第45話「孤影悄然のまる17:まるとまる」
地上で突然襲われたまる。
敵の正体は一体。急展開です。
(承前)
まるは小峰の手に握られたブラスターが自分に照準を定めていることが半ば信じられなかった。
「船長!」
たまらず飛び出してきたボーテがまるの背後にやって来た。
「来ちゃ駄目!」
まるは厳しい声で制止する。小峰はボーテを見て目を丸くする。
「だっ、誰だ!」
<やれやれ、私の事だけじゃなくて、他の乗組員も忘れているのか>
「そこのサビ! うちの乗組員に何をしたの?!」
まるが言うと、サビ柄(三毛の白い部分が殆どなく、茶と黒がごちゃごちゃとまじりあったような柄)の猫はそのカギの様に曲がった尻尾をくるくると動かしながらにんまり笑う。
「あらあ、変な言いがかりは止めて貰えるかしら。うちの乗組員よ、小峰君は」
「なっ」
小峰はそのままサビ柄の猫を庇いながらじりじりと後退りして、その後、猫を抱えて逃走した。
「まて、こらーっ!」
まるは叫んだが、小峰の威嚇射撃でひるんだ。
「船長、いったい何が……」
まるの後ろに立つボーテが呆然と尋ねる。
「そんなの、分かる訳無いじゃない」
まるは吐き捨てるように言うと、くるりと踵を返した。その尻尾は怒りで丸々と膨れていた。
§
光速の二千万倍というべらぼうな速度になると、最早飛んでいるという感覚はない。あまりの速度に亜空間レーダーですら外界の変化をとらえることは不可能であり、どういう仕組みか、一切加速すら感じないので、移動は数値上の事件でしかなかった。もっとも、少しでも加速が伝わっていたら、全員ミンチどころではなかったわけだが。
「この新航法「ビヨンドドライブ」の最中は、一切のレーダー等が使い物にならないので、正しく航行しているかどうかは運を天に任せるしかないのが辛いですが」
秋風は前置きを話すと、ラファエル副長が眉をひそめた。
「ビヨンドドライブ?」
「はい。名前が無いと面倒なので私が命名しました」
こともなげにそう答えると、得意満面で続けた。
「施工が成功していれば、あと30分で〈始祖の太陽系〉のオールトの雲内周部に到着します」
「アンドロメダ銀河に行くときに使った、羽賀さんのどこでもドアなら一瞬だったろうに」
そう突っ込んだ太田航宙士も、目隠し航行ともいえる今回の行動についてわ半信半疑ながら、航行終了時の亜光速航行に備えた準備を進めていた。
「残されていた情報がこれだけだったのですから、文句は言えませんよ」
そう言いながら肩を竦める秋風に、ラファエル副長は眉間にしわを寄せながら、シェブランからのレポートに記された不穏な事実について確認をした。
「ところで秋風君、この航法の後、船体が受けるダメージについての注意書きは読んだかね?」
秋風は当然理解していたらしく、待ってましたという表情で返答した。
「ナセルが回復不能のダメージを負う、という話ですか? 4本中2本だけを使えば済むことなので、2本は残ります。全力運転をしない限り、2本で十分機能しますよ」
こともなげにそう言い切った秋風だったが、まる船長のげんなりしたフレーメン顔を想像して、ちょっと良心が痛んだ。恐らく、〈コピ・ルアック〉は、この事件が解決した後暫くの間は、休業を余儀なくされるだろう。
「ナセル2本分の損失、船長が聞いたら失神しそうですな」
薬研医師が苦笑いをしながら茶々を入れた。口には「プレイジー」アイスバー、――習慣性・依存性の無いある種の麻薬――を咥えている。
「薬研先生、こんな時にそんなものを食べて……」
「料理天国」の一件以後、なぜかすっかり薬研医師と仲良くなっていた加藤が心配する。
「こんな時だからだよ。どうせ私は役には立たんしな」
そういうと、アイスバーの刺激で頭痛を起こした頭をこんこんと叩く。
「言っておきますが、肝心な時にトイレに籠られては困りますから、それで最後にして下さいね」
太田航宙士が笑いながら茶化す。
「ああ、わふぁっふぁ」
口にバーを頬張りながら言葉にならない返事を返す薬研を見つつ、やれやれという表情のラファエル副長は、コンソールに出ているシェブランからのレポートに意識を集中させた。船長たちが万が一危険な目に遭っているのだったら、ナセルの2本くらい安いものだ。ただ、他の船体の異常が有ったら、せっかく間に合っても、足手まといに成り下がってしまう可能性はある。自分たちがやれるベストを、今のうちに見定めておかなければ。
