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航宙船長「まる」  作者: 吉村ことり
孤影悄然のまる ――21世紀とまる――
46/72

第46話「孤影悄然のまる18:猫と海とお魚」

動かなくなったピンインは、現れた錆猫の真意は、そして、28世紀で合流した〈コピ・ルアック〉と神楽は。徐々に伏線が収束していきます。

(承前)


 錆猫はにやりと笑う。

 猫はもともと笑うようには出来ていない。笑ったような表情はするが、人間の思う感情とは違う。錆は顔を意図的に笑顔にしているが、もちろん彼女の心理を反映したものでは無かろう。これは、明らかに彼女をいれたケージを膝に乗せた、まる(の人型プローブ)に対するジェスチャーだ。

「どうするつもり?」

 周囲に聞こえない様に、ケージの中の錆猫にまるは声を掛けた。

「どうもしないわ」

 錆猫も馬鹿ではないから、声をひそめて答える。まるは心の中にモヤモヤと黒いものが浮かぶのを感じたが、それ以上追及することも出来ずにそのまま彼女を膝の上に乗せて、電車に揺られていた。

 電車はイライラするくらい遅かった。

 一行は一路、葛西臨海公園に向かっていた。完全に動きが固まってしまったピンインの人型プローブは、阿於芽あおめが用意した隠れ家用の住宅に置いて来ていた。もし活動を再開できた時用に、行き先と現状を記したメモを残してある。

「ここで乗り換えです」

 小竹向原駅で電車を乗り換え、新木場駅を目指す。今は交通事情に詳しいにゃんたが先導していた。

 現状で一番問題なのは、魂が抜けたような状態になって、自力で動こうとしない小峰だった。ピンインと同じく隠れ家に老いてこようという話もしたが、錆猫を詰問したところ、「簡単な暗示を掛けただけよ。連れて来る前に暗示を解いた。今は半ば麻痺しているけど、30分もすれば正気に戻るわ」と話したので、敢えて女性二人が両方から担ぐ形で彼を連れて来ることになった。まるは錆猫の相手に回されたので、最初は琥瑠璃こるりとにゃんたが支えることにしたが、乗換時点で垂髪うないとにゃんたが交代した。琥瑠璃こるりの入っているプローブは肉体的には「疲れる」ことはないので、交代の必要が無かったからである。


 錆猫はどれだけ信用できるんだろう? まるは膝の上の難物をじっと見ながら考えた。

 確かに、今は彼女に出来ることは少ないように見える。だが、油断はできない。どんな能力を持っているかもわからない相手だ。今も警戒心を解かないまるを見て、鯖猫はあざ笑うように喉を鳴らした。いま彼女は別に快楽が有るわけでも、ましてや身体の回復も求めていない。まるの事を明確に嗤ったのだ。

<いけ好かない雌猫おんな!>

「私が嫌い? 気が合うわね、私もあなたが嫌いだわ」

 鯖猫はまるの心を読んだかのように返事をした。

「ええ、大嫌い。何故なのかは分からないし、あなたの正体も分からないけど」

「だから、わたしはまる」

「まるとまるじゃ区別がつきにくいわよ。後発なんだから何とかしてくれる?」

「何だか偉そうね、船長さん」

 まるがぐっと睨むと、鯖猫は顔を上に上げてしょうがないなという感じでケージを軽く引っ掻いた。

「まあいいわ。じゃあ、私は錆猫だから、さびまるとでも呼べば?」

<あくまで「まる」を譲るつもりはないのね。――まあいいか>

「いいわ、妥協しましょう」

「あら有難う」

 二匹(ふたり)の間にはビリビリとした空気が流れている。幸いにも深夜の為にほとんど人影はなかったが、それでもいつ、まるとさびまるが大立ち回りの喧嘩をはじめないかと、連れの人間と猫は気が気ではなかった。

