第43話「孤影悄然のまる15:悪夢」
今回、題名ズバリ。「悪夢」のような展開を目指してみました。
(承前)
まるたちは居る筈のない場所に居た。
「ここは……!」
ラファエル副長が絶句する。
「どうして?!」
まるも思わず叫ぶ。
彼らが居たのは、後に残してきた筈の航宙船〈コピ・ルアック〉のブリッジだった。
「そんな……僕らは〈渡会雁金・改〉で、過去に戻った筈なのに……」
加藤がうろたえた。いや、彼だけではない、その場にいた男女と猫達は、不安と動揺で体を固くしてしまっていた。
「皆さん落ち着いてください!」
うろたえる周囲を、羽賀氏が一喝する。
「我々は強制的に時空転移させられました。『敵』の仕業です」
一同に衝撃が走る。
「迷い猫時間線に……敵?」
まるは困惑した。
「そうです。予測はしていたのですが、敵の方が一枚上手でした」
「何故私達を狙うの?!」
「分かりません。敵の攻撃には私の力でさえ対抗できません。ただ、弱みを見せたら確実に付け込まれます。気をしっかり持ってください」
「そんな……すべてはFERISが上位階梯に移るための方便だったんじゃないんですか?!」
秋風が叫ぶ。
「残念ながら違います。――まるさんは気が付いていたと思います。私が何故ここまで手間暇をかけて、迷い猫時間線を使った仕掛けをしたのか。FERISの進化手続だけなら、ここまで大がかりな事はやりません」
まるが気付くと、いつの間にか彼女が装着していた人型プローブも解除されていた。彼女の人型プローブは今、シャブランの制御下にあった。それが今、シャブランと〈渡会雁金・改〉は、その影響力が届かない彼方に居るのだ。
まるは自らを襲う恐慌に対して怒りを向け、牙をむき出した。乗員の手前、滅多にしない表情だ。
「ええ、私は夢だと思っていたけれど、前回、迷い猫時間線を離れる直前の微睡の中で、何か巨大な悪意の存在が、私たちを襲っているのを見たわ」
「まるさんが見たのは、高次元から来た悪意――私にも正確な正体は分かりません」
「そんな得体のしれない相手、どうやって戦えば……私たちは、これからどうなるの?」
「分かりません。私は未来、過去共にこの時空から切り離されています。間もなくこの時間からも排除されるでしょう」
ザッ、と、まるで通信不良の様に視野にノイズが入る。
「何?! 今のは」
「我々は今、その悪意が作り出した悪夢の只中に居るのです。今のは悪意からの干渉です」
羽賀氏の声にはいつにない緊張が溢れていた。世界を簡単にひっくり返すワイルドカード、それが羽賀氏の印象だった。だが、彼が手も足も出ずに成り行きに身を任せている。これは尋常な事態ではない。
「いいですか、これから激変が襲いますが。皆さんは自分を信じてください。惑わされてはいけません。必ず活路は開きます。そのための過去の世界での体験だったのですから!」
だが、まるで通信状態の悪い通話の様に、話している羽賀氏の声が聞き取りにくくなってきた。
「まるさん、要はあな――です。一人に――ても、仲――――」
彼の声が聞こえなくなるとともに、まるは意識を失った。
§
気が付くと、まるは何か球状の物に覆われていた。
「なぁう?」
まるは鳴いた。ヘッドセットはなかった。
<というより、ヘッドセットって何?>
もがくとまるを覆っていた球体は崩れた。何かふわふわしたもので出来ているようだ。
頭が酷く重かった。何か大事なことを忘れている気がする。周囲は酷い有様だった。航宙船の展望室の様だが、酷い亀裂が入った跡がある。何かが応急修理をしたようだ。
<ここ……どこ……?>
動くと体が宙に浮く。まるは慌ててもがいた。
<あれ……これって……何だっけ、よく知ってる筈なんだけど……>
何だか思考が水飴の様に粘っている感じがする。どうしたんだろう。
何か大切な人、大切なものがここには足りない。そんな感じがする。
それに……。
順序がおかしい。何故かそういう気がした。最初ここはとても苦しくて、部屋の片隅に見えているカプセルの様なものに入らなければいけなかった。でも、今既に、ここいても苦しくない。だからまるはカプセルに避難する必要がない。あれ? なんでこんな事知ってるんだろう。
