第40話「孤影悄然のまる12:渦中のお茶会」
28世紀への帰還早々に嵐の渦中に巻き込まれていく〈コピ・ルアック〉のクルー達。どうなって行きますでしょうか。
(承前)
「ねえ船長。どうなっちゃったの?」
琥瑠璃の無邪気な質問に、まるはいささかげっそりとした表情で答える。
「最悪な奴に、最悪な場所で出会っちゃったの」
切ない思いで別れて、28世紀に帰ったと思えば、着いたのはまさかの〈地球通商圏〉、しかも思い出したくもない〈大自在天〉との邂逅とか。
「ふうん。でも記録ではあの艦は羽賀さんと一緒に、一度行動不能にしちゃったのよね?」
思わぬ方向からの意見で、まるは虚を突かれた。琥瑠璃は、まると同じようにインプラントで記憶容量を増やされ、航星間空間での生活に必要な知識を一通り刷り込まれてはいる。しかし、それはあくまで記憶でしかない。彼女が彼女として経験してきたヒストリーは、ほとんど何もない、真っ白なのだ。だから経験で判断して行動する、という最適化は出来ていないものの、そこで当然のように見過ごしてしまう事実に、彼女は気付くのだ。
「そうね。堂々と言ってやればいいのよね」
まるは正面を向き直った。
「通信チャンネルオン」
そして、〈大自在天〉に対して返答を返した。
「こちら〈大和通商圏〉の独立武装貨物航宙船〈コピ・ルアック〉、異星人テクノロジーによる不慮の事故により遭難し、ここに辿り着きました。当船に交戦の意図無し。繰り返します、当船に交戦の意図無し」
チャンネルは全二重通信で接続されている。相手側のざわめく声が一瞬聞こえた後、明確に音声遮断をした無音状態がしばらく続きた。〈コピ・ルアック〉との遭遇で、彼らの船がどうなったかは痛いほど覚えているはずだ。下手な手出しをしてくるとは思えない。
「さ、相手がどう出てくるか見守りましょう」
そう話した後、船内通信でラボを呼び出す。
「秋風君、武装の状態は?」
『ああ船長、丁度いい所に。阿於芽と二人で数日こもって作業していましたが、重核子砲は半数の15門を、30%程度の出力で稼働可能になっています。残念ながら、次元転移砲は手が付けられません。コントロールをボーテ砲術長のコンソールに回します』
「有難う、それだけでも十分だわ」
そして、オブザーバー席に鎮座している羽賀氏を見た。
「さて、うちの大事なクルー達と、FERISについて教えて頂けるかしら」
羽賀氏は少しため息をついた。
「FERISは、現在地球人類圏のどこにもいません」
「まあ、それは予想していたわ。で、どこに行けば良いの?」
「現状の地球人の技術や、ある程度以下の異星人では到達できない場所、人類圏から200万光年ほど離れた所です」
まるの口が馬鹿みたいに開いた。
§
〈大自在天〉から、恐る恐るの返答が来たのは、羽賀氏が更に口を開こうとした時だった。余りの事に阿呆面をしていたまるは、顎を引き締めて口を閉じた。
『こちら〈地球通商圏〉所属艦〈大自在天〉、貴船の船籍を確認した。何か手助けできることはあるか?』
流石に無為な戦闘を仕掛けてくるような阿呆ではなかったので、まるは少しほっとした。そして彼女は、コンソールを操作して通信回線をミュートし、再び羽賀に向き直った。まるは、羽賀が平然と言った数字を聞いて、〈地球〉と〈星京〉の超空間ゲートを通じた4000光年、実質数光年という距離ですらうんざりしていた自分が馬鹿馬鹿しく思えてきた。200万光年?