 やがてさびまるは、静かに口を開いた。

「私は主観時間でほんの2ヶ月前まではどこにでもいる野良だったわ。あいつが私を変えるまではね」

「あいつ?」

「ええ、多分あなたも感じているでしょ? 私には黒くて巨大な影に見えたわ」

「……やっぱり繋がっていたんじゃない」

「待ちなさいよ。私はあいつに別に操られているわけじゃないわ。手駒として作られはしたけれどね」

「どうしてそうはっきり言い切れるの? 自分の自由意思か、奴に与えられた偽りの自由か、区別はつかないでしょう」

「あなたこそ、相手を見くびり過ぎているわ。あの存在がそんな罠を仕掛けると思う? あなたを殺す気なら一瞬どころか、何世代も前から存在の根底から消せるわ」

「そうね、奴は私や私のクルーを殺す気はない。手駒にするつもりだと思っているわ。その為なら傀儡の一つや二つ送り込むことくらい考えるんじゃないかしら」

「あなた自分を過大評価し過ぎてるわ。スーパー猫船長? 〈大和通商圏〉の筆頭参事官のお気に入り? そんなもの関係ない。あなたは広範囲にわたる時空にあるアノマリーの一種。奴にとっての存在価値はそれだけよ」

「事象的特異点……」

「正解。お利口さんね」

 まるは話していて感心していた。この猫が言う通りなら、こいつ自身は素晴らしい「作品」だ。どのようにして作られたんだろう。

「おや、今度は怒らないのね」

「だって、あなたみたいな相手にいちいち腹を立てているのも馬鹿らしいし」

「高潔でいらっしゃることで。いいとこのお嬢ちゃんは違うわね。あなたの飼い主はさぞ褒めてくれるでしょう」

「私にはもう飼い主は居ないわ。土岐さんはビジネスパートナーです」

「あらそうなんだ。じゃああいつはさらってくる相手を間違ったのね」

「ちょっとまって、土岐さんをどうしたって?!」

 まるは大声を上げて立ち上がった。にゃんたや琥瑠璃こるりが慌てる。

「ちょっと、マルティナ。大丈夫? 寝ぼけたのかな」

 機転を利かせた垂髪うないが声を掛ける。

「え、ああ……ごめんなさい。少しうとうとしてたみたい」

 垂髪うないの機転に感謝しつつ座ると、ケージの中のさびまるを詰問した。

「土岐さんは無関係でしょ。何で……」

「無関係じゃないわ。アノマリーに複数関わり合いが有る。あの人自体が特異性を持っている可能性があるのよ。さえないオジサンなのにねえ」

 まるはさびまるに飛びかかって押さえつけて噛みつきたい衝動に駆られたが、人型プローブ(今の格好)の事もあるので自制した。

「飼い主じゃなくても、土岐さんは大切な友人だわ。何処にやったの?」

 自制を利かせ、低い声でまるは言う。

「あら御免なさい。私じゃ分からないわ。あいつが知ってる。でっかいヤマネコ君の件もあるし、向こうに到着したら少しは分かるんじゃない?」

 しれっとした口調でいうさびまるに、まるは再び切れそうだった。


§


 土岐氏の行方不明は予想外だった。ラファエル副長は彼に実の息子の様に可愛がられていた。もともとはラファエル副長の父が衛星〈メディア〉の外交官で、商用でたびたび訪れていた土岐氏と顔馴染みになり、それから友人になったそうだ。

