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航宙船長「まる」  作者: 吉村ことり
孤影悄然のまる ――21世紀とまる――
48/72

第48話「孤影悄然のまる20:出し殻珈琲は猫砂に?」

長々と続いた「孤影悄然のまる」シリーズ。

最終話特別編、2万文字でお届けします。


(承前)


「船長、お帰りなさい」

 ラファエル副長の出迎えに軽く「にゃっ」と鳴いて、まるは船長席に急いだ。

「挨拶は後で、琥瑠璃こるりがさらわれたわ」

 そう言いながら船長席に着くまる。その言葉に少し蒼褪めつつも、ラファエル副長も努めて冷静に返す。

「こちらでも阿於芽あおめが連れ去られました」

 まるは目を真ん丸にしてラファエル副長を見る。しかし恐らくは何もできなかったのだろうと思い直し、呪詛の言葉を飲み込んだ。

「羽賀氏の最悪の予感的中ね。ああ、にゃんたさん。矢田さんを睡眠学習機に、秋風君は必要な基礎知識を見繕って。彼女は動物関係のエキスパートよ、成り行きで連れてきてしまったわ」

 まるは現状の積み残しを的確に指示していく。

「分かりました」

「太田君、船の状態は?」

「無理な距離を短期間で飛んだためナセル2本焼損、先程高熱の物体がブリッジに現れた際、ブリッジの一部を焼失、中枢機能シャブランは正常駆動。武装は急ピッチで自動修理が進んでいますが、重核子砲門20問が使用可能、次元転移砲は修復率20%です」

「良くないわね。ピンインは秋風君の補佐に、ボーテは火器管制チェック」

「まる、ちょっと!」

 忙しく指示を飛ばすまるを、神楽が呼び止めた。

「あら茉莉、いつ来たの?」

「あら茉莉じゃないわよ。何がどうなってるのかさっぱりだわ」

「土岐さんから大まかな話は聞かされたはずよね」

「ええ、何で知っているの?」

「羽賀さんからそう聞いたわ。ごめん今猛烈に忙しいの」

 まるのそっけない態度に神楽は腰に手をやってあからさまに不満のポーズをとる。猫というのは不思議なもので、周囲の人間の感情に敏感だ。まるもご多分に漏れず、神楽の不満に気が付いた。

「私からすれば、3週間ほどしか経っていないけど、あなたの主観時間だと久しぶりになるんじゃないの?」

「邪険にしたくてしているわけじゃないの。大切な仲間を奪還しなきゃいけないし、世界に――」

「はいストップ。まる、あなた猫よね?」

「――猫よ」

「気負いなさんな。あなたのアドバンテージは猫という点に集約されていると思う。猫はどんな生き物なのかな?」

 まるは虚を突かれた。そしてしばらく考えて、じっと神楽を見る。それから深呼吸をした。

「有難う、茉莉。いろんなことが立て続けに起きて、自分を見失っていた」

 神楽はにっこりと笑うと、まるの頭を撫でた。

 まるは通信機を前脚に掛けると通信チャンネルをオンにして言った。

「はーい、全員手を止めて」

 ブリッジを動いていたスタッフは止まり、機械の動作音だけが響いた。

「現在対峙している敵は、いまだに不明です。敵はどんな時空間からでも攻めてくる可能性がある。防御は現状不可能」

 言葉を切る。全員が静聴してる。

「しかし現状では猫2匹が拉致された以外、我々に変化はありません。一時期拉致されていた土岐氏も、羽賀氏の力で復帰しています。連れ去られた2匹の行方は不明。こちらから打てる手はありません」

 そしてため息をついて、続ける。

「挙句、頼みの綱の〈コピ・ルアック〉は、自分たちの手で満身創痍状態です」

 まるは脇に居た羽賀を振り返る。

「羽賀さん、羽賀さんから出来るアプローチは?」

「何もありませんね」

「という事です。我々の最大のワイルドカード、羽賀氏も打つ手がない。つまりお手上げです」

 ラファエル副長は何かを言おうと口を開くが、金魚のように口をパクパクさせた後、暫くして喋る努力を止めた。

「ということ。向こうからアプローチが有るまでは、我々は通常業務への全力復帰を目指します」

「船長! 阿於芽あおめ琥瑠璃こるりは――」

 加藤が必死に食い下がる。まるは頭を振った。

「私から出来ることは何もない。それとも、悲しそうに中空を見つめながら泣き続ければいいの?」

「――済みません」

「良いの、あなたが悪い訳じゃないんだから。さあ、386人の仲間を迎えに行って、それから船の修理。2週間以上操業を停止していた分、山のように事務処理が溜まっているはず。やる事は一杯あるわ。仕事をしましょう」


§


 それから1週間は、独立武装貨物航宙船〈コピ・ルアック〉は仕事に忙殺された。羽賀氏は羽賀氏で、参事官としての職務と調停組織への意見陳述などで飛び回っている。勿論、主要スタッフたちは2匹の猫の事を忘れたわけではなかった。幸いにして操業を停止していた間に関して負債は無く、むしろ「アレクシアの料理天国」に関する余剰の資金が入って来ていた。事の発端を作ったとして、織田氏がまる(未だに彼は副長のマルティナという人間だと思っている)に謝罪を入れてきた際に、まるが幾分か吹っかけたのだ。

 〈コピ・ルアック〉自体はと言えば、壊れた2本の上部ナセルは取り外され、代用のナセルは元からある2本とは不揃いなデザインだった。新しいナセルを発注はしたものの、特注品なので暫く掛かるらしい。武装の復旧は完了したが、秋風が何かを思いついて弄り回している。2代目人工知能のシャブランはよくやってくれている。だが、FERISフェリスのウィットに慣れてしまっている船員には、その多少無機的な口調には少し物足りなさを感じていた。

 成り行きとはいえ、予定外に連れて来られた矢田は最初混乱していたが、同じ21世紀からやって来たにゃんたが生活を共にしているため、徐々にこちらの世界での生活にも慣れてきたようだ。彼女を迷い猫時間線に結び付けていたくびきは既にない。恐らくはあの水族館での一件に深くかかわっていたのが原因だったのだろうという羽賀の推測だった。

