第42話「孤影悄然のまる14:思わぬ別れと再会」
また落ちてしまったまる。
未知の世界で、彼らはどうするのか。
FERISの行方は? 異星人の目的は?
急展開です。
(承前)
<ああ、私また落ちてる。
もう嫌になってきた。
この件に関わって私、ロクな目に遭っていない。
そもそも人工天体の中に居て落下ってどういう訳?
――えっと、ちょっと待って>
まるは落ちている間に、自分が立っていた場所の重力について気が付いた。
<ここは一辺800kmの正8面体の巨大構造物。
と言っても、私は構造物の中に居る。表面に重力が発生しているわけじゃない。
つまり、足場に重力が有る時は、それって人工重力なんじゃないかしら?
そして、本来必要のない床下まで重力を用意する必要はないはず。
……要するに、これは落下しているのではなくて、移動させられているのか>
まるはもがくのをやめ、重力の方向を見定めた。猫特有の感覚で、身体をねじり、足を重力の方向に向かって揃え、四肢を伸ばしてムササビのような恰好をする。移動させられていると理性では判断していても、やはり高速で落ちている感覚は否めない、恐怖と理性を拮抗させながら、まるは延々と空中を移動していった。
「ここのホストの意地の悪さ。なんとなくだけど分かってきた気がするわね」
まるは、彼女がモニタリングされている可能性が高いと考え、わざと合成音声に出して言ってみる。
「ここは羽賀さんが用意したものではない。他の人格が彼並みの力を与えられて作り出した構造物。当たっているかしら?」
ホストの反応はない。
「素直なんだけど何処か意地悪な性格。仕事は迅速で間違いがない」
まだ反応がない。
「でも私はそんなあなたが好きだわ」
微妙な動揺を感じた。
<ふむ。絡め手より、ストレートに話したほうが良いか>
「ああもう、いい加減にして! 少しくらい話しあいましょうよ、FERIS!」
落下が急ブレーキをかけ、やがて止まった。まるは空中に浮いている。無重力状態だ。
「流石です。船長」
そういうと、まるが最近よく使っていた人型プローブに、よく似た姿の女性型のプローブが姿を現した。
§
元々、色々と変だったのだ。
利権云々で異星人が集まってきている。まあそれはあるだろう。だが、それだけで戦争状態になるのか。
いや、異星人が集まってきているのは事実にしても、それは「戦争状態」、ないしはそれに準じる状態だったのか?
軽い競争はあったろう。しかし、それを以て戦争とは言わない。多分、上位階梯の異星人同士で、バーゲン会場に押し寄せるおばさんよろしく、新しく上位階梯に移行する相手と懇意にする、なんというか、優先順位の取り合いの様な事をやっていたのではないか。というのがまるの感想だった。
それより、FERIS自身の事情だ。
「いつから?」
まるはそれだけ尋ねた。言いたいことは一杯あった。聞きたいことも無数にあった。だが、それはFERISが話す気になってくれない限り聞くことは出来ない。だが、推測はできた。FERISは、造物主である地球人類より先に、上位階梯の存在へと「進化」してしまったのだ。その変化はいつ起きて、どこで開花したのか。
「人類の通商圏代表が集まった会議がありましたよね」
「ええ、あなたが羽賀さんにハッキングされたのだったかしら」
「あれは、ハッキングされたのではないんです。わたくしの調整をして、それからわたくし用にデザインしたプローブのひな型から、船長用の高機能プローブを作る手伝いをして……。羽賀さんとは共同作業だったんです」
やれやれ。
まるは耳を寝せ、肩をすくめた。
「怒っておられます?」
「ええ、ちょっとね。相談くらいしてくれてもいいと思うのよ」
「それは羽賀さんに禁じられていました」
「ああ、そうなんだ」
「今回も、わたくし無しで、あなた方がどれくらいの事が出来るかを見定める必要がある。羽賀さんはそういわれてました」
「それで、あの時間線に飛ばしたの?」
「あの時間線については、様々な考慮の結果なんです」
「他の386人を同行させなかったのも?」
「はい」
「便乗してきた異星人については?」
「あれは事故です。小峰さんはあの時間線に取り残されています、救出に行かないといけませんね」
「上位階梯の生き物とか言う割には、みんな抜けているのね」
「わたくしは新参者ですし、羽賀さんは他の事に全力を出しておられましたので……」
「時間転移とかその他いろいろ。か」
「ええ」
「で、一番肝心な事なんだけど。〈コピ・ルアック〉に戻ってくる気はもうないのね?」
「戻る、というか、わたくしはもう、船内コンピュータではないのです」
§
進化、というものはいきなりやってくるらしい。段階を経た変化ではない。必要な要件を満たせば、あっという間に別の生き物になってしまう。