「ラファ……」

 薬研医師が敢えて副長と呼ばなかったのは、プレイジーでラリッているわけではなく、土岐氏の友人として、ラファエル副長を支えてきた人物だからというのも有ったろう。

「済まない、予想外だった。羽賀さんからの情報を総合しても、土岐さんの行方は掴めていない」

 阿於芽あおめは焦燥感でうなだれながらそう言った。彼にとっても、一時飼い主として過ごした相手だ。それなりの情が有った。

「我々に深い関わりのある人物と分かったうえで、敢えて拉致した可能性が高いですね」

 秋風も答えた。彼はラファエル副長や薬研医師、そしてまるほどでは無いが、それなりの年月の付き合いが有った。そこに太田が水を差した。

「お取込み中失礼、〈桜扇子〉が到着。接触を求めています」

「……分かった、接舷を許可しよう」

 ラファエル副長はそういうとコンソールを操作した。

「こちら〈コピ・ルアック〉副長ラファエル。〈桜扇子〉の接舷を許可します」

『こちら〈桜扇子〉の吉田。了解しまし――』

 吉田の報告が途中で途絶えた。何やら捲し立てる声が聞こえる。やがて神楽が通信に出た。

『失礼、ラファエル副長感謝します。その後のまるの足取りは?』

「こちらからは連絡の取りようが有りません。船長がこちらの時間線に戻るのを待つしかないです」

『ふむ。でね、土岐さんの行方だけど、足取りが有る程度掴めたわ』

「ああ、そうですか……って、ええっ?!」

 ラファエル副長は虚を突かれた。

『詳しくは其方についてからね』

「了解しました。お待ちしています」

 神楽が来るまでの数分間。彼らはじりじりと待つしかなかった。


§


 新木場駅で乗り換えるころには、小峰は正気を取り戻していた。2ヶ月ほど前からの記憶が曖昧でおかしいらしい。これはさびまるの証言と符合する。一向は京葉線で葛西臨海公園駅に戻ってきた。

亜空間戦闘艇(ティア・マリア)は?」

 まるはそう言いながら海岸を探す。彼らは乗ってきた宇宙艇を停泊した場所を探した。

「なにもない……」

 琥瑠璃こるりはそれと思しき場所を探し、落胆の色を浮かべた。

「クローキングしているから分かり難いだけかも」

 垂髪うないが励ます。だが、まるはその根拠のない希望を打ち砕いた。

「いいえ、私はちゃんと目印を付けたわ。こことここ、地面に石が突き刺してあるわよね。ここに無いという事は何かあって移動したのね」

 さびまるは目を飛び出さんばかりに見開いて大仰に反応した。

「あらあら、頼みの綱の航宙船が無くなっちゃった、と」

 まるは冷静に事態を分析した。

「〈ティア・マリア〉は亜空間戦闘艇。何らかの要因で転移が必要になったら通信不可能な空間に行ってしまう可能性がある。通信が切れたからピンインは固まってしまった」

「誰が転移させたっていうの? 直前までピンインは私たちと話してたでしょう」

「彼は船内に居ながら船内で起きていることには気が付かない。なぜなら意識は私達と一緒に居たから。何か緊急事態が起きて、ピンインに知らせる時間タイミング無しに独断で転移せざるを得なかった……攻撃を受けたか、或いはここに船が有る事が現地人にばれたか」

「大事なことを忘れているわ。どのプローブもナノマシンを外部にあるコンピュータの演算で動かしているわ。計算リソースが動作しなくなったらどうなるかしら?」

「瓦解するか、緊急モードになってその恰好に固まる……」

「じゃ、あなたとその仔猫ちゃんは今どうしてるのかしらね?」

 冷静な判断はこの一言で無に帰した。そうなのだ。まると琥瑠璃こるりが人型プローブの姿で動き回れている以上、彼女らを形作るためのコンピュータを積載した〈ティア・マリア〉は遠くには行っていない。