でも、あのカプセルに入るのはとても重要な意味が有った筈だ。
何だったっけ……。
泳いで行こうと体を屈伸するが、たどり着けない。ふと見ると、先程まるの周りから剥げたふわふわの球体が宙に浮いている。あれに掴まれば動けるかも。だが、まるが前脚をぶんぶん振り回しても一向に届く感じがしない。それでも、何とかしてあのカプセルに入らないと、すべてが始まらない。
そんな気がした。
まるの体はゆっくりと流されて、壁に向かっていた。叩きつけられる感じはしない。あくまでゆっくりとだ。壁を蹴れば、あのカプセルに辿り着けるかもしれない。
壁に到達したので、足を慎重に繰り出してカプセルの方に体を流した。やった。これであの中に入れる。だが、辿り着いたカプセルは閉じており、霜の様なものが掛かっている。中には何かが微かに見えた。表面をまさぐって開閉スイッチを見つけたまるは、カプセルを開けて、先客を目の当たりにした。
「う……」
それは既に朽ちた猫のミイラだった。風化が始まっており、一部は粉状になっている。もう何百年、いや、何千年と漂流しているのかもしれない。
ミイラをざっと見て、まるに衝撃が走る。
<――これ、私だ>
退色して分かり難くなっているものの、毛並みの配置と、装着している朽ち掛けの旧式ヘッドセット。
ミイラを見ていたまるは、いきなりひどい頭痛に見舞われた。それと同時に記憶の奔流がまるに襲い掛かる。
<――そうだ、私はここに居る筈がない。ここは事故で流されている〈レインボーフラワー2〉の展望デッキ。そして……多分、この私は、賭けに敗れた私>
まるは事態を把握した。まるが知性化された事故。その中で、もしかしたらこうなっていたかもしれない未来の一つに、まるはやって来ていた。
<この世界で、私はサルベージされなかったんだ……>
思わず前脚の肉球同士を合わせ、合掌した。人の間で長年暮らして身に着いた習慣だった。
<でも、私は生き残らなければ>
すぐにまるは頭を切り替えた。
<このミイラの風化具合から考えたら、ここは私の居た時間よりはるか未来なんだ>
こんなロクでもない未来の、こんな場所に置き去りにするとか、ホストはよっぽどまるが嫌いなんだろう。緩衝材のボールに入れられていたのはお茶目か?
いや違う。あれもあり得なかった選択の一つなんだろう。だいたい、ここはまるの正確な未来ではない。まるは遭難の最後、部屋を減圧し、食料は全てエネルギーに転換した。しかしここは、適切に与圧されている。それに慎重にたどって食糧庫に行って、中を確認するとわずかだが残りが有った。ここの私は失敗の可能性を考えて、あえて空気と食糧を残したのだろう。だがそれで軌道が微妙にずれたのかもしれない。
まるが色々と考察していると、後ろでゴトリ、と音がした。
まるはあわてて体をねじって後ろを見る。壁の端に立てかけてあった資材が動いた音だった。だが、その近くの部屋の片隅で、赤黒い塊がうごめいている。小さな塊だが、不定形にぶるぶると震え、時折肉片がチロチロと動く。まるはぞっとして全身の毛を逆立てた。
<ミイラが居るような場所に、動いている赤黒い塊とか。何のホラーよ>
「ふぎゃーお!」
まるは威嚇の声を上げる。
すると、ブルブル震えている塊が大きくなってきた。何というか、その部屋の隅にいい加減に絞り出されたケモノの体が動いているような感じだ。のたうつ肉片が周りを探っている。
<昔々に見た、20世紀の映画に出てくる宇宙からの化け物みたいだわ>
のたうつ肉が、まるの方向にのびてきた。
まるは逃げようとした、だが、無重力で宙に浮いているので、もがくだけになった。身体に件の肉が当たる。だが逃げることは出来ない。夢中で引っ掻き返すと、肉はひるんだ。
<あら、案外弱い>
しかし、次は肉は裂ける様に分裂して触手になり、まるを八方から絡めようとしてきた。流石に手の打ちようがない。寧ろ、体力を無駄に消耗する方が今は怖い。まるは触手の為すがままにした。触手はまるを舐めるように触ると、ぐるぐるとからみついてきた。
<うっ……>
まるは触手に噛みついた。