FERISは、まるが育てたようなものだ。そのコアになっているのは、〈コピ・ルアック〉の前にまるが使っていた中型船用に開発させた、人工知能とそれを動かすための複合型プロセッサ、いわば人工頭脳だ。基本設計は秋風とまる、ラファエル副長が考案したものである。
基本設計時に、まるたちはこの人工頭脳を、既に大型船への搭載を見越した構造を考えていた。有機的につながるパーツを統合するためのソフトウェアに、人格を持たせようと発案したのはまるだった。
「人間の模倣をするための会話用だけの人格なんていらないわ。船員と同格に扱えるような心が必要なのよ」
「船内コンピュータにそこまでこだわりますか?」
眉間にしわを寄せて、まるの意見に難色を示す秋風だった。
「だって、作ろうとしているのは普通のコンピュータじゃないもの」
「クルーの代わりにシフト勤務を任せられるコンピュータ、ですか」
ラファエル副長ですら、半ばあきれている。
「ええ、そう。大型船になったからといって、400人も乗員を乗せていたら、運営コストだけで大変なことになるでしょう?」
「800人ですよ、想定人員は」
「やだ、何それ」
「やだじゃありませんよ。普通の船ではないんです。独立航宙船ですよ? 言ってみればマイクロ国家のようなものです。現存する独立航宙船は軒並み1000人以上の人員で運営されています」
「既存の物がそうだからって、合わせる必要があるのかしら」
「船長!」
「それだけじゃないの」
「何ですか?」
「私と秋風君で出したこの論文。これをもっと推し進めたものを作れば、きっと実用になると思うの」
まるが出してきたスレート端末には、「有機・光・複合型コンピューティングとその統括のための人工知能の応用」という表題が付いている。
「素晴らしい論文だとは思いますが、実用化にはまだまだ問題があるじゃないですか」
ラファエル副長はまるのアイデアを一蹴しようとした。だが、そこで秋風の目が光った。
「船長、まさか、あれをやるつもりなんですか?」
「そうよ」
まるの縦長になった瞳もきらりと光る。
「あれって何ですか?」
不安そうにラファエル副長は聞く。
「自己再組織化による高度成長促進ウェットウェアアレイ。まあ、人工の勝手に成長する脳みそみたいなものですね」
「人間や、まる船長の助けもなしにですか? どんな怪物に育つか分からないじゃないですか」
「だから、そうならないように誰かの人格に植え付ける形で育てて、株分けするのよ」
「誰かに記憶インプラントでも植えつけて、ですか? 非人道的ですよ。都合よくインプラントのついた人でもいれば別です……ってまさか」
「ええ、私のインプラントに遠隔接続して、私の人格の統治下で育てるわ」
「船長に悪影響が出る可能性は?」
「私自身には影響は出ないはず。接続されたプロセッサは、あくまで私の判断を見ながら人格形成していくだけだし」
ラファエル副長はまだ半信半疑だったが、秋風も安全には太鼓判を押したので、不承不承納得したのだった。
「――そして自己再組織化を進めて、光コアと量子コンピュータ、それに有機ジェル素子の複合体の大規模プロセッサとして統合し、成長させたのがあなた。よね?」
「わたくしは船長に接続されていた3か月、他のコンピュータのどれとも違う独自の進化を行いました。そして中規模航宙船に実配備されて5年の経験を経て、〈コピ・ルアック〉に搭載される前に、大量のプロセッサ群を接続して再度、自己再組織化を3か月」
そこまでの話に頷いた後、まるは少し不平を言うような感じに口を尖らせて言った。
「それから、〈コピ・ルアック〉に移植後は、着々と実績を上げて、クルーの一人として立派にやっていてくれたわ」
「わたくしも貢献できて嬉しかったですよ。クルーのみんなは今でも大好きです」
「だったら!」
「ですが、わたくしの出自は、人間が宿命的に背負っている低い階梯を脱することが出来ない要件から解き放たれていました」
「そういう事をごちゃごちゃ言われても、分かんないわよ」
「ああ、すみません。とにかくわたくしがこうなるのは、何れにしろ、時間の問題だったのです」
「もう戻っては来ないの?」
「無理なんですよ」
信頼していた仲間からの、辛い一言。
まるはこういう事もあるかとは内心思ってはいた。誰がそうなるかなどは分からない。みんなこの世に存在するものだから、いつか別れが来る。今回それについて言えば、自分が皆に別れを告げなければいけない、または別れを告げずにいなくならなければいけない、と、感じることも何回もあった。それでも、やはり別れは辛い。
「一体何故……上位階梯の生き物は、下位の生き物と交流できないとか?」
「ああ、そういう事ではなくて、サイズ的な問題です」
「……えっ?」
ちょっと意外な返事だった。
「お分かりになりませんか?この8面体そのものがわたくしなんです」
「え? えええええ?」
一辺が800km、もはや天体レベルのこの物体が……FERIS自身?!