 そしてまるは、長らく離れていた船長業務に復帰し、忙しい毎日を送っていた。


「船長、今回の件の貸借対照表に不備が」

 そう言いながら垂髪うない経理部長がスレート端末をまるの前に置く。

「えっと、ああこれね。使途は別途書類を後で提出するわ」

「尋常な額じゃないですよ?」

「分かってるわよ。取り敢えず問題ないから処理を進めておいて」

 そういうと、まるはコンソールに向かってマニピュレータグローブで目にもとまらぬ速度の入力を再開した。垂髪うないはやり切れないという顔をして話し出した。

「船長。いいんですか?」

「んー?」

阿於芽あおめさんと琥瑠璃こるりちゃんの件です」

 まるは手を留めず、振り返りもせずに答える。

「それは前に言った通り、今の私たちに打てる手はないわ。考えていても仕方のない事よ。第一、二人ともこの船の正式なクルーじゃないわ」

「でも琥瑠璃こるりちゃんは候補生じゃないですか」

「そう、あくまで候補生。出来れば帰ってきてほしいけど、私に何が出来るの?」

 垂髪うないは顔を真っ赤にして下がった。

「わかりました、失礼します!」

 踵を返して船長室から退出していく垂髪うないの背中をちらっと見て、まるはひとりごちた。

<ごめんね、今はまだ言えないの>


 皆一生懸命に働いていたが、どこかに空虚感が有った。まるの判断は正しいと思いながらも、どこかに裏切られた感じがしているのだ。船長は仲間を見捨てない。その考えにひびが入った。皆はそう思いかけていた。

 まるはふと、コンソールに向かう両前脚をとめた。見覚えのない差出人からメールが来ていた。まるはメールを開くジェスチャーをしたが、ブロックされている旨のメッセージだけが出た。

<開けない差出人不明のメール、か>

「そんなSPAMはこうだっ」

 まるはそう言いながら、メールをマニピュレーショングローブでつまんで、ゴミ箱に突っ込もうとした。

『おいおいおいおい、勘弁してくれないか』

 驚いたことに、3Dビューワの中のメールのアイコンがもがいて、手足を出して逃げ出した。アイコンにプログラムを仕込んで動かすことは不可能ではないが、それはそういうプログラムをインストールすればの話だ。通常ではそんな芸当は出来ない。そのアイコンは明らかにまるのコンソールに入り込んだ異物だった。

「やっとお出ましね」

 まるはビューワの中のアイコンを爪で突いた。

『おっと、残念ながら私はただのメッセンジャーでね』

「じゃあさっさと繋ぎを取りなさい、二人は無事なの?」

『心配か?』

「ええ、当然でしょう」

『あっさり切り捨てたのかと思ったがな』

「あなたメッセンジャーなんでしょ、余計な会話は不要なんじゃない?」

『これは失礼。では』

 ずるずるっと引き込まれる感覚。

「あっ」

 気が付くと、まるは3D画面の中に居た。


§


「何これ、面白い」

 まるが発言すると、それは文字になって3D画面に浮いた。

『遊んでるんじゃない、こっちだ』

 メールアイコンが彼女を引っ張った。

「分かったわよ、引っ張らないで、痛いわ」

 痛覚が有ること自体まるはびっくりした。現状、自分がどういう物理状態なのかはさっぱりわからなかったが、奇妙な法則に則ってネットワークを歩いて移動できるようになっているのは知覚した。自分の身体をしげしげと眺めたが、描画のピクセルっぽい処は無いにしても、シェーダーが掛かっていて、通常の陰影とはちょっと違う。おまけに二頭身だ。自分の顔が見れないのが悔しい。

『だからあちこち触ったりきょろきょろしてるんじゃない、ほら着いた、ここだ』

 見るとそれはフォルダーだった。

「……これ私の仕事フォルダじゃない」

『ああ、そうだ。中に入れ』

 メールアイコンに突かれて、まるは中に入った。

 フォルダの中には色々と雑多なファイルが有った。仕事上身に着けた癖によって、ある程度は整理してあるが、まるがせっつかれて進んだのは未分類フォルダの中。

『お前、未分類フォルダの中きったないなぁ』

「ほっといてよ」

『ちょっと待ってろ、ここは単なる入口だ』

 そう言いながらメールアイコンが未分類フォルダに散らかるファイルを掘り起こしてる絵面は何ともシュールだった。

<不思議の国のアリスのでもなった気分ね>

『よしこれだ。ここが本当の入口さ』

 それは古い日付のファイルだった。まるの記憶に何かが「つきん」、と刺さるような感覚が有った。まる自身のインプラントに収められている記憶は、生体のそれと違って欠損することはないが、古い記憶はより圧縮された形に置換される。だから、古い古い記憶を掘り起こすときには、意識の遅延が痛覚に似た感覚を呼び起こしてしまう。

「このファイルって……」

『そ、お前が遭難した時に初めてつけた日誌。さあ、このファイルを開くと目的地だ』

 ファイルが開かれると、まるの記憶も開かれた。


§


 いくつもの可能性が有った。

 そこに羽賀氏と土岐さんの特殊な要因が働いていたのは間違いない。まるが知性化された事故。彼女はその可能性の中から生き残るための取捨選択をいくつもやった。選択の度に選ばれなかった可能性の先には死が有った。そう、悪夢のような展開の最中に見たミイラ化し、風化してしまった自分……ああいう可能性は無数にあった。

 奇跡のような選択を積み重ねた先に今のまるは在った。

 そして、そこは選択から洩れた無数の世界が垣間見える空間だった。

「あらまる、やっと来たのね」

 聞き覚えのある声がした。

「……さびまる……」

「面白いでしょう、ここ。蓋然性の低い世界が無数に見える。時空列の墓場とでもいえばいいのかしら」

「一つ一つの判断はその時点で最善だと今でも信じているわ」

「そう? でも、あらゆる人々のあらゆる判断が常に最善なわけはないわ。でも――」

 さびまるは、くるりと周りを見回す。

「特定の時空列が自分たちの思う規範から離れては困る連中がいる」

「銀河第三渦状腕調停組織、とか?」

「それもその中の一つね。直接利害のぶつからない者同士で緩い同盟が作られている」

「がんじがらめになっている、とか?」

「そんな事はないわ。彼らも馬鹿じゃないから、時空の揺れ幅には凄く寛大。自分たちの利害や存続に直接影響のない事には干渉しない。……だけど、奴に対しては違った」

「奴?」

「私をこんなにした糞ったれの事よ。奴は規範を保全したい連中、〈コンサベーターズ〉とでも言おうかしら、彼らに対して致命的な存在なの」

「致命的?」

「奴は時間を流れに沿って進まない。事象的特異点(アノマリー)を辿って縦横無尽に動き、そして事象的特異点(アノマリー)に種を植え付けて繁殖する、純粋な化け物」

「化け……もの」

「そう。あなたは今まで戦った敵を殺さず、あまつさえ仲間にしてきた。でも今度の相手はそうはいかないわ。何せあなたが拠り所にしているものすべてを破壊して、それを糧として生きることを至上としている純粋な化け物と、その化け物に産み落とされた私ですもの」