§
まるは苛立っていた。
「一体何なのあいつは?! うちの小峰君を――!」
ぐるぐると砂浜を歩く。まるで腹を空かした虎の様だ。
ピンインのポシェットから出た琥瑠璃は心配そうにまるを見ていた。
「船長……」
まるは仔猫の視線に気が付いた、まる自身、いらだちを振りまいている今の自分が、琥瑠璃の教育上宜しくないのは分かったし、そもそも知識的には「おませ」でも、情操的にはまだまだ1ヶ月の仔猫なのだ。
「ごめん。大人げなかったわね」
そういうと、まるは琥瑠璃の目の前まで歩いて行って姿勢を低くし、仔猫の頭をやさしく舐めた。
「違うんです。船長、違うんです」
琥瑠璃はまるのざらざらした舌によるブラッシングを受け入れながらも、まるに訴えかけた。
「何が違うの?」
「船長、……私あの猫知ってます」
その琥瑠璃の記憶は曖昧で、信憑性について言えば五分五分と言ったところだった。無理もない、その当時の琥瑠璃はまだ生後2週間を過ぎた程度で、やっと目が開いたばかりの赤ん坊だ。それでも、敵についての重要なヒントになるのかも知れなかった。
「彼女は……いいえ、『あれ』は……いつもそばに居ました」
「まさか、あの猫が琥瑠璃の……」
「違います、船長を初めて見たときにはちょっと混乱しましたけど、お母さんは別にいました。何と言ったらいいのか……あの猫は親切なおばさんといった感じで、お母さんを助けてくれていたんです。お母さんの傍にあの猫の匂いがしていました」
<匂い。か>
仔猫であっても、嗅覚の記憶は鮮烈だ。
「分かったわ。じゃあ、どんな些細な事でも、覚えていることが有ったら話して」
「私が目が開かずにまだ這いまわっている頃から、お母さんが怪我をしていて血と、傷口の膿んだ臭いをさせていたんです。だから思う様に狩りや食料の調達が出来なくて……。そんな時、あの猫が餌を運んでくれていました」
「お母さんは私が行った時にはいなかったわね」
まるがそう聞くと、琥瑠璃は俯いて、暫し言葉を濁した。
「傷は思ったよりずっと深かったのだと思います」
<む、今の質問はするべきじゃなかったわね>
「良いわ、それ以上言わなくても」
「でも……」
まるは軽く琥瑠璃の首筋を噛んだ。母親が戒めるポーズをもっと形式的にしたようなものだ。しかし、それで理解はしてくれたようだった。琥瑠璃が人間の様に感情で涙腺が刺激されるなら、涙を流していたかもしれない。しかし、涙の情動は、人間という特異な生物だけが持つ特性だ。猫たちはどんなに悲しくても、感情だけでは涙は流さない。
「落ち着いてから話してくれればいいわ。今は小峰君を追跡しましょう」
まるの問いかけに、アレクシアが頷いた。
「小峰君にマーカーを付けました。現在追跡中。駅の方向に向かったみたいですね」
「市街地か……人型プローブが有れば行動しやすいんだけど」
まるは歯噛みした。
「あるよ」
そんなまるを見て、少し薄笑いのような表情でピンインが言った。
「え、だって計算リソースがそんなにあるコンピュータなんて」
「調べたら、この戦闘艇に搭載されていたんだよね、多分FERISの……いや、元FERISだった物の、コンポーネントのごく一部だと思うんだけど」
「羽賀さんか、それとも阿於芽か。どちらかが気を遣ってくれたのかしら」
「さあ? プローブの為のナノマシンカートも積んであったから、多分利用を考えた上の事じゃないかな。僕が〈川根焙じ・改〉に積載を手伝ったセットよりもちょっとだけマシな構成になってる」
「どういう事?」
「僕用のプローブが作れるんだよ。あと琥瑠璃もね」
「ピンイン用……って、巨人にならない?」
「僕の分は遠隔操作型なんだよ。だから僕はこの船内に残る必要がある。君と琥瑠璃の分は従来と同じ、中に入るタイプだ。フィードバックの性能が段違いだからね」
そう言って、ピンインはまると琥瑠璃にモバイルコントローラを手渡した。琥瑠璃はそういう存在は認識していたが、いざ自分で使うとなると勝手がわからず、前足で弄んだ。