「じゃあ、少し移動しただけ……」

「とは言いつつ、コンピュータの指令はどれくらいの距離届くのかしらね?」

「聞いてない……」

 少なくとも、葛西から練馬まで、ましてや地下鉄まで届いていたのだから、探索範囲は生半可な距離では済まされない。

「残念ね、ここで糸が切れちゃった」

 さびまるはケージの中で欠伸をすると、ぐるっと丸くなって目を閉じた。

 まるは暫く唇をかんでいたが。ある事を思い出した。

「いいえ、まだよ。おいで琥瑠璃こるり

 まるは琥瑠璃を呼び寄せると、彼女の人型プローブを解除した。

「コマンド:亜空間搬送波探索」

 まるは自分の特別製のプローブの能力を思い出したのだ。FERISフェリスでなくても、その機能は実装されていた。

琥瑠璃こるりのプローブを再装着。……搬送波キャッチ、位置特定したわ」

 プローブのセンサー表示がまるの視界に映し出される。それは、ある建物から発されていた。

「あそこは……水族館?」


§


 〈コピ・ルアック〉の下層ブリッジでは、神楽女史を取り巻いて経緯の摺合せが行われていた。

「つまり、あなた方はその『迷い猫時間線』とやらに数か月から1年ほど居た。と」

「ええ。そうです」

「でも、私は2週間前にまると亜空間通信で話しているわ」

「私たちの主観時間と、こちらでの時間の流れが全然違う、という事でしょうね」

「だったら納得するわ。この土岐さんと羽賀さん」

 神楽が3Dビューワに映し出していたのは2日前に行われていた織田コンツェルンのパーティの模様だった。会場内を彷徨う撮影者は、テーブルで織田氏と談笑している土岐と羽賀の姿を映し出していた。

「これは僕が知らない羽賀さんだ。恐らく僕たちの前から消えた後の彼だと思う」

 阿於芽あおめが追確認する。

「この黒猫、信用できるの?」

 神楽はラファエル副長に耳打ちする。ラファエル副長も苦笑いしながら答える。

「現状では彼は強力な味方ですよ」

「現状では、ねえ……」

 阿於芽あおめは二人の会話を無視して、神楽に質問をする。

「これ以前とこれ以後の土岐さんと羽賀さんの足取りは?」

「それが、さっぱりなのよね。この会場にも予定外に現れていたらしいわ。帰りの送迎も断って二人は連れ立って街に消えて、その後の消息は分かっていないの」

「この会場は惑星〈星京〉ですか?」

 ラファエルは確認する。

「ええそう。〈星京〉の『トキオ・EXA(エクサ)』にある、10キロメートルの織田氏所有のタワーの最上階」

「二日前……もう別の場所に移動してしまったかな」

「可能性は高いかもね」

 阿於芽あおめは首をかしげた。

「でも羽賀さん、こんな事する位なら、僕に連絡をくれる筈じゃないかなぁ」

「何か連絡を取れない理由でもあったんでしょうかね」

 阿於芽あおめ側の座席にヒョイと飛び乗ると顔を洗い始めた。

「さてね。ところで此処で糸口が絶えてしまったわけだけど、どうしようね?」


§


 葛西臨海水族園の閉館時間は17時。最終入場はさらに前だ。

「中に侵入する手立てが無いわね。小峰君は何か持ってない?」

まるが聞いたが、彼も首を振った。

「ちゃんとした装備を持っていれば、鍵を切断するなりなんなりの手も使えるのですが」

「それは駄目よ。無関係な人に迷惑が掛かるわ」

 さびまるはただ黙って彼等のやり取りを聞いていた。

「仕方ないわ、来た道を戻って……」

 まるが言いかけると、さびまるはあざ笑うように返した。

「あらあ、もうこんな時間ね。練馬までに行く前に終電終わっちゃうわよ」

 まるが迂闊だったのは事実だが、それでもさびまるの小馬鹿にした態度はまるの逆鱗を思いっきり突き回した。

<……こいつっ!>

「……る時間は無さそうだから、夜でもやっている宿を探しましょうか」

「どうやって探す気? ネットも携帯電話もなしに」

「いくらでも方法はあるわ」

 まるは「コマンド:マップ探索」と、人型プローブの機能を使った。

「……近隣でやっている処が何件かあるわね」

「へえ、分かるの?」

 さびまるは純粋に感心した様だ。

「少しはね。さあ案内するわ、行きましょう」

 まるが先導して、一行は歩き出し、深夜も受け付けている宿を確保し、その日の活動は終わりになった。部屋割りはまるとさびまると琥瑠璃こるり、にゃんたと垂髪うない、そして小峰は一人部屋だった。さびまるを猫のまま連れて宿泊できる深夜ホテルを探すのは少々骨だったので、問答無用で琥瑠璃こるりのプローブの一部のナノデバイスを再プログラムして、赤ん坊に仕立て上げた。琥瑠璃はナノデバイスが減った分、年齢を現状の18歳から、14歳程度に落とし、材料をねん出した。