<この(おんな)、何を勝ち誇っているの?>

「御覧なさいよ、これが阿於芽あおめ琥瑠璃こるりのなれの果て」


§


「船長に連絡が取れない?」

 ラファエル副長は五条物流部長からの報告に首をかしげていた。

「ええ、在庫チェックの書類に承認を頂こうと思ったのですが、メッセージを送っても返答なかったので、船長室も覗きに行って――」

「不在だった?」

「そうです。また何処かにヘッドセット無しで迷い込んでおられるとか……」

「最近は極小型を就寝時も身に付けておられるし、執務時間中だから外しているというのは考えにくいな」

 会話を聞いて、太田航宙士が備品と一緒に、ドールの購入をしていたのを咎めに来ていた、垂髪うない経理部長が振り返った。

「あら、船長なら5分ほど前、船長室で会いましたよ? コンソールで何か作業されていましたけど」

「じゃあほとんど入れ違いだったのか」

「そんな筈は――、船長はどこにも居られませんでしたよ」

「机と壁の間に挟まって狭さを体感してらっしゃるとか?」

「それはもう飽きたって言われてませんでしたっけ」

 垂髪が首をひねっていると、太田が軽口を挟んできた。

「取り敢えず、船長室の隙間という隙間を確認してみたほうが良いかもしれない」

 ラファエル副長は苦笑いをした。まるは偶にそういう処に挟まって執務中に考え込んでる時がままあるからだ。しかし、コンソールを使って作業中だった、という事だと、ちょっと違う気がした。通信機を手に取り、船長室を呼び出す。

「まる船長、こちらラファエル」

 返答はない。

「おかしいな」

 まるのヘッドセットの個体番号を入力して再度呼び出し。

「まる船長?」

 返事が無い。ラファエル副長の中のスイッチが入った。

「異常事態。船長が行方不明だ」

 そして、ひと時の偽りの日常は吹き飛んだ。


§


 さびまるが指示した先には淡い緑色の光る繭の様なものが二つ。

 まるは近寄って匂いを嗅ぐ。微かに阿於芽あおめ琥瑠璃こるりの香りが残っている。

「中でどうなっているかは私にも分からないけど、繭だしねえ」

「変態してる、とでも言いたいのかな」

「まあ、猫は虫じゃないし。そうとも言えないけれど?」

「ねえ、阿於芽あおめ! 琥瑠璃こるり! 意識はある?」

「黒猫さんなら、意識が有るならとっくにそんな状態を脱しているのじゃないかしら?」

<まあ、阿於芽あおめがその気を出せばね……という事は、意識が無いのかな、それとも動けないのか>

 まるは繭に触ってみた。ほんのりと温かく、弾力を感じる。最初は非実体的なものかと思ったが、実体はあるようだ。思い切って爪を立ててみる。ぷすり。まるの爪程度の物でも簡単に刺さった。

阿於芽あおめ、中でドロドロになってたらごめんね>

 思い切って刺さった爪をそのまま引っ張った。つーっ、と、繭が裂ける。

「ばしゃあっ!」

 勢いよく液体が流れ出す。

<やっちゃったか? 御免、阿於芽あおめ

 だが、それは羊水のようなものだったらしい。中にはまるで生まれて半年もたたない仔猫の様になった阿於芽あおめが入っていた。痙攣し始めたので、まるが慌てて背中を叩くと、「けほっ」と液体を吐き出して呼吸を始めた。

「あら可愛い」

 さびまるは平然と言った。

「私が手を掛けるのを黙って見てたわね」

 まるはそういうと、さびまるを睨みつけた。

「だって、私は回収してくることだけ条件として提示されてたの。その後どうなろうが知ったことではないわよ」

 まるは構わず琥瑠璃こるりの方も引き裂いた。琥瑠璃こるり阿於芽あおめとは逆に少し成長して、今の阿於芽あおめと大差ないような外見に育っていた。やはり背中を叩いて呼吸をさせたが、2匹とも意識が戻る気配はない。よく見ると、琥瑠璃こるりの方の羊水には何かチップが落ちていた。知性化用のインプラントチップだ。

「2匹ともただの仔猫ちゃんね。黒猫ちゃんに寄生していた知性体はどこに行っちゃったのかしら」

 琥瑠璃こるりはここ数日の色んな事柄を、阿於芽あおめはその経験毎全てを、失ってしまったのだろうか。

「まあ、そのインプラントチップは保存しておく事ね。確か通電無しでも内容は保持している筈でしょ」

 まるにはこの一言がピン、と引っ掛かった。悪役を気取っているが、この子は明らかに数回、琥瑠璃こるりに気を配っていた。

「あなた、琥瑠璃こるりに何か呟いていたわね、御免なさいとか」

「何でもいいじゃない」

「嘘。あなたはこの子の母親と知り合いだったのよね?」

「何であなたがそんな事を気にするの? どうでも良い事よ」

「どうでも良くなんかない。あなた、琥瑠璃こるりとどういう関係?」

「……琥瑠璃こるりは私の姪、この子の死んだ母親は私の妹」

「血縁、か。色々納得したわ。でもそれをなぜ敵に売り渡すような真似を――」

「仕方ないじゃない! そうしなければ私もこの子も死ぬ。そういう選択肢だったんだから!」

 まるはあっけにとられた。

「たとえこの子が数日を失っても、また生きていけるなら、それを選ぼうと思うわよ。この子の母はこの子を健康な普通の子に育ててほしがったみたいだけど、あなたの元に行ってもそれは出来ない。残念だけど私もそれはこの子にしてあげられない、でも、生かしてあげることは出来る。私が付いていてあげることは出来る――」

「そしてあなたの隠者のような生活に巻き込むのね」

 まるが言うと、さびまるは鼻を鳴らした。

「何言ってるの、あなただって隠者じゃないの、表舞台にはあのイタリア人を飾って、あなたは裏で糸を引く。知性化した猫さんなんていませんよという風に振る舞う。琥瑠璃こるりも同じ目に合わせるのよね?」

 まるは痛い所を突かれた。まるが隠れている限りは、琥瑠璃こるりも当然「いない」ことにしなければいけない。突然さびまるが腰を低くした。まるを黙ってじっと見つめている。まるは首をかしげた。錆まるは口をパクパクさせながら周囲を見回すような動作をした。何かを言いたいのだが、決心がつかないという感じだ。だが、意を決して言葉を発した。