「ああ、ちょっとレクチャーしないといけないわね」
まるは琥瑠璃に、人に「化ける」方法と、その際の注意事項などを説明し始めた。
§
〈始祖の太陽系〉。
そこは人類が発祥したと言われる太陽系であり、〈地球通商圏〉の中核をなす場所である。居住可能惑星・衛星は、天然居住可能惑星の〈地球〉をはじめとして、〈金星〉、〈火星〉、〈月〉、〈ガニメデ〉、〈タイタン〉と、6か所もある。多くの国が〈地球通商圏〉を去った結果、中央アジア、インド、中東、アフリカの各国が全体の98%を占める体制で成り立っており、共通の公用語は存在しない。ただ、多くの場所では広東語と英語が通用するらしい。
〈月〉の大都市、〈ルナ・セントラル〉にあるホテルの一室では、一人の女性が、顔をぷんぷんに膨らませてご立腹の様子だった。
「私を放っておいて随分楽しそうな事やってるらしいじゃない」
ドレスの裾を翻らせて椅子から立ち上がると、部屋の隅に控えていた男性を叱り飛ばす。
「吉田! まだ珈琲豆の連中の場所は分からないの?」
「現在追跡調査中です。地球周辺に〈コピ・ルアック〉が出現したのは3日前。ただしその後、謎の失踪をしています」
「全長1kmの大型武装船が失踪っていうのがわけ分からないわ」
「はい。〈コピ・ルアック〉自体が惑星〈地球〉の洋上にいきなり出現したり、失踪直前に周辺の空間に膨大なエネルギーと大質量が検出されたりと、いくつも不自然な現象が観測されています」
「うむむむむむ……絶対なんかまた面白……大変な事件が起きてるに違いないのに、私に何も相談しないなんて」
「2週間ほど前に、織田コンツェルンに『アレクシアの料理天国』というチェーン店に関する権利を譲渡した直後から、〈コピ・ルアック〉のすべてが消息を絶っていました」
「でも、乗員の大半は〈らせんの目太陽系〉の惑星〈白浜〉で発見されたんでしょう?」
「384名は、気が付いたら土岐氏のリゾートビーチに居たそうです。ただ、外界との連絡手段が一切絶たれており、つい2日前に、連絡の取れなくなった土岐氏を心配した調査隊が彼らを発見したそうです」
「〈コピ・ルアック〉乗員発見。ただしメインクルーを除いて、か」
「はい。同時に〈大和通商圏〉の羽賀筆頭参事官の行方も不明です」
「羽賀さんまで、となると、大事の予感がするわね」
「仕事の一次的移譲等はすでに済ませて、長期休暇の申請も出ていますから、不審な失踪ではないはずなのですが……」
「そんな訳無いじゃない、絶対関係していると思うわ。他にも失踪者リストに載っている人物がいるんでしょ」
「はあ、人物と言いますか、動物ですね。〈蝶の翅太陽系〉で主幹研究員をやっている……」
「ピンイン、か」
「それと、土岐氏とその飼い猫も行方不明です」
「阿於芽は何となく分かるけど、土岐氏までというのは何かしら」
「その点はまだ調査中です」
「仕事遅いわね、ぐずぐずしてるんじゃんじゃないわよ」
「申し訳ありません」
神楽は内心では心配が募っていた。友人達が長期に渡って行方不明なのだ。おそらくは吉田にもそれは伝わっているだろうとは思ったが、あえて虚勢を張って見せていた。
「とにかく、どんな些細な情報でも良いから探すのよ」
「承知いたしました」
吉田がすっと下がり退室した後、神楽は天を仰いで、それから冷蔵庫に向かい、〈大和通商圏〉では製造が規制されている「魔酒」アブサンを取りだすと、凍らせたグラスに注いで呷った。しかし、その強烈な感覚も、彼女の心の焦燥感を鈍らせてはくれなかった。
§
神楽茉莉が焦燥感を募らせているのとほぼ同時刻に、〈コピ・ルアック〉は、秋風命名するところの「ビヨンドドライブ」から通常空間に帰還した。場所は地球から約0.3光年のオールトの雲の内周部である。
「通常空間座標特定しました。ビヨンドドライブ成功です」
秋風は緊張を解きながら宣言した。
「ここから地球までフルワープ(光速の約1000倍)で約2.6時間ですね。コース設定急ぎます」
太田航宙士が通常のワープ航法の準備に取り掛かろうとしていた。だが、ラファエル副長は冷静に状況を判断して指令する。
「ちょっと待て、ワープ・ナセルの状態は?」
