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航宙船長「まる」  作者: 吉村ことり
孤影悄然のまる ――21世紀とまる――
47/72

第47話「孤影悄然のまる19:猫は狡猾で純情」

いよいよ長く続いた「孤影悄然のまる」もクライマックスに突入します。

(承前)


 矢田は不思議な赤ん坊(さびまる)を胸に抱きかかえてバックヤードにやって来た。

 探知機であちこち反応を探りながら移動していると、水槽の浄水槽の辺り、巨大な配管がうねっている開けた場所に、奇妙な反応が有った。

「ここにぇ。おろちて」

 赤ん坊に言われるままに地面に下す。すると赤ん坊は溶けるように消えて、錆柄の猫が登場した。

「あー、窮屈だったわ」

「貴女もまるちゃんと同じようにしゃべれるのね」

「あいつと比べてほしくはないけど。あなたまるとずいぶん仲が良いみたいね」

「2ヶ月くらい一緒に暮らしていたから……」

「ああ、そうなのね」

 会話をしながら、さびまるは空間異常の箇所を調査していった。

「こことここで空間を留めてるのね。でも、ここにこの空間の中の物を飛び出させると大変なことになるか……」

 錆猫のつぶやきは、矢田には何のことやらさっぱりだった。いや、多分まるが聞いてもちんぷんかんぷんだろう。

「うーん、これはまるの協力が必要ね」

 すごく不本意そうな声を出しながら、再び赤ん坊プローブを身に着けるさびまる。近くのプローブ同士であれば、ローカル通信網が使える筈だ。程なく機能を発見して、通信を送った。