「奴が一番恐れている事はね、まる。あなたの身の振り方ひとつで決まるの」

 そこまで言った瞬間、さびまるはもがきだした。まるで見えない何かに全身を握りつぶそうとされているかのようだ。

「畜生! 奴は力をつけて、この2匹を媒介に! まる、あんたは嫌いだけど、お願い、猫を守って!」

 次の瞬間、さびまるは空間に飲まれるように掻き消えた。


§


 〈コピ・ルアック〉ブリッジ内では緊迫する空気の中、加藤がレーダーを確認して叫んでいた。

「識別不明の航宙船が接近中! 通信を傍受しました」

『こちら〈大和通商圏〉筆頭参事官、羽賀です。本船の収容を要請します』

 通信を聞いてラファエル副長が応える。

「了解しました、直ちに収容開始します」

 収容直後、羽賀はドックから指示を出した。

『ラファエル副長、それと秋風技術部長。どこに向かってもいい、今すぐに長距離の超超速度航行(ビヨンドドライブ)をお願いします』

「こちらラファエル、秋風君?」

『聞こえています、了解です。航路上に問題が無い方向の計算を開始しました、15秒後に始動できます』

 ラファエルはこの言葉を聞いて太田航宙士の方を振り返った。

「太田君、15秒後に秋風君からのデータに合わせ、緊急ビヨンドドライブ始動!」

「了解です」

「船内各員に告ぐ、これから10秒後に緊急行動に出る。直ちに身体を何かに固定せよ」

『上部の代用ナセルは使えません、残りの下部ナセルを焼き切る覚悟が必要です』

 秋風の確認にラファエルも意を決して応える。

「構わん、やってくれ」

『準備完了しました』

『ビヨンドドライブ始動、目標、どこか彼方へ!』

 〈コピ・ルアック〉は通常空間、及びワープ中に使う亜空間のいずれからも姿を消した。


「時空改変から逃れる為です」

 ブリッジにやって来た羽賀氏が説明した。側らには土岐氏と神楽女史、そしてなぜか土生谷はぶや躑躅森つつじもりまで連れて来ていた。

「まるで同窓会みたいな顔ぶれですね。――改変から逃げるなら、亜空間でも良かったのでは?」

「時間改変からだけならそれで逃げられますが、並行宇宙を通っての侵略からも逃れる必要が有ったのです。幸い敵はまだ超超速度航行(ビヨンドドライブ)中の船に対して干渉する方法を知りません」

 そういうと辺りを一瞥して話を続けた。

「まるさんは?」

 ラファエル副長は目を瞑ったまま頭を振る。

「行方不明です」

「そうですか……恐らくは敵の本拠に連れ去られた可能性が有りますね」

 羽賀氏はそう言った後、くるっと見回して付け加える。

「あるいは自分から行ったか」

「船長室から忽然と消えた、としか思えない状態です」

「ふむ。ラファエル副長、船長室に案内してください」

 ラファエル副長は頷くと、羽賀氏を連れて船長室に向かった。


§


 まるの居る場所は、何もない場所だった。光源は何処から来るのかわからない。だが2匹の仔猫とまるにはぼんやりと光が当たっている。さびまるが消え、辺りは静寂が包んでいる。

「2匹が、媒介――」

 まるは意識の戻らない琥瑠璃こるりの頭を撫でた。阿於芽あおめも息はしているが、意識が戻る気配はない。

――どくん。

「何?」

 部屋全体が脈動したような、胸を締め付けられるような感覚。

――どくん。

 阿於芽あおめ琥瑠璃こるりが幽霊のようにふらりと立ち上がる。

「お出ましかな」

 まるはぐるぐると周りを警戒し、「うるるるるるるるる」と警戒の声を上げる。

『マル、ト、呼ベバ良イカ?』

 2匹からユニゾンの声が漏れる。

<2匹を媒介に――>

阿於芽あおめ琥瑠璃こるりを離して!」

『物質世界ニ干渉スルニハ、肉体ガ必要ダ。殺シハシナイ』

「だいたいあんたおかしいわよ、猫を媒介にするなら、ニャーとでも鳴いてみなさいよ」

『無意味ダナ。オ前モ地球人ノ言葉ヲ喋ッテイルデハナイカ。獣ヲ模倣シテモ仕方ガ無カロウ?』

「そうね」

『私ト対峙シテモ臆シテイナイナ』

「ええ、そんなに怖くない事に気が付いたから」

『ホウ?』

「いろいろおかしいと思っていたんだけど、あなた時空を自由に動き回れるわけじゃないのね」

 そう、奴には媒介が必要だ。その点でいえば羽賀さんの防衛策は半分ほどしか当たっていなかった。どんな時空に居るかが問題ではなかったのだ。

『気付イタカ、マア当然ノ推論ダナ』

「ええ、なぜ私たちを殺さないか。殺さないんじゃなくて殺せないのよね。あなたの目的はすごくシンプル。己の生存。そのためには糧となり、媒介となる相手が必要なのよ」

『ホホウ』

「その相手とは。土岐さんや、私やその2匹みたいな。事象的特異点になる生き物」

『少ナ過ギル情報さんぷるカラノ、不正確ナ推論』

「そうね。でも私にはそれで充分」

<さて、相手についておぼろげに掴みはしたけど、圧倒的不利な状態に変わりはないわ。どうする私>

 まるはふと、その時思い出した事が有った。

「そう言えば、阿於芽あおめの半身は何処に行ったの?」

阿於芽アオメノ半身。アア、〈こんさべーたーず〉ノ一員ノ事カ。アレハ元ノ株ニ戻ッタ』

「元の株? ……羽賀さんの事?」

『恐ラク記憶モ引キ継イデイルダロウナ』

<羽賀さんに阿於芽の記憶が……おそらくここに来た記憶も含めて。もしそうなら……>

 まるは、ある賭けに出ることにした。


§


 船長室に入ると、羽賀はざっと部屋を見て、すぐにコンソールに目を付けた。

「このコンソールですね。時空間の歪みの形跡が有ります」

「ではそこから船長に――」

 一緒に来たラファエル副長がそう言ったが、羽賀は頭を振る。

「今は超超速度航行(ビヨンドドライブ)中。時空間は切り離されています。タイミングを合わせてドライブから抜けると同時に、一気にアクセスします。ラボとブリッジに直接通信を開いてください」

「――分かりました」

 壁のパネルを操作して、船長室の3Dビューワとラボを直結した。

「こちら船長室、双方向通信チャンネルをONにした。これからタイミングを合わせた作戦を実行する」

 3D双方向通信では地続きの部屋が出来たような外見になる。もちろん、実際に地続きな訳はなく、見た目だけが繋がっているだけだ。〈コピ・ルアック〉は船長、または副長の権限が有れば船長室から強制的に主要なブロックに対してこれを行う事が可能になっている。ラボの秋風とブリッジの面々は虚を突かれたがすぐに頷いて了解した。

「〈大和通商圏〉筆頭参事官を務めています、羽賀です。先程から超超速度航行(ビヨンドドライブ)を行っていますが、まる船長救出のために、船長室での操作と同期して、これを瞬間的に解除します。タイミングが重要ですので、ブリッジとラボの協力をお願いします」