この質問には、秋風技術部長が流れるようにコンソールを操作して返事をする。
「ビヨンドドライブに使用した2本は急激に消耗していますから、4~5時間のフル稼働で使用不能に陥る可能性が有りますね」
「何とか地球現着までは保つ、か。太田君、コースセットを進めてくれ」
「了解しました」
だが、そこに加藤が口をはさむ。
「ちょっと待ってください。緊急事態の可能性が有ります。本船から4天文単位の位置に亜空間断裂が!」
ざわざわと慌ただしくなり始めたブリッジで、渡辺ネットワーク部長がふと気が付く。
「亜空間通信が入っています」
ラファエル副長もタッチの差で送れながらも通信に気が付いていた。
「フロントビューアに通信を回せ」
『皆様ご無沙汰だねえ、乗船許可を貰えるかな?』
それはかつての敵、今の強力な助っ人だった。真っ先に反応したのは最近一緒に作業することが多い秋風だった。
「阿於芽! 無事だったか」
ラファエル副長は遙かに慎重だった。これまでの様な変化を起こせる既知の相手のリストの筆頭が阿於芽だからだ。
「船長たちは? 一緒じゃないのか」
『まると他の猫、それに女性は全員この戦闘艇と同型の船で迷い猫時間線に向かった。今頃は小峰に接触していると思うよ』
「そうですか……」
『ここに来る最中に亜空間で敵に遭遇した。敵はどこに現れてもおかしくない。とにかく入れてくれるとありがたいな』
ラファエル副長は協力関係を重視することにした。
「了解した。間もなく本船はフルワープで惑星〈地球〉に向かう」
『ああ、シャブランに超光速航法のデータを残した際に、そうなると想定してた』
「『ビヨンドドライブ』のことか」
『何その名前……秋風君か。ちょっとセンスないな』
阿於芽に「センスない」と言われ、秋風はショックを受けているようだった。
「よし、ドックを開けた。進入してくれ」
太田の指示に従い、〈カルーア〉は〈コピ・ルアック〉に進入した。
「〈カルーア〉の固定を確認、これよりフルワープに入ります」
§
中央線は夜だというのに混んでいた。
まる達は、阿於芽が残した指示に従って、練馬に向かっていた。阿於芽はこういう機会が来ることを想定していたようで、銀行口座が生かしてあり、彼らはそこから資金を引き出して行動資金にした。だが、この世界に籍のあるにゃんたも、身分証明は既に期限が切れていたため、通信端末を買うことは出来なかった。
「私が現住所で端末申請したらよかったかも」
にゃんたが提案したが、まるが一蹴した。
「私だってここで暫く過ごしたからいろいろ理解してるわ。4年も失踪状態だったらどうなっている?」
「あ……」
にゃんたは現実を把握して落ち込んだ。色々と滞納している、多分もう住居はダメだろう。阿於芽の指示は、それを解消するものらしい。
「何だかんだと、先行きの予見が出来ているのね」
まるは人型プローブの肩をすくめた(猫であるまる自身は欠伸をしているが)。
「目先の予見が出来ていたのは、阿於芽というより羽賀氏とFERISでしょう。阿於芽はその実行部隊の役割を持っているんだと思います」
そう話すピンインは、スーツを少し着崩した、ダンディな中年男性の人型プローブだ。12歳の癖に酷い詐欺である。まあ、それは人間と猫の差という事で納得できなくはなかった。だが、一番詐欺なのは琥瑠璃だった。未成年だと夜間ウロウロできないという理由から、18歳想定のプローブを使っていた。本猫はまだ一カ月と少しの赤ん坊仔猫だというのに。
3匹の猫と5人の女性のうち、追跡に参加したのは猫3匹(ピンインの実態は戦闘艇の中だが)、にゃんた、垂髪の5人。残りは戦闘艇の中で待機して、別途情報収集をしていた。
「4年ちょっとの間に、何だか街の感じが違ってますね」
にゃんたがまるに囁く。
「気が付いた? 私も不思議。なんとなく寂れた感じというか、あちこち暗いよね」
二人は知らないが、彼らが居なかった4年半は激動の時代だ。東日本大震災、原発事故から始まり、政権与党が変わり、電力の不足とともに日本の経済は徐々に疲弊した。落ち込む経済を立て直すべく行われたデフレからの性急な脱却策により、物価は急騰し、かえって人々の生活を圧迫し始めている。