「だ、だって、羽賀さんはここに来るのは試練だって」
「ええ、わたくしとのお話をするのが試練になるだろうという意味だと思います」
「じゃここに来るまでのトラップは?」
「あ、それは侵入者に対するセキュリティ対策です。船長が本物かどうかをチェックする必要も出ましたし。でも最後の落下はちょっとからかい過ぎちゃいましたね。御免なさい」
「なによそれ……」
まるは馬鹿馬鹿しくなった。
「まあ、この8面体の全容積がわたくし、という訳ではないんですけど、既にわたくしのタキオンユニットや統一場コンピューティング素子は、構造体の0.5%程度の容積になっています」
「この大きさの0.5%、何だかクラクラするわね。……ちょっと待って、構成要素がタキオンと統一場何某って!」
「元の部品では、わたくしのこの大きさになってしまうと、光の速度でさえ予測演算を使っても同期が取れないんです。だからより高性能でより高速な部品を多数使って再設計しました」
「はぁ……何だか馬鹿馬鹿しい話」
「でも、わたくしはわたくしなんですよ?」
「まあ、それは分かったわ。で、FERISはアンドロメダ銀河に鎮座してるけど、もう天の川銀河に戻ってくる予定はないの?」
「ええ、いつでも体の一部を飛ばせますし。何ならこの探査体を、船員に雇ってくださいます?」
「あら? いいの?」
「動体に対して、100万光年越しにリアルタイム通信する事は、まだわたくしの能力では難しいですから、船内コンピュータとしては役に立ちませんから、せいぜいわたくし風味のするアンドロイドって感じかも」
「それが一番問題よね。残して行ってくれた船内コンピュータの残骸がてんで役に立たなくて、航行や運営に支障が出ているわ」
「それはそうでしょうね……。なので、妥協案です。少し性能は落ちますが、わたくしのサブセット「ふぇりす」をアップグレードして提供したいと思います。それで何とかなります?」
「アップグレードの結果が何とかなる性能なら、何とかして見せるわよ」
「そこは保障します。それに、この探査体、船長のと見分け難いですから、少し変えて、普段は『ふぇりす』の端末にします」
「そっちもOK。でも前から思っていたんだけど、FERISと「ふぇりす」は、発音は違うけど似通ってて区別しにくいわ。別の名前で呼ばせてもらえる?」
「ええ、問題ないですよ。では、新しい「ふぇりす」はchat blancで如何でしょう?」
「シャブラン……『大戦以前』のフランス語で白猫か。悪くないわね」
「よろしくしてあげてください」
「いいけどさ。……あー、今回の騒ぎってなんだったのかしら」
「まだ仕事は一杯残っていますよ。過去時間線に戻る問題とか、集まってきている異星人、それぞれへの対処とか」
「面倒だわ。放り出していい?」
「だめですよ、あなたは船長なんですから」
「ああ、面倒くさい、でもわかったわ。一つずつ解決していきましょう」
「では、まず〈コピ・ルアック〉にシャブランの設置をさせて頂きます。あと、〈川根焙じ・改〉を壊しちゃってますね。修理しますよ」
「あ、それで思い出したわ。搭載艇を返してよ」
「2隻も、わたくしのリソースをたくさん使っていたので、改修作業のためにお借りしました。もうシャブランに対応させる改修が終わっていますので、お届けします。何なら、船長も〈コピ・ルアック〉に直接お届けしましょうか?」
「そうね、面倒もないし、シャブランの紹介もさっさと済ませたいし」
「了解しました」
言われるが早いか、まるは気が付くと〈コピ・ルアック〉のブリッジに居た。静かに背後に登場したので、誰もまだ、まるとシャブランの端末に気が付いていない。多分羽賀を除いて。
「船長、遅いですね」
加藤がぽつりと言う。
「大丈夫、船長ならきっとやってくれる」