赤黒い塊は意味不明な音を発すると、簡単にまるを離し、ブズブズと潰れこむように小さくなると、消えた。
<勘弁してよ……何がどうなっているの……>
§
アレクシアが気が付くと、そこは厨房だった。
定標と垂髪、ボーテも近くに倒れていた。少し離れた所には、にゃんたという新人も倒れていた。
「船長、船長?」
呼んでみたが返事はない。男と猫はこの場にはいない様だ。
「どこの厨房なのかしら……」
すぐに、鼻を突く嫌な臭いに気が付く。近くの寸胴をちょっと見ると、腐って泡が垂れている。他にも、出しっぱなしの肉や野菜だったと思しき爛れた塊が、俎板の上に載っていたり、尋常な状態ではない。
「何ここ……食材や調理中の物を放置して人が消えたみたいな……」
食材の傷み具合から、2週間以上は経過していると思えた。
「皆を起こして、一先ずここから離れたほうがよさそうね」
アレクシアは一人一人、仲間を起こしていった。
§
まるは力なく無重力の部屋を漂い、自動工作機械のある一角に流れ着いた。
<そうだ、ここを使えば……>
まるは漂っているコード類に前足を伸ばして、必死に絡みついた。そして、機械の端から中を漂っている電源コードを手繰り寄せると、自動工作機械のコンソールに辿り着き、コードを電源に接続した。そうして、うろ覚えのコードと設計を、泥の様にうまく動かない頭を必死に動員してヘッドセットの制作をセットした。語彙のデータベースは教育機械任せだ。
15分ほどで、かなり不恰好ではあるが、初期型のヘッドセットのまがい物が出来た。装着したまるは、今度は音声指示で磁気靴を作る。何時までも宙を漂っていてはまともな行動も起こせない。それと、武器だ。先程の赤黒い塊も気にはなる、なるがあれは爪と牙でどうにかなる類の物だ。まるが心配したのは別の脅威に対する対策だ。どんな武器を作ればいいか想像もつかないが、用意は必要だ。
そこまで必死でやって、やり終えたまるは、一気に気が抜けた。
ベッドに横になりたかったが、この室内で唯一の寝室になりそうな場所は、先客が居る。
<流石に、私自身とはいえ、亡骸の寝所を冒すのは気が引ける……>
まるは浮いている緩衝ボールの残骸を引っ張ってきて、工作機械のコードを絡めて固定し、その中に滑り込み、丸くなった。
§
知性化されたオセロットヤマネコの雄、ピンインは、その足元に凄く小さな生き物が居る事に気が付いた。まるで茶色い毛玉の様だ。
「おちびさん」
ピンインの呼びかけに、小さな毛玉は顔を上げる。
「私には琥瑠璃という名前が有りますわ」
「これは失礼、小さなレディ」
<ここはどこだろう……薄暗くて汚い>
「ちょっと汚くて物騒な場所に出たようですね」
「私、この場所微かに覚えが有ります」
「琥瑠璃ちゃんがおぼえている、という事は、地球か」
「ええ、……あまり思い出したくない場所です」
その時、激しく吠える犬の声がした。
「悠長にしている訳にもいかないようですね」
「私、あの声嫌いっ!」
「大丈夫。私のポシェットに入って」
ピンインは、まるのシークレットポシェットを真似た装備を作って身に着けていた。そこに琥瑠璃を入れると、やってくる犬を見据えて身構えた。
「ここは逃げるより、戦う方が得策の様です!」
ピンインは獲物を狙うハンターの形相で、犬に向かって飛びかかって行った。
§
――まるは夢を見ていた。
件の黒い影が迫ってくる。まるは必死に抵抗して逃げた。絡みつく黒い何か。爪で、牙で、彼女のすべてで抵抗した。仲間が遠い。孤独な戦い。でも、遠いからこそ守らなければ。
はっと、気配にまるが気付いて目を覚ますと、再びあの赤黒い塊が居た。肉片が変化した触手を、おっかなびっくりとまるに触れている。
<危害を加えようとはしてこない――? あの悪意とは違う存在?>
まるは慎重に相手の出方を伺った。相手も出方を伺っているように見える。
<知性が有るのかしら>
まるは前足を伸ばし、左右に振った。
物体は、どうやってかそれを近くして、前脚に追従して動く。
<ふむ。面白いわね>
しかし、面白くても仕方ない。今は個々から脱出して、元の時間線に戻る方法を探さなければ。
<邪魔さえしてこないなら、ちょっと気持ち悪いけど、無視しても良いかな>