「まる、こちらさびまる。私だけじゃ解決困難だわ。矢田をそっちに戻すから、一度こっちに来なさい」

『あら、こういう使い方出来るのね。で、どうとでもなるんじゃなかったのかしら?』

「五月蠅いわね、私にだって読み違えっていうのはあるのよ」

『矢田さん帰ってきたら相談するわ。目立たないように隠れてなさい』

「言われなくてもそうするさ」

 さびまるがまると通信していると、矢田が声を掛けてきた。

「あの……」

「ちょっと今、話しをしてるからあとでね」

「そうじゃなくて、場所がここなら、もう少し経てば、堂々と来る方法ありますよ?」

「え?」


§


 突然のビヨンドドライブ停止と、思いもかけずに入って来た土岐からの通信で、〈コピ・ルアック〉は緊迫した状態が続いていた。

「土岐さん、どういう事ですか?!」

『羽賀さんと話した。私がある種の事象的特異点だという話もね』

「事象的……特異点?」

「ああ、その話はまだ出ていなかったのか。阿於芽あおめ、君は知っているね?』

 阿於芽あおめは話題を振られてそっぽを向いた。

阿於芽あおめ

 いさめる口調で土岐が言う。

「ああ、知ってる。わざと話さなかったよ。土岐さんに関わった猫が2匹とも普通じゃなくなったのは、土岐さん自身に事象の特異点としての問題が有ったからだ」

「……どういう事ですか?」

『確率は均一に世界を覆っているわけじゃない。偏りがあるんだ。そして、あたかも「でべそ」の様に確率が集中する場所がある。それが事象的特異点だ』

「それが土岐さんだと?」

 ラファエル副長はごくりとつばを飲み込んだ。

『ああ。私はどうも、「特殊な事」を引き寄せてしまうらしい。特にそれは飼い猫に強く顕現するらしいんだ』

「でも! 僕やまるが、僕やまるであるのは、其々に原因がある! 土岐さんが居たからじゃない!」

『しかし、その事象を引き寄せたのは私である可能性が高いんだよ』

「じゃあ琥瑠璃こるりは! あなたの与り知らない、21世紀の世界でまるが保護した仔猫は!」

『それは、まると君が私の事象的特異点をかなり取り込んでしまったから。だそうだ』

「特異点がやり取りできるなんて話は聞いたこともないよ」

 少し自嘲するような笑いの含まれた声で土岐が応える。

『どういう仕組みかは、羽賀さんもうまく説明できなかったよ』

 羽賀、という名前が出て、ラファエル副長ははっとした。

「それで、羽賀参事官は其方に?」

『迷い猫時間線に向かう、とだけ聞きました』

「そうですか……とにかく土岐さん。今近くにおられるんでしたら、〈コピ・ルアック〉にご同乗くださいませんか?」

『済まない、今自由が効かなくてね。羽賀さんが用意してくれた航宙船らしきものに乗っているんだが、これもシールド船らしくて、操船は出来ない。予めセットされた航路を飛ぶだけらしい。この通信も捕捉されないように細工したビーム通信だそうだ』

「……分かりました、ご無事で」

『そちらもな』

「操船、回復しました。どうしますか、このまま〈大和通商圏〉へ戻りますか?」

 秋風は言われるまでもなく現在位置を確認していた。

「現在太陽系から20光年の位置です。ここからならそのまま元来た道を引き返せます」

 秋風の報告を聞いて頷くと、ラファエル副長は指示を出した。

「目的の大半は果たした。〈地球〉へ引き返そう」

「了解、ビヨンドドライブの設定急ぎます」


 〈コピ・ルアック〉の船内が再び慌ただしくなるなか、阿於芽あおめだけがうつむいて何かを考えていた。


§


「ガイドツアー?」

 さびまるを連れて戻った矢田に対して、まるは首をかしげた。

「はい、11時と午後1時半に集合して、一部のバックヤードを見学できるツアーが有るんです。それで一般客に紛れて入って行けます」

「でも、ツアーから離れたりしたら拙くない?」

「途中で赤ん坊がぐずり出して、私が付き添いで引き返す。というのでどうですか?」

「ふむ。そうね。良いかもしれない」

「集合時間、先着順ですから急ぎましょう」

「わかった。にゃんたさんと垂髪うないと小峰君はここで待機してて。ぞろぞろ行っても仕方ないし」

「了解しました」

「じゃあ、琥瑠璃こるりと矢田さんと私、ついでにさびまる」

「あたちはついでじゃにゃい! 計画のかにゃめにゃ!」

「しーっ!」

「ぶう……これにゅいだら覚えてにゃさいにょ」


 列に並ぶこと暫し、やがてツアーが開始され、案内役の矢田がそれとなくまるの所に回ってきた。

「知り合いが混じっているからってお願いして交代してもらいました」

 こっそりとまるに耳打ちする。

「有難う」

 まるも答える。

 そして、矢田がさっと列の最初に戻って口上を始めると、彼女の誘導に従って、ツアーは歩き出した。


 目的の浄水槽付近のバックヤードは割と近くにあった。その付近の見学が終わり、ガイドツアーが次に進んでいる頃だった。

「ちゃて、はちめるにょ」

 さびまるは、まるにそういうと、突然泣き声を上げた。

「ふぎゃあ、ふぎゃああああん」

 矢田がちらりとこちらを見る。

「どうなさいました?」

 まるは打ち合わせ通りに応える。

「この子が急にむずかり出して……。トイレかな」

「あーそれは拙いですね。ちょっと済みません、案内してきます。みなさんは代わりの者を呼びますので、ここで待機してください」

 そういうと、彼女は近くで作業している裏方の男性に声を掛け、事情を説明した。男性は頷いて人を呼びに走って行った。

「では済みません」

 そういうと、矢田はまるに付き添って歩きだした。だが、客の中から声を掛ける者が居た。

「私もお手伝いします」

 見知らぬ男性の申し出に、矢田は慌てて返事を返した。

「いえいえ、私が付いて行きますので大丈夫ですよ」

 だが、まるの反応は違っていた。

「……でも、やっぱりお手伝いを貰ったほうが良いかも」

 矢田は目を飛び出さんばかりに明けて口をパクパクと動かした。

<打ち合わせと違いますよ!?>

 まるもこんなことは予定外だと十分承知はしていた。男性が良く見知った相手でなければ。


 男性は〈大和通商圏〉筆頭参事官にして〈銀河第三渦状腕調停組織〉のエージェント。羽賀その人だった。


§


 阿於芽あおめは、右前脚に何か小さいカプセルの様なものを取り出して眺めた。周りは慌ただしい空気に満ちていた。秋風はブリッジを後にしてラボに向かおうとしている。その背中から、阿於芽あおめは声を掛けた。