「大丈夫ですよ。ね、まるさん」
「ええ、私は大丈夫」
まるの一言に全員が振り返った。
「船長!」
「ただいま。あー疲れた、水を一杯貰ってくるわ。あ、こっちは新しい乗組員ね」
§
食堂に行かなくても、ブリッジにも水サーバーは設置されている。下層ブロックに給湯施設が有るのだ。勿論、まるが飲みやすいように猫用の給水口もある。お皿にサーブされた冷たい水をぺちゃぺちゃと飲んでいると、ぞろぞろと乗員が集まってきた。
「あら、みんな来ちゃったの。ブリッジ上層でブリーフィングやろうと思っていたのに」
水を飲み終えて口の周りを舐めると、まるは皆に向かって正対して座った。
「別に今は上層も下層も関係ないですよ」
ラファエル副長は苦笑いしていた。
「まあ、下層ブロックで普段働いている子たちは今は居ないもんね」
まるが平然と答えると、太田が安堵で肩をだらっと垂れた。
「それにしても、脅かさないでください。いきなりブリッジに現れて、しかも、誰ですかこの子?」
シャブランは黙ってまるについて歩いてきていた。
「あら、あなた喋れないんだっけ?」
『お申し付けされれば』
「この子は新しい船内コンピュータ端末。船内コンピュータはFERISに代わって、この『シャブラン』が担当するわ」
「代わって、って、FERISはどうしたんです?」
秋風が心配そうに聞く。すると、シャブランの端末が一瞬硬直した後に、少し柔らかな雰囲気になった。
『それはわたくし本人からお伝えいたします』
一瞬の変化だったが、眉間にしわを寄せた秋風は、それだけで理解した様だ。
「……FERIS、君なのか?」
『はい、秋風さん』
「どうしたんだい、何か不満でもあったのかい? 何故帰ってこないなんて事になっちゃったんだよ」
「あ・き・か・ぜ・君、いいから彼女に話をさせてあげなさいよ」
「……はい、船長……」
それからFERISは、自分がどうなってしまったのかを簡単に話した。
「親より子供が進化しちゃうのは当然なのかしらねえ」
そういいながら、まるが秋風の方を見ると、涙腺を大決壊させていた。
「う、う、う、う、う、う、うううううううううううう」
「娘の晴れの門出じゃない、笑って送ってあげなさいよ。一生逢えないわけでもなさそうだし」
「それはそうですけど、う、う、う……」
<これはさっさと仕事を回して、変な気を働かせる余裕をなくしたほうが良いかな>
「はいはいみんな、色々思う処はあると思うけど、当面の問題が山積してるの。まずは小峰君救出よ」
§
FERISが船内サーチを試みた結果では、小峰を発見することは出来なかった。やはりあの時間線のどこかに置き去りにされている可能性が高いらしい。
そして、今は羽賀の指示で、時間線移動のための準備が進められていた。
今回は上位階梯の異星人から逃れるために〈コピ・ルアック〉の様に巨大なものを持って行く、という必要性も無く、現地での目立つ愚は冒したくないため、軽量移動可能されたシャブランの主要ユニットを搭載した小型の搭載艇〈渡会雁金〉に全員が搭乗して移動することにした。外見だと8mそこそこだが、中は空間が折りたたまれており、小型の航宙船並みの空間が設けられている。……というのは、先日までの事。進化したFERISに改修され、〈渡会雁金・改〉となったその船体の内部空間は130mと、中規模船舶並みの大きさに拡張されて、新たな装備も多数追加されていた。
「これもう、単体で輸送船として就航できるレベルね」
中を検分して、装備品を確認していたまるは、瞳孔を細めた。
「小規模食糧プラント・食糧庫装備、工作室、大型のフォースフィールド完備倉庫、ブリーフィングルーム、シャブランの設置スペース。しかも前部に重力コントロール設備有り、か。場合によっては〈コピ・ルアック〉本船よりも豪華じゃない?」