まるは工作機械を使い、黙々と作業した。食糧庫には、少しだけ食料が残っていて、まるはそれを食べ、適当なところで体を休めた。排泄はリサイクルポットに行った。なにより、飲料水は貴重だったから、リサイクルはきっちりと行った。
例の塊は、じっとそんなまるを見続けていた。
無視するように努力していたまるだが、塊は時折触手を伸ばしてきて邪魔をした。完全に危険が無いと決まったわけではない。まるとしては隙を見せない様にその度毎に体をこわばらせた。
<ここ数日、私の動向をただじっと見ている――。何がしたいのかしら>
捕食しようとしている、という可能性はゼロではないが、かなり低いだろう。むしろ感じるのは圧倒的な好奇心。多少の知性は感じられるが、コミュニケーションをとってくるほどに高等な感じはしない。そう……興味の対象を与えられた仔猫、と言った風情だろうか。こんな不気味な仔猫は願い下げだが。
<いつからここに居るんだろう。私が現れる前? いやそもそも、この時空は私が現れる前から存在しているの?>
まるは、寝るたびに例の悪夢にうなされ、その度に件の塊は触手でまるに触れてくる。心配しているつもりだろうか。あるいは、襲う機会を見計らっている? あるいはまるはとっくに発狂していて、この塊はその狂気が見せている幻想なのだろうか。
<それはあり得ないと思う、私は冷静に作業している……多分>
突然、まるの居る船体(正確には展望デッキ)がガタガタと振動した。
<なに? どうしたの?>
まるは、現在位置を確認するために作ったセンサーを作動させた。どうやら、大重力の星の傍を通過したらしい。船殻の亀裂が心配だ。
<何だか……嫌な感じ>
赤黒い塊は身じろぎもしていない。不気味だ。
「ねえ」
馬鹿馬鹿しいとは思いつつ、まるは合成音声で塊に呼び掛けた。だが、意に反して塊は反応した。にょこにょこと器用に触手を振り回し、慣性を付けて近づいてきたのだ。
<聞こえてるのか……感覚器官は無さそうに見えるんだけどなぁ>
「あんたは何者なの? なんとなく私の知り合いに似ていなくもないけど、ここまで不気味じゃないわ」
びくっ、ッと塊は反応してその場で小さくなる。文字通り小さくなって、消えてしまったかに見えた。
<どこか別の空間にでもつながっているのかしら?>
塊を押してみる。すると、面白い位に柔らかく、ぐにゅっと曲がった。そこでまるは、おかしなものを見た。肉塊いの中にかなり深く腕が入ったのだが、固まりから腕が突き出ていない。塊を押した腕は「どこか別の空間に突き出て」いるのだ。
<やだ、何これ>
向こうは塊がぎっちり詰まった空間かも知れない。よしんば、何か空間が有っても、そこは逆にデットエンドで、抜けられなくなって終わりの可能性もある。しかし、この壊れかけた船殻に留まるのも、緩慢な死でしかない。
「よし」
まるは作り溜めた機材を袋に詰め、コードで身体に結び付けた。再び船体がミシミシときしむ。亀裂から空気が漏れだすシューッという音が聞こえ始めた。まずい、急がないと緩慢な死どころではない。即死の危険性が出てきた。一か八かに掛けるしかない。
「ごめんね、ちょっと押すわよ」
そう言って、塊を力いっぱい押してみた。ずぶずぶずぶ。まるの体は全身が肉塊の中に没入ていく。
――ずるん。
何かを突き抜ける感覚。まるは肉塊の中に滑り落ちた。そして闇。生暖かい。闇。
<行くも悪夢、戻るも悪夢か。やだなぁ>
§
アレクシア達〈コピ・ルアック〉の女性陣は、荒れ果てた厨房から外に出た。
「あ、これ『料理天国』の店舗だ」
垂髪は出口で振り返って、崩れかけた看板を見た。そう、アレクシアの名前を冠したチェーン店「アレクシアの料理天国」の店舗の一つだった。
「なんでこんな酷い有様なんでしょうね」
ボーテは辺りを検分していた。見たところ、惑星上の郊外の一角の様だが、周辺に人の気配がない。
「織田氏は不採算店舗をこういう風に放置する人ではないはず。周囲に人影が無いのも気になります」
その時、建物の周辺を調べていたにゃんたが叫び声を上げた。皆は急いで其方に向かった。
そこには、まるの時と同じ赤黒い塊が蠢いていた。
