたから、その交流ネットワークは地球人類には理解不能だったからだ。だが、こういう事態は時折あるらしく、片田舎から出てきた、新参者で、余りに幼い種族である地球人類は、若い種族向けの教育係を務める幾つかの種族に預けられ、銀河で生きていく術を学ぶことになった。
勿論、こういう事態を面白く思わない人々も少なからず居た。
24世紀までに為された発明の数々の中には、28世紀の今の地球人類には失われた技術、ミッシングテクノロジーとされる、重力制御技術や時空の制御に関する技術など、自前の技術として喉から手が出るほど欲しい、オーパーツ的な発明も幾つもあった。だから、進化の階梯など恐れるに足りないと傲りを持つのは、致し方ない事でもあったからだ。
そして、そう言った不満は、やがて具体的な形に変貌していった。
§
幾ら存在を明かして有名になったとはいっても、宇宙港を猫の姿のまま歩くのはいろいろ厄介事があったから、まるは仕事での外出時、仕方なく人型プローブを着用する機会が多くなっていた。特に会食などの場では、人間と同じ食事が出来ないととても不便だったため、外交目的で外に出る場合は大抵人型プローブを使うようにしていた。それに、人型を解除して猫の姿になったり、再びプローブを着用して見せたりは、一種のパフォーマンスとして客に大きくウケていたので、商談を盛り上げるためにも一役買う場合が多かった。マルティナ装備が美少女で通る容姿であることも、ニーズに大きく貢献した。
しかし、こと今回に関しては、別のプローブを用意したほうが良かったかな、と、まるは若干後悔をしていた。会食の相手は織田氏だったからだ。
織田は織田で、まさか自分が求婚した相手が猫だとは思っていなかったこともあり、一時期は顔に泥を塗られただなんだと、連絡を入れるたびに騒いでいた。彼に心の整理と反省心が少し芽生え、ようやく落ち着いたのはここ数日の話である。だから、彼から会食の申し込みが有ったこと自体が、まるにとっては青天の霹靂ではあった。
「BLから連絡が入って来たって本当?」
着席するなり、儀礼も何もかもすっ飛ばしてまるは聞いた。織田はせっかくセッティングした場所を無視されたことに関して、苦々しい顔をした。
「……ああ、そうだ」
目の前の一時は求愛をした相手の顔が作り物である、というショックからは、彼は精神的には立ち直ってはいなかったが、敢えて理性で押さえつけている状態である。だから、彼女のそっけない態度にはショックを隠せなかった。それでも、現状を考えて何とか体面を保って返事をした。彼の辛そうな表情を見て、まるはちょっと情報をがっつき過ぎたことを後悔した。
「色々御免なさいね、私みたいなクソ猫相手に。でも今は緊急事態、私にもあまり色々配慮している余裕が無いの」
自らをクソ猫呼ばわりしたまるに、彼は咳ばらいをした。
「今でも、マルティナへの思いは残っている。だが、幻想だったと分かっていても、君に無礼を働く気はない。それに、緊急事態は重々承知している」
どうやら、織田はマルティナとの件は、破れたロマンスの一つとして考えようとしているらしい。まるも内心苦笑しながらその考えに乗るしかないなと思った。
「ありがとう」
「それより、別の厄介な猫の件だ。これが奴から来たメッセージだ」
織田は賽子の様な端末をテーブルに置いて軽くクリックした。端末はあっという間に立体……傲慢そうな錆猫の姿に変わった。
「あらあ、まるじゃない」
まるはとっさに身構えた、しかし、織田がそれを制止した。
「大丈夫だ、状況対応型のAIが搭載されているメッセンジャーに過ぎない」
錆猫は、しなを作って織田氏を流し目で見、それからまるを嘲笑するような上目づかいで見た。
「織田さん、解説感謝するわ」
まるはちょっとイラッとした。
「私に直接話し掛ければ済むんじゃないの?」
