第39話「孤影悄然のまる11:別離と帰還と」
大変長らくお待たせしました。
いよいよ過去からの帰還です。
(承前)
出口さんのいきなりの依頼に、まるは戸惑った。
「でもそれは……」
「先程の羽賀さんと皆さんのお話少し伺ってました。今のこの世界って、まるさんたちの来た宇宙とは別の流れなのですよね?」
秋風は眉間にしわを寄せながら意見を言った。
「うーん。違うといえば違う、同じと言えば同じかもしれない。そんな曖昧なところですね」
「加藤君と少し話しました、時空連続体の弾力性とか。その時代に必須でない人物が移動しても、連続体は接続を維持しようとする、とか」
加藤は慌てた。
「でもそれ、まだ28世紀でも完全に証明は出来ていない話ですよ」
静かに聞いていた羽賀が口を開く。
「私の方で、人類が到達していない方法で調べましたが、出口さんの移動について、時空連続体に問題はありません。ただし、片道旅行です。二度と戻れない旅立ちに際して、出口さんの家族や友人とのかかわり合いを断ち切る意思と、それを受け入れるまるさんの意思決定だけが問題です」
まるは息をのんで固まった。
「う……」
<いきなりそんな問題付きつけられても、すぐに答えなんて……>
だが、まるには今日既に、同様の判断を一瞬で決断した前科が出来てしまっていた。
「そんな、野良の仔猫一匹を拾うのと、人を一人連れていくのでは……」
と、言いかけて、自分で自分の言ってることの可笑しさに顔をしかめる。
<何言ってるの私。出自なんて関係ないし、私にとっては相手が人間か猫かだって関係ないじゃない>
そして、まるは笑った。出口さんはきょとんとした顔をした。
「あ、ごめんなさい、私が馬鹿だったわ。猫も人間も変わらないわよね。特にうちでは」
そして、出口さんをまるは真っ直ぐ見据えた。
「うちの船員を目指したいってこと?」
出口さんもまた、真っ直ぐまるを見て言った。
「はい」
「私たちの世界では、知識が有る事はアドバンテージにはならない。学習機が有るからね。あなたにうちの船員になる『資質』があるかどうかが問われるわ」
「私にはデザインを使った広報能力が有ります。〈コピ・ルアック〉の方々と話していて、ニッチが有ると思いました」
<この子は鋭い。しかも頭の回転も速い。でも……>
「肉体年齢が少し高いわよね。老化は食いとめられても、その年齢は多少誤魔化せるくらいで、若々しい状態には戻せないわよ」
「若さを売りにするような仕事ではないと思いますし、私の仕事に関しては、『にゃんた』としての私のデザインを見初めてくれたまるさんなら知っていると思います」
まるは根負けした。
「まあ、いいでしょう」
出口さんの顔がぱぁっと明るくなる。
「た・だ・し。船員試験は受けて頂きます。それは28世紀の向こう側で。もし落ちたらうちの勤務は諦めてもらうわ」
流石に今度は出口さんがぐっと言葉を詰まらせた。万が一〈コピ・ルアック〉に乗船できなければ、見知らぬ土地に一人ぼっちだ。まあ、それも決断できないような人を雇うまるでもなかったが。
「わかりました。それでも構いません」
決意の固さを見て、まるは頷いた。そして口を開く。
「じゃあ最後の試練。あなたの親族と友人を、これから一週間で納得させなさい」
またぐっと詰まった表情の出口さんだったが、これも飲み込んだ。
「やります。一週間以内ですね」
「そう、しかも明日には東京に戻るわ。あなた一人別の交通手段で東京に来ても良いけど」
出口はしばらく下を向いて考えていたが、顔を上げて宣言した。