「うわっ、なにこいつ」
垂髪は塊を見てビビった。
「さあね。まともな相手じゃない事だけは確かだわ。だれか厨房に戻って、ナイフを取ってきたほうが良いかも」
アレクシアが促すと、ボーテが走って行った。
§
ピンインは犬を殺しはせず、多少痛め付けて脅かし、退けた。
「殺生は嫌いです」
口の中の犬の毛をぺっぺと吐きながらピンインは言った。
「船長の影響かしら?」
ポシェットの中から琥瑠璃が聞く。
「さあ、どうでしょうね。彼女に会う前から、暴力を良しとはしていませんでしたが」
そう言ってピンインは周囲を見回した。彼の視野はナノマシンによって強化されている。その眼が、新たな脅威を発見した。
「お嬢さん、新しい敵が現れたようです。もう少し身を隠しておいてくださいね」
彼の視野の先には、赤黒い塊が居て、ぶるぶると震えていた。
§
周り中あの塊だ。ぐにゃぐにゃぶにぶに。息が出来ない。
まるが入ってきたおかげで、塊はびっくりしているようで、グネグネと動いている。
<あんたも堪らないでしょうけど、私も堪らないわ。「外」が有るならさっさと出しちゃって>
窒息しそうになりながらまるはそう考えた。
「んごにゃ、にゃ」
そんな声を上げながら、まるは必至で足掻いた。すると、彼女の体を塊から伸びてきた触手が絡め取る。
<ああ、何これ気持ち悪い>
触手はお構いなしにまるを包み込むと、ずるるるる、ッと引っ張った。
――べしょっ。
まるは空間に引きずり出された。
まるは粘液状の物に覆われていた。慌てて拭い取り、身体をブルルルルッ、っと震わせると、周りの様子が見えてきた。重力が有る、呼吸可能な空気もある。でも惑星上という訳でもなさそう。塊の中に出来た空洞、とでいえば良いのだろうか。光源は隅っこにあるライトだけらしい。ライト?
「人工物?」
ライトの方にねちょねちょを拭いながら歩いて行くと、何かが居た。
周りの塊にへその緒の様なもので繋がっている。何というか、大きな目玉の周りにもりもりとした肉が張り付いて、西洋のお化けのような形になっている生き物が居た。まるが近づくと挙動不審に目をきょろきょろさせながら後ずさる。不気味なのだが、妙に愛嬌がある。
「なに、あんたがここの主?」
「きゅっ」
目玉は何処からか音を出した。人間の目玉じゃないなぁ、猫のでもなさそう。生き物の目玉に似ているのだけれど、どの生物か、と言われると特定できない。そんな感じの目玉。
「グロテスクだけど、変な愛嬌あるのね。ちょっとだけお邪魔させてね」
<……と言っても、ここがどこで、どうやって脱出していいのかさっぱりわからないんだけど>
「きゅうん」
目玉はノソノソと、まるに近付いて、彼女をじっと見ていた。
§
ラファエル副長は、沈着冷静に見えるが、実はいったん切れたら手が付けられない側面を持っていた。
気が付くと、船内に居た猫がすべて消えている。それだけではない、羽賀氏も、捕えているはずの異星人もいない。にゃんた、アレクシア、定標、ボーテ、垂髪……女性たちも居なくなっていた。
「なにが、どうなったんだ」
辛うじて体勢を立て直した太田航宙士が計器を見る。
「分かりません、当船は大きく移動しています。――既に天の川銀河です。詳しい位置は測定中」
「猫、女性、異星人が消えた。敵は何を考えてる……」
「分かりません」
「太田君、分からないばっかりだな」
「しょうがないです、分からないんですから」
「ああそうか、分からない、分からない、分からない!」
「……副長?」
「我々は無能の集団か? 船長や仔猫、女性たちも守れない、そんな木偶の坊か?!」
ラファエル副長はほぼブチ切れていた。彼の不断の冷静な顔の奥には、情熱の塊のイタリア人が潜んでいた。
「熱血副長、ではどうしますか?」
薬研医師が腰を上げた。
「自分たちの位置を把握して、しかる後、どんな痕跡でもいいから、消えた人々の行方を追うんだ」
「アイ・サー、副長。私も工作室に籠ります。事態打開のアイデアが有ります」
そう言って、秋風もすくっと立ち上がると、中央リフトへ行くゲートに向かう。
「宜しく、秋風」