「そういう訳にもいかないわ。だって、狙うのは織田さんの持ち船ですもの。まるこそどうやって護衛するのか見ものだわ、だって船は〈欧蘭〉の宙域に居るのだから」
げ、という顔をするまるに、織田は頭を抱えるジェスチャーをして見せた。
「わが社は4大通商圏全てに支社が有る。今回の積荷は軍需的にとてもデリケートなものだ」
まるは眉間にしわを寄せた。
「大変な積荷の様ね」
「ああ、大変だとも。23世紀末のミッシング・テクノロジーだからな」
まるの目が零れ落ちるくらい丸くなった。
§
後世の人々から皮肉を込めて「地球人類の支配者(Ruler Of Earth Humanity)」、略して〈ROEH〉と呼ばれている傲慢な地球人類の一握りは、お互いに覇権を求めて争いを始めると同時に、地球人と生存領域を重ねている異星人たちに対して、あからさまな武力行使や、その生存領域にエネルギー障壁を張り巡らす等の、具体的な手段を使った排斥を始めた。
だが、多くの異星人は、地球人類より上位の階梯に進んだ生命体であるため、物理的攻撃にはほとんど無傷であったし、中間の障害物を無視して瞬時に何光年という距離を移動することが出来たから、〈ROEH〉の行動に対して、ほとんど関心も寄せないような態度を保っていたため、〈ROEH〉たちは更に怒りを募らせることになった。
異星人の態度に対し、〈ROEH〉たちが団結して立ち向かうかと言えば、幾ら攻撃しても豆腐に鎹な態度の異星人への干渉は減り、その分の労力はお互いの覇権争いにつぎ込まれることになって行った。
そして、24世紀の初頭、〈ROEH〉たちはついに全面戦争へと移行した。〈全圏大戦〉の始まりだった。地球人類同士が、周囲の生命体に迷惑を掛けない方法で、勝手に戦争をしていたなら、この戦争は地球人類の半数を焼き尽くし、さらに何十年も続くような戦争に変わっていたかもしれない。だが、戦いは無差別に惑星や恒星レベルの天体を破壊するようなものにエスカレートしていった。そうやって人類の居住惑星以外にも戦禍を拡大するような無節操な戦闘を行った結果、超然と構えていた筈の地球人類圏と生存域をを同じくしていた異星人たちが切れた。
『餓鬼ども、いい加減にしろ』
という訳だ。
開始からわずか2年程度で、〈全圏大戦〉は強制的に終結させられた。
地球人類社会を網羅していた超空間ゲートは必要最低限のいくつかを除いて撤去され、その生存領域は4つに分断された。もっとも、こういった暴走は年若い種族には少なからず発生する事態らしい。言ってみれば「反抗期」のようなものだそうだ。以後、地球人類社会にはいくつかの監視機構が駐在することになった。
そして、未だに地球を中心とした社会構造だった地球人類社会は、強制的な国家の移転、解体を断行されることになった。選択は〈ROEH〉を除外した市民たちに委ねられて、後に〈第三渦状腕調停組織〉と呼ばれる機構がその管理に当たった。
最初に、中国の侵略を乗り切って独立を守ってきた、日本を中心とした極東地域と、それに協賛する西欧諸国の一部が、もっとも銀河中心に近い領域を割り当てられた。のちの〈大和通商圏〉である。
英、米を中心とし、英語圏として経済共同体を欲した国々がその次に移転を決行した。これが〈連合通商圏〉の元となった。
いくつかの妥協の産物を乗り越え、西欧の過半数、北欧の殆ど、ロシアの一部などが基礎となって、分割先への意向を表明し、これが〈欧蘭通商圏〉となった。
最後まではっきりとした態度を決められなかった国々を中心に、最後の通商圏〈地球通商圏〉が設けられた。
故郷である地球への憐憫は、どの国にも少なからずあった。それを断ち切れたのは、彼らが拠り所にしている地球上の遺跡の移築を瞬時に行い、その代りに、広大な土地を与える。という異星人からの通達が大きかった。