「いいえ、親は今晩中に説得します」
そして立ち上がると、くるりと踵を返して、部屋から出て行った。
§
怒声は、夜半まで続いた。すすり泣く声、何かを投げる音、茶碗が割れる音。
何が有ったかは想像に難くない。
ただ、翌日、宿の主人と女将が現れて、まるたちに深々と頭を下げながら、「娘をお願いします」と言ってきたので、彼女が成功したのだと分かった。
「里帰りは難しいわよ」
まるは再度釘を刺した。
「分かっています」
決心が変わる様子もない。
「では、娘さんをお預かりいたします」
ラファエルが言うと、再び宿の主人たちは頭を深く下げた。
一行は先日と同じくチャーターバスで一度佐世保駅前まで出た。そこでバスを返した後、其々がお世話になった先へのお土産を物色しに行く話になったのだが、どこで買うのかの意見が分かれた。結局無難に駅前の五条組、繁華街に行く阿於芽組、ハウステンボスまで遠出することにしたまる組の3組に分かれることになり、合流は夕刻になった。この時の詳しい話はまた後日に譲ることにするが、それぞれの思いが詰まった買い物をして、彼らは佐世保駅に合流した。
佐世保港の片隅のうまく見えない場所を利用して停泊中の、揚陸艇〈正山小種〉を使い、彼らは一路〈コピ・ルアック〉へと戻っていった。台風はかなり遠くに過ぎ去っており、各地への帰還をどうするかが議論の対象になった。
基本的には、アメリカ組、ヨーロッパ組、日本組なのだが、さすがに揚陸艇単独で各地に向かうのは無理があった。だが平然と阿於芽は言った。
「問題ないね。回数は多くなるけど、〈川根焙じ・改〉に再度遮蔽装置を取り付けて、ピストン運送すればいいよ」
にゃんたがその言葉に心配する。
「燃料とかは大丈夫なんですか?」
その質問に、〈コピ・ルアック〉のクルーは顔を見合わせた。まるが笑いながら説明する。
「ああ、ごめんなさいね。説明していなかったわ。28世紀の超光速駆動機関は、基本的に燃料を必要としないの」
「え?」
「詳しい説明をすると長くなるけど、空間から無尽蔵にエネルギーを引き出している、と思ってもらえばいいわ。むしろ低速エンジンの方が燃料食いで困りものなのよね」
「へえ、未来って便利なんですね」
「まあ、そうね。もうこちらに来ることは確定してるから話しちゃうけど、このエンジン、21世紀後半に発明されるものなのよ。にゃんたさんの年齢を考えると、ぎりぎり目にすることがあったかもしれないわね」
「船長、延命薬物の発明がこの世紀半ばですから、うまくすれば生き延びて28世紀の現代までおられるかもですよ」
「そうね。でもそれは、辛い人生になった可能性が高いわね」
にゃんたはきょとんとした。
「超光速航行と延命薬。宇宙時代のお膳立ては、21世紀中に行われるの。閉塞感に追い詰められてギリギリだった人類は、一気に未来に目を向けるようになったわ。そして、22世紀は偉大な冒険の時代になるの」
「冒険の時代……」
「でも、23世紀の爆発的発展の時代を経て、24世紀には人類圏全体を巻き込む大戦争も起きた。その結果、社会の大再編が行われたわ。28世紀までの歴史は、決して平坦な道のりではなかったの」
「700年。21世紀から遡れば室町時代ですね……寧ろ、それだけの歳月が有れば、どれだけ激動が有ってもおかしくないですよ」
まるはにっこり笑うと、話しを続けた。
「さてと、話しを戻しましょう。秋風君、阿於芽と協力して、遮蔽装置の換装をお願いするわ」
「了解しました」