『了解しました。船長室のコンソールとエンジン操作をリンクしましょうか?』

「残念ながら、コンソール操作ではありません。私がこれからコンソールを通じてまる船長のいる空間にダイブするのです。機械的な同期は出来ません。ドライブの動作状態を私が見て判断します」

 全員が頷く。

「私が消えたら、すぐに機体を反転して超超速度航行(ビヨンドドライブ)を再始動してください。ドライブから抜けた船内の土岐さんを探知されるまで、猶予はおそらく数十秒程度です」

『正確な時間は分からないのですか?』

「相手は生物です。ビヨンドドライブの前後は時空間が荒れている為、ドライブを切ってもしばらくは奴の探知から逃れていますが、ある程度の時間が経つと安定状態になって探知できるようになって仕舞うのです」

『相手はアナログ、ですか……』

「こちらも私のアナログです。運を天に任せるようで申し訳ないですが」

『仕方ありません、最善を尽くしましょう』

「よろしくお願いします。では、早速始めましょう」


§


<羽賀氏と阿於芽あおめが再統合、なんてことは出来ないと思う。出来るなら羽賀氏が昔にとうにやっている筈。では、羽賀氏の元に阿於芽あおめがやってきたら? 取る行動はひとつ。ここを目指すはずだわ>

 まるは自分のその推理に賭けた。

『サテ、君ハモウ抵抗出来ナイ』

「私も『喰う』の?」

『君ヲ喰う? 何ヲ言ッテイルンダ? 私ハ君ノ行動ニヨッテ生ミ出サレタ可能性ヲ頂ク』

<可能性を喰らう、か。ロクでもない化け物ね>

 悪態をつきながらも、まるは平静を装いながらずっと考えていた。

<問題は、この空間に外部の通常空間との時間的繋がりが有るかどうか。有るとしたらそれは何処を軸にしているのか。阿於芽あおめがやって来たとしても、この時間に同期していなかったらおしまい>

「へえ、じゃあなぜ阿於芽あおめ琥瑠璃こるりはあんな風になっちゃったのかしら?」

『彼ラニ植エ付ケタノハ、私ノ次代ノ体ヲ宿ス種ダ。彼ラノ過去・未来ノ「時間」二含マレル可能性ヲ吸収シテ種ハ成長スル。2匹ハトテモ良イ過去ト未来ヲ持ッテイタ」

<ああ、哀れな阿於芽あおめ。その苦難の歴史はこんな化け物の養分になったのね>

 と考えつつも、まるは内心苦笑いをしていた。

<彼には恐らく記憶は残るけど、実体験から育ったあのひねくれた性格は多少なりと矯正されてしまう? 

あの性格が鼻についていたのは事実だし、素直で、尚且つこんな可愛い盛りの仔猫になるのなら、それはそれで喜ばしいの……かな?>

「じゃあ、2匹はなぜ目を覚まさないの?」

『2匹ハ、次世代ノツガイトナル種ヲ宿シタママダ。種ガ芽吹ケバ自然ト目ガ醒メルサ』

「ちょっと待って、その種が芽吹くって――」

『繁殖ノ時ダ。私ノ知識ヲ持ツ無数ノ若イ個体ガ、コノ銀河系ニ満チ溢レルノダ』

「それって、全部猫を狙う?」

『個体ハ其々嗜好ガ異ナルダロウ。全テノ可能性ガ、私ノ種族ヘノ糧トナル』

<うわ嫌だ、こいつ今サラッと恐ろしい事を言ってのけた>

『トコロデ君ハ、会話ヲ引キ伸バシテ、助ケガ来ルノヲ待ッテイルノカネ?』

<あら、ばれてるし>

『残念ダガ、ココハ君ノ知ッテイル時空ノ、ドコトモ繋ガッテイナイ。待ツダケ無駄ダ』

<やだ、最悪パターンか。万事休す――>


 まるが心の中でお手上げをしたその時だった。

「騎兵隊登場!」

 およそ似つかわしくない台詞と共に、空間の一角に羽賀氏が出現した。


§


「羽賀氏の消失を確認! ワープシェル展開、緊急旋回180度!」

 太田の操船センスはピカ一であり、ワープシェルを展開することで、旋回時のGを殺し急速旋回を可能にしていた。旋回終了とともにワープシェルを解除すると、ビヨンドドライブを始動した。その間5秒。

 だが、始動したビヨンドドライブは偉く不調だ。

「どうした、船が安定しない!」

 太田がラボに通信を入れる。

『済まない、どうやら下部ナセルを使わないつもりでやっていたビヨンドドライブ時に、下部のナセルもダメージを蓄積していたらしい、保って数分だ』

「いまさらそんな泣き言は聞きたくないね。今ドライブを抜けてしまったら土岐さんがターゲットになって作戦が失敗してしまうんだろう? 君も〈コピ・ルアック〉の朝食会議のメンバーの筈、そんな事で良いのかい?」