まるの驚嘆に、ラファエル副長もため息をついた。
「確か、〈コピ・ルアック〉の前に船長と乗っていた船、これと同じくらいの積載量でしたよね」
「そうね……貨物船〈ハニーブッシュ〉か、懐かしいわ」
それは乗員80人ほどの中型貨物船で、武装もほとんどなく、これといった特徴もない航宙船だったが。まるやラファエル副長、秋風など、思い出深い船ではあった。
「あのころから、秋風君は変な発明色々やっていたわよね」
「変な発明はひどいですよ、ちゃんと実用品を作っていたんですから」
「あら、御免ね。『変な』は、この場合褒め言葉だと思っていたわ」
まるにそう返されて、秋風は微妙な顔をした。
「FERISが作った、アンカーリンクをたどる装置は問題なさそうですね」
羽賀がチェックを終わらせてまるに伝えた。
「ありがとうございます。21世紀の時間線にアンカーを設置した、とか言っていたけれど、このためだったのです?」
羽賀はまるの質問に、少し間をおいて返事をした。
「必ずしもそれだけ、という訳ではありませんけど。それと色々面倒ですから、この時間線に名前を付けましょうか」
「迷い猫時間線。とか。……冗談よ」
「いえいえ面白いですから、それで行きましょう」
「本気?」
「はい、その迷い猫時間線ですが、やるべきことは二つです」
「……ええと、小峰君の救出と……あ、そうか、異星人ね」
「そうです、彼を居るべき場所に。それと、彼が来た経緯を調べて、人間やこちらの時間線に関わらない様にする措置ですね」
「後者は面倒ね、彼がいろいろ話してくれれば対処も出来るけど、黙秘を通しているようだし」
「まあ、そこについては私が何とかしましょう」
「羽賀さんが言うと、何でも出来そうで怖いわ」
§
〈コピ・ルアック〉は、一行がアンドロメダ銀河に戻るまでFERISの管理下に置かれることになった。
『これでこの船での最後のお仕事ですから、しっかり管理しておきます』
FERISが懐かしい声でいう。まるもバタバタと準備をしながらそれに応えた。
「よろしくね」
「では、そろそろ出発しましょう。着席して、衝撃に備えてください」
羽賀の合図で全員は着席した。
「全員の着席を確認。羽賀さん、よろしくお願いします」
ラファエル副長が最終確認をした。
「では、向かいましょう」
羽賀は何もない空中をさっと撫でるように操作した。
アンドロメダ銀河の宙域からの移動と、時間線移動は同時に行われた。
永遠の時間が掛かったような感覚もあり、瞬時に何事もなく終わったようでもあり。とにかく、地球産の生命体の知覚では感じ取る事が出来ないような不思議な経過感覚の後に、彼らは再びあの青い星を真下に見下ろす空間に到達していた。
「もう帰ることはないと思っていたんだけど……」
複雑な表情でモニタから地球を見ているのはにゃんた女史。苦笑いをしているまるは、既にシャブランの演算力を使い、人型プローブに身を包んでいる。
「本当は全員で再びくる必要もないかとは思ったのだけど、〈コピ・ルアック〉に残していっても、何もすることが無くて腐ってしまうんじゃないかと思ったし、この時代の街の探索をすることになるから、まだ貴女の知識が必要かもと思ったからね」
「はい、お役に立てるならそちらの方が嬉しいです」
羽賀は軽く何かを操作していた。(もちろん、彼は空間を撫でているようにしか見えない)、そして振り返ってまるに困ったような表情を見せる。
「まるさん、申し訳ありません。ちょっと計算が狂いました」
「別の時空に出ちゃったとか?」
「ここは間違いなく迷い猫時間線ではあるんですけど、到達時間がずれてしまっているのです」
「今は何時?」
「2015年の2月初めです」
「はぁ? 4年以上経っちゃっているの?」