それを合図に、皆が手持ちの仕事を見直し、出来ることを探し始めた。手の空いているものは、ラファエルの周りに集まって、今後の対策について話し出した。
§
「だいたい、柄じゃないのよ」
まるは目玉の隣に香箱座りで座っていた。
「私を何だと思ってるの、気まぐれ動物ナンバーワン、猫なのよ」
すっとまるは立ってウロウロと歩く。目玉も何となく後をついてくる。
「世界を救えとか、船長様とか、色々無理なのよ。分かる?」
まるが問いかけると、困ったようにきょろきょろとして、それからじっとまるを見て、おずおずと触ってくる。
「あなた、動作は可愛いんだけど、外見が悪夢そのものよね」
そのBigEyedMonster――ベムは、まるの言葉が分かるのか、しゅん、とした様に下を向く。
「まあ良いわ」
<こんな変なの相手に、私は何やってるんだろ>
まるは怪物に話しかけている自分の行動がおかしいと思った。だが、丁度いい機会でもあると思ったから、自分の感情を吐露し始めた。
「冗談じゃないわよねえ」
まるが話し始めると、ぴくっとして、ベムはまるの前に行った。
「羽賀さんの天敵なんて、私達じゃ人に蟻が闘いを挑むようなものじゃない……蟻が噛んだら痛いかもしれないけど」
ベムは首(?)をかしげる。
「多分、迷い猫時間線の方の時間侵略も、私に救えっていうのよね。猫使いが荒いわ」
「ぴっ」
「あら、分かってくれるの。良い子ね」
本当に分かって反応しているかどうかなどは関係なかった。まるは心情を吐露できる相手が欲しかった。
「私は居場所を作るために必死だった。私みたいな存在は、簡単にひねりつぶされそうで、必死になって戦っていた」
そういうと、ベムの方を向く。
「猫らしくないよね」
「ぷっ」
ベムの出す変な音を了解と取って、まるは続けた。
「でも私、タダの猫なんだよね。幾ら突っ張っていても、認めてくれない人には端にもかけられない。もううんざり」
まるは首をがっくり落とす。
「ずっとずっと、気を張り詰めていた。21世紀の地球に一人ぼっちになった時も、何とかしなきゃって思って気を張っていた。私は仲間に囲まれている。でも、私と同じような存在なんていなかった。だから思いは共有しようと思っても出来なかった」
ベムは触手を伸ばし、まるに触れようとした。しかし、なぜか躊躇している。
「独りぼっち。か。私は昔からひとり、今も一人。あなたは私のいう事なんて半分も分かってないだろうしね」
ベムはむくむくと大きくなる。
「そのまま大きくなって、仲間でも吐き出してくれると助かるんだけどね」
まるは半ば冗談でそう言った。
ベムはそのまま膨張を続けた。まるは流石にただ事ではないと思った。
「なに、あんたどうなるの」
そう言いながら、まるは耳を寝せて後ずさりした。
ベムはパンパンに膨れ上がった。いまにも破裂しそうだ。
「ちょっと、止めてよ……勘弁して」
顔をしかめてまるは部屋の隅に退却した。ベムはまるの数倍の大きさに膨れ上がっている。このまま破裂されると、結構なダメージを負いそうだ。まるは逃げる先を探した。あちこちの壁を押してみるが、ここに侵入した時の様にずぶずぶと入り込める先はない。
「やだやだ、どうしよう……!」
こういう時、人は親を呼んだり、肉親や、配偶者を呼んだりする。猫も多分そうだ。だが、まるには頼る先はない。彼女は元飼い主の土岐氏からも精神的に独立してしまっている。誰かを頼るのは精神の安全弁だが、まるにはそれが無い。まるはパニックを起こしかけていた。
そして、次の瞬間。
「どばしゃあっ」
ベムだった球体は、割と情けない音を立てて破裂し、中から大量のドロドロとした肉塊が流れ出した。
「いやあああああん」
合成音声ではない、まる自身の肉声だった。
「おや、色っぽいねえ」
それに応えた声は、まるに聞き覚えのあるものだった。
(続く)
もっと早い展開のお話を描いていたのですが、
「むしろ気持ち悪い展開をどこまでやれるかに挑戦したほうが面白くない?」というパートナーの意見を受けて、ギリギリまで引っ張ってみました。
これで次で「孤影悄然のまる」シリーズを終われる可能性が低くなってしまいました^^;
もう少しお付き合いください。