「秋風、僕も一緒に行くよ」

 じっと阿於芽あおめを見て、秋風は頷いた。

「分かりました」

 阿於芽あおめは肉球に挟んでいたカプセルを、再びどこかにしまうと、秋風の後に続いてブリッジのゲートを抜けた。

 中央リフトに乗り込むと、秋風はそれとなく阿於芽あおめに聞いた。

「先程見ていたカプセルは何ですか」

「ああ。シールドルームだよ」

「あんな小さいものが!?」

「上位次元の物体だ。3次元での外見上の大きさは関係ない」

「どうするんですか」

「入るさ。きみの手伝いをした後、少し準備をしてからね」

琥瑠璃こるりさんの分も必要とか」

「羽賀さんが手配しているはずだ」

「何か心配ごとでも?」

「このシールドルームは、入ったら自力で出る方法は無い」

「えっ……!」

「大したことじゃないさ、衣食住は中に完備してある。自分たちで自由に出入りできるようだと、敵に対抗する事なんて出来ないからね」

「外からこじ開けられるのでは?」

「いや、それは考えなくていいんだ。問題は僕と琥瑠璃こるり自身にあるんだから」

「それって一体――」

「すまん、その先は話せないんだ。それより作業に掛かろう、手伝うよ」

 秋風は顔を曇らせたが、すぐに肩をすくめると、コンソールに阿於芽あおめを促した。


§


 一般客から離れた浄化槽の脇で、さびまるはプローブを解除して猫に戻る。

「さて、ここよ」

 まるは声を抑えながら叫んだ。

「羽賀さん! どうしてここに?」

 羽賀は表情一つ変えずに答えた。

「いろいろ事情が有りまして。私も事態の収拾に協力します」

 二人のやり取りを小馬鹿にしたように横目でチラ見ししつつ、顔を洗いながらさびまるが突っ込む。

「其方の大将がお出ましとは、ここで決着を狙っているの?」

 羽賀は片眉を吊り上げて、目の前の錆猫を見た。

「この猫さんは、ああ、あれの使いの方ですか」

 まるは肩をすくめた。

本猫曰ほんにんいわく、あれとは手を切ってるらしいわ。どの程度信頼できるかは分からないけど。一応『さびまる』って呼んでいるわ」

「ほうほう。ではさびまるさん、よろしく。私は羽賀です」

「はいはい。感動の再会は置いといて、さっさと作業しましょう。あれはこちらの出方を伺っているはずよ」

 さびまるはそういうと、まるに預かった装備ではない、何か小さい装置を取りだしていじる。すると、彼女の眼前の空間に縫い目の様なものが現れた。

「何これ」

 まるは不思議そうにその縫い目をしげしげと眺めた。

「空間の継ぎ接ぎを視覚化する装置、実際にはそんな形じゃないんだけど、アイコン化っていうのかしら、意味するところの形に具象化するの」

「へええ。どういう仕組みなんだろ」

 まるがそう言いながら触ろうとすると、さびまるが制止した。

「不安定な空間なんだから、特異点のあなたが触っちゃダメ」

「じゃ私は何を手伝えばいいの?」

「今ここで閉じてある空間を開けちゃうと、封じ込めてあるものが一気にこちらに出てきてしまうの」

「だから?」

「中身が出てこない程度、空間に隙間を開けるから、あなた猫に戻って中に入って宇宙船を操縦してくれる?」

「そんなこと、中に残された人たちで試してる筈でしょう?」

「中の人間、ね。もうとっくに死んでいる……か、殺されていないなら、何らかの方法で全員身動きを封じられているでしょうね」

 琥瑠璃こるりが戦慄した。

「なんでそんな――」

「なんでそんな事が言えるのか、言えるのよ。あなた達の船は確か亜空間戦闘艇よね。あなたが今装着しているナノマシンで出来たプローブ(探査体)は中のコンピュータが操作してるんでしょ?」