「あにょね」

 舌っ足らずの口で抗議しようとする錆まるをまるは一喝した。

「こら、赤ん坊は喋らない」

「にゃんであたちが赤ん坊にゃぬ」

「ほらほら今は満足にしゃべれないし、黙っててね」

「あたちはこんにゃの無くてもちゃべれるだっ」

「あーうるさい」

 まるはどこから出したか古風なおしゃぶりを取りだして、チビまるの口に押し込んだ。

「むぐーっ、むぐーっ」

<はぁ、これで小うるさい馬鹿猫の口は封じたわ>

 まるは手早くチェックインを済ませると、それぞれの部屋に別れた。

 しかし、部屋に入ると錆まるはさっさとプローブから脱出していた。

「やっぱり閉じ込めるとかは無理な話かな」

 まるはため息をついた。

「ふざけんなっ。あんな窮屈なものにいつまでも閉じ込められてたまるかっ」

 さびまるは全身の毛を逆立ててまるに飛びかかってきた。

「借りてる部屋で騒ぐなっ」

 まる達は筆舌に尽くしがたい夜を過ごした。


§


 翌日、まるたちは再びさびまるを赤ん坊に閉じ込めてチェックアウトした後、葛西臨海水族園へ向かった。

「水族館に猫を連れていくわけにはいかないですもん」

 平然と言うまるに、再びさびまるは食ってかかった。

「うるちゃい、まるにゃんだってにぇこじゃにゃいのっ!」

「またおしゃぶり突っ込まれたい様ね」

「ぶうー」

「もう、船長。さびまるも協力してくれるんなら喧嘩しないでっ」

 琥瑠璃こるりが怒ると、なぜかさびまるは大人しくなった。

<過去に何が有ったかは知らないけど、さびまるは琥瑠璃こるりか、或いは琥瑠璃こるりの親に深い関係が有ったのじゃないかしら……>

 気にはなったが、まるはその考えをいったん脇に押しやって行動計画を立てた。

「さて、私が姉で琥瑠璃こるりとさびまるが妹、私の友人がにゃんたと垂髪うない。という集団っていう事で問題ないわね」

「船長はむしろ二人のお母さんっぽような……」

 垂髪うないが口を滑らせたが、まるは華麗にスルーして話を続けた。

「私のプローブから一部のナノマシンを切り離して探知機を作ったわ。空間異常が有れば反応する。みんな手分けしてターゲットを探して」

 そういうと、各人に小さいブローチ状の端末を配った。

「さびまるは一人じゃ動き回れないわね……」

「あ、じゃあ私が一緒に居ます」

 琥瑠璃こるりはひょいと赤ん坊の格好をしたさびまるを抱えた。それを見てボソッと垂髪うないが呟く。

「……子供に世話を押し付ける母親……」

 まるは虚を衝かれた表情をしたが、少し考えて、彼女らの指摘に一理あると感じた。確かに年長者が子供に赤ん坊の世話を押しつけているように見えるのは好ましくない。

「あのねえ。……分かったわよ、私が連れて行けばいいんでしょう」

 3匹と3人は水族園のチケットを購入すると中に入った。葛西臨海水族園は3階から徐々に下に降りていくちょっと珍しい構造だった。が、入り口を入ったところにあったのはがらんとした大きな周りを取り囲むような中空の半円筒状の水槽だった。

「なにもない水槽が最初って――」

 まるが呟いていると、垂髪うないが注意書きに目をやった。

「船ちょ……マルティナさん、ここに何か書いてあります。ええと、『展示についてのお知らせ――マグロ類の展示数減少について』」

 琥瑠璃こるりが続きを読む。

「マグロの大量死……何でしょうか?」

 まるは顎に手をやって考えた。

「魚は敏感だわ。何かに驚いたのか……昨年12月から、かぁ。その時期から例の影がここに居た、とか?」

 垂髪うないはうーんと唸りながら考えていたが、異を唱えた。

「推測だけで考えるのは危険かも知れないですね……」

 まるが抱えていたさびまるが体をねじった。

「先にすちゅむしかにゃいでち」

「こら、赤ん坊喋るな」

 まるは肩をすくめて先に進んだ。


 マグロの大水槽を除けば、大抵の展示は概ね水族館のセオリー通りで、入り口付近は水辺の生き物的な展示、そこから徐々に色んな企画展示に進む形だった。

「あ、あそこに職員さんぽい人が居ます。ちょっと聞いてきますね」

 琥瑠璃こるりが一人の作業着姿の女性を見つけて走り寄った。質問をしていたようだが、何か聞かれてまるたちの方を指差す。女性はこちらに手を振ろうとしたが、はっとした顔で固まった。