「200万光年なんて、まるでアンドロメダ銀河ね」
「おや、よくお分かりですね」
「――冗談でしょ」
「これでも近すぎるかと思って、へびつかい座の超銀河団から選ぼうかと思ったのですが……」
「そんな都合よく何千万光年とか移動できるなんて、どういう理屈なんだか」
「あなた方の世界でも普通に使われている超空間ゲートの簡易版ですよ」
「あれって、設置に何年もかかるし、転移先の状態を確定させないといけないし、方向の制御とかも大変だから固定型なんでしょう」
「まあ、そこら辺は我々が少し改良していますから」
<少し、ねえ……>
「そんなにホイホイと私たちを移動させたりして大丈夫なの?」
「もちろん、FERISを移動した際に予め許可は取っています。それより、我々の動きを他の異星人たちが察知し始めたようですよ」
まるはぎょっとして、ブリッジ下層部にある全天レーダーを遠隔操作して、探査モードにした。しかし、それらしい船影はない。
「まあ、人類のレーダーでは無理でしょう。ちょっと手を加えます」
羽賀氏がコンソールに手を伸ばして、それからふわっと流れるように指を動かした。しかし、その瞬間に数画面分の文字列が入力されていた。
「コンピュータの入力って、割と遅いクロックが律速しているからそんなに早く入力なんて出来ないはずなのに……」
「ああ、すみません。そこまで介入しています」
<どうせなら直接つなげてダイレクト入力でもやれば良いのに>
そのまるの思考を読んだのか、羽賀氏はかすかに笑ったような表情をした。
「ははは。流石に直接接続とかはできませんから」
「そっちの方が不思議だわ」
言っているうちにレーダーの表示が変わった。〈コピ・ルアック〉の周辺は真っ赤に塗りつぶされたようになっている。
「ズームして」
まるが指示すると、周辺数光秒の範囲に、びっしりと船影が浮かび上がった。
「な、なにこれ……」
「こういう事です。あなた方は、数千の異星人勢力の的になっているのですよ」
まるは事の展開にめまいがした。
<何で男一人に交際を断ったくらいで、こんな大騒ぎに発展するのよ? 勘弁してほしいわ。異星人も大挙してきた割りには周りで様子をうかがっているし――>
まるの中で何かがブツン、と音を立てて切れた。そして、吐き捨てるように言った。
「あーもう、面倒くさい。どうでもいいわ、好きにして」
ラファエルは顔に手を当てた。同じくらい古参の薬研とアレクシアもにやにや笑いをしている。きょとんとしているのは羽賀と、若い船員……加藤と、部署に居ても仕方がないのでブリッジに来ていた渡辺等だった。まるは意に関せず、船長席からぴょんと飛び降りると、尻尾をフラフラ振りながらくるりと踵を返してブリッジの出口に向かった。
「せ、船長、本性が出ちゃいましたね」
太田航宙士が、漏れる笑いをこらえながら何とか話した。
「私は船長室に居ます。何かあったら連絡を入れて」
そう言い残すと、てとてと、と、ブリッジのゲートを過ぎて、中央リフトに向かった。琥瑠璃はどうしようかと見回していたが、まるの後を追った。
「え? あの。まるさん?」
あの羽賀が、初めて動揺をみせた。
「あの、羽賀……参事官?」
ラファエルは申し訳なさそうな顔で声を掛けた。
「ここでは私は参事官としては活動していませんから、ただの羽賀で宜しいですよ。まるさんが――」
ラファエルは羽賀の言葉を手でそっと制した。
「船長があの状態になったら、もうダメです。猫の本性全開ですから」
「この状況で?」
「多分、こんな状況だからですよ」
そこに薬研が口をはさむ。
「まあまあ、羽賀さん。まる船長がああなった時には、他の人に任せて大丈夫な時です。というより、自分が何をやっても無駄な時、と言ったほうが良いでしょうかね」
羽賀は何かを言いかけたがぐっと飲み込んで、暫く黙っていたが、やがて元の鉄面皮の表情に戻った。
「わかりました。ではどうしましょうか」
「どうもしません。取り敢えず周囲の出方を見ましょう」
§
まるがリフトに乗るとき、琥瑠璃が呼び掛けた。
「まる船長、一緒に行ってもいいです?」
「ん。まあ良いわ、いらっしゃい」