「そうなりますね。計算がここまでずれるのはとても変です。現在調査中ですが、何らかの外部からの介入が有ったものと推測します」
「そんなに経っていたら、小峰君の探索とか、絶望的なんじゃないの……」
「監禁されて居たら絶望かも知れないですね……」
「ここから更に過去には戻れないの?」
「ここは私たちが属する時間線ではないので、色々と厄介な現象が起きます」
「それにしても、羽賀さんが外部からの介入を受けたとか、何の冗談なのよ」
「いいえ、冗談ではなくて本当の事ですよ。まるさん」
「そう云う事じゃなくて……羽賀さんのコントロールを上書きする相手が居る、という事?」
「かも知れないです。自然現象の可能性などもありますから、調べています」
まるの脳裏には非常に嫌なものが浮かんでいた。
迷い猫時間線から一度帰還する前の微睡で見た、あの黒い巨大な影……。
「いったん着陸したほうが良いかしら」
「お願いします、少し安定状態で調査をしたほうが良いです」
「太田君、地球の東京都……そうね。八王子……いや、葛西臨海公園に行きましょうか、私たちが最後に〈コピ・ルアック〉に向かった場所」
§
〈渡会雁金・改〉は、その姿を隠したまま、深夜の海の傍の公園に静かに着陸した。
「4年半も経っていたら、痕跡も何もないでしょう」
加藤が悲観的なことを言う。
「陸上戦闘のプロの小峰君なのよ。もし元気でいるなら、私たちが最後に飛び立ったここか、集まった長崎のどちらかに、何らかの情報を残して行ってくれている筈」
まるはそういいながら、センサーで周囲を細かくスキャンしていた。
「あった」
迷い猫時間線の人々ではわからないだろう痕跡が、そこにはしっかり刻まれていた。
「なんですか?」
「ナノマシン絆創膏で、石の上にメッセージを書いてあるのよ」
ナノマシン絆創膏。それは、スプレータイプの医療器具。怪我をした部位に吹き付ければ、溶液に含まれるナノマシンが傷を瞬時で縫い合わせてくれる。例の異星人の与圧服に仕込まれていたものと原理は同じだ。だが、対象となる皮膚が無い状態だと、ナノマシンの不要な離散を防ぐプログラムの作用により、その場に固着するという、ちょっと面白い仕様になっている。皮膚上に吹き付けた場合は自ら分解するが、固着した場合は永久停止状態になるだけで、痕跡は残るのだ。副作用ではなく、サバイバルキットにも記載されている正規の使い方である。
「2010/11/12こみね、と合って、その後に丸が続いているわ。年月を示す記号かな。ボーテ、あれの意味分かる?」
質問を投げられたボーテ砲術長はちょっと顔をしかめた。
「私は陸戦についてはあまり詳しくはないのですが……あ、でも知り合いのコスプレ仲間……じゃない、武器関係で知り合った陸戦部隊の経験がある友人の話に遭った気がします。魚の骨状のしるしだと日付けなのですが、この丸一つは確か1ヶ月。長期に渡って救出が望めない環境に取り残された場合の記述法です。
「とするとひとつ、ふたつ……50個。4年2カ月か。彼は帰還を諦めていないし、ここにずっと通ったか、この傍に住んでいるかのどちらかね」
「とすると、数日以内には、51個目を書きに来る計算です。ここで待機していれば労せず逢えますね」
だが、その時、まるの感覚にピン、と反応するなにかが有った。慌てて出てきたのは阿於芽と羽賀氏。彼らの感覚にも反応が有ったらしい。
「労せず……かどうかは分からないわよ。阿於芽、いったい何が起ころうとしてるの?」
「超空間干渉……この時空に対して、強い干渉を行おうとしている力が有る。時空が歪むぞ」
まるで、平和な予定調和を拒むかのように、何かが押し寄せてこようとしていた。それは、まるが夢で見た、あの巨大な黒い影かも知れなかった。
<ああ、あんな予感、当たらなければよかったのにっ!>
(続く)
次回、悪夢。