「――そうよ」

 さびまるはすっと立ち上がると、くるりと輪を描くように歩いた。彼女の尻尾は短く、優雅に尻尾をくねらせること自体は出来なかったが、その体は猫が見てもしなやかだった。

「私が赤ん坊形プローブに接続された時、そこからハッキングして船の情報を読んだわ。その時わざと、派手に不正アクセスをしたんだけど、何の反撃も来なかったの。船内に意識があって動ける人間が居たら、警報に気が付くはずよね?」

<プローブに繋いだだけでシステムを逆方向にたどって侵入するとか、こいつ、洒落にならないわ>

 まるは改めて警戒心を再認識したが、努めて表情に出さないようにした。今は言い争っている場合ではない。

「分かったわ。私も中の人たちが心配だし」

 そういうとまるは人型プローブを解除して猫の姿に戻った。

 その時、会話を黙って聞いていた羽賀が歩み出し、猫になったまるの鼻先に手に持った何かを差し出した。まるは思わずその指先を嗅いで、それからちょっと恥ずかしくなりながら、その手の中にあるものを見た。

 それは乳白色の小さなピン。まるはピンを咥えると、ポーチに入れながら尋ねた。

「これは?」

「後で必要になります、今は黙って預かって居て頂けますか?」

 柄にもなく羽賀はウインクする。さびまるは無視するように横を見つつ、その物体を横目で見た。

「それから琥瑠璃こるりさんにはこれを」

 そういうと、琥瑠璃こるりには、やはり乳白色のカプセルを差し出した。

「それは……、なぜそれをこの仔猫ちゃんに渡すの?」

 さびまるは横目で見たまま羽賀に聞く。琥瑠璃こるりは羽賀からカプセルを受け取ろうとした手をびくっと止めた。

「予防措置です。これは外部からの干渉も、内部からの攻撃も一切を遮断するシールドルームです。次元的に折りたたまれていますが、中は広々としていて、衣食住のすべてが賄われます」

 さびまるは黙って作業をした。

「何故それを琥瑠璃こるりに?」

 まるが代わって聞く。

「ですから、予防措置です。この子もまるさんと同じく特異点ですから」

 琥瑠璃こるりはカプセルを受け取ると、しげしげと見た。

「プローブを解除して、握りつぶすようにしてみてください」

 カプセルを床に置いて琥瑠璃こるりは仔猫の姿に戻り、羽賀に言われるままに、カプセルをその小さな肉球で包んで、ぎゅっと踏みつけるようにした。次の瞬間、琥瑠璃こるりの姿はまるでその中に吸い込まれるようにずるっ、と消えた。

「ではまるさん、このカプセルを預かってください」

 羽賀はそう言いながら、床に落ちていたカプセルを拾い上げると、まるに託す。

「このカプセルは内部からも、外部からも通常の方法で開けることは出来ません。あの子を敵から守る為です」

 まるはいろいろと聞きたかったが、結局何も言えずにカプセルを受け取ると、シークレットポーチの中に仕舞った。

「さて、準備出来たわよ」

 さびまるに言われ、まるは振り返る。

「今から小さな隙間が開く、そこから飛び込んで」

「貴女を信用していいのかしら?」

「そこの鉄面皮の男よりは信頼できるかもね」

「……どうかしらね」

 そう言いつつ、まるは腰を低くして、お尻を振った。

「準備良いわ」

 まるが言うと、空間に小さな裂け目が現れた。先には微かに亜空間船の外殻が見える。まるはそこに向かってダッシュで飛び込んだ。


§


 秋風技術部長と阿於芽あおめは黙って作業していた。秋風は、正直この黒猫がいまだにあまり好きではなかった。しかし、技術者という観点から見れば、この猫は素晴らしい腕を持っていた。そう、尊敬にすら値するような存在だった。