リフトに乗ってる最中、まるの尻尾はだらっと垂れて、一見普通にしているように見えた。だが、その筋肉が微妙に緊張している様を、琥瑠璃は見逃していなかった。
「荒れてるね。尻尾が揺れてる」
「少し、ね」
<やっぱり猫には隠せないわよねえ>
「もうね、人間たちやら、異星人やらの、なんといったらいいのかな……猿臭い考えにはうんざり」
琥瑠璃は、仔猫特有のポサポサした尻尾をぷんぷんと振った。人間でいえば笑っているという感じだろうか。
「私が手を出さなくても、暫くは体制に変化はないと思う。正直付き合いきれないわ。疲れた」
「分かります」
「じゃ暫く、昔話を聞かせてあげようか?」
「わあ、聞きたいですっ」
「じゃ、食堂室に寄って食べ物を貰ってきましょ」
完全にサボりモードなまるだった。
事態の進展から、まるがドロップアウトした所為で、他の人々の手も浮いてしまった。
「副長、〈大自在天〉が返答を求めて来ていますよ」
加藤がラファエルに報告する。
「放置しておけ。暫くは向こうも何もできないだろうし」
太田は周辺をモニターして報告する。
「周辺の異星人包囲網、こう着状態です。時折お互いをけん制するように動きますけど、すぐに均衡状態に戻りますね」
羽賀は興味深そうにうなずいた。
「なるほど、まるさんの読みの通りですか」
「そういう事です。お茶にでもしますか?」
「そうですね」
話と前後するように、一足先に食堂室に向かったアレクシアが、クッキーとティーセットをワゴンで運んできた。
「気が利きますね、丁度お茶にしようってお話ししていたんです」
「ええ。丁度船長も食堂室にいらしてたので、スナックをお渡ししておきました」
「あ、いいな。僕もそっちにしよう」
阿於芽が言ったが、アレクシアは指を横に振って制止した。
「女同士のお話に割り込むおつもりです?」
「う……」
「阿於芽さんの分と、ピンインさんの分は指示を承ってきましたので、ちゃんと用意していますよ」
「そっか、じゃあそれで我慢しよ。ピンインは格納庫で作業していると思うから、後で呼ぼう」
〈コピ・ルアック〉船内は、緊張の最中に、お茶会へと突入していった。
§
冗談で済まないのは放置された外部勢力だった。
異星人たちは、地球人に感知されない様に遮蔽はしていたが、お互いをけん制して軽いジャブの様な攻撃を繰り返していたため、〈大自在天〉にも異常な現象として捉えられ始めていた。
「武装貨物船〈コピ・ルアック〉を中心とした20光秒程度の空間に、頻繁な重力変動が確認されています」
「あの船の新兵器か?」
「分かりませんが、違うと思います。〈コピ・ルアック〉は先程から動作を停止し、スタンバイ状態です。まるであの船を狙って周囲を包囲しているかのように、周囲の球殻状の空間に異常が発生しています」
「威嚇射撃を行うべきか」
「正体が分からない以上、危険は冒せません」
実際のところは粒子ビームで威嚇射撃をしたら、ビームが球殻状の空間で掻き消えるという面白い様子が確認できたのだが、思慮深い副官の慎重策ゆえに、その現象を見ることはかなわなかった。
異星人同士もひしめき合う状態で、盛んにやり取りを交わしていた。
本来は言語コミニュケーションを持たない種族もいるが、汎銀河団公用語は一定レベルを越す種族にとっては必修科目のようなもので、一部を除いてほとんどの種族が使っている。地球人類は、残念ながら、まだその段階に達していないだけだ。もっとも、この現象に集ってくる程度の異星種族は、せいぜい地球人より一歩先程度を歩んでいるに過ぎない新参者だ。中堅以上の宇宙種族は物理界にさほど興味は持たないし、青年期に入った種族は自分たちが本気で動けば銀河規模の大崩壊を起こすことを学んでいる。
――手を引け。これは我々おおいぬ座銀河第三渦状椀帝国の領土に関する問題である。
――そちらこそ手を引いてもらおう。この問題は銀河外周公国の管轄である。
――この場での紛争は銀河第三渦状腕調停組織により禁止されます。繰り返します、この場での紛争は――
大仰な名前を名乗ってはいるが、実体は地球人類よりも版図の小さい種族であることも少なくない。だが、それでも人類が到達していない階梯の徒として認められている種族である。侮ってはいけない。未開人の大国より、高度文明の小国が勝ることは枚挙にいとまがない。