『くそう、分かったよ、その代わり船体全体のダメージは避けられない。覚悟を決めてもらおうか』

「最初から秋風に命は預けてるよ」

『そうか、じゃあ、何とかするしかないな』

 二人の会話を、ラファエル副長は目を細めて見、そして少しだけ釘を刺した。

「今は客も乗っているので、人死にが出る様な無茶だけは避けてください」

『了解しました!』

 やがて船は安定を取り戻し、一路〈大和通商圏〉の〈らせんの目太陽系〉に向かって飛び続けた。

<しかし、羽賀氏の言うとおりに飛んでいるんだが、なぜ〈地球〉が目的地ではないんだろう……>

 ラファエル副長は一抹の不安を覚えた。


§


阿於芽あおめ!?」

『クソ、ドウヤッテ』

「僕が身体から引き剥がされる時、時空間アンカーを自らの体に打ち込んでいたのさ」

<うわあ、こんな台詞が羽賀さんから出ると、違和感の塊ね>

 ちょっとドン引きしているまるを見て、羽賀が何かジェスチャーを送って来た。「いっ」と口を開いてその尋常ではなく並びの良い歯を指で突いた。その後軽く自分を指差す。

<ん? 歯がどうしたって……歯が……羽賀? 阿於芽あおめじゃなくて自分は羽賀だって言いたいのか! ……オヤジギャグ……ちょっと待って、じゃあ阿於芽あおめは?>

『貴様、アノ猫カラ別レタ超生命体ナノカ!』

 敵は引っかかったらしい。羽賀はこそこそと更にジェスチャーを送ってくる。

<ええと、キスして歯をイーッ、何かを引っ張る……キスじゃなくてチュウ、チュウイーか! こいつの注意を引け? 難しい注文ね……>

「ええと、ちょっと良いかしら。あなたの名前が分からないんで何と呼んだらいいのか」

『私ニ名前ナド無イ!』

「あ、そうなんだ。でも名無しじゃ話しにくいわ。……時空間を飛び回るから、ホッパーさんって呼んでいいかな」

「まる、相手は宇宙パトロールじゃないんだから」

 羽賀氏が一生懸命阿於芽あおめを真似て来るが、何だかよく分からないギャグ? が萎えさせてくれる。

『ドウデモイイ』

 不機嫌そうに「ホッパー」は応えた。

<それにしても何で阿於芽あおめの真似なんか……>

 気になって「ホッパー」の器になっている阿於芽あおめの肉体の方を見る。

<……あ>

 凄く分かり難い変化だったが、見間違いようもない。阿於芽あおめの前脚の肉球から小さな突起が伸びている。そして、変化は瞬時だった。

 阿於芽あおめの肉球から急速に伸びた触手は、あっという間に阿於芽あおめ自身と琥瑠璃こるりをがんじがらめにした。

「やった!」

 まるが叫ぶ。

「上出来です」

 そう言いつつも、羽賀氏は警戒を怠らない。

「僕の、力では、ギリギリ拘束する程度、しか、出来ない。羽賀さん、早く、停止フィールドを!」

 阿於芽あおめに言われた羽賀は空中で何か操作する。途端に阿於芽あおめ琥瑠璃こるりが金属の様な光を放つ塊になった。

「停止フィールドを動作させました。敵の性質を阿於芽あおめが教えてくれたのでそれに合わせています。もう敵は動けません」

「よかった……じゃないっ! 阿於芽あおめ琥瑠璃こるりはどうなるのよ!」

「2匹を助けられるのは、あなただけですよ。まるさん」

<どういう事?>

 まるは困惑した。


§


「間もなく〈らせんの目太陽系〉外周部! ビヨンドドライブより出ます」

 太田航宙士が報告する。ラファエル副長は不安だった。羽賀氏から大丈夫、と言われているのだが、ビヨンドドライブから出て数十秒経つと、事象的特異点に敵の照準が向けられる。つまりは土岐さんが狙われてしまう。そればかりではない、羽賀氏が連れてきた人々は土岐さんほど強力ではないが、まると呼応して引き合った、特異点になりかけている事象の集約地点のような人々だ。彼らもまた、敵のターゲットになりうる。羽賀氏の指示で主要な人々は船長室に集まってもらっていた。これから何が起きるのか……。

「ビヨンドドライブ停止!」

 太田が叫ぶと、ブリッジに船長室から連絡が入った。

『こちら船長室のまる』

 待ちに待った声がした。

「船長! ご無事でしたか」

『ああ、副長。心配かけたわね。羽賀氏と2匹を連れて帰還したわ! 主要な人を停止フィールドで保護。まあ、気休めだけど』

「船長自身も危ないでしょう!?」

「ああ、それなんだけど、これから敵を倒しに行くわ。全速で惑星〈星京〉に向かって!」

 ラファエル副長は面食らった。時空間を自由にいじる敵を相手に戦うために、地球人類圏屈指のメガロポリスに向かえ、と言われたのだ。

「〈星京〉で間違いないんですか?」

『あそこには織田氏の会社の本部が有るでしょう? そこで決着よ』

 ラファエル副長の頭は混乱していた。


§


「説明している暇はないの。急いで!」

 まるはそれだけ言うとため息をついた。

「あーもう、頭固いったら」

「無理ないわよ、私にもさっぱりですもん」

 停止フィールド入りを免れている神楽と躑躅森つつじもりも困惑した表情を浮かべていた。

「私だって半信半疑だけど、羽賀さんが恐らくそれで間違いないっていうし」

 まるはすくっと4本足で立って、コンソールにひょいと飛び乗った。通信チャンネルを開くと秋風技術部長に呼びかけた。

「こちら船長室のまる、秋風君? プローブの用意はできる?」

「モバイルコントローラと構成要素のナノマシンですか? 船長室のクローゼットに呼びが入っていた筈です」

<あら、いつの間に>

 まるはクローゼットを開けると、モバイルコントローラを取りだしてシークレットポーチに入れ、スイッチを入れる。まるは人型プローブに包まれた。

「で、羽賀さん。何度も言うけどこれで本当に敵を倒せるのね?」

「さびまるが言っていたことが事実なら間違いありません」

 羽賀氏は淡々と答える。

<そうは言っても、私あいつ嫌いなんだよね>

 次の瞬間、警報が鳴り響いた。

『船長! 大至急ブリッジに!』

「無理! 私ここから動けないわ」

『では3Dビューで直結して指示を出してください。敵襲です!』

「……うそ」


§


 太さ100km、差し渡し3000kmのサイズの、鈍く虹色に光る巨大なのたうちまわるミミズ。それが敵だった。敵は無数の微少な(それでも差し渡し50mほどもある)うろこ状の飛翔体をコピ・ルアックに向けて発射していた。

「出鱈目な大きさだわ」

 まるがあんぐり口を開けていると、羽賀氏が淡々と説明する。

「あれが奴の正体です」

「あんなのが喋ってたの?」

「ああ、あいつ自身は喋ることは出来ません。阿於芽あおめ琥瑠璃こるりを媒介したから意思疎通が出来たんです」

「気持ち悪いわね……さっさと潰しちゃいたい」

「物理攻撃は効きませんよ。……今回は向こうからの物理攻撃ですが」

「ボーテ! 重核子砲全砲門開いて、敵から来る飛翔体を迎撃! 加藤君! 迎撃部隊発進!」

 加藤はもう一人の乗員と共に既にメインリフトに乗り、格納庫に移動中だった。

『加藤、格納庫に到着しました、亜空間攻撃艇〈カルーア〉出ます!』

 そしてもう一人の乗員からも連絡が入る。それは超重力低温生物。帝王グソクムシこと〈EXTR183〉の客員乗務員だった。

『「思索の杖」同じく格納庫から亜空間攻撃艇〈ティア・マリア〉で出ます』

 二隻は格納庫から飛び立つと、迫りくる飛翔体を片っ端から撃ち落し始めた。〈コピ・ルアック〉自身も30門の重核子砲で飛翔体を打ち落としていく。

「船長、私も〈渡会わたらい雁金かりがね・改〉で出ます!」

 ラファエル副長が居ても経っても居られずにブリッジを後にしてリフトに向かう。

「あーもう好きにして、とにかく急いで〈星京〉に向かう必要があるわ」

 まるは天を仰いで肩をすくめた。

「まるさん、どうやらその必要は無さそうです」

 羽賀がモニターを見ながら言った。

「船団が接近中。うち巨大な艦影が2つ。これは〈UTSFエンタープライズ〉と〈大自在天マヘーシュヴァラ〉ですね、交信を求めています。ここで『あれ』をやれば、織田氏の会社でやると同等か、それ以上の効果が得られるはずですよ」