 それが悩んでいた。どれくらい悩んでいるかはミスの多さで分かった。もちろん阿於芽あおめはミスには瞬時で気が付いて修正はしていたが、秋風は見逃さなかった。

「身が入っていないな」

 秋風がぼそっと言うと、阿於芽あおめは手を止めた。

「どれくらい羽賀さんを信用していいか分からない」

「それってどういう事だ?」

「彼はこの世界の平和の為なら、僕と琥瑠璃こるりを平気で切り捨てるくらいはやってしまう人さ」

「そんな……仮にも君とは何年も一緒に過ごしたんだろう?」

「そう云う情というものは、彼には期待していない。いや、出来ない。彼の半身は人間的な感情とは無縁の生き物だ。僕の半身からそれは分かる」

「同じ半身を持ってるにしては、君はずいぶん感情的に見えるな」

「同じじゃないさ。僕は彼の因子を受け継いだが、それとは別の物も取り込んでいる。それが僕の半身の能力を著しく低い状態に抑えてくれているんだ」

「別のもの?」

 話しながら、阿於芽あおめはカプセルを取りだす。

「分からない、羽賀さんにも正体は突き止められなかった。だが今回の件で分かった、これは今、僕や君の仲間と対峙している敵と同じものだ」

「なんだって……」

「そう、僕の持つ因子は羽賀さんの半身だけじゃない、あれも引き寄せているんだ。そしておそらくは琥瑠璃こるりも」

「じゃあ、羽賀さんは敵を封じ込めるために、君と琥瑠璃こるりを見捨てるというのか」

「分からない。彼の真意は読めない」

 秋風はため息をついた。

「それで、阿於芽(君自身)はどうしたいんだ?」

 阿於芽あおめは暫く手元のカプセルを見ていた。

「僕は……敵に負けたくはない。戦わずに逃げたくもない。だけど……」

「敵は時間軸自体無視してやってくるんだろう、今から先の時間帯にそのカプセルに入ったとしても、過去の君や、未来の君が襲われたら意味ないんじゃないのか?」

 阿於芽あおめは軽く被りを振る。

「このカプセルは、僕の存在全体を守る。一度入って仕舞えば、過去から現時点にかけて、カプセルに入った時点の僕に繋がる因果を固定してくれる。未来は……今に至る蓋然性の先のものだ、関係ない」

 秋風は何となくわかった。

「なら、悩むことはないんじゃないか」

「ああ、理性だけで考えたら、大人しくこれに入っていればいい」

 阿於芽あおめの表情は読み取れない。猫の顔には表情筋はない。それが感情豊かに見えるのは大きな目と耳と口、それと全身のモーションによるところが大きい。黒猫は口と目を閉じてじっとしてしまえば、表情を外に出すことはない。

 だが、秋風は彼の溢れる感情を感じていた。それは純粋な苦悩だ。阿於芽あおめは数奇な運命に翻弄されながら1世紀の時間を生きてきた。彼の憎まれ口の様なふざけた口調は、虚勢を張っているのだ。人間でも、男は格好をつけようとして虚勢を張る。雄猫の虚勢はそれ以上の意味がある。