基本的には、羽賀氏の属する「銀河第三渦状腕調停組織」は、こういう異星人間の紛争に関する調停組織であり、組織は時間、空間の頸城を離れた超越種族により運営されている。だが、いかんせん組織そのものが小さく、小さな小競り合いであれば十分に機能するのだが、今回の件のように無数の勢力が一気に集結して、地球人類という種族を「抱き込んで」利益を享受する機会の争奪戦を繰り広げるような大規模紛争では、基本的に事務的な活動を旨とする「銀河第三渦状腕調停組織」にとってはキャパシティを超えていた。
なんというか、普段はオーバーパワーでろくに行動出来ないくせに、肝心な時には力不足で役に立たない。帯に短し襷に長しな組織である。がしかし、それは致し方ないともいえた。運営母体である超越種族は、そもそも物理的な存在である種族の趨勢にはさほど興味がない。致命的な時間改変などの、自身を脅かす事件や、時空の不確定性による自身の存在に対する脅威となりうる存在の台頭などが主な興味の対象で、紛争解決はいわばサービスでやっているようなものだったからである。
それでも一応、大きな戦闘は時空構造にダメージを与えかねない、という懸念から徐々に注目度を上げており、現在、上位組織である汎銀河調停軍へのお伺いを立てている状態らしい。もっとも、軍が動いてしまうと、銀河第三渦状腕そのものが戦場と化し、地球人類がそれに巻き込まれる事態は避けられそうにない。とのことで、非公式に羽賀が動いて事態解決を模索していたのである。
異星人たち、〈地球通商圏〉、調停組織、そして羽賀とまるたち、それぞれの思惑はてんでんばらばらの方向に向いていた。どこから今の緊張が崩れてもおかしくはない状態だった。
§
「それで? それでまる船長はどうしたの?」
目をキラキラさせながら、琥瑠璃はまるの話に聞き入っていた。まるは最初の冒険、つまり、遭難によって自らが知性化された顛末を面白おかしく話していた。
「知性化された今なら、琥瑠璃ちゃんにもわかるでしょうけど、猫の手で色々と弄ろうとすると、人間用の機械ってすごく不便なのよね。だからこれを作ったの」
そういいながら、手に装着したマニピュレーション・グローブを見せる。グローブとは言いつつ、実態は意識感応することで動作し、猫の指の動作を人の機械をいじるのに都合がいいように動かす自立型補助関節だ。まるは指を一本ずつ折って動かして見せ、キーボードを素早く捜査して見せた。
「すごいなーすごいなー、あたしもそれ欲しい」
「うん、秋風君に頼んでミニチュア版を作ってもらってるわ。琥瑠璃ちゃんは成長期だから、あっという間にサイズが合わなくなると思うから、そのヘッドセットと同じく、伸縮性の素材を多用して、半年は同じものが使えるようにって考えてるよ」
「待ち遠しいなー」
「まあ、今日はアンドロメダに行くらしいから、それまでには使えるようにしてあげる」
「楽しみっ。ね、ね、それで、さっきの話の続きは?」
「それでね……」
まるが知性化された遭難時に、如何にあれこれ試行錯誤して、地球人類の社会に戻ろうとしたかを話し始めようとしたときに、通信が入った。
『こちらブリッジ。船長、よろしいですか』
<もう、無粋ね>
「はいはい、こちら船長」
『椅子取り合戦に乗り遅れた異星人が痺れを切らしたようで、小競り合いが始まっています』
「なにそれ」
『詳しくはこちらにいらしてください。羽賀氏から説明されるそうです』
<仕方ないわね>
「お仕事入っちゃったわ。続きは後でね」
琥瑠璃は少し不満げだったが、植え付けられた知性がそれを上回った。
「はーい」
<この歳の仔猫にしては、少し聞き分けが良すぎるかな。もう少しヤンチャになって欲しいかも>
聞き分けが良すぎる琥瑠璃を、まるはちょっと心配した。2人で再び中央リフトに乗り、ブリッジへと向かった。
「ねえ、まる船長」
「なあに?」
「私のグローブは、秋風さんが作っているのよね?」
「ええ、今も作業してくれていると思うわ」
「見に行ってもいい?」
<大丈夫かなぁ、知性化されて受け答えは大人びているけれど、実際は生後1ヶ月の仔猫なんだから……>
暫く考えたが、過保護に過ぎても良くない、と考えて、まるは許可を出した。