§


「通信回線開け」

『こちら地球人類圏連合艦隊』

「地球人類……って?」

『異星人の侵略に対抗するために組織されました。民間船一人に人類の命運を背負わせていては置けませんから。之より参戦します』

「こちら〈コピ・ルアック〉、敵は物理攻撃では倒せません。本船には対抗措置が有ります。援護をお願いしたい」

『物理攻撃では倒せない……貴船の対抗措置を移譲して頂くことは出来ませんか?』

「出来ません」

『……しばらくお待ちください』

<この期に及んで軍隊でどうにかしようとか考えるのね、人って>

「まる! 阿於芽あおめの停止フィールドが!」

 船長室で停止フィールドに入れて隔離ていた人と猫のうち、阿於芽の停止フィールドに亀裂のようなものが走り、虹色の光が漏れ始めていた。

「羽賀さん……停止フィールドって時間の流れを遅くするんでしたっけ」

 まるは羽賀氏に尋ねる。猫であるまる自身は冷や汗を掛けないが、プローブはだらだらと脂汗をかいている。「こんなところまで再現しなくていいのに」と思うまるだった。

「そうですね。時空を操作する敵にどれくらい効くは微妙でしたが、やはり抑え込みは無理でしたか」

 相変わらず飄々と羽賀氏は返す。

「これって、何が起きるのかしら」

「恐らく停止している空間を周囲に転嫁して、崩壊させて逃げ出すつもりでしょう。ありていに言えば、爆発しますね」

「平然と言うわね」

「じたばたしても仕方ありませんしね。まるさんが決心をすればすべて終わると思います」

「……結局それなのね」

 まるはため息をついた。さびまるの言葉をヒントに羽賀氏と考えた策。それは、敵が拠り所としている事象を潰すことで、敵が糧としている、特異点に集まる矛盾を喰らえない様にすること。そして、その糧はまると、その周囲の人々の関係に根差していた。

「私の立ち位置を変える。か」

 ずっと成り行きに任せて避けてきたこと。

「通信チャンネルをONに」

 まるはそう指示して、頭の中のぐるぐるを整理していた。

「こちら独立武装貨物航宙船〈コピ・ルアック〉。地球人類連合艦隊に依頼します。この通信を近隣宙域に中継してください」

 まるはそういうと一息ついた。しばしの間をおいて、連絡が入る。

『こちら地球人類連合艦隊。現在先程の件を協議中なれど、要請を許諾。手短にお願いしいます』

<まったくこの連中と来たら……>

 まるは再びため息をついて~、本題に入った。

「了解しました」

 ここで一拍を置く。通信の向こうで息をのむような雰囲気が伝わってくる。

「〈コピ・ルアック〉船長はラファエル・チンクアンタではありません。彼は副長……」

 ざわっとした雰囲気。

「船長はこのマルティナ……いいえ」

 まるは映像に流れていることを承知で、人型プローブを解除した。

「知性化された猫、まるが〈コピ・ルアック〉の船長です」

 沈黙。

 そしてブリッジから報告が入る。

「船長、敵の様子が」

 3Dビューワの先で、ブリッジの巨大球形スクリーンに捉えられている敵の姿に異常が認められた。

「しぼんでる?」

 変化は急速だった。

「まるさんが船長であることを公に認めたことで、事象の流れが変わりました。急速に敵のエネルギー源が枯渇しているのでしょう」

<何だかなぁ……これ、私が悪かった、っていう事になるのかしら>

 まるは正直、泣きたいような、情けないような気持ちでいっぱいになっていた。

 羽賀氏が尚も淡々と説明っぽい台詞を喋っていると、背後で神楽の悲鳴にも似た声がした。

「まる!」

 振り返ると、阿於芽あおめの停止フィールドが、まるでメロンの皮の様に微細に割れてしまっていた。停止フィールドは物質的なものではないのだが、敵が疑似的に物質に転化してしまっている、もう滅茶苦茶だ。