5人は新木場で西武線飯能行きの地下鉄有楽町線に乗り換えた。そのまま乗っていれば練馬駅に到達する。
始発駅なので全員が並んで座る事が出来た。ピンインは座席に座るなり頭に手を当てる姿勢で固まった。恐らくピンイン本体が戦闘艇の中で作業を開始したのだろう。まるは敢えてそっとしておいて、にゃんたと他愛ない会話をし、他の2人はその会話に耳を傾けた。電車は込み合い、お互いでの話し合いも困難な状態になってきた。
「ピンインが少し羨ましいわ。プローブの移動中とか、面倒臭くなったら通信を切ればいいんだから」
垂髪が愚痴をこぼしたが、まるは平然と返した。
「あら、でも彼は食事を味わうことは出来ても食べることは出来ないのよ?」
「あー、そっか……でもそれって、ダイエットにはすごくよくありません?」
言われてまるはちょっと複雑な顔をした。
「うーん、私はちゃんと食べたいなぁ。人でなければ味わえない物も一杯あるし」
そんな話をしていると、電車は西武線への接続を行う「小竹向原」に到着した。この駅でぐっと人が減って、5人の周りの席には人がまばらになった。丁度その時、ピンインは固まった姿勢のままから再び動き出した。
「ふむ、少しだが、2010年末から2015年末に至る時代の事に調べが付いた」
まるは興味深そうに顔を向けた。
「どういう感じ?」
「大震災が有ったのは歴史記録にも残っているな?」
「ええ、未曽有の規模の震災が有ったのよね。確か、東日本大震災……だったかしら」
「その影響で、原発事故が有った」
「ああ……」
「この時代の技術では、原発事故は修復不能だ。国全体に疑心暗鬼が広がり、原発はすべて停止された。結果として電力不足が起き、経済は疲弊したらしい」
「なるほどね。駅のあちこちで電気の消えた場所が有って、故障しているのかと思ったけど。節電だったのね」
脇で聞いていた垂髪がため息をついた。
「高エネルギー型のバイオリアクターが実用化されるまでは、エネルギー問題はずっと人類の頭の上の瘤ですもんね……」
「原発事故で福島が汚染されて以降、核燃料や原子力発電の是非で、国民感情が酷く乱れた時期もあったようだが」
故郷の暗い話題を聞いて、にゃんたが落ち込んでいるのを見て、まるは話題を切り替えた。
「まあ、暗い話題ばかり見ても仕方ないわ。コンピュータやネット社会は、この4年で大きく進歩しているわね。私やにゃんたのアカウントは残っているかしら」
「阿於芽が用意してくれているという通信手段に期待するしかないね。あ、そろそろ練馬駅だよ。降りよう」
彼らは駅を出ると、西に向かった。
「ええと、千川通りを南に行って……と、その先に二階建ての一軒家を購入済。購入済?!」
まるは顎が外れそうになった。
<あいつ、こっちの世界に居た時、一体いくら稼いでたのよ>
建物に到着すると、明かりが点いていた。
「人が……居る?」
琥瑠璃が焦る。
「どうなってるの?」
まるは阿於芽からの指示を見返した。
「ええと、一階は管理会社に委託して貸し付けてあるんだって。人が居ないと家が傷むから。二階も定期的に掃除が入ってるってさ」
そういうと、ピンインはポケットから鍵を取りだした。
「鍵は情報化されていたから作って来たけど。大丈夫かな?」
垂髪は困惑した表情で鍵を見た。
「この時代の物理鍵なんて、何もなくてもすぐ開錠できるでしょう?」
「阿於芽のトラップが仕掛けてあるの。物理鍵で開錠しないと変なことが起きるって書いてある。奴のトラップなんて想像もしたくないわ」
まるの言葉を聞いて垂髪は肩をすくめた。一同は階段を使って二階に上がり、鍵を開けて部屋に入った。まるはがらんとした部屋を予想していたのだが、そこは家具もそろって整頓された2LDKだった。
「そしてこれがもう一本の鍵、と。これはこの時代の鍵じゃないな」
ピンインはそう言いながらマッチ棒程度の棒の様なものを取りだした。全員で部屋の中をあちこち探していると、部屋に似つかわしくない物にそれの差込口が有った。
「なにこれ? 椅子?」
そこにあったのは高さ2mほどの円柱の下に、クッション付きの椅子の様な代が付いたもので、円柱のうち90度分が削ってあった。にゃんたはその物体の正体に気が付いて目を丸くした。