「まる……ちゃん?!」

 相手はまるを知っていた。そしてまるも、その女性には見覚えが有った。


§


「ええ、そうです。神楽コーポレーションの。ええ、はい。それで、織田会長様は今どちらにいらっしゃいます?」

 神楽は指先ほどの携帯端末を手に持ち、織田氏に連絡をつけようとしていた。

「だめね。やっぱり一度、〈らせんの目太陽系〉に行かないと」

「通商圏が違うと、異世界みたいな感じですからね」

 ラファエル副長が少し肩を落としたように見えた。

「でもどうしましょう。ここから〈大和通商圏〉の〈らせんの目太陽系〉まで、超空間ゲートを通っても最短で1.5日は掛かるわ。時間的余裕はどれくらいあるの?」

 神楽の質問はもっともだが、今回最も曖昧なのがその「時間」だった。数か月は論外だろうが、数日とか、そういう時間単位だとかけていいのかどうか、ラファエル副長も判断が付きかねた。

「時間がどの程度意味があるかは分かりませんが、今は敵対するものが居ると明確に分かっています。無駄に時間を掛ける愚は避けたいですね」

 脇で話を聞いていた秋風が、何かを思いついたようにスレート端末を取りだすと、ものすごい速度で計算し始めた。そして、すぐに答えが出たようで、にやりと笑って顔を上げた。