其々の通商圏への人員、遺跡の移動は瞬時で行われた。後にこの日は〈地球人圏分割〉と呼ばれるようになる。そして、それから50年の間、通商圏間の移動は制限された。その「鎖国」の間に、通商圏は大きく変貌していったのだった。
§
ミッシング・テクノロジーとは、狭義には、24世紀初頭に地球人類の生存権全体を巻き込んで繰り広げられた〈全圏大戦〉と、その直後に異星人の手によって行われた〈地球人圏分割〉の際に、戦禍により失われた技術や、人類を保護監察下に置くにあたって危険と判断されて人類から抹消されたはずの技術の事を指した。
「現存しているなんて噂は、ただのオカルトだと思っていたわ」
まるは完全オフラインの目録閲覧室に向かう最中に、織田にそう言った。通信が遮断されるために、人型プローブは使えないので、まるは猫のままである。
「閉鎖的な〈欧蘭〉だからこそ成し遂げた成果だともいえるかな」
織田は淡々と高シールドエリアに向かって下りて行った。
「このシールド自体が一種のミッシングテクノロジーに当たるんだろうが、巧妙にカムフラージュされているらしい。問題はその奥に眠る目録だ」
「だって、ミッシング・テクノロジーは〈地球人圏分割〉のときに、徹底的に篩に掛けられたんじゃないの?」
「隠し場所が問題だったのさ」
そう、地球人の居住エリアは徹底的に走査され、篩に掛けられ、有害と認められるテクノロジーは封印させらてた。
「徹底的に探索、走査されたさ。地球人の居住エリアは、な」
まるはその意味するところを把握するために2秒ほど考えた。
「そんな……地球人の領域以外に隠すって……」
「人類の到達していた筈の速度を大きく超える超光速船に乗って、脱出していた一派が居たのさ」
「ビヨンドドライブですらつい先日やっと使えるようになったばかりなのに」
「光速の一千万倍で5分間動けるとか言うあれかね? 高々1.6光年じゃないか。ミッシングテクノロジーの船は、好きな場所に向かって、一瞬で1万光年を踏破したそうだ」
まるはため息をついた。
「その技術だけで、今の通商圏のバランスは瓦解するわね。でも、地球人圏を脱出した飛翔体も全部チェックされていたんじゃない?」
「全部かどうかは分からん。結構ざるだった可能性はあるな。現に私の手元には現れたのだから」
まるは背筋の寒くなるような事態を考えていた。神出鬼没に時空をどういう方法かで辿って移動できるBL自体がある種のオーバー・テクノロジーなのである。
<ミッシング・テクノロジーとオーバー・テクノロジーの衝突か、ろくでもないことになりそうね>
「それで?」
まるは要点をまだ聞いていなかった。
「〈大和通商圏〉の中枢に問い合わせたら、君の船を紹介されたよ。……彼らが狙っているものは、超光速ドライブよりずっと危険だ。業務を始めたばかりの私掠船に謎任せられるのかと問いただしたよ」
最後のロックを解除すると、分厚いフィールドが解除されて、中への進入口が開いた。
「そしたら?」
「〈コピ・ルアック〉のクルーがどれくらい優秀かは知っているだろう? と切り返された」
まるは尻尾を曖昧に振って返した。織田はその真意を測りかねていたが、まるは特段、自分の印象を説明する気もなかった。何しろ、その評判がむず痒かっただけなのだから。
「さて、これだ」
立体画像で表示された目録は、見ただけでもその異様さが分かるものだった。
「なに……よ、これ……」
「生物兵器らしいな。時空構造を食い荒らす化け物を捕えて研究、独自に改良して培養したらしい」
まるの目の前には、立体映像でも二度とは見たくなかった怪物の幼生が何千と犇めいていた。
(続く)
私掠船の船長になったまるの前に現れたブラック・ラスター。そして、通商圏に広がる不協和音。事態はよりハードな方向に展開していきます。