阿於芽あおめ……」

「さて、後はこれをセットすればビヨンドドライブの再設定は終わりだろ」

 カプセルを再び仕舞って阿於芽あおめはコンソールに戻った。

「あ、ああ」

 秋風も設定作業に戻った。


§


 まるは思わず前脚で顔を覆った。勢いをつけすぎて、戦闘艇のゲートにぶつかりそうになったからだ。だが、まるの前脚がゲートに触れた瞬間、ゲートは消え、まるは戦闘艇の中にゴロゴロと転がり込んだ。そう、まるの手は亜空間戦闘艇〈ティア・マリア〉のセキュリティに登録されていたのだ。

「あっつ、いたたたた」

 まるは体を起こすと、中を見回した。

「なに……これ」

 船員たちは生きていた。

「船長~助けてください」

 まるの目に映ったのは、何かの樹脂の様なもので四肢を壁に固定されている面々だった。

 まるは近づいて行って剥がそうとしたが、物体は何で出来ているのか歯が立たない。

「うーん、ごめん、私の手に負えないわ。とにかく機体をここから脱出させるわ」

 まるは猫用のコンソールをポップアップさせて跨ると、通常空間への帰還方法を探った。

「ええと……ここから行けば外に出れそうね」

 まるは亜空間航行用エンジンを起動すると、レーダー上で空間の裂け目に見える部分から、通常空間を探った。

「ああ、この裂け目から出ると、水族館の中に出ちゃうのか……他の出口を探さないと」

 その時、警報が鳴った。

「何? ――何か近づいてるわ。何これ」

 見ると、異形の船が近づいてきている。どうやらこちらのエンジン始動に反応して出て来たらしい。

「拙いな、何か武器……」

『……の意思はない、こちらに攻撃の意思はない、こちらに攻撃の意思はない』

「誰!?」

『君の船では世話になったな』

 音像が送りつけられてくる。

「あら、小峰君に化けていた、いつぞやのエイリアン君じゃない」

『緊急時の対策だった。あの小動物が危険だったからだ。放っておいたら未知の存在の「種」を取り込むところだった』

「種?」

『翻訳機が正しく動作しているか自信はない。この世界の君たちの文明から得た内容を使って構築している』

「おそらくは正しく動作しているのだと思うわよ。私に意味が伝わらなかっただけ」

『あいつは代替わり先を求めていた。それは君を含めるそのタイプの小動物を媒介にする』

「だから琥瑠璃こるりを守るために隔離した、と?」

『そうだ。あの仔ともう一人の黒い奴。黒い奴は既に取りつかれているようだったが』

「超越階梯の生き物が、ね」

『違う、あれじゃない。別の何かの芽胞を確認していた。私はてっきり彼はその種の配下だと思っていたが……』

「なんですって?」

『そして、そこにいる大型の類似種。そいつがキャリアーだ。あの存在はその種に取りつくことはしない』

<うちの雄猫ども、いったい何に取りつかれているのよ……>

「とにかく、通常の空間に抜け出したいわ、ひと目に着かないところの座標に出ることは出来るかしら?」

『良いだろう、案内する』

<こいつの事を完全に信用したわけじゃない、けど、どうにも引っ掛かるのよね>


§


「設定作業完了しました、ビヨンドドライブ、いつでも始動できます」

 ブリッジに戻った秋風が報告した。

「了解した。太田航宙士、航路設定を確認後、ビヨンドドライブ始動」

「既に確認終了しています。ビヨンドドライブ始動します」

 準備の時間に比べたら、帰りはあっさりとしていた。

「第一ワープ終了、上部ナセル、もうほぼ限界です」

 太田がワープ後の状態をチェックした。秋風はじっとりと汗をかいた手を握りしめて言った。

「何とか振り絞ればあと1回は行けるはずだ。直ぐにドライブを再始動してくれ」