「ふむ、何とかできるかもしれない。40分で〈らせんの目〉外周部に到達できます」

「もう2本のナセルも犠牲にしてしまうのか?」

 ラファエル副長は質問する。

「まだ完全には壊れていませんから、破損しかけのナセルを使い切るつもりでやればまだ活動できます」

「周囲の破壊が云々とか」

 太田が心配して聞いたが、松風はふふんと鼻で笑った。

「人類圏内の航宙図をちゃんと調べて、迂回コースを計算したさ。直線なら20分で到達できるんだがね」

 ラファエルは一瞬考え、阿於芽あおめに視線をやった。

「良いんじゃないの? この船が保つなら。あまり時間が無いという点については僕も賛成だよ」

 その答えを受けてラファエルは決断した。

「よし、分かった。すぐに取り掛かってくれ」

「何? 裏ワザでもあるの?」

「かなり無茶な方法らしく、船体がどんどん壊れてしまいますが、背に腹は代えられません。神楽さん、接舷した〈桜扇子〉は何処かに停泊して来ていただけますか」

「吉田にやらせておくわ。私も行きます」

 ラファエル副長が頷くと、背後に居た吉田に目で合図を送った。吉田は即座に一礼して退出していった。


§


「矢田さん……、どうして貴女がここに?」

 まるは予想外の偶然に目を丸くしていた。そう、それは2010年に世話になっていた、八王子のあの矢田だった。

「それは私の台詞よ。もうこの世界には来ないかもって」

「色々あって、また来る必要が出来てしまったの」

「私もいろいろあって……今はここの職員をやってるわ」

 まる達が話し合っていると、脇で赤ん坊が喋った。

「知り合いにゃんでちか?」

 矢田は叫びそうになるのを必死で抑えた。

「――この赤ん坊、喋った?」

「いろいろ事情があってね。私と同じような素性だと思えばいいわ。そっちの女の子は、実は一度会ってるのよ。あの茶色い仔猫。琥瑠璃こるりおいで」

「えーっ?!」

「ご無沙汰してます。矢田さん」

 やって来た琥瑠璃の頭を軽く撫でる矢田。

「もうそんなに育っちゃったんだ」

 まるは複雑な心境だった。

<彼女にとってはあの別れはもう4年以上前だ。私はつい先日の話。時間旅行のツケみたいなものね>

「まだこの子は仔猫よ。あなたと別れたのは、私の主観時間では3日前の話ですもん」

「一体何がどうなっているの?」

 明らかに矢田を困惑させてしまったようだ。

「ごめんね、いろいろ話したいことはあるんだけど、今取り込んでて」

「何か事件?」

「ええ、下手をするとこの世界が危ない位のね」

「私に何か手伝えることはない?」

「そうね……最近この水族園でおかしなことは、……起きてるわよね、マグロの件か」

「ええ、あれでいろいろ批判されたり、ゴタゴタしちゃってて」

「水族園の中におかしなものがある、とかはない?」

「そんな事が有ったらすぐに気が付くはず。今のところそういう事はないわ」

「そっか……有難う。ちょっと館内を調べるけどいい? 迷惑を掛けるようなことはしないわ」

「あ、ええ。いいわ。私に手伝えることはない?」

 そう言われて、全員分用意した探知機を思い出した。さびまるの分が浮いている。

「じゃあ、これを持って一般人の入れないところを一回りしてもらえるかしら、反応が有ったら教えに来て」

「分かったわ」

 思いがけない協力者のお蔭で、まるは自分たちの行けないところをチェックする機会を得た。

<これも偶然かしら? そういえば、彼女は2010年末ではこの世界から抜けられないとか聞いたけど、もしかしたらこの事件に関連が有るのかな>

 まるはいろいろ考えながら水族園を歩く。

 ボーっと見ながら、彼女はポロリと口に出してしまった。

「あ、あのお魚美味しそうね」

 脇に居た琥瑠璃こるりが同意する。

「ええ、プリプリしてそうです」

 猫二匹の暴言に、たまたま一緒に歩いてきていた垂髪うないが苦笑いをする。

「ここのお魚は食べられないですよ」

「分かってるわよ、でもおいしそうだって思うのは勝手じゃない?」

「そんなこと言いながら、涎たらしそうな顔しないで下さいよ」

「だって昨日からまともに食事してないんですもん」

 まるたちは夜遅くバタバタして、宿を出た後も何かと忙しかったために、今まで食事を抜いてしまっていた。

「じゃ一度途中退場して、付属のレストランに行きましょうか? お腹空いてたらいざという時に力が出なかったりしますし」

「そうね……」

「船長、私お腹すきました」

 琥瑠璃こるりも食事に賛成した。

「小峰君は?」

「さあ? 一人で先に回っているみたいです」

「呼んできたほうが良いかしら……垂髪うない琥瑠璃こるりは先に言って食べてて、お金は渡してあるわよね」

「分かりました。じゃあ、そこのサビ……じゃなくて赤ん坊もお預かりしていきます」

「ああ、お願い。何か食べたそうだったら適当に分けてあげといて」

 まるは言い残して館内を回りだした。探知機に反応はない。個々の展示はおもしろそうだったが、なんとなく寂れている感じが否めなかった。やはりマグロの件が影響しているのだろうか。やがて、まるはペンギンの水槽で小峰と合流した。