「他の乗員は荷物を整理しておいて」
そう指示して、それから羽賀氏の方を向く。
「羽賀さんはどうされるんですか?」
「私はここでピンインと二人、待機しますよ」
「わかりました。では各自、行動開始」
§
人員のピストン運送7回目。最後の移送の時に、最初長崎に行った時と同じ構成で、阿於芽とまる、ラファエル、にゃんた、秋風、加藤は東京に戻った。今度の着陸地点は場所を再考し、葛西臨海公園の水族館建屋の傍、丁度物陰になっている場所に降り立った。阿於芽とまるは人型プローブを装着すると、それぞれの準備を確認した。
「阿於芽はどうするの? こちらに片付けなきゃいけない物とか、お礼をする相手は?」
「住居の片づけと、二人ほど挨拶をする奴が居るから、行ってくるよ。それが終わったら〈コピ・ルアック〉に戻って待機する。六日後の夜に迎えに来るよ」
これに続いて秋風が言う。
「私も、お世話になった電気店に挨拶して、阿於芽と一緒に行動します」
まるは頷くと、皆に向かって言った。
「では、六日後の夜に」
まる達は葛西臨海公園駅に着くと、まるは武蔵野線に、他は京葉線に行くために別行動になった。別れ際、彼らは特にお互いで言葉を交わすわけでもなく、ただ黙っていた。それぞれが、この時代で過ごしてきた日々に思いを馳せていた。
<休憩モードに移行、私は仮眠する。西国分寺駅になったら起こして>
まるは人型プローブにこう指示して、乗換駅の西国分寺までの大半の時間を寝て過ごした。人型プローブには、まるが常用している睡眠時間を調整する薬を分泌する機能があるので、通常は人と同じように活動が可能だ。しかし、身体にかかる負担を軽減してくれるわけではなく、可能ならば睡眠をとる方が体も休まるのだった。
まるが寝ている最中、置き引きが1件、痴漢が2件起きそうになったが、休憩モード中でも人型プローブはスタンバイ状態で周辺を監視しているため、相手に手痛い仕返しをして追い払った。
そして、目的駅に到達すると、まるは軽い刺激を与えられた。
「ん……乗り換えか」
西国分寺で中央線に乗り換えたら、後は八王子まですぐだった。
八王子の駅を出て、まるはすぐに迷い動物の保護センターに向かった。
「ただいまぁ」
そういいながらドアを開けると、矢田が一人で仕事をしていた。
「あ、まるちゃん、おかえり」
「小坂さんは?」
「それがね、今朝奥さんが急に産気づいちゃったんだって」
「あら」
「幸いこのところ落ち着いてるし、本業の手伝いも頼まれていないから。しばらくは奥さんについて居て良いって許可が出たみたい」
「じゃしばらくは会えないのかなぁ」
「いつまで居るの?」
「一週間。終わったら元の世界に帰るわ」
「そっか。……とうとうその日が来るんだね」
「そうね」
ふと、矢田はまるの荷物がガサゴソと音を立てているのに気が付いた。
「なにそれ」
「あ、それがねえ」
そういって、荷物のバスケットを開けてみせる。
「わぁー、仔猫。……まるちゃんの……じゃないわよね」
「幾ら私でも、そんな数日でで孕んで、スポーンとこの大きさ子どもを生んだり、なんて出来ないわよ」
「やっぱりそうよね。どうしたの」
「街を歩いていたら、野良が産んで、何かの事情で放置してしまってたみたいで……ほかの兄弟はもうだめだった」
「母性本能が出て、保護したくなっちゃった?」
「そうなのかな? 捨て置いてはいけなかったのは確かだけど」
「それで、この子どうするの? 私たちに預ける?」
まるは矢田を見て首を横に振った。