「了解、祈っておいてくださいよ」

 太田はビヨンドドライブを再始動した。同時に、船体に酷い揺れが来た。

「ナセルの断末魔だ。あと少しだけ耐えてくれ!」

 だが、願いもむなしく、船体に衝撃が伝わる。

「ナセル爆発、焼損しました! 船体そのもののダメージは軽微!」

「現在位置は!?」

 ラファエル副長が叫ぶ。

「地球まで0.3光年の位置です。ここからなら、残ったワープドライブで直ぐ到達できます」

「よし、残ったワープエンジン全開、地球に向けて全速力!」

「目標地球、全速ワープ開始します」

 だが、ワープシェルは展開されない。

「どうした?」

「何かの強い干渉を受けている為、ワープシェルが展開しません。まるでこの周辺が巨大なワープシェルの中のような……」

 ラファエル副長ははっとした。敵に取り込まれた可能性が示唆されたからだ。

「戦闘モードに移行、ありったけのエネルギーをフォースフィールドに回せ!」

 〈コピ・ルアック〉の船体が黒褐色に変わる。上部のナセル2本は途中から先がまるで溶けた様になっていた。焙煎に失敗した豆、という感じだろうか。

 とたんに船内に光るカーテンの様なものが現れ、乗員に向かって迫った。

「強力なエネルギーによるスキャンです。船内を調べています!」

 太田が叫ぶと、秋風は脚を踏ん張り、鼻をふんっ、と鳴らして言い放つ。

「必要もないのに敢えて見えるようにして、心理的なゆさぶりを掛けてきているだけだ。無視しろ!」

 太田の一括を感じ取ったかのように、光のカーテンは掻き消えた。だが次の瞬間、まばゆい炎の塊で出来た4本足の猛獣が現れて咆哮を上げた。

「くっ、またこんなこけ脅し……」

 加藤が熱を避けながらコンソールを操作する。

「体表温度2500℃! 映像ではありません、実際に高熱を発する物体がそこに居ます!」

 秋風は腰の力が抜けてその場にへたり込む。代わって動いたのは阿於芽あおめだった。彼は体表から触手を伸ばし、それを膜状に展開すると敵を包み込んだ。阿於芽の触手は敵の高熱で焦げ臭い煙を噴き上げた。

「ゔゔゔゔゔゔゔゔゔ」

 阿於芽あおめは、熱に耐えながら、この世の物とは思えない声を上げて歯をむき出した。


§


 まるが異形の宇宙船に誘導されて出てきたのは、雪が降り積もった険しい山の上だった。

『まるさん、どこに行きました?』

 羽賀の声で通信が入ってきた。

「先日うちの船に乗ってきた異星人に助けられたわ。とっても寒い。現在座標は……ハワイだって」

『ハワイ?! 寒い?!』

「マウナ・ケアって高い山。酸素が薄いわ。万年雪が有るらしいわね」

『マウナ・ケア……たしか展望台がたくさん設置されているのでは? 見つかりませんでした?』

「ああ、それは……私たちが使わせてもらっている遮蔽クローキング技術とは別系列の技術だけど、隠蔽する技術が有るんだって、周囲には察知されていないって太鼓判を貰ったわ」

『どれくらいでこちらに来れますか?』

「ああ、それなら10秒そこらで行けるっていう話。え、もう移動開始? もう動くっていう事だから、今から向かいます」


 会話が終わるや否や、まるの乗った亜空間戦闘艇〈ティア・マリア〉と、謎の異星人の船は葛西の海岸の上に、見えない姿のまま移動した。

「ちょっと待っててね、助けを呼んでくるわ」

 まるはゲートを開けて飛び降りた。

「海浜公園の方に降りたわ、ちょっと手助けしてほしいから、付属の食堂で待機してる3人を連れてこちらに来て」

 まると、どこの誰ともわからない人に偽装した異星人が浜で待っていると、羽賀がカート状のまると琥瑠璃こるり用のナノマシンの塊と、厄介な赤ん坊(さびまる)と、その他4人を連れてやって来た。