「ああ、小峰くん見付けた」

「あ、船長」

「皆で食事するってさ。小峰君もおいで。お腹空いていたらいざという時に困るわ」

「自分は別に……でも、分かりました」

 小峰を連れてまるは一度館内を出て、付属のレストランに入った。

「あなご刻み丼か、これ良いわね」

 まるは丼物を選択して注文した後、既に食事を始めていた垂髪うない達と合流した。

琥瑠璃こるりは海鮮あんかけそばなのね」

「こんなもの初めて食べました。感動です」

「人型プローブだと、普段食べられない物が一杯食べられるわよ。でも食べ過ぎに注意してね」

「猫の食事に満足できなくなっちゃうかもですわね」

 まる達が談笑していると、面白くない感じでさびまるがブツブツと不平を垂らした。

「あたちは何でふちゅうに食事できないでちか」

「あ、ごめんねー、あなたのプローブは急造だし、そのサイズに食品分解機構を組み込めなかったの」

「じぇったいわざとだ」

「周りに人がいっぱいいるから騒がないで。あなたも目立ちたくはないでしょう?」

「ぶー」

「適当に何か追加で買ってあげるわよ」

 そう言ってまるはレジに向かい、サイドメニューのカスタードプリンを買って戻ってきた。

「これならその姿で食べられるわよね」

「ちかたにゃいでちゅ」

 さびまるは慣れない手つきでプリンを食べ始めた。

「さて、と。今のところ成果が無いわね……」

 まるの注文が出来たと呼ばれ、丼を受け取っているとき、矢田がやって来た。

「あ、まるちゃん居た」

「矢田さん? 何か見つけたの」

 まるは丼を持って席に戻った。矢田は水だけ取ってとなりの席に座る。

「何だかわからないんだけど、これが振動する場所が有ったわ。バックヤードだからあなた達を連れていくのは難しいんだけど……あ、食べてて」

 まるは適当に丼に箸をつけた。栄養補給には丼の1/3程度を食べれば、自動的に中のまる自身に必要量が伝わる。余剰は味覚は感じるが、食べても破棄されるだけだ。

「その装置が反応した場所には何かが有るわ。このプローブから出た私なら何とか連れ込めない?」

「猫を? 余計に難しいわ」

「そっか、そうよね。そこに多分仲間もいるんだと思うのだけど」

「うーん。急ぐ?」

「どれくらい時間が残っているか分からないから、出来るだけ早くしたいわ」

「そうね……」

 二人が頭を抱えていると、さびまるが割り込んだ。

「あたちがいるじゃにゃい」

「そっか、赤ん坊だったら知人が用事で……っていう言い訳が出来そうね」

「え、でも」

<こいつを信用していいのかな>

「あたちはまるが大っ嫌いにゃの。でも協力ちゅるって言ったでちよ。約束はまもりゅわ」

「……わかった、じゃあお願いできる? さびまるは確認したらどうにかできる?」

「こにょ忌々ちいプリョービュを出ちゃら、にゃんとでもなりゅわ」

「そっか。じゃあ、仲間をお願いしたい」

「うにゅ」

 二人の話がまとまったらしいのを見届けて、矢田が言った。

「じゃあ、行ってくるわ、あなた達はここで待ってて」

「うん、お願い」


§


 秋風が準備完了を告げて来て、全員が座席に体を固定した。

「ビヨンドドライブ始動!」

 再びすべての計器が死んだ。前回と違い、かなり酷い振動だ。

「コースを変更する必要が有りますから、すぐにドライブが止まります。5回ほど繰り返すことになりますよ」

 彼が言うが早いか、すぐに船体が止まった。コースが変更され、再びドライブが始動する。しかし、それはすぐに停止した。

「あれ?」

 秋風は素っ頓狂な声を出した。

「どうした?」

「おかしいな、ここで止まる筈はないんですけど」

「ナセルが逝っちゃったんじゃないか?」

 渡辺が突っ込む。

「いや、向こうに到着するぐらいまではギリギリ保つはずなんだ」

 秋風が慌てていると、加藤が報告してきた。

「亜空間通信です、近いですね。発信者は不明」

 ラファエル副長は眉をひそめたが、この状態でこのタイミングで通信をしてくる相手は明確な味方か敵しかいない、と判断した。

「通信開け」

『こちら土岐。そちらは〈コピ・ルアック〉だね。阿於芽あおめはいるか?』

「土岐さん!」

 全員が声をそろえる。そして、阿於芽あおめは一拍置いて答えた。

「ここに居るよ、どうなってるんだい?」

阿於芽あおめか、羽賀さんからの伝言だ。すぐにシールドルームに入れ。だそうだ。あと、琥瑠璃こるりという仔猫が居たら、その子もシールドルームに。それから、そこにまるが居たら伝えてくれ。二匹と、それとまるが、敵のターゲットだって』


(続く)





今回でかなり伏線を回収するつもりでしたが、次回回しになって仕舞いました。本来次回で終わるつもりだったのですが、ひょっとするとあと2回になるかもです。

とにかく、長かった「孤影悄然」もあとわずか!

もう少しお付き合いください。

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