「いいわ、じゃあ一度リフトから降りて、逆方向に乗りなさい。船内見取り図は分かる?」
「はい、まる船長。ちゃんと学習に入ってました」
「よし、じゃあ行ってらっしゃい」
<まあ、初めてのお使いっていうところかしら?>
ちょっと不安に思ったが、琥瑠璃を一人行かせて、まるはブリッジへと向かった。
§
まるがブリッジに戻ると、ブリッジ下層にある巨大球形スクリーンに映し出された異星人の状態が幾重にも別れた渦の様になっているのが見て取れた。
「何が一体どうしちゃったの?」
羽賀が近づいて来て説明した。
「赤い光点一つ一つが異星人の船団を示しているのですが、当船を狙える位置に並べる場所には限りが有るので、先着順で並んでいたのです。それが――」
羽賀はレーダーの時間を巻き戻し、早回しで再生しながら続けた。
「このように、後続の船団が前に居る船団を攻撃して、ひるんだところを前に出る、というのが繰り返されて、渦が出来てしまっているのです」
「なるほど、複数個所で先頭争いの小競り合いが同時多発的に起きているのね……」
「はい。業を煮やして当船に向かって狙いを定める敵船が居ないとも限りません。一刻も早く転移を行うべきだと判断します」
「ふむ……転移時のリスクは?」
「多少船体が振動しますが、座席にちゃんと体を固定していれば問題はありません」
「あー……ちょっと拙いわね。琥瑠璃をお使いに出したままなの」
「確認をお願いします、船内の位置によっては、酷い揺れを受ける可能性が有りますので」
「分かったわ」
まるは船内通信をONにして、工作室の秋風に連絡を出した。
「秋風君、そちらに琥瑠璃は居る?」
『ああ船長、先程丁度、琥瑠璃ちゃん用のマニピュレーショングローブが出来たので試着させたら、船長の所に行くって言ってました。まだ到着していませんか?』
「来てないわよ? どれくらい前?」
『もう2分ほど前ですから、そろそろ到着するのじゃないですか?』
「そう、ありがとう。そうそう、琥瑠璃のヘッドセットの通信チャンネルは?」
『船内番号52522です』
「ふむ……52522か。偶然にしては面白い番号ね」
そういうと、まるは琥瑠璃の通信チャンネルをアクセスした。〈コピ・ルアック〉では、船内主要箇所へのアクセスは操作パネルに表示されているが、個人個人への通信アクセスは旧態依然と番号で指定されている。もちろん、対象の個人の名前から索引することもできるが、アクセス番号が分かっているなら断然其方が早い。
だが、琥瑠璃からの返事はなかった。
「琥瑠璃? どうしたの、返事をして」
返答はない。しばらく様子をうかがっていたまるだったが、通信を一時切った。船内には通信が届かない場所が数か所ある。しかし、それはリフトから遠く離れた場所であり、琥瑠璃が簡単に行ける場所ではなかった。
まるは不安を抑えるために軽く顔を洗った。そして、羽賀のほうに向きなおった。
「羽賀さん、転移までの猶予は?」
「もう殆どありません。すぐにでも転移操作を始める必要が有ります」
「分かりました、転移を始めてください。琥瑠璃は私が捜索してきます。最悪でも緩衝ボールのお世話になる程度で済むでしょう」
「……分かりました、では、転移手順を開始します」
中に居ると分からなかったが、〈コピ・ルアック〉は虹色の膜で覆われた。まるはブリッジを出ると、中央リフトから行ける主要なブロックの人員状況をチェックした。
<ドラム部、動体反応なし。食糧プラントには動体あり……これは飼育中の食物ね>
コンソールを見ながら、次はヘッドセットのありかを確認した。
<ええと、これは私、こっちのは……ピンイン用のナノマシンか。おかしいな、二つしか反応が無いなんて……>
阿於芽は、ヘッドセットを必要とはしない。それでも反応は3つある筈だ。
<急造品だから故障でもしたのかしら。こういう時にFERISがいてくれたら簡単なんだけど>
そう考えていると、船が微妙な振動を始めた。
<転移がどういう仕組みで行われるのかは分からないけれど、これが前兆なのかしら>
§
琥瑠璃は暗くて狭い場所に押し込められていた。船長の所に戻ろうとして中央リフトに乗ろうとしたところまでは覚えている。そこから記憶が無い。