「そこの人は?」

「例の異星人。私たちに危害を加えるつもりはないみたい。阿於芽あおめがやって来たから攻撃したようなのだけど、羽賀さん、前から事情ご存知でしたね?」

「ええ、まあ。取り敢えず、中の人たちを見ましょう」

 羽賀は船内に入ると、全員を固定している樹脂状の物を暫く調べていたと思うと、少し離れて何かをした。途端に樹脂状のものは霧散し、全員がかせから解き放たれた。

「さて、これでこちらの全員は救助しました。ところで――」

 羽賀はさびまるを見る。

「ええ、さびまる。あなたの真意は何?」

「言ったでしょう? 私はあなたが大嫌いだって」

 次の瞬間、まるはさびまるに例の樹脂状のもので絡め取られていた。

「私は奴の支配から抜けた。それは取引をしたからよ。その仔猫ちゃんを引き渡すってね」

 まるのシークレットポーチから、乳白色の小さなカプセルが取りだされる。

「それは羽賀さんのシールド、簡単には解けないわ」

 もがきながらまるが言うと、さびまるは上から目線でそれに応えた。

「ええそう。『内側からは』ね。外からだとあら不思議」

 そういうと、まるのポーチから更に羽賀から預かったピンを取りだし、カプセルに差し込んだ。

「え? あ?」

 いきなり外に放り出された琥瑠璃こるりは見当識を失ってきょろきょろしていた。

「おいで仔猫ちゃん」

 羽賀がそれを止めに行こうとした。

「あなたは邪魔ね、厄介だし。ちょっとそこに居てくれる?」

 その次の瞬間、羽賀は全身が例の樹脂状のもので覆われた。

「その人は人間じゃないから、死にはしないわ。ただ、過去、現在を通じて拘束されたの」

 そういうさびまるの顔は悪魔の形相だった。

「やめて! 琥瑠璃こるりに何をするの!」

「この仔猫ちゃんは『種』を植えるための畑の様なもの。もう一人、あの黒猫と一緒にね。私はこの子にこの種を植え付けることを条件に解放されたわ」

 そういうさびまるの方手には緑にまぶしく光る何かが握られている。

「御免ね、あなたのお母さんとの約束は破らせてもらう」

 さびまるはそうボソッと言うと、琥瑠璃こるりの額に緑に光る物体を押し付けた。次の瞬間、琥瑠璃こるりとさびまるは消え、まると羽賀のくびきは解かれた。


§


 じりじりと焦げていく阿於芽あおめ

阿於芽あおめ! 無理せず離れろ!」

 ラファエル副長は叫んだが、空しく響いた。

「僕が今これを解いたら、ブリッジは一瞬で溶けて、みんなは墨の柱になるけど、いいのかい?」

「良い訳がないだろう、しかし!」

「大丈夫だよ、この触手は僕の体じゃない、思念が作り出した組織だ。だから痛くもないのさ」

 秋風が泣きそうになりながら抗議する。

「嘘付け、苦しそうにしているじゃないか!」

「強い……力を抑え込むために、精神……力を摩耗するからね……!」

 阿於芽あおめはじりじりと押されていた、その時だった。突然現れたもう一匹の黒猫が、阿於芽の目の前で尻尾をくるくると振った。

「だ、誰だ!」

 新たな黒猫の目は真っ赤に光っていた。その口には緑に煌めく小さな物体。

「くそっ、これが狙いか! 僕にそれを近づけるな!」

 阿於芽あおめはそう言いながら新たな黒猫と絡み合い、取っ組み合い、噛みつきあった。

 だがそれは、敵の思うつぼだった。

 敵の黒猫は、咥えていた緑の小さな物体を阿於芽あおめの額に押し付けた。


 次の瞬間、阿於芽も、黒猫も、炎で出来た虎も、居なくなってしまった。

 呆然とするクルー達。だが、警報に気が付いて加藤がコンソールを見る。

「接近する不明船が2つあります!」

『こちら亜空間戦闘艇〈ティア・マリア〉、操縦者まる。並走する宇宙船は友軍よ。格納庫への進入許可を要請します』

「船長!」


(続く)


次回、「孤影悄然のまる」完結!


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