「恐らく『親』の危機に呼応しているのでしょう」

「これ、どうするの!?」

「私も先程から必死で抑えているのですが、そろそろ限界です」

<それは知らなかったわ>

 すると、半ば消えた停止フィールドから覗いている阿於芽あおめが意識を取り戻して話した。

「全……員、船を退去しろ! まる、お前も含めて。正直、邪魔だ」

 阿於芽あおめは、停止フィールドの外の様子も一応感知していたようだ。敵も出鱈目だが、超生命体も出鱈目だ。

「何馬鹿なこと言ってるの! 貴方はどうするのよ」

「大丈夫……多分。なんとかするから。琥瑠璃こるりに巣食っていた奴も僕が引き受けている。あの子も一緒に退去させろ」

 言い争っている暇がない事はまるにもわかった。

「船内に通達。総員退去準備! 最寄りの脱出シャトル、脱出カプセルに搭乗せよ!」

 船内は慌ただしくなった。

「羽賀さん! まる!」

 神楽が手を差し伸べるが、まるはぷい、とそっぽを向いて阿於芽あおめの元に行く。

「私は最後に降りる、船長の務めだから」

 羽賀氏も超然とした顔をしてその場を動かない。

「私が抑えていなかったら、阿於芽あおめの周辺は即爆発します」

 神楽はじれったそうにしていたが、諦めて肩の力を落とした。

「もう、好きにしなさい。死なないでよ!」

「ええ、無駄に命を落とす趣味はないわ」

 まるは笑うような顔で「にゃあ」と一言、肉声で鳴いた。


§


 羽賀氏は平然と立っているように見えた。

「まるさん、退去してください。こういう事態に船長が居ても出来ることは何もありませんよ」

「そうやっていつも解決は蚊帳の外なんて、もういい加減にして欲しいわ」

 まるはコンソールを使って、ブリッジ機能を船長室に移譲した。

「こいつが『孵る』ためには何が必要なの?」

「媒介となる生命体の持つ時空連続体上の立ち位置、とでもいうべき物でしょうか」

「よく分かんないわ……物理現象なの? 超自然的なものの類?」

 羽賀氏が応えにあぐねていると、ブリッジの隅の空間が歪んだ。

「何!?」

 現れたのは、尻尾の短い、口が悪い錆猫だった。

「ふう。あなたが決心してくれて奴が弱体化したおかげで、脱出することが出来たわ」

「さびまる……」

「なあに? 船内が騒がしいのね」

阿於芽あおめの中に居る奴が暴走しかけているの。総員退去中よ」

 話を聞いて、さびまるは真顔でまるに言った。

「あっちの化け物を対峙しても、阿於芽あおめの中の奴が放たれたらおしまいよ」

「私だって何かできるならやりたいわよ!」

 すると、シャブランの合成音声が船内に響いた。

「船長室以外の総員退去完了」

 二人の声を聴いて、阿於芽(当事者)も口を挟んできた。

「お前らも……こんな処で喧嘩する前に逃げろ……」

 阿於芽あおめの方を振り返るさびまる。阿於芽あおめの表面の金属の様なシールドは、メロンを通り過ぎて虹色と混じって脈動を開始し始めている。

「あら綺麗じゃない。……二人分取り込んだの? 貴方と琥瑠璃こるりの中に居た種はつがい。一緒にしたらどうなるか分かって……」

 阿於芽あおめは切れ切れの言葉で話した。

「ああ……分かって、いるさ。今、奴は……奴らは、僕の中で、増えて、外に、出たくて……暴れ、まわってるよ」

「あっきれた。どうする気?」

「奴らは……餌が無いと、あっという間に、自滅する」

「奴らが餓死するまで体の中に抑え込もうって? 無茶よ。あなたとそこの能面男のどちらかの力が尽きたら、好き勝手に時空を食い荒らし始めるわ」

「そんな事、じゃない。奴らは、僕ごと潰す」

阿於芽あおめ? どういう事?」

 まるは不安になって聞いた。

「ビヨンドドライブ、の、最中は、奴らは、外に出れない」

「ええ、私たちもね」

「羽賀さんは、例外。逃げ出せるよね?」

「……ええ。私は抜け出せます」

「実は、秋風に、頼んで、作ってもらって、いたんだ」

 いつの間にか露出した彼の左前脚に、小さなスイッチが有った。

「そこの錆……、まるを連れて……脱出してくれ。お前なら、出来るよな」

「えー面倒臭い……分かったわよ。ほら、まる、来なさい、あんたは邪魔なだけ」

 まるをガシッと咥えて引きずり始めた。

「ちょっと、止めてよ、阿於芽あおめ! 死ぬ気なの!?」

「さあね。じゃ、任せた」

 まるはふっと周囲の様子が変わるのを見た。いつの間にか別の感の中に居た。

「ちょっと、やだ! ここどこ!」

「当艦は〈UTSFエンタープライズ〉です、あなたは先程放送されていた猫船長……」

「〈エンタープライズ〉!? 〈コピ・ルアック(私の船)〉はどこ!」

「先程レーダーから消えました」

 まるは茫然となった。


§


 巨大な宇宙ミミズは、急速にしぼんだ後、あっというまに物質化し、そして沈黙した。

 退去して散り散りになっていた〈コピ・ルアック〉の船員は、土岐氏の計らいで惑星〈白浜〉の居留地に避難することになった。〈コピ・ルアック〉の残骸が発見されたのは3日後。艦隊が集結した場所から4光年離れていた。

 不幸中の幸いというか、シャブランのコアは生きていた。そのほか、失っては困るパーツの8割もサルベージされた。何かの力が守ったのでは、という話に、まるは阿於芽あおめがやってくれたのかな、と、呆然としながらも考えた。

 その阿於芽あおめは、羽賀氏とともに、1週間経った今でも行方不明のままだった。


 まるは惑星〈白浜〉の、土岐氏の別荘のコテージに寝ていた。全ての気力を失ったように見えた。

「まる……」

 敢えて彼女はヘッドセットを外して過ごしていた。事後処理もたくさんあり、船長として公表したことや、今回の事件などで、メディアがたくさん押しかけた。だが、土岐氏はそれに簡単な声明と、まるが体調不良の旨を説明し、すべてをシャットアウトしていた。

 それでも、まる自身には船長としてやることは山の様にあったし、乗組員の今後のケアも必要だった。幸い、〈コピ・ルアック〉は再建可能らしい。ただしそれには1ヶ月の時間が必要だった。

 まるは寝ている頭を思いっきり蹴飛ばされた。

「みゃっ」

 まるの頭を蹴飛ばした張本人。さびまるは、まるを見下し、ため息をついた。

「何やってんの、この腑抜け猫。琥瑠璃こるりの教育にも悪いんですけど?」

「うるるるる」

「何言ってるか分かんないわよ、あんた出来損ないなんだから、ヘッドセット位つけなさいよ、ほら」

 さびまるはヘッドセットを咥えて来て、まるの鼻先に置いた。

「うー……」

「そうやって拗ねているのは勝手だけど、あんたには責任やら仕事がいっぱいあるんじゃないの?」

<分かっているわよ。でも……肝心の所で、私はまた何もできなかった>

「あーもう、こんな辛気臭い猫のお守りは飽きたわ。私は行くわよ」

 くるりと身をひるがえして、さびまるは立ち去ろうとした。ところが、予想外の声を出した。

「あら、あらあらあら」

 見ると、何か小さなものを抱えた羽賀がそこに立っていた。ソファに座っていた土岐氏も慌てて飛び起きた。

「羽賀さん! よくご無事で……」

「私はもともと平気です。調停機構として、今回の件の後始末に忙殺されていました」

 まるも慌ててヘッドセットを取りだすと、装着して羽賀氏の足元まで行く。

「羽賀さん! ……阿於芽あおめは?!」

 羽賀はしゃがむと、まるの鼻先に抱えていたものを置いた。

 中には黒い小さな仔猫が居た。

「可愛い仔猫ね」

 横から覗きこんださびまるが言う。

「ここまで回復するのに3日掛かってしまいました」

「……阿於芽あおめ……なの?」

 外見は、つい先日までの、小さい琥瑠璃こるりほどだった。仔猫は真っ赤な口を開けて欠伸をすると、目を開けた。

「……阿於芽あおめ?」

 まるが仔猫に呼びかける。

「にゃあ?」

<え?>

「彼はただの仔猫です。再統合にはもう少し待ってください」

「じゃあ、彼は帰ってくるのね?」

「大丈夫ですよ。虫に体を食い荒らされて仕舞いましたから、肉体の再建をしているところです」

「……虫?」

「敵の事ですよ」

「って。虫?」

 まるは同じことを2度聞いた。

「そうです。時空間の事象を喰らう寄生虫。時々発生するので、調停機構でも定期的に駆除しています。本来は育つ前に駆除してしまうのですが、上手く駆除から逃れて成長したんですね。まさかあそこまで育つと知性を持つとは、思っていませんでした。今後は気を付けないといけないです。あ、FERISフェリスの件は本当に偶然重なっただけで、別件ですよ」

「むしいい?」

 3度目を聞いた瞬間、黒猫が言った。

「まる、それ3度目だよ。呆けたかな?」

 三毛猫は、黒い仔猫を抱きしめた。

 錆猫はその様子を見ながら、ふっ。と姿を消していった。


 船の再建、船長としての事件の後始末。そしてマスコミの攻勢。

 まるには暫く休日は来そうにない。



次回より内容一新、新展開です。

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