「あ、私これ知ってます。確か凄い昔にあったスーパーコンピュータですよね」
「阿於芽の趣味臭いわ。とにかく鍵を刺してみましょう」
ピンインが鍵を刺すと、「ブンッ」という音がした。同時に部屋のあちこちから機械の動作音がする。
「この部屋、見た目通りの部屋じゃないわね」
「このコンピュータも、昔の物じゃなさそうだ」
彼らが話していた、その時だった。
「こんなところに根城を構えていたのね」
背後から5人とは別の声が聞こえてきた。
<しまった、入り口を閉めるの忘れてた!>
§
「社長、ご報告したいことが」
「吉田? 何か進展が有ったの?」
神楽は深くソファに座って寛いでいたが、上体を起こした。
「はい、先程〈コピ・ルアック〉を捕捉しました」
ガバッ、っと神楽は飛び起きた。
「なに、どうなってるの?」
「分かりません。地球から0.5天文単位の距離にワープアウトして来た模様です」
「亜空間通信をつないで、それから〈桜扇子〉出発の準備を!」
「既に準備を済ませております。通信チャンネルはこちらの端末で」
そう言いながら吉田は、3Dスレート端末を神楽に渡す。神楽はそれをひったくると通話をONにした。
「まる? そこに居るの?」
だが、神楽の意思に反して、通信に出たのはラファエル副長だった。
『申し訳ない、船長は別の時空間で作戦中です』
「何面白そうな……失礼、どんな大変な事件が起きているの?」
『詳しい事は話すと長くなりますが、こちらは極めて危険な状態です。接触は最低限にされた方が宜しいかと思います』
「そう聞くと余計に黙っている訳にはいかないわ。何か手助けできることは?」
『では、土岐氏に連絡を』
「一緒じゃないの? 彼、行方不明よ?」
『えっ……。阿於芽、土岐さんが行方不明とか聞いていないぞ』
〈コピ・ルアック〉内での言い争う声が暫く聞こえた。
「ねえ、私たちはどうすれば良いの?」
イライラして神楽が尋ねると、暫くして薬研医師が通話に出た。
『ああ、済みませんな。ちょっと手違いが有りまして。船内の意見を取りまとめたら折り返しご連絡差し上げます』
そういうと一方的に通話が切れた。
「なによもう。冗談じゃないわ、吉田。こっちから出向くわよ」
「畏まりました」
神楽は吉田と共にホテルを後にした。
§
まるが振り返ると、そこには例の錆柄の猫が居た。
「出たわね偽まる」
まるが言うと、鼻先で笑うような動作をして錆猫は答えた。
「あら。だって私には名前が無かったんですもの、名乗った名前が私の真実の名前だわ」
二人が言い合っていると、琥瑠璃が口を挟んできた。
「錆のおばさん!」
「おばさんはひどいわね、お姉さんって読んでほしいわ。……あら、あなた……」
「この中に居ても気が付きましたか」
そういうと琥瑠璃は人型プローブを解除する。
「あら、あの時の仔猫の中の一匹じゃない。大きくなったわね」
「親切だったあなたが、何故まる船長の邪魔をするんですか!」
「邪魔? とんでもない。私は寧ろ彼女を助けているのよ。ねえ。まる?」
「どこら辺が助けているのかを明らかにしてほしいわ」
まるの視線と手に持ったブラスターが錆び猫を狙い続けている。
「だって、あの黒い影と戦っているのよね? あれは私とあなた、共通の敵だわ」
「いきなりそんなことを言われても、信用できるもんですか!」
「仕方ないわね。取り敢えず、小峰君はあなたに返すわ。その代り、私の話も聞いてほしい」
錆猫がそういうと、部屋に魂の抜けたような小峰が現れると、へたへたとその場に座り込んだ。垂髪とピンインが傍に駆け寄る。
「大丈夫だ、彼は意識が朦朧としているだけだ」
そう言った次の瞬間、ピンインの人型プローブが固まる。
「どうしたの? ピンイン。ピンイン?」
琥瑠璃ははっとした。
「戦闘艇〈ティア・マリア〉に何か起きたのかも」
「ほらごらんなさい、私は何もしていないわ」
「信用できない。でも取り敢えず一緒に来てもらうわ」
「良いでしょう。この部屋は?」
「後回し。とにかく一旦船に戻るわ」
(続く)
まるたち本来の時間線と21世紀の地球の時間線、それぞれで自体は急展開を迎えて逝きます。
次回をお楽しみに!