「この子は連れて行くわ。歴史にも問題はないらしいし。むしろ、本来死ぬはずの子で、予測不能の因子を孕んでいるから、残してはいけないらしいの」
そこまで話して、まるはきょとんとした顔をした。
<予測不能の因子。……そうか>
まるは未来への鍵を手に入れた気がした。
「どうしたの?」
「ん、なんでもない。それでね、これ長崎のお土産」
まるが取りだしたのはチーズとソーセージの詰め合わせと、ブラウンの服を着たナインチェの大きなぬいぐるみ。
「消え物ばかりじゃやっぱりさびしいと思ったから」
「わあ、ありがとう。でも何で長崎でミッフィーなのかしら」
「佐世保のハウステンボスに寄ったの。ナインチェ、日本ではミッフィーだっけ。作者はオランダの人なんだって。確かこれのお皿とか有ったから、好きかなと思って」
「うん、好きだよ。ありがとう」
それから急に無口になる2人だった。
「今、何か手伝える?」
まるは静かに聞く。
「ううん。今は大丈夫。先にうちに行ってる?」
「じゃ、そうしようかな」
「仔猫のミルクとか、持ってる?」
「うん、大丈夫。定期的にあげてるよ」
「その子の名前は?」
「まだ決まってないの、茶虎の女の子」
「茶虎の女の子……珍しい子なのね」
「うん」
「鍵は持ってたっけ」
「うん」
まるは何と言っていいか分からなかった。とにかく、あと1週間ある。彼女の家にいるべきだろうか。まるの悩みを察知したかのように矢田が言う。
「すぐ、うちを出ちゃう?」
「まだ決めてないの。とにかく、にゃんたさんと二人でアプリを仕上げるって事だけ」
「そっか」
またしばしの沈黙。矢田が言う。
「まるちゃんさえ、良ければだけど。その間、うちに居てくれたらうれしいな」
「迷惑じゃない?」
「そんな事ないよ」
「じゃあ、決まり」
「わかった」
まるは頷くと、荷物をまとめた。
「じゃあ、お土産も持って行っておくね、小坂さんにはあとで渡して貰おうかな」
「そうね。じゃあお願い」
そこまで話し、まるは彼女たちの職場をあとにして、矢田のアパートメントに向かった。
§
それからの日々は、なんだかんだとバタバタと過ぎて行った。まるは多くの時間をにゃんたとのやり取りと、ソフトのコーディングに費やした。アプリはほぼ「武装貨物船競争」を再現したゲームアプリだが、実時間の数倍の速度と、数十分の一のスケールで描かれていた。また〈コピ・ルアック〉のような性能の船などは登場しない代わりに、それぞれの武装にはゲームならではの強化が為されていた。そんなこんなで、場合の組み合わせが多いので、デバッグはかなり厄介な仕事となったから、まるとにゃんた以外にも、端末を持っている乗員は総動員された。
それ以外の時間は、迷い猫の保護活動を補助したり、家事の手伝いをしたりした。小坂には矢田に連れられて直接挨拶に行った。小坂の赤ん坊はまるには猿にしか見えなかったが、仔猫と同じく、守ってあげなければいけない対象として感じ取れるようになっていた。
その仔猫だが、ちょこちょこと走り回るようになった。まると、彼女が入った人型プローブの関係は理解できているのかどうなのか微妙だった。まるは未だに、仔猫にどんな名前を付けたらいいか悩んでいた。
「茶色いから茶子ちゃん」
「うーん……。私、結構この『まる』って名前で苦労したりしてるから、安直な名前は付けたくないのよね」
「そうなのかぁ。……この子も、まるちゃんみたいに頭の良い子にするの?」
「うん、そうするつもり。普通の猫として育てようかとか、いろいろ考えたのだけど」
「そっかあ、じゃあ、適当な名前じゃ、確かにあとで苦労するね」
「でも、そろそろ色々認識するころだから、名前付けてあげないといけないのよね」
まるは仔猫がおいたをしたら、プローブから出て猫として接した。そうする事がこの子の為なのだと思ったからであった。
「お母さんっていうより、猫の先生よね」
矢田はそのたびに笑ってみていた。
そして、彼らが東京に帰ってから4日目、まるとにゃんたが作っていたアプリが完成し、アプリを販売するマーケットへの審査に出すことになった。
「必要書類揃えたし。これで良いかな」
まるが申請用のデータを確認していると、矢田が覗き込んできた。
「あれ、小坂君のアカウントで良いの?」
「うん、私にはこの世界での住民権はないし」
「無料アプリだよね?」
「うん。それでも審査を通すために、いろいろ用意しなくちゃいけないんだって。銀行口座も小坂さんから聞いて設定したし、小坂さんの個人ブログにちょっとアプリのコーナー作ってもらって、そこを公式ページっていう事にしたよ」
「ふーん。え?まるちゃん口座作ってたよね」
「あれは解約していくよ。こっちのお金を持って行くわけにもいかないから、残額は二人に振り込ませてね」
矢田は激しく手を横に振って断った。
「いいよ、要らないよ」
まるとしてみれば、あぶく銭だし、向こうに帰れば役に立たない通貨なので、全部処分しておきたかった。だが、貰ってくれないなら仕方がない。
「じゃ何処かでばら撒いて行こうかな」
「ええ、それも勿体ないし、警察とかに迷惑掛かるんじゃない? 何か買って帰れば?」
「それも考えたけど、時間があんまりないのよね。やっぱり残額はお二人に」
「幾ら位なの?」
「2千万」
「は?」
余りの額に矢田は虚を突かれた。
「だ、だって、あおめちゃんとかいう子から借りたのって100万……」
「それが、ちょっと遊びのつもりで株とかやってたら、増えちゃって」
「増えちゃって……って、そんな法外な額は受け取るの無理よ」
<でも、ほんとに邪魔なだけなのよね。どうしようかしら>
断られてまるは暫く考えていたが、ふとある事を思いついた。
「そうだ、これを基金にして、迷い猫の施設に役立てられない? 匿名の誰かからの募金が有ったって事にして」
言われて矢田は少し考えていたが、やがて同意した。
「そう……ね、それなら」
「じゃあそれで決まり。さて、アプリの審査申請しちゃいましょう」
§
翌日は、まるは矢田と約束した通り、一緒にお出かけをした。仔猫も一緒だったので、入れる飲食店などは限られていたが、大沢まで足を延ばしてイタリアンを食べたりした。楽しく出掛けたはずだったのだが、あと二日でもう会えなくなる、という事実はやはり重く、あまり会話を交わさないまま、一日が過ぎてしまった。
そして翌6日目、アプリは審査を通り、市場に出た。
隙間時間に遊べるように、というにゃんたの意見から、一回のプレイ時間は1~3分に設定してあった。プレイ時間内にステージをクリアしたら、次のステージが遊べる仕組みだ。一度過ぎたステージであっても、再度遊ぶことで装備が徐々に強化される、お約束の仕組みも組み込んだ。
ただ、手先の器用さを競うゲームは、この時代からすでに下火になっていたから、ウケはいまいちな感じではあった。
「まあ、見た目の格好よさとか、インパクトだけじゃ、この時代はダメなのねぇ」
まるは再び、小坂と矢田の職場に来ていた。今日は小坂も出社している。
「で、これどうしたらいいのかな」
説明を受けていた小坂は困惑して聞いた。
「取り敢えず、ソースとドキュメントは置いて行くから、『開発者が居なくなって困ってる』って言えば、有志が何とかしてくれるんじゃないかしら」
「いい加減だねえ」
「まあ、置き土産よ」
「そういえば、出発はもう明日か」
「ええ、だから今夜には出発するつもり。本当にお世話になったわね」
「こちらこそ、多額な寄付を頂いたりとか、色々有難うを言わせてもらいたいよ」
「迷い猫が少なくなると良いね」
まるは、既に荷物をまとめていた。
「今夜のうちに行っちゃうのかぁ」
矢田は残念そうに言った。
「うん、名残を惜しんでいられなくてごめん」
「いいよ、この一週間で充分して貰ったし」
「百万の偶然が重なって、またここに来れたらいいのにね」
「そしたら、その時はパーッと出掛けましょう」
「……にゃんたさん、そちらに行くんだっけ」
「うん。親も説得して、挨拶してきた」
「そっか」
「……」
「あのさ、まるちゃん」
「うん」
「……いい、やっぱりやめておくわ」
「……うん」
しばしの沈黙。
<矢田さんには両親が居ない、職場での人間関係以外、人との付き合いも少ない。だけど……>
矢田は連れていけないのだ。
その件に関しては、まるは羽賀氏から釘を刺されていた。矢田はキーポイントになる人物らしい。今回のまるたちの行動と一緒に、この時空を離れてはいけないのだそうだ。思いを振り切るように、まるは顔を上げ、荷物をまとめたカートを持った。
「じゃ、そろそろ行くわ」
「そうね」
「今まで、お世話になりました」
「ううん、私もいろいろ楽しかったし、助けられもしたし」
「敢えて、さよならは言わない。運命の悪戯で再び出会う事もあるかもしれないし」
「……そうね。またどこかで逢いましょう」
矢田の目がうっすらと潤んでいるのが分かる。
「じゃあね」
まるは振り返らず、矢田の家を後にした。矢田は、見えなくなるまで、まるの姿をずっと追っていた。
夜の電車に揺られながら、まるはボーっと考え事をしていた。
「何でこんなことが起きたのかなぁ」
もとはと言えば、織田氏が悪い。しかし、ギリギリまであいまいな態度をとり続けたまるも、また悪い。だが、それだけなら大事にはならなかったはずで、やはり、何らかのパワーポイントがあの時代、あの場所にあったという事なのかもしれない。きっかけは何でもよかったのだろう。
西国分寺で乗り換えた後、まるは再び眠りに落ちていた。
§
夢の中。
まるは一人で街に居た。
本来の猫の姿のままだ。
人が振り返る。
口々に何かを言いながらまるを指を指す。
その全員が空を見上げた。
まるもつられて空を見上げる。
そこには巨大な黒い影。
――あれは……何?
〈コピ・ルアック〉ではない。
まるはこれが自分の夢だと分かった。だが、この黒い影には見覚えが無い。
――危険……危険だわ。あれは危険。
何らかの象徴なのか、それとも予知夢なのか。
予知夢については、ある程度科学的検証は行われている。
脳が何らかの方法で高次元に接続し、時間の流れを超えて事象に干渉するらしい。
阿於芽が異星人と繋がるのに近い力だ。だが、象徴だとすればそれは、彼女の不安の表れかもしれない。今回の事件を回避できる確定的な切り札を得ずに帰還することへの不安。
――予知夢にしろ、不安の象徴にしろ、私はあれと戦わなきゃいけない。
きっ、と、まるは巨大な影を見据えた。
すると、陰に果敢に挑むずいぶん小さな影が見えた。
小さい?
いや、相対的にそう見えるだけだ。
――あれは私の船。そして私の刃。
まるは、その小さな前脚を空に伸ばした。私も〈コピ・ルアック〉に帰るのだ。と。
びっ、という刺激で慌ててまるは飛び起きた。
「ほら、やっぱり船長寝てたじゃないですか」
加藤の声だ。暫くして視野が戻る。
「降りてきた船長の様子がおかしくて、どうしたんだろうって皆で話していたところだったんですよ」
ラファエルが苦笑しながら説明する。
「あ……ごめん。考え事したくて休憩モードのままだったわ」
皆、どことなく寂しそうではある。其々が、まるとはまた違うストーリーでこの時代の人々と知り合い、そしてお別れをしてきたのだ、仕方が無かろう。
「阿於芽、じゃあ、私たちを運んでくれる?」
「まあ、そのつもりだし。さっさと乗ってくれる?」
「相変わらずの憎まれ口よね」
「性分でね。さあ、行くよ」
阿於芽にせかされて全員が乗り込み、まると阿於芽が人型プローブを解除すると、〈川根焙じ・改〉は発進し、潜水している〈コピ・ルアック〉の元に向かった。
〈コピ・ルアック〉には既にほかの乗員たちも集まっていた。まるが中央リフトでブリッジに到着すると、皆は一様に晴れ晴れとした、しかしどこかさびしそうな顔で彼女を出迎えた。
「さて、準備は整った?」
羽賀の方を振り返る。
「まだです。その子たちに名前と、自分の意思を表す力を与えなければ」
羽賀が見た先には、にゃんたと、茶色い仔猫。
まるは頷くと、薬研医師に行った。
「仔猫の知性化をお願いします」
「よかろう」
そしてにゃんたを見据えて行った。
「にゃんたさん、秋風君に教えてもらって、学習装置を使って、船員の基礎的な事を覚えて」
「分かりました、船長」
<さあ、いよいよね>
§
まるが薬研医師に呼ばれていくと、仔猫は不思議そうにくるくると周りを見回していた。まるは秋風に頼んで作っておいた小さな小さなヘッドセットを仔猫に渡す。仔猫はしばらくヘッドセットを見て首をかしげていたが、やがて頭にセットした。
「これなに……あ、わかった。他の人たちみたいに喋ったり聞いたり見たりできるんだ」
そして、まるを見据えた。
「……おかあさん?」
まるは苦笑いをした。
「ごめんね、あなたのお母さんの行方は分からないわ」
仔猫は下を向いて暫く考えていた。与えた情報には、自分の出自も含まれていた筈だ。
「あ、そうか」
そして改めてまるを見る。
「まる船長。だよね」
まるは目を細めて答える。
「はい、茶色いおチビさん」
「おチビさんのままじゃいやよ。私の名前は?」
まるは薬研に向かって肩をすくめて見せた。薬研も肩をすくめて返す。
<この子は……想像以上ね>
すでにこの子の名前は考えていた。
「あなたの名前は琥瑠璃。琥珀のような体の色に、瑠璃色の目だから」
「琥瑠璃……うん、気に入ったわ」
「じゃあ、琥瑠璃、一緒にブリッジに行こうか」
「はい、船長っ!」
仔猫は元気よくまるの後に付き従った。
ブリッジに戻ると、羽賀が待っていた。
「準備は整いましたね」
羽賀の言葉に、頭を横に振りながら答える。
「私には分からないわ。ただ、やれる事を出来る限りやっただけ」
「十分です」
「待って、FERISのもいないのに、どう対抗するの?」
「FERISはこれから行くところに囚われています」
「囚われて?」
「そうです。さて、行きましょう」
羽賀の一言の次の瞬間、すべてが捻じれ、そして一つの塊になったと思ったら、すべて元通りになった。
「さあ、海中から出て宇宙に行きましょう」
「え、でも」
「問題ありません」
「信用しますよ。太田君、船を浮上させて」
「了解、船長」
〈コピ・ルアック〉は海中から浮上すると、周囲に大きな波を立てながら海を割って、その姿を現した。
「亜光速エンジン始動。成層圏へ」
しぶきと波をまき散らしながら〈コピ・ルアック〉は空中に浮上すると、本体後部の亜光速エンジンに火を入れた。
轟音と共に待機を切り裂きながらその巨体は浮上し、数分で周囲は漆黒に包まれた宇宙空間になった。
「亜空間通信を傍受しました。……〈地球通商圏〉からの警告です。本船は28世紀に帰還しています」
「通信チャンネルオン」
「了解」
『こちらは〈地球通商圏〉の〈大自在天〉。地球より出現したエイリアン船に告ぐ、船籍と目的を明らかにせよ。状況次第では攻撃を辞さない』
まるはフレーメンのような顔になった。
(続く)
帰ってくるなり渦中に突き落とされる〈コピ・ルアック〉の面々。
次回から宇宙活劇復活です。