<ここどこ?>
微かに明かりが漏れ入ってきているが、生後一か月の未発達な琥瑠璃の目では、微弱な光で周囲を見ることはまだ十分には出来ない。しかし、それを補正する働きがヘッドセットにはあったはずだ。
<……あれ? ヘッドセットが無い>
琥瑠璃が無くなったヘッドセットを探して慌てていると、不思議な振動がやって来た。
<なにこれ?>
それと同時に、聞いたことのない音声。
「☆▲!? □▼∂∝∩∑∽◇○!」
琥瑠璃にはそれが、何となく悪態をついているような、何かを罵っているような声に聞こえた。何れにしても、ヘッドセットが無いと細かいニュアンスは分からない。
<どうしよう……>
だが、付きの瞬間、外でドタンバタンと激しい音がし始めた。
「○▲▲∞∬◆!」
「何言ってるか分かんねえんだよこの野郎、ふざけんな!」
§
時間を遡るほど数分前。
阿於芽は、秋風と一緒に工作室に居た。だが、琥瑠璃がブリッジに戻っていないと聞いて、「思索の杖」を伴って工作室を飛び出した。
「さっきから僕の超越部分の感覚に、ちくちくする、というか、何だか嫌な違和感を与えているやるがいる」
『異星人ですか?』
「多分ね。少なくともこいつは、地球産の生き物じゃない。たぶん〈コピ・ルアック〉のセンサーも回避してるだろう。〈コピ・ルアック〉は戦闘用のフォースフィールドを展開しているはずなのに、どうやって侵入してきたんだか」
「上位階梯の異星人なら、やりかねないかも知れません」
「そんな連中がこの周りに集まっているゴロツキに居るとでも? 少なくともこの付近数光秒には、そんな真似のできる超越種族は僕と羽賀さん以外に見当たらないね。銀河第三渦状腕調停組織の船に乗っているのも雇われの単なる上位種族だし。考えられるのは一つだけ」
『なんでしょう』
「異星人が誰かになりすましている。いや、もしかしたら最初から異星人だったのかも」
『あの』
「なんだい?」
『私も、貴方の一部も異星人ですよ』
「そんな事は分かってるよ、いちいち突っ込むな。それよりだいたい目星は着いている。行くよ」
二人は走りながら会話を続けた。
『誰ですかそれは』
「ブリッジにも工作室にもいない人物さ。工作室には秋風、渡辺、僕、そして君『思索の杖』。ブリッジには船長、羽賀さん、副長、ボーテ、アレクシア、太田、加藤、五条、新穂、にゃんた、薬研、垂髪、定標、瀬木。ほら、二人居ないだろ」
『――はい』
「一人は除外。若いけど僕のお師匠だし。彼が本物なのは確認済。ほら、おいでなすった」
二人の目の前には、戦闘服と武装を身にまとった一人の人物がいた。小脇にラグビーボール大の黒いカプセル状の物を抱えている。
「やあ小峰陸戦部隊長」
小峰は答えない。
「いつも無愛想だけど、返事位してほしいもんだ。ところであんた、本物か?」
この質問には、小峰は体術を使って返答をしてきた。繰り出された素早い蹴りを、阿於芽は猫の俊敏さで避けると、とっさに発生させた触手状の組織を鞭の様に振るって応戦した。
小峰は最初の攻撃をかわされると、意味の分からない叫び声をあげ、ビーム銃を構えて撃った。阿於芽は触手を膜状に伸ばしてビームを受け止め、横っ飛びに小峰の資格を狙って飛びかかると、再び触手を伸ばして小峰の首を狙った。
その時、船体全体がブブブブブブッと振動を始めた。転移の前兆だ。小峰の形を形作っていた異星人は造作が崩れていい加減になったと同時に、のっぺりとした腕を新たに4本突き出してきた。
「○▲▲∞∬◆!」
「何言ってるか分かんねえんだよこの野郎、ふざけんな!」
阿於芽が叫ぶ。「思索の杖」は辺りをその複眼で一瞥し、通路わきにある非常スイッチを押した。
『こちら倉庫ブロックA23、緊急事態』
だが、「思索の杖」が通信を終わるより速く、彼らが居る場所に弾丸のような動きで何か小さい物が飛び込んできて、次の瞬間には、小峰だった何者かの伸ばしてきた触手を、手に装着した武器で撃ち貫いていた。
「うちの仲間に手を出すんじゃないよ、この下衆野郎!」
そう啖呵を切って、まるは敵を見据えた。
(続く)
異星人のパワーゲームの渦中、船内への敵の侵入、遙か200万光年の彼方への旅等々、予断を許さない状況が繰